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学園編
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キルシュは平日は屋敷に帰ってこないらしい。
寮を荷物置きかなにかだと思っていたので、泊まるという考えが無かった。
寝ずに早朝帰ってきたというのに、まさかのキルシュ不在。
我ながら随分阿呆なことをしたものだ。
そんなことを考えながらも、アーノルドの手は絶え間なく動く。
魔物の討伐とその報酬。
吸血鬼との戦いの詳細。
その火事によって失ったもの。
アーノルドは一通り今回の書類を作り終え、遠征から一緒に帰ってきた執事に渡す。
「私は自室に戻る。貴様もそれを渡したら休め。」
「全部燃えたはずの血の花園の一部はどういたしますか?」
仕事からもう少しで解放されるというときに、この執事はなんてことを聞いてくるんだ。
とはいえ、そのことに気づいていなかった訳では無い。
「やはり採取していたか。全部燃えたことになっているから自領のフィーリネ学園と言えど研究することは出来ない。ルルにでも渡しておけ。」
「承知いたしました。」
執事も流石に疲れているのか、軽口を叩くことなく部屋から出ていく。
私はググッと身体を伸ばす。寝ていない身体で机に向うのは疲れる。
しかしキルシュの後ろ盾となるこの家のためだと思えば、不思議と体は動いてしまうもの。
キルシュに会えなかったのはとても、とても悲しいが。
はあ、考えるのは後にしよう。まずはお風呂に入りたい。
アーノルドの立ち上がり、書斎を出る。
自室へ行く途中でメイドに間食を持ってくるよう頼んだ。
眠くないしお腹も空いていないが、だからといってこの疲れた体をそのままにしておく訳にはいかない。
身体を温めれば眠気も来るだろう。
私は自室についている浴室でシャワーを浴びる。
自分の髪がサラサラに戻っていくのを感じる。
今の格好ならキルシュに会えるな。このままファシアス学園に行ってしまおうか。
いや、今はまだ部外者だ。あの仕事さえあれば...。早く殿下に会いに行こう。
シャワーへの魔力供給を止め、ふわふわのタオルで頭を雑に拭く。
そして胸元の空いた楽な部屋着を着た。
いつも寝るときだってこんなもの着ていないというのに用意されていたのだ。
王都の屋敷のメイドたちは他の貴族に仕えていた経験があるものも多い。それが原因だろう。
コンコンコン。
丁度部屋に戻ってきたタイミングでドアをノックされた。頼んでいた間食だろう。
「入れ。」
私がそう言うと、少しの時間が経ったあと、恐る恐るドアが開いていく。
それを不思議に思いドアを注視していると、隙間からふわりとした黒髪が見えた。
心臓がバクンと跳ねたのが分かった。
しかしそんなことを彼が知るはずもなく、愛しいキルシュがドアをくぐって現れた。
帰ってきていたのか。
「兄上、間食をお持ちしました。その、おかえりなさい。」
キルシュは私の方をちらっと見て、持ってきた間食に視線を移す。それが少しぎこちないのはきっとこの部屋着のせいだろう。
「ああ、ただいま。」
その愛おしさに一瞬にして疲れが吹っ飛んだ。
「キルシュもおかえり。それ、一緒に食べよう。どうやら2人分あるようだ。」
私は一瞬にして髪を乾かし、キルシュから間食を受け取る。
「さあ、座って。」
「しっしかし、兄上はお疲れではっ。」
流れるようにソファーまで移動させられたキルシュは焦ってそう言う。
そう、その通り。私は疲れていて、疲れているからキルシュとお話したいんだ。
「眠気が来るまで誰かと話したい気分なんだ。それが帰ってくると誓ったキルシュなら尚更。」
きちんと本音を隠して当たり障りの無いことを答えたつもりだったのに、本音以上の何かを言っている気がする。
あのときの誓いはやり過ぎだった。昼間にあの話を持ち出すのは良くない。
私は兄。とっても強くて、優しくて、ちょっとスキンシップの多い兄。
「そう、ですね。兄上を信じていました。約束もそうですし、それ以上に兄上を信じいていました。でも火事があったと聞いて、とても心配でした。」
ボスッとソファーに座ってそう話したキルシュはとても小さく見えた。
私がその原因を作ったというのに、その姿を抱きしめたくて仕方ない。遠征にはもう行かないようにしよう。
キルシュの前に紅茶を置いて、そのままキルシュの前に跪く。
そしてキルシュの手を取り、自分の頬に押し付けた。
「ちゃんと戻ったよ。」
そう見上げれば、キルシュは恐る恐る私の頬を撫でる。
そして、口をキュッと噤んだ。
次の瞬間、キルシュが私を抱きしめた。
はっ...これはどういうことだ。
待て、変に舞い上がるな。この行動の意味を考えよう。
...これって抱き締め返していいやつ?
