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学園編

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「耳がお早いですね、お兄様。」

逃げようとした割には、なんとも思っていなさそうなその声は私と同じようで全く違う。

ファルル ワム。キルシュより幼い12歳のだ。私とキルシュの従兄弟にあたる。

「遅かった方だ。」

「そうですか?それにしてはゆっくり鑑賞なされていましたね。」

私の手の中から抜け出したルルは危なげなく着地すると、服を直し、前髪を整えた。

「キルシュが負ける要素はなかったからな。」

「なぁーんだ、僕はてっきり負けて欲しいのかと思っちゃいました。」

キルシュに害を生した殺してもいいキルシュが勝てそうな相手弱いやつを選んでおいてよく言う。」

「だってそうしなきゃお兄様、怖いんだもん。」

どこで間違えたのか、ルルは人を実験材料としか思っていない。

幸いエトワーテル辺境には他領の密偵も多いため、彼自身が材料を取りに行くことは少ない。それ以前に彼の研究は捗っているようで、余り外へ出てこない。

かと言って厄介者という訳ではなく、実験材料と引き換えに情報を聞き出すいわゆる拷問官の職に就いている。

ルルは随分と人の道を外れているが、エトワーテルという家で見ればおかしいのは私やキルシュだ。存外、1番普通に育ったと言えるのかもしれない。

「で、貴様はいつ帰るのだ。実験はもう終わっただろう。」

「帰りませんよ?今日から王都の屋敷に滞在します。よろしくお願いしますね、お兄様っ。」

はて。

「こちらにも拷問官はいるが。」

「僕は確かにそういう仕事もしてるけど、本職は研究者ですよ?それにお兄様方の医者は僕なんだから僕がいなきゃ困るでしょ?」

「私たちの体を弄りたいだけだろう。」

「ちゃんと治してきたのも事実でしょ!」

欲に忠実なやつだ。

「そういうことなら実験より先に屋敷に来い。」

「お兄様に会わなかっただけで既にここ数日滞在してますよ?」

ケロッとした顔でファルルはそんなことを言う。

それならなぜ屋敷で会わなかったのか。
なぜ使用人が報告してこないのか。

「空き巣の間違いだろう。」

「それはぁ...だって、めんどくさいだもん。謎に長い挨拶とかタキシードとか意味わかんないんだもん。難しい言葉並べられたってよく分かんないし、かわいい格好でいいじゃん?って思っちゃう、みたいな。ね?」

ウダウダ言い始めたルルを無視し、魔物もどきの死体を影に収納する。

「帰るぞ。」

「空き巣でもいいじゃあん!僕の部屋だもん!」

ちゃんとしたくない!帰りたくない!と騒ぐルルを抱え、私たちは学校から姿を消した。



ーーーーー



それは騒動から数日が経った平日の夜中。
誰もいない学校の廊下に衣擦れの音が響く。

足音を立てないよう注意を払っているようだが、それは徒労に終わる。

ごろごろごろ。

滑りのいい教室のドアがドアにしては静かに、うるさく開いた。

「よく来たね、ヒュー。」

しかし中にいた人には関係なかったようだ。
普通に話しかけられてしまい、侯爵家の嫡子、ヒュー クリスティは眉を下げる。

「会うことは秘密なんじゃないの?お兄ちゃん。」

その言葉とは裏腹に、ヒューは嬉しくて仕方ない。お兄ちゃんと話せるのは久しぶりなのだ。

そしてお兄ちゃん、そう呼ばれたレニーも嬉しそうに笑った。

「ちゃんと防音結界張ってるから大丈夫!」

身を守るための魔法は校則で禁止されていない。
防音結界は物理的に身を守るものでは無いが、結界という分類なので使えるのだ。

「流石お兄ちゃん。」

ヒューの表情が一瞬曇るが、すぐに笑顔を作った。

「じゃあ本題に入ろう!先日、生徒が魔物になった件に箝口令を敷いたね?なんで?」

口調はそのままのはずなのに、レニーの雰囲気がガラリと変わった。
しかしヒューはそれに慣れているのか、自然に背筋を伸ばして応える。

「はい。我が侯爵家としては今回の騒動を公にし研究をするつもりでしたが、王家の方から箝口令を敷くように、と。」

「また王家?」

また。そう、またなのだ。

エトワーテル辺境伯の関わったものは、知っているものだけでもいくつか箝口令が敷かれている。
知らないものも、たくさんあるに違いない。

「王家は何を知っていて、何を隠しているんだろうね。」

今まではエトワーテル辺境伯を公平なる断罪者に仕立て上げるために箝口令を敷いているのでは無いかと思っていた。

しかし今回のはーーー

「エトワーテル辺境伯家には何かあります。」

子爵家から見捨てられたレニーを、未だ兄と慕うヒューの言葉にレニーは苦笑する。

エトワーテル辺境伯家には何かある。しかし

「キルシュ様は何も知らないだろうね。」

レニーから見たキルシュは公平で誠実な人だった。
敢えて悪くいうのならば、覚悟をしなければ嘘をつけない。仕方ないと思えなければ人を殺せない。

それをレニーは誠実だと思うし、そんな人間性が大好きだ。

それに対してエトワーテル辺境伯、先生はどうだろうか。
彼は恐らくレニーとヒューの関係を知っている。全てを見通している目で興味無さそうにレニーを、部のみんなを見ている。

良くてチェスの駒。
彼の中でキルシュだけが特別で、それ以外は無機物と一緒だ。

彼なら人間を魔物に変えてしまえるだろう。

だがもし、彼が自領でそんな技術を研究していたとして、なぜ王家はそれに加担するのだろう?
それにあの魔物もどきを作るためには、狂気的な人への関心が必要だ。それはエトワーテル辺境伯が人に対して無関心だということと矛盾する。

「情報が少なーい!今分かることは依然としてエトワーテル辺境伯は何かを知っているということだけかなあ。」

その言葉にヒューは口をキュッと閉じる。そして迷いながらも口を開いた。

「お兄ちゃんが戻ってきてくれればどうにか出来るのではないですか?」

その言葉にレニーは優しく笑う。

「僕だって無理なことはあるよ。それに僕は子爵家の汚点だ。」

「そんなことない!お兄ちゃんはとっても優秀で本当ならっ...!」

養子に向かい入れられて、本当の兄弟になれたのに。

ヒューはそう言おうとしたが、嗚咽が混ざってしまいそうで、その言葉が出てこなかった。

「今でも本当の、血が繋がったはとこでしょ。クリスティ侯爵の温情のおかげだよ。ヒュー クリスティ様、ありがとう。」

「...当然のことです。」

ヒューは顔を背けてそう言う。

そのはとこの様子にレニーは苦笑し、ふと思った。

そういえば、この世にはエトワーテルの血を継ぐ者がもう一人いたような気がする。
それはエトワーテル辺境伯とキルシュ様にとっての従兄弟。

気になる。
気になるけど、あの事件に手を出すのはリスクが大き過ぎる。

レニーは頭の端にそれを留めて、その日は解散した。
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