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学園編

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僕はいつの間にか中庭に来たらしい。

暗い廊下を歩いていたはずなのに、一歩進んだ瞬間月明かりに照らされた。

壁は白いレンガ調、絵画の代わりに黒地の布に金糸が施されたものが飾られている。

中庭にはまばらにランプがあり、緑の葉に埋もれる黒い花を照らしていた。

僕は近づいてその花に触れようと手を伸ばす。
しかし僕の手が花に触れることは無かった。

「危ないよ、キルシュ。」

耳元で兄上の声がしたと思えば、後ろからグッとお腹辺りを引き寄せられ、延ばした手は下から取られている。

いきなりのことに心臓がバクバクしている。

一瞬見えたのは棘。
そう、僕が触れようとしたのは黒いバラ。

でもそんなことは一瞬にしてどうでもよくなった。

「会いたかった。」

兄上が僕の肩に顔を埋めてそう呟く。
誰かに聞かせる気のない声量だったが、耳の近くで言われたので当然聞こえてしまった。

「僕も、です。」

兄上を探して彷徨っていたのだ。
会いたかったのは言うまでもない。

「...そうか。」

兄上は両手で僕をぎゅっと抱きしめ、肩の上で頭を動かす。

兄上の髪が首に当たって少しくすぐったい。 

今日の昼といい兄上が饒舌、いや雰囲気がそもそも柔らかい気がする。

いや、そんなことないのか。

あの見張り台や、特に僕に部屋で話したときはこんな感じだった。

それがこっちではデフォルトになっているようだ。

兄上にとっての家はこちらなのかもしれない。

兄上にとっての居場所があったこと、それが嬉しいはずなのに。

「兄上。少し、苦しいです。」

寂しく感じるのは僕の腕が空いているからに違いないのだ。

「すまない。」

すぐに僕を解放してくれる兄上を僕は抱きしめる。

「っ...。」

「でも、安心します。」

僕は昼に言えなかった言葉を思い出す。

「ただいま帰りました、兄上。」

「ああ、おかえり。」

僕はその言葉に満たされる。

兄上はまた抱きしめてくれる。

僕は兄上の弟で、兄上の家族だ。例え思う家が違ったとしても。



僕と兄上は一旦離れたあと、中庭を歩くことにした。
兄上はこの中庭をよく知っているようで、案内してくれている。

バラは黒だけでなく、ほぼ全ての色があるようだ。

「キルシュはなぜここに?」

兄上からすればそれは当然の疑問だが、恥ずかしくて本当のことを言う気になれない。

「この屋敷を見てまわりたいと思って。」

「こんな夜に?」

「は、い。」

完璧な嘘をつく気にもなれなくて曖昧な返事になる。

すると僕の頬が兄上の手によって包まれ、そのまま兄上の方を向かされた。

長いまつ毛の間から覗く月のような瞳に射抜かれて、体が硬直し息を忘れる。

「寝れないのか?隈は無いようだけど。」

いつもより優しい言葉遣いと共に、僕の目の下辺りを兄上の親指がなぞる。
その時に兄上の小指が首の方に行って、ピクっと動いてしまった。

変な気持ちになって焦る。
でもその焦りを隠したくて出来るだけいつも通り話す。

「大丈夫です。今日だけですから。」

「今日だけ?」

しまった。失言だ。

どうしよう。これ以上具体的なことを言わずに話を続ければ、兄上に言いたくないことが伝わってしまうだろう。

隠し事をしているわけじゃないのだ。
ただ恥ずかしいだけで。

僕は兄上の手の上に僕の手を重ねた。

兄上の手が頬から離れるのを目で追うように僕は下を向く。

そしてまだ重なっている手をぎゅっと握る。

「兄上が魔物討伐から帰ってこないかもしれないと思うと、兄上に会いたくなってしまって。」

「ぁあ、そうか。」

地に足がついていないような返事に、僕は顔を上げる。

僕が見たのは兄上が手で顔の下半分を隠している姿だった。

そう、兄上は照れていた。

真っ赤になっている訳では無い。寧ろ元が血の気がなかったため、普通になっただけ。

なのに白黒だった世界に色がついたような感覚に襲われる。

それは人形が人間になったような生々しさがあった。

兄上は僕の視線に気づくと、色付いた頬を隠すのはやめて僕に跪いた。

跪いたときに離れてしまった僕の手を兄上は下から掬い上げる。

「キルシュがいる限り、私は絶対に帰ってくる。ここに誓うよ。」

僕の指先に兄上の唇が当たる。

兄上が照れているからなのか、僕が照れているからなのか。
指先に当たったところがやけに熱く感じる。

「キルシュはお茶でもして待っていて。」

そう微笑んだ兄上に僕はぎこちなく頷く。
しかしハッとして兄上の手を少し引っ張る。

「兄上、立ってください!普通に言ってもらえればちゃんと待ってられますから!」

「しかしこうした方が通じる。」

そう言いながらも兄上は立ち上がってくれた。

と思ったら流れるようにまた抱きつかれた。

段々馴染んできた腕の重さに安心感さえ覚えるが、それ以上に兄上が抱きつくことに慣れている気がする。

兄上はもしかしてそういう関係の女性にこういうことをしているのだろうか。

そう考えれば先程の僕の指先への、その...それも、いつもしているんじゃないだろうか。

僕はあんなにも動揺したのに兄上は...いや、しかし兄上にそんな時間はあっただろうか。

「兄上は女性と恋人関係になったことがあるのですか?」

「ないよ。」

僕の言葉に被せるように兄上は否定する。
勘違いさえ許さないような否定を聞いて、兄上は婚約しないことを選んでいるのだと再認識させられる。

「キルシュこそ気になる人がいるんじゃないかと聞いたが?」

「き...!?」

誰がそんなことを言ったんだ!?

兄上は僕の顔を覗き込む。

僕は驚いた顔をしているのだろう。逆に兄上は無表情だった。

恋バナ特有のからかいが混ざった表情ではない。

そうか、これは辺境伯としての話なんだ。

「気になる方はおりません。僕はエトワーテルの為になるよう生きるつもりです。」

遂に婚約の話でも来たのだろうか。
気になる人がいないというのは本当なので、兄上が決めた婚約者で問題ない。

「すまない、ただ聞いただけなんだ。婚約の話は全て断っているよ。」

断っている。やはり婚約の話は来ていたのか。
全て?一体何件来たのだろう。

「家のことなど考えなくていい。好きな人がいるならその人と婚約すればいいし、世界を見たいなら婚約せず旅をすればいい。」

「それでは放蕩息子ではないですか。」

息子ではなく弟だが。

「それくらい好きに生きて欲しいんだ。」

好きに生きる。

その言葉を聞いて入学する時に考えていたことを思い出す。

家のことを考えなくていい。それは破滅願望があるわけではなく、こういう意味だったのか。

それにしても好きに生きて欲しいなんて。

考えたことなかったのに心を掴まれる。
まるで魔法の言葉だ。

しかしそこで気づく。僕は何がしたいのだろう。

攻略結婚をして、嫁いだ先で貴族として生きるのだと、そう思い込んでいたのだ。

しかしそれは兄上もしかり。

「兄上は、好きに生きれているのですか?」

僕は兄上の瞳を見つめた。
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