「とても心配でした。」
キルシュが私を抱きしめたままそう言った。キルシュの表情は見れない。
しかし気づいてしまった。キルシュの声が少し震えていることに。
アーノルドは今度は迷うことなく抱きしめ返す。
「心配してくれてありがとう。ちゃんと帰ってきたよ。」
その言葉への返事はなかったが、キルシュはずっと私を抱きしめていた。
「申し訳ありません。自分が思っていた以上に心配していたみたいで、お見苦しいところを晒してしまいました。」
キルシュは恥ずかしそうに私の視線を避け、ソファーに座り直す。
キルシュの目元は腫れていないので、涙は溜めるに留めたのかもしれない。
私も立ち上がり、キルシュの横に座る。
「私はキルシュが待っててくれたと知れて嬉しかったよ。それに帰って来れた実感が湧いた。」
人肌と安心感。帰ってきたんだと思った。
しかし、それがこうも眠気を誘うものだったなんて。
「だからもう少し肩を、貸してほしい。ここにあるものは好きに食べて。」
言い終わるのが先か、寝るのが先か。キルシュの肩に頭を預けて睡魔に体を預ける。
「っ!?兄上!?」
遠くで聞こえたその驚いた声さえ、アーノルドにとっては安心感を得るものだった。
寮を荷物置きかなにかだと思っていたので、泊まるという考えが無かった。
寝ずに早朝帰ってきたというのに、まさかのキルシュ不在。
我ながら随分阿呆なことをしたものだ。
そんなことを考えながらも、アーノルドの手は絶え間なく動く。
魔物の討伐とその報酬。
吸血鬼との戦いの詳細。
その火事によって失ったもの。
アーノルドは一通り今回の書類を作り終え、遠征から一緒に帰ってきた執事に渡す。
「私は自室に戻る。貴様もそれを渡したら休め。」
「全部燃えたはずの血の花園の一部はどういたしますか?」
仕事からもう少しで解放されるというときに、この執事はなんてことを聞いてくるんだ。
とはいえ、そのことに気づいていなかった訳では無い。
「やはり採取していたか。全部燃えたことになっているから自領のフィーリネ学園と言えど研究することは出来ない。ルルにでも渡しておけ。」
「承知いたしました。」
執事も流石に疲れているのか、軽口を叩くことなく部屋から出ていく。
私はググッと身体を伸ばす。寝ていない身体で机に向うのは疲れる。
しかしキルシュの後ろ盾となるこの家のためだと思えば、不思議と体は動いてしまうもの。
キルシュに会えなかったのはとても、とても悲しいが。
はあ、考えるのは後にしよう。まずはお風呂に入りたい。
アーノルドの立ち上がり、書斎を出る。
自室へ行く途中でメイドに間食を持ってくるよう頼んだ。
眠くないしお腹も空いていないが、だからといってこの疲れた体をそのままにしておく訳にはいかない。
身体を温めれば眠気も来るだろう。
私は自室についている浴室でシャワーを浴びる。
自分の髪がサラサラに戻っていくのを感じる。
今の格好ならキルシュに会えるな。このままファシアス学園に行ってしまおうか。
いや、今はまだ部外者だ。あの仕事さえあれば...。早く殿下に会いに行こう。
シャワーへの魔力供給を止め、ふわふわのタオルで頭を雑に拭く。
そして胸元の空いた楽な部屋着を着た。
いつも寝るときだってこんなもの着ていないというのに用意されていたのだ。
王都の屋敷のメイドたちは他の貴族に仕えていた経験があるものも多い。それが原因だろう。
コンコンコン。
丁度部屋に戻ってきたタイミングでドアをノックされた。頼んでいた間食だろう。
「入れ。」
