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一章 さいしょの町
ラディア・ハイレディン
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いつのことだったか、巨大な化け物を見たことがある。腕が四本、胴体に目が複数あり、触手がうねうねと無数に生えてそれが束ねられて翼のようになっている、まさに異形だった。あれに触れれば肌が朽ちて死ぬし、生き物じゃなくてもあれは触ったものを風化させていた。あれを見たときに思い知らされた、所詮私はちっぽけなただの人間だったんだって。
私――ラディア・ハイレディンはベルナルド王国に来る前はナタスト帝国のどこかに住んでいた。寒冷地が多いナタストでは珍しい暖かなところだった。
私は種族は人間でも、他とは違うと思っていた。詳しくは知らないけど、風の妖精とやらの加護を授かっているらしく、風に関係する魔法なら容易く扱えた。同年代の子供はみんな、簡単な魔法しか使えなかったから、調子に乗ってたんだと思う。
「すっげえ、ラディアはかぜのまほうめっちゃつかえんじゃん!」
「ふふん! でしょでしょ? ほかのまほうがつかえたって、わたしのかぜにはかなわないんだから!」
そんな風にくだらない会話をした気がする。
そして、その自信過剰を膨れ上がらせたもっとも大きなことが、私の故郷を統治していた領主、リーヴァ家の子供との出会いだった。
銀色の髪が特徴的な二人姉妹で、確か姉がシルヴィア、妹がアルタだった気がする。姉は剣を扱うのがうまく、妹もそれを習って剣を主に使っていた。
だから、魔法の扱いというのはよくない。そのため、私は領主の家のものでも扱えない魔法が使えるんだ、とさらに自信過剰を加速させていた。年が近かったこともあり、よく自信ありげに彼女たちにあっては見せびらかせて自慢していた。アルタは元気に、シルヴィアは物珍しそうに、悔しそうにすることもなく目をキラキラとさせて見ていた。身分の差があっても、私の方が実力が上だと思っていたし、よく遊んでいたから私たちは一応友達だった。一緒に遊んでは、優越感に浸っていた。
――そんなものをぶち壊してくれた事件が、巨大な化け物だった。邪神、だとか呼ばれていたような気がする。見た目にぴったりの呼び名だと思った。
「なんだあれは!?」
「地面が……!?」
「何が起こってっ!?」
突然、あれは現れた。何も前触れもなく地響きがし、うねうねと触手が村の地面から飛び出して家々を破壊した。阿鼻叫喚の地獄絵図、とはこういうものだろう。
――そして、大きな穴を開けて化け物は地面から這い出てきた。逃げ遅れてそこに住んでた人たちは半分ぐらい死んだ。何故出てきた、とかそういうことはわからない。ひたすらに腕を振るい、その度に人が死んでいった。
魔物が現れることはたまにあったが、こんなのが出てくるのははじめてだった。攻撃した武器もすぐに破壊されて、魔法で攻撃しようと防御魔法で防がれた。
私も、対抗した。自慢の風をいくらでもぶっぱなした。
――でも、たった一つも通用しなかった。邪魔な虫を追い払うように化け物が腕を振るい、私に迫ってきた。
その時はもう、ダメだと思った。
「まだ、ラディアはしなないよ」
――そんな私を助けてくれたのがシルヴィアだ。俊敏な動きで私を抱き抱えて、遠くの場所まで逃がしてくれた。
私の中の自信が音を立てて崩れた。私のちっぽけな自尊心なんて、何の価値もないんだとその時わかった。
まだ遠くにあの化け物は見える。
「アルタはもうにげたけど、あなたがしんだらかなしい。だから、ここでまってて、ラディア」
「なにするつもりなの!?」
「……あれをたおす」
そう言って、その時はシルヴィアは剣を構えてた。まさか、あれを倒そうとしていたのがいたなんて、馬鹿げていると思った。でも、シルヴィアは本気だった。
その時だった。視界を一瞬で光が覆い尽くした。圧倒的な光の奔流だった。とてつもなく巨大な光線が化け物めがけて放たれ、化け物は消滅した。何が起こったかわからなかったが、私もシルヴィアもただ唖然としていた。化け物が消えて、私とシルヴィアは元の場所に戻った。そこには、私とあまり年のかわらない少女が光輝く剣を持っていた。勇者だと一目見てわかった。この少女があの化け物を倒した。
そして、私は思った。この程度の力では満足なんて到底できるものじゃない。同年代のシルヴィアみたいに巨大な敵に立ち向かう度胸がほしい。あの勇者の少女みたく、どんな化け物でさえ殺せる力がほしい。
私はあの日から、強い力に憧れた。あの勇者みたいに強くなりたいと思った。
あの出来事で私たちは面倒くさい出来事ばかりに巻き込まれた。
ただ、両親が死んでしまったのは本当に悲しかった。私が非力なせいで、ひとりぼっちになってしまった。無力な自分を呪ったし、恨んだ。