私がそう言うと、少しの時間が経ったあと、恐る恐るドアが開いていく。
それを不思議に思いドアを注視していると、隙間からふわりとした黒髪が見えた。
心臓がバクンと跳ねたのが分かった。
しかしそんなことを彼が知るはずもなく、愛しいキルシュがドアをくぐって現れた。
帰ってきていたのか。
「兄上、間食をお持ちしました。その、おかえりなさい。」
キルシュは私の方をちらっと見て、持ってきた間食に視線を移す。それが少しぎこちないのはきっとこの部屋着のせいだろう。
「ああ、ただいま。」
その愛おしさに一瞬にして疲れが吹っ飛んだ。
「キルシュもおかえり。それ、一緒に食べよう。どうやら2人分あるようだ。」
私は一瞬にして髪を乾かし、キルシュから間食を受け取る。
「さあ、座って。」
「しっしかし、兄上はお疲れではっ。」
流れるようにソファーまで移動させられたキルシュは焦ってそう言う。
そう、その通り。私は疲れていて、疲れているからキルシュとお話したいんだ。
「眠気が来るまで誰かと話したい気分なんだ。それが帰ってくると誓ったキルシュなら尚更。」
きちんと本音を隠して当たり障りの無いことを答えたつもりだったのに、本音以上の何かを言っている気がする。
あのときの誓いはやり過ぎだった。昼間にあの話を持ち出すのは良くない。
私は兄。とっても強くて、優しくて、ちょっとスキンシップの多い兄。
「そう、ですね。兄上を信じていました。約束もそうですし、それ以上に兄上を信じいていました。でも火事があったと聞いて、とても心配でした。」
ボスッとソファーに座ってそう話したキルシュはとても小さく見えた。
私がその原因を作ったというのに、その姿を抱きしめたくて仕方ない。遠征にはもう行かないようにしよう。
キルシュの前に紅茶を置いて、そのままキルシュの前に跪く。
そしてキルシュの手を取り、自分の頬に押し付けた。
「ちゃんと戻ったよ。」
そう見上げれば、キルシュは恐る恐る私の頬を撫でる。
そして、口をキュッと噤んだ。
次の瞬間、キルシュが私を抱きしめた。
はっ...これはどういうことだ。
待て、変に舞い上がるな。この行動の意味を考えよう。
...これって抱き締め返していいやつ?
「とても心配でした。」
キルシュが私を抱きしめたままそう言った。キルシュの表情は見れない。
しかし気づいてしまった。キルシュの声が少し震えていることに。
アーノルドは今度は迷うことなく抱きしめ返す。
「心配してくれてありがとう。ちゃんと帰ってきたよ。」
その言葉への返事はなかったが、キルシュはずっと私を抱きしめていた。
「申し訳ありません。自分が思っていた以上に心配していたみたいで、お見苦しいところを晒してしまいました。」
キルシュは恥ずかしそうに私の視線を避け、ソファーに座り直す。
キルシュの目元は腫れていないので、涙は溜めるに留めたのかもしれない。
私も立ち上がり、キルシュの横に座る。
「私はキルシュが待っててくれたと知れて嬉しかったよ。それに帰って来れた実感が湧いた。」
人肌と安心感。帰ってきたんだと思った。
しかし、それがこうも眠気を誘うものだったなんて。
「だからもう少し肩を、貸してほしい。ここにあるものは好きに食べて。」
言い終わるのが先か、寝るのが先か。キルシュの肩に頭を預けて睡魔に体を預ける。
「っ!?兄上!?」
遠くで聞こえたその驚いた声さえ、アーノルドにとっては安心感を得るものだった。
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