そんな私を救ってくれたのはシルヴィアとアルタだ。あの二人はあの後も友達として助けてくれた。私はあの二人のおかげで立ち直れた。
そして、こんなことがまたないようにと、強くなろうとした。シルヴィアやアルタに訓練してもらって私は強くなった。その代わりに二人に風の魔法を教えた。
数年が経って、強くなった私は別の町へ行くことにした。このままこの場所で生きていくだけではもったいないから、どうせなら外に出てみたかった。力を試したかったのもある。シルヴィアとアルタに別れを告げて、どこかへ向かった。目的はなかった。なにかしら冒険をして、ちょっとくらい名を残せればいいんじゃないかって程度だ。
せっかくだから、と今では相棒になっている魔道具のナイフをもらった。
それから、長い間旅をした。国境を越えてベルナルドまで行ったのはいいものの、黒髪じゃない私は歓迎されなかった。
それでも、冒険者になって力を示してぎゃふんと言わせてやろうと頑張った。はじめて出会った動物も魔物も、あの邪神と呼ばれた怪物に比べれば弱かったので勝てた。そうすると、今度は嫉妬で嫌がらせを受けた。何かあるごとに私は誰かと衝突して揉め事を起こした。
そして、町から追い出された。そんなことを繰り返した。
そんな生活をしていると、一つの話を知った。女神は人を勇者にできるという話だ。町を転々としたから、その頃はレジスにいた。まだ、この町では揉め事を起こしていなかった。その話に少し興味が沸いて、女神を探しつつ依頼をこなした。
この町にはとても強いと言われている魔法使いがいる。魔導師シュバルツバルト、あらゆる魔法を使って魔物を一瞬で倒してしまう男。誰ともパーティを組んでいないらしい。ダメもとで私は彼に一緒にパーティを組まないか、と提案した。断られるかと思ったが、彼はそれに承諾してくれた。
一緒に戦ってみてわかった。彼はとても強かった。魔物が近づくよりもはやく魔法で焼き払っていた。何よりも持ってる魔力の底が見えない。人間なのだから、そこまでの量ではないだろうけど、いくらでも魔法を撃ち続ける固定砲台みたいだった。
シュバルツはシュバルツバルトという名前で呼ぶことを嫌っていて、シュバルツと呼ぶことを強要された。よほどシュバルツバルトという名前が嫌いらしい。そんな彼と一緒に冒険を積み重ねてた。
そんなある日のことだった。アリアに出会った。彼女は女神だという。女神は人を勇者にする、という話を思い出した。私の脳裏にはあの日、邪神と呼ばれていたあれを倒した少女を思い出した。私も勇者になってみたいと思った。
だから、彼女を同じパーティに誘った。あの力に憧れて、少しばかり強引だった気がする。それでも、他に渡したくなかった。
私はただ、勇者になりたかった。強い願望だ。きっと、あの日あの勇者を見たときから私の心に根付いていた。外に出たのも、そのせいかもしれない。そんな執着心が、シュバルツにばれてしまったような気もするけれど、まあいいか。
とりあえず、私の夢は勇者になることでしたって話。あのときの勇者の女の子みたいに、力が欲しかった。
◆
町は阿鼻叫喚の地獄絵図そのものだった。
「や、やめてくれ……ぐああああっ!」
「ぎゃああああっ! 足、足がぁ……!」
町の結界が破壊される警鐘の音、町に流れ込んでくるとてつもない量の魔物。それに食い殺される人々の悲鳴が絶え間なく聞こえてくる。長く聞いているだけで頭がおかしくなってきそうだ。
逃げ惑う人々に流されて、ラディアはアリアたちとはぐれてしまう。人の波に飲まれて、うまく動きがとれない。
「ちょ……っと、のいて!」
その人の波から逃れようと必死にもがく。
「うっせえ! 黒じゃないやつは囮にでもなってろ!」
が、屈強な男に魔物の方へ押し出されてしまう。
「いったあ……くそ、なんなの本当に」
と、ぼやきつつ体を起こす。
――カタカタカタ、不気味な音が聞こえてくる。顔をあげると、剣や槍、弓を持った骸骨がいた。急いでラディアはナイフを構える。骸骨はこちらを見て笑っている。
スケルトン、魔物だ。近くを見ると、辺り一体に人間の死体が転がっている。自分自身もあれと同じようにここで野垂れ死ぬ、そんな光景が脳裏に浮かんで離れない。
「"身体強化"」
そんな考えを振り切るようにラディアはそのまま、スケルトンに向けて走り出した。風がラディアを包み込み、勢いを加速させてラディアの速度を上げる。矢が放たれるが、それを容易にナイフで弾いて一閃、スケルトンの頭部を切断する。
体を一度動かせば、ラディアの頭の中は冷静になっていた。ラディアは強い。この程度の敵に負けることはない。レジスの近くにそこまで強い魔物はいない。すべて、ラディア一人でも戦える程度のものだ。この町で強さランキングでも作ってみれば上位に位置するラディアにはスケルトンを屠るのは造作もないことだ。
「"旋風結界"」
攻撃を終えた無防備な体勢のラディアに襲いかかってくるスケルトンへ魔法を放つ。ナイフに刻まれた魔方陣が光り、ラディアの周囲に竜巻のような旋回する風が発生する。近づいてくるスケルトンは発生した風によって吹き飛ばされる。
地面に手をついて、手に魔力を込める。地面に魔方陣が出来上がる。
「"エアロボム"」
と、唱えると同時にラディアはめいいっぱいジャンプする。それと同時に足元の空気が弾けるような衝撃、それによってさらに上昇する。空気を破裂させてその衝撃を与える魔法だ。
"旋風結界"を解除し、下を見据えて、スケルトンの位置を把握する。ナイフの魔法式と魔方陣が光る。近くのスケルトンを殲滅するための魔法が組み立てられる。
「"スプレッドガスト"」
下に向けてナイフを振るうと、巨大な空気の塊が弾丸のように発射され、それが拡散して辺りに降り注ぐ。地面を抉る音が響き、ベキベキっと何かが破壊される音も聞こえる。スケルトンの頭部を砕いた音だ。降り注ぐラディアの魔法によってスケルトンはすべて破壊された。
「よっと」
骨が転がっている中、ラディアは着地する。逃げていった人々はもう見えないほど遠くまで行っている。火事やそれを知らせる煙、未だに鳴り響く警鐘、近くのスケルトンをすべて倒そうが異常事態なのには代わりはない。
『ラディアよ、逃げなさい』
どこからか聞こえてくる声がする。ラディアに加護を授けている風の妖精だ。滅多に姿を現すことはない。冒険者として生活してから死にかけていた時に何回か見たことがある程度だ。
『この町はもう終わりです。時期に魔物によって人間は排斥される』
「魔物程度には負けない自信はあるわ」
『ラディア、あなたは死ぬべきではありません』
風の妖精はいつだって、ラディアの意見を聞かずに指示だけしてくる。そう言うのはいつだって、ラディアの命に危機が迫ってる時ばかりだ。きっと、今回だって例外じゃないのだろう。
「嫌だわ」
だが、それをわかっていてもラディアは風の妖精の言葉に従わなかった。
『なぜ?』
「だって、逃げろってことはそれほどやばいやつがいるんでしょ?」
『その通りだ』
「仮にも仲間ができたんだからさ、そんなやつがいるなら助けに行かないと、ね!」
風の妖精の返答を聞かずに、ラディアは走り出した。なぜかわからないが、風の妖精はずいぶんとラディアのことを気に入ってるらしく、例え反抗的な態度を示していても加護が解かれることはない。きっと、アリアを助けるために死地に向かうとしてもその加護を存分に授けてくれるだろう。
「"エアロボム"ッ!」
だから、ラディアは迷いなくアリアを探しにいく。シュバルツはとてつもなく強い。助けに行く必要なんてないだろう。魔法で自らを上空へ吹き飛ばして、上から様子を見る。
上から見た光景はとても酷いものだった。飛び散る血、転がる死体、跋扈する魔物、知っている町の風景が戦場のように見える。いや、戦場そのものだろう。少し前に聞いた悲鳴がまだ耳から離れない。ラディアは苦虫を噛み潰したように、顔を歪める。
こんな場所にいたら、アリアだってどうなるかわからない。風を巻き起こして、空中を移動する。幸いにも、交戦している者たちも数人いるらしく、魔物たちの数はそれなりに減ってるようだ。上からでも、それがよく伺える。
「誰を探してるんだ?」
「――っ!?」
不意にかけられた声に驚いて、振り返って一気に距離を取る。
「一声かけただけでそこまで警戒しなくてもいいじゃないか」
ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべている男性が宙に浮いていた。白髪に灰色の肌、そしてひび割れた頬――魔族だ。
「何よ、私なんかに用?」
心を引き締めて油断しないように、魔族の男へ言葉を返す。相手は油断してるように、余裕の笑みを見せるが、ただの雑魚じゃない。本能的に、頭が危機を知らせてくる。何も考えずに飛び込んでしまえば、殺されるビジョンが頭に浮かぶ。先程の魔物のように、ささっと倒せる相手じゃない。
「俺たちはできるだけ速やかにこの地を奪いたいわけさ。でも、あんたみたいなやつがいるとそれが結構厳しくなる。ラディア・ハイレディン、あんたは相当強いはずだ。抵抗せずに死んでくれないか?」
ヘラヘラとしているが、油断はしていない。この魔族の男は軽く笑いつつ、こちらの様子を伺っている。
それに、この男から感じる魔力は膨大だ。ラディアの数倍はある。種族差、というのもあるだろうが、この男は魔族の中でも特別に強いだろう。
「はぁっ!」
だから、一気に勝負をつけることにする。ラディアは風を巻き起こして、敵に突撃する。とてつもない速度だ。
「"スクトゥム"」
激しい金属音のような甲高い音が鳴り響く。
一瞬で攻撃できる距離まで移動して振るった一撃は魔力の盾に弾かれる。
――まずい!
不意打ちに近い一撃が防がれた。次は反撃が来る。避けようにも、身体能力でいえばあちらが上であり、さらには空中だ。ラディアは風魔法を使うが、飛べるわけではない。
「"エアロボム"ッ!」
だから、相手に攻撃の隙を与える前に魔法を使う。ラディアと魔族の男の間で空気が破裂する。その衝撃で二人とも勢いよく吹き飛ばされる。
魔族の男は魔法の盾でそれを防ぐ。
ラディアは生身でそれを思いっきり受けるが、吹き飛ばされつつナイフを思いっきり握りしめる。
本来なら、先程の不意打ちに近い一撃で勝負を終わらせるつもりだったが、そうはいかなかった。身体能力でも魔力でも確実に負けている。
なら、次は出し惜しみなく魔法を存分に使って大暴れするしかなさそうだ。短期決戦以外に、勝てる見込みがない。
「風の妖精の加護よ、大自然の力よ、我が道を阻む敵を殲滅する力をここに!」
「ちっ、てめえ何を」
詠唱を口ずさむラディアに魔族も気づいたらしい。先程の口ぶりから魔族はラディアのことを知っている様子だ。風の妖精の加護を授かっていることを知っているはずだ。魔族の男は強い魔法が来るはずだ、と身構える。
「――"ダストデビルストライク"ッ!」
だが、身構えたところでそれに対応できるはずもない。
巨大な魔方陣が魔族の男の頭上に出現する。そこに風がだんだんと収束していく。
そして、それらは旋回してまるで巨大な竜巻のように形成されてそれがそのまま下に落ちる。
「くそっ! ぐううあああっ!」
当然、それは魔族を巻き込む。体が千切れそうなほどの風の勢いに流されて洗濯機で洗われる衣服のように弄ばれる。
「てめええええっ!」
――ゴオオオオッ!
魔族の声は風にかき消される。
そのまま竜巻のようなそれは近くの家を数個巻き込んで破壊し、地面を抉って巨大なクレーターを形成する。耳をつんざく轟音が鳴り響く。土煙が立ち込めて、どうなったのかよく見えない。
「……これで、地面に叩き落とせた」
人間ならばバラバラになって跡形も残らない一撃。魔物であろうと魔族であろうと、無傷ではいられないだろう。
"ダストデビルストライク"、つむじ風を巻き起こしてそれを隕石のように地面に落下させる一撃。並みの人間が使えば魔力のほぼすべてを持っていかれるほどで、風魔法の中では屈指の破壊力を持つ。
例え、風の妖精の加護を持っているラディアであっても、消費する魔力は大きい。
「これだけやれば、あんたの得意の盾も役に立たないでしょう?」
「はははっ、お前は強気なやつらしいな。持って帰って奴隷にしたい気分だ」
土煙の中から、ゆっくりと男は歩いてくる。全身から血を流し、ふらふらとおぼつかない足取りでこちらに向かってくる。どうやら、魔法を使う価値はあったらしい。もう、あと一撃さえ与えてしまえば勝てる。
足に力を込めて、一気に跳ぶ。それに魔族の男は対応しない。きっと、体が動かないのだろう。血を流しながら、ゆっくりと魔族の男は動く。痛む体に鞭を打って、なんとか動かしているような状態だろう。
その魔族の男へ、ラディアは――ナイフを突き立てた。ナイフを握りしめて、敵の心臓を抉る。
「……」
悲鳴もあげずに絶命する。びくんっ、と跳ねてそのまま動かなくなる。
なんとも、あっけなく死んだ。魔族との戦いは、激闘の末に倒すようなものだとラディアは思っていたが、そんなこともなくすぐに決着はついた。
この肉を抉る感触、動けないものにナイフを突き立てる状況、とても不快な感覚だ。ナイフを引き抜くと、血がプシュっと飛び出て降りかかる。顔についた血を拭う。
魔族の男の亡骸は、人間でない特徴を少し持ち合わせているとしても、その姿は人間にそっくりで、人の死体に見える。
まるで、人間にナイフを突き立てたように錯覚する。肉を抉る感触が手に残る。
人間の同士が殺し合う戦場にでも来た気分だ。
魔族なのに、あっけなく死んだこともまるで人間ように思えてくる。
「……」
それを振り払うように、ラディアは再び走り出した。
数分走り回り、幾度となく魔物に遭遇するが、どれも弱いものばかりで魔法を撃って、ナイフで切ればどれもたちまち絶命した。さっきの魔族ほど強いものはいない。
魔力を消費しすぎたらしく、体が気だるい。魔力回復薬を口に放り込んで、魔力をなんとか回復させる。
そして、またラディアはアリアを探す。
レジスはそこまで大きな町じゃない。そろそろ見つかるはずだろう。
そうして、アリアを探してラディアは走り続けた。通りすがりに見えるのは知っている町並み。
それは――べっとりと付着した血といくつも倒れる死体によって極彩色に彩られている。日常はこんなにもあっけなく崩れてしった、ということを思い知らされる。
そうして走っているうちに、一度ラディアは立ち止まる。何かの気配を感じる。
――敵?
ラディアは警戒する。
「ら、ラディアさん」
聞き覚えのある声。
「……アリア?」
振り返ると、心配そうにぎゅっとラディアの手を握るアリアの姿があった。安心したように、ふっと軽く笑った。
「よかった、無事みたいね」
「はい。ラディアさんは大丈夫ですか?」
「ん。まあね」
所々血は付着しているが、どれも返り血だ。通りすがりに魔物を何匹も倒してきたが、受けた攻撃は一つもない。せいぜい、"エアロボム"の衝撃程度だ。
「次はシュバルツでも探しましょう」
「そうですね。大丈夫でしょうか」
「あいつ、私よりも強いんだから大丈夫に決まってるでしょ」
「やりすぎで町壊しすぎないか心配ですね」
「ははは、あり得るわね」
二人はクスクスと笑い合う。知ってる町なのに、危険ばかり迫っている場所で心細かった。
それが、知っている誰かと出会うことで少しだけ心に余裕が持てるようになった。
「さて、いくわよ」
「はい!」
そして、二人は歩き始める。血に濡れた町で、魔物が徘徊する場所。それでも、仲間と一緒にいればなんとかなるような、そんな気持ちになる。
その気持ちを失わないように、二人は急いでシュバルツを探し始めようとする。
――だが、それを打ち消すように、現れるのは魔物の群れ。
「"ディストラクション"、"プロテクト"!」
危機をいち早く察したアリアはラディアに支援の魔法をかける。衝撃を緩和しダメージを軽減させる魔法の膜を纏わせる"プロテクト"、そして攻撃力を増させる"ディストラクション"、ラディアのパラメーターが一気に上昇する。
「ありがと、アリア!」
と、声をかけると一気に飛び込む。負ける気がしない。相手はただの雑魚だ。
だが、そんな簡単に勝負はつかない。
ラディアはアリアと出会って歓喜していた。それまではひたすら戦闘で心身への疲労が溜まっていた。ひたすら生き物を斬る嫌な時間だった。それをアリアと話すことでなんとか払拭していた。
――だが、魔物を殺す感覚はそれで済んでも魔族を殺す感触はラディアから消えることはなかった。
魔物が一気に身を引いた。ラディアは何事か、と周囲を確認する。
魔物の後ろからやって来るのは、槍を持った白髪の少女。
ラディアの、腕が鈍る。肉を抉る感触が腕に甦る。思わず足を止める。
魔族特有の肌のひび割れが見られないが、相手は殺気を込めてこちらに来ている。明らかに敵だ。
――なのに、ラディアの体は一瞬だけ硬直した。それを敵が見逃すはずもない。
少女の持ってる槍が弧を描く。槍の先端の刃が、ラディアに向かう。
「……ぐぅぅぅっ!」
「ラディアさん!?」
そして、そのままラディアの左肩に直撃する。"プロテクト"によって防護されているが、鈍い痛みがじわじわと伝わってくる。
「"エアロボム"ッ!」
無理矢理、魔法によって生まれる衝撃で距離をとる。
それでも、その距離を一瞬で敵の少女は詰めてくる。とても速い。
ガキンッ!
振るってくる槍をナイフで弾く。
「やっぱり速いな」
関心するように呟く。それでもその間も攻撃の手を緩めない。
――こいつ、強い!
明らかに、今まで相手にした魔物たちとはかけ離れた強さだ。何よりも、速い。ラディアは風の妖精の加護を持っているからこそ、人間離れした速さを持っているが、それと同等かそれ以上の速度を見せつけてくる。
上段に構えて槍を振るい、それをラディアが弾くと直ぐ様体勢を変えて今度は横に薙ぎ払う。金属音が鳴り響く。ナイフによる防御で直撃を防いではいるが、防戦一方だ。防御はしていても、その衝撃を殺せるわけでもなく、吹き飛ばされる。
ラディアの体勢が崩れる。そこへすかさず、少女は飛び込もうとする。
「……くっ、"ブロウブレードエアレイド"!」
飛び込もうとする少女の真上に展開される無数の魔方陣。そこからは風の刃が無数に生成されて一気に真下に降り注ぐ。ラディアの懐へ少女が潜り込んでくることもなく、少女は魔法に晒される。
「はぁ……はぁ……」
「大丈夫ですか、ラディアさん」
「まだ、終わってないわ」
無数の刃、それは確かに少女に到達した。"ディストラクション"によって、威力の上がった一撃。
それにも関わらず、少女へのダメージはほぼゼロに等しかった。少女の肌には擦り傷程度のものしかない。
「くそっ!」
悪態をつきつつ、次の魔法の準備をする。魔法を使わなければ、勝機はない。
「ああ、やっぱりよくない」
そんなラディアを前にして、少女はポツリと呟く。
「"ダストデビル――」
「――君が生きていると、きっとよくない」
瞬きするよりも速く、少女はラディアの目の前まで移動する。一瞬の出来事で、ラディアもアリアも全く視認できなかった。
少女の姿が止まる。魔法を使うチャンスとばかりに唱えようとするが、言葉が出てこない。何かの液体が口から込み上げてくる。
がくんっ、とラディアの体が揺れる。
――熱い、熱い熱い熱い!
圧倒的な熱が全身を覆う。特に、腹部が熱い。体に力が入らなくない。立っていられなくなって、思わず座り込む。腹を擦ると、べっとりと液体が付着する。口を拭っても同じ。生暖かい、赤い液体が手にしっかりとついている。
――血だ。ラディアの体内の血が外に出てきている。ラディアの腹は裂けていて、吐血した。
目の前の少女の持つ槍は、血に濡れていた。
そこでようやくわかった。
――自分は槍で刺されたのだ、と。いつの間にか腹部を貫かれて、引っこ抜いたのだ。先程体が揺れたのは、刺した槍を抜いたからだろう。
口から込み上げた血を、そのままどばっと吐き出す。腹部の穴から血が大量に流れ出ているのがわかる。命が、だんだんと血と一緒に流れ出ていく。体から力が抜けて、冷たくなっていく。体が動かない。
そして、その日のうちにラディア・ハイレディンは絶命する。
私――ラディア・ハイレディンはベルナルド王国に来る前はナタスト帝国のどこかに住んでいた。寒冷地が多いナタストでは珍しい暖かなところだった。
私は種族は人間でも、他とは違うと思っていた。詳しくは知らないけど、風の妖精とやらの加護を授かっているらしく、風に関係する魔法なら容易く扱えた。同年代の子供はみんな、簡単な魔法しか使えなかったから、調子に乗ってたんだと思う。
「すっげえ、ラディアはかぜのまほうめっちゃつかえんじゃん!」
「ふふん! でしょでしょ? ほかのまほうがつかえたって、わたしのかぜにはかなわないんだから!」
そんな風にくだらない会話をした気がする。
そして、その自信過剰を膨れ上がらせたもっとも大きなことが、私の故郷を統治していた領主、リーヴァ家の子供との出会いだった。
銀色の髪が特徴的な二人姉妹で、確か姉がシルヴィア、妹がアルタだった気がする。姉は剣を扱うのがうまく、妹もそれを習って剣を主に使っていた。
だから、魔法の扱いというのはよくない。そのため、私は領主の家のものでも扱えない魔法が使えるんだ、とさらに自信過剰を加速させていた。年が近かったこともあり、よく自信ありげに彼女たちにあっては見せびらかせて自慢していた。アルタは元気に、シルヴィアは物珍しそうに、悔しそうにすることもなく目をキラキラとさせて見ていた。身分の差があっても、私の方が実力が上だと思っていたし、よく遊んでいたから私たちは一応友達だった。一緒に遊んでは、優越感に浸っていた。
――そんなものをぶち壊してくれた事件が、巨大な化け物だった。邪神、だとか呼ばれていたような気がする。見た目にぴったりの呼び名だと思った。
「なんだあれは!?」
「地面が……!?」
「何が起こってっ!?」
突然、あれは現れた。何も前触れもなく地響きがし、うねうねと触手が村の地面から飛び出して家々を破壊した。阿鼻叫喚の地獄絵図、とはこういうものだろう。
――そして、大きな穴を開けて化け物は地面から這い出てきた。逃げ遅れてそこに住んでた人たちは半分ぐらい死んだ。何故出てきた、とかそういうことはわからない。ひたすらに腕を振るい、その度に人が死んでいった。
魔物が現れることはたまにあったが、こんなのが出てくるのははじめてだった。攻撃した武器もすぐに破壊されて、魔法で攻撃しようと防御魔法で防がれた。
私も、対抗した。自慢の風をいくらでもぶっぱなした。
――でも、たった一つも通用しなかった。邪魔な虫を追い払うように化け物が腕を振るい、私に迫ってきた。
その時はもう、ダメだと思った。
「まだ、ラディアはしなないよ」
――そんな私を助けてくれたのがシルヴィアだ。俊敏な動きで私を抱き抱えて、遠くの場所まで逃がしてくれた。
私の中の自信が音を立てて崩れた。私のちっぽけな自尊心なんて、何の価値もないんだとその時わかった。
まだ遠くにあの化け物は見える。
「アルタはもうにげたけど、あなたがしんだらかなしい。だから、ここでまってて、ラディア」
「なにするつもりなの!?」
「……あれをたおす」
そう言って、その時はシルヴィアは剣を構えてた。まさか、あれを倒そうとしていたのがいたなんて、馬鹿げていると思った。でも、シルヴィアは本気だった。
その時だった。視界を一瞬で光が覆い尽くした。圧倒的な光の奔流だった。とてつもなく巨大な光線が化け物めがけて放たれ、化け物は消滅した。何が起こったかわからなかったが、私もシルヴィアもただ唖然としていた。化け物が消えて、私とシルヴィアは元の場所に戻った。そこには、私とあまり年のかわらない少女が光輝く剣を持っていた。勇者だと一目見てわかった。この少女があの化け物を倒した。
そして、私は思った。この程度の力では満足なんて到底できるものじゃない。同年代のシルヴィアみたいに巨大な敵に立ち向かう度胸がほしい。あの勇者の少女みたく、どんな化け物でさえ殺せる力がほしい。
私はあの日から、強い力に憧れた。あの勇者みたいに強くなりたいと思った。
あの出来事で私たちは面倒くさい出来事ばかりに巻き込まれた。
ただ、両親が死んでしまったのは本当に悲しかった。私が非力なせいで、ひとりぼっちになってしまった。無力な自分を呪ったし、恨んだ。
そんな私を救ってくれたのはシルヴィアとアルタだ。あの二人はあの後も友達として助けてくれた。私はあの二人のおかげで立ち直れた。
そして、こんなことがまたないようにと、強くなろうとした。シルヴィアやアルタに訓練してもらって私は強くなった。その代わりに二人に風の魔法を教えた。
数年が経って、強くなった私は別の町へ行くことにした。このままこの場所で生きていくだけではもったいないから、どうせなら外に出てみたかった。力を試したかったのもある。シルヴィアとアルタに別れを告げて、どこかへ向かった。目的はなかった。なにかしら冒険をして、ちょっとくらい名を残せればいいんじゃないかって程度だ。
せっかくだから、と今では相棒になっている魔道具のナイフをもらった。
それから、長い間旅をした。国境を越えてベルナルドまで行ったのはいいものの、黒髪じゃない私は歓迎されなかった。
それでも、冒険者になって力を示してぎゃふんと言わせてやろうと頑張った。はじめて出会った動物も魔物も、あの邪神と呼ばれた怪物に比べれば弱かったので勝てた。そうすると、今度は嫉妬で嫌がらせを受けた。何かあるごとに私は誰かと衝突して揉め事を起こした。
そして、町から追い出された。そんなことを繰り返した。
そんな生活をしていると、一つの話を知った。女神は人を勇者にできるという話だ。町を転々としたから、その頃はレジスにいた。まだ、この町では揉め事を起こしていなかった。その話に少し興味が沸いて、女神を探しつつ依頼をこなした。
この町にはとても強いと言われている魔法使いがいる。魔導師シュバルツバルト、あらゆる魔法を使って魔物を一瞬で倒してしまう男。誰ともパーティを組んでいないらしい。ダメもとで私は彼に一緒にパーティを組まないか、と提案した。断られるかと思ったが、彼はそれに承諾してくれた。
一緒に戦ってみてわかった。彼はとても強かった。魔物が近づくよりもはやく魔法で焼き払っていた。何よりも持ってる魔力の底が見えない。人間なのだから、そこまでの量ではないだろうけど、いくらでも魔法を撃ち続ける固定砲台みたいだった。
シュバルツはシュバルツバルトという名前で呼ぶことを嫌っていて、シュバルツと呼ぶことを強要された。よほどシュバルツバルトという名前が嫌いらしい。そんな彼と一緒に冒険を積み重ねてた。
そんなある日のことだった。アリアに出会った。彼女は女神だという。女神は人を勇者にする、という話を思い出した。私の脳裏にはあの日、邪神と呼ばれていたあれを倒した少女を思い出した。私も勇者になってみたいと思った。
だから、彼女を同じパーティに誘った。あの力に憧れて、少しばかり強引だった気がする。それでも、他に渡したくなかった。
私はただ、勇者になりたかった。強い願望だ。きっと、あの日あの勇者を見たときから私の心に根付いていた。外に出たのも、そのせいかもしれない。そんな執着心が、シュバルツにばれてしまったような気もするけれど、まあいいか。
とりあえず、私の夢は勇者になることでしたって話。あのときの勇者の女の子みたいに、力が欲しかった。
◆
町は阿鼻叫喚の地獄絵図そのものだった。
「や、やめてくれ……ぐああああっ!」
「ぎゃああああっ! 足、足がぁ……!」
町の結界が破壊される警鐘の音、町に流れ込んでくるとてつもない量の魔物。それに食い殺される人々の悲鳴が絶え間なく聞こえてくる。長く聞いているだけで頭がおかしくなってきそうだ。
逃げ惑う人々に流されて、ラディアはアリアたちとはぐれてしまう。人の波に飲まれて、うまく動きがとれない。
「ちょ……っと、のいて!」
その人の波から逃れようと必死にもがく。
「うっせえ! 黒じゃないやつは囮にでもなってろ!」
が、屈強な男に魔物の方へ押し出されてしまう。
「いったあ……くそ、なんなの本当に」
と、ぼやきつつ体を起こす。
――カタカタカタ、不気味な音が聞こえてくる。顔をあげると、剣や槍、弓を持った骸骨がいた。急いでラディアはナイフを構える。骸骨はこちらを見て笑っている。
スケルトン、魔物だ。近くを見ると、辺り一体に人間の死体が転がっている。自分自身もあれと同じようにここで野垂れ死ぬ、そんな光景が脳裏に浮かんで離れない。
「"身体強化"」
そんな考えを振り切るようにラディアはそのまま、スケルトンに向けて走り出した。風がラディアを包み込み、勢いを加速させてラディアの速度を上げる。矢が放たれるが、それを容易にナイフで弾いて一閃、スケルトンの頭部を切断する。
体を一度動かせば、ラディアの頭の中は冷静になっていた。ラディアは強い。この程度の敵に負けることはない。レジスの近くにそこまで強い魔物はいない。すべて、ラディア一人でも戦える程度のものだ。この町で強さランキングでも作ってみれば上位に位置するラディアにはスケルトンを屠るのは造作もないことだ。
「"旋風結界"」
攻撃を終えた無防備な体勢のラディアに襲いかかってくるスケルトンへ魔法を放つ。ナイフに刻まれた魔方陣が光り、ラディアの周囲に竜巻のような旋回する風が発生する。近づいてくるスケルトンは発生した風によって吹き飛ばされる。
地面に手をついて、手に魔力を込める。地面に魔方陣が出来上がる。
「"エアロボム"」
と、唱えると同時にラディアはめいいっぱいジャンプする。それと同時に足元の空気が弾けるような衝撃、それによってさらに上昇する。空気を破裂させてその衝撃を与える魔法だ。
"旋風結界"を解除し、下を見据えて、スケルトンの位置を把握する。ナイフの魔法式と魔方陣が光る。近くのスケルトンを殲滅するための魔法が組み立てられる。
「"スプレッドガスト"」
下に向けてナイフを振るうと、巨大な空気の塊が弾丸のように発射され、それが拡散して辺りに降り注ぐ。地面を抉る音が響き、ベキベキっと何かが破壊される音も聞こえる。スケルトンの頭部を砕いた音だ。降り注ぐラディアの魔法によってスケルトンはすべて破壊された。
「よっと」
骨が転がっている中、ラディアは着地する。逃げていった人々はもう見えないほど遠くまで行っている。火事やそれを知らせる煙、未だに鳴り響く警鐘、近くのスケルトンをすべて倒そうが異常事態なのには代わりはない。
『ラディアよ、逃げなさい』
どこからか聞こえてくる声がする。ラディアに加護を授けている風の妖精だ。滅多に姿を現すことはない。冒険者として生活してから死にかけていた時に何回か見たことがある程度だ。
『この町はもう終わりです。時期に魔物によって人間は排斥される』
「魔物程度には負けない自信はあるわ」
『ラディア、あなたは死ぬべきではありません』
風の妖精はいつだって、ラディアの意見を聞かずに指示だけしてくる。そう言うのはいつだって、ラディアの命に危機が迫ってる時ばかりだ。きっと、今回だって例外じゃないのだろう。
「嫌だわ」
だが、それをわかっていてもラディアは風の妖精の言葉に従わなかった。
『なぜ?』
「だって、逃げろってことはそれほどやばいやつがいるんでしょ?」
『その通りだ』
「仮にも仲間ができたんだからさ、そんなやつがいるなら助けに行かないと、ね!」
風の妖精の返答を聞かずに、ラディアは走り出した。なぜかわからないが、風の妖精はずいぶんとラディアのことを気に入ってるらしく、例え反抗的な態度を示していても加護が解かれることはない。きっと、アリアを助けるために死地に向かうとしてもその加護を存分に授けてくれるだろう。
「"エアロボム"ッ!」
だから、ラディアは迷いなくアリアを探しにいく。シュバルツはとてつもなく強い。助けに行く必要なんてないだろう。魔法で自らを上空へ吹き飛ばして、上から様子を見る。
上から見た光景はとても酷いものだった。飛び散る血、転がる死体、跋扈する魔物、知っている町の風景が戦場のように見える。いや、戦場そのものだろう。少し前に聞いた悲鳴がまだ耳から離れない。ラディアは苦虫を噛み潰したように、顔を歪める。
こんな場所にいたら、アリアだってどうなるかわからない。風を巻き起こして、空中を移動する。幸いにも、交戦している者たちも数人いるらしく、魔物たちの数はそれなりに減ってるようだ。上からでも、それがよく伺える。
「誰を探してるんだ?」
「――っ!?」
不意にかけられた声に驚いて、振り返って一気に距離を取る。
「一声かけただけでそこまで警戒しなくてもいいじゃないか」
ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべている男性が宙に浮いていた。白髪に灰色の肌、そしてひび割れた頬――魔族だ。
「何よ、私なんかに用?」
心を引き締めて油断しないように、魔族の男へ言葉を返す。相手は油断してるように、余裕の笑みを見せるが、ただの雑魚じゃない。本能的に、頭が危機を知らせてくる。何も考えずに飛び込んでしまえば、殺されるビジョンが頭に浮かぶ。先程の魔物のように、ささっと倒せる相手じゃない。
「俺たちはできるだけ速やかにこの地を奪いたいわけさ。でも、あんたみたいなやつがいるとそれが結構厳しくなる。ラディア・ハイレディン、あんたは相当強いはずだ。抵抗せずに死んでくれないか?」
ヘラヘラとしているが、油断はしていない。この魔族の男は軽く笑いつつ、こちらの様子を伺っている。
それに、この男から感じる魔力は膨大だ。ラディアの数倍はある。種族差、というのもあるだろうが、この男は魔族の中でも特別に強いだろう。
「はぁっ!」
だから、一気に勝負をつけることにする。ラディアは風を巻き起こして、敵に突撃する。とてつもない速度だ。
「"スクトゥム"」
激しい金属音のような甲高い音が鳴り響く。
一瞬で攻撃できる距離まで移動して振るった一撃は魔力の盾に弾かれる。
――まずい!
不意打ちに近い一撃が防がれた。次は反撃が来る。避けようにも、身体能力でいえばあちらが上であり、さらには空中だ。ラディアは風魔法を使うが、飛べるわけではない。
「"エアロボム"ッ!」
だから、相手に攻撃の隙を与える前に魔法を使う。ラディアと魔族の男の間で空気が破裂する。その衝撃で二人とも勢いよく吹き飛ばされる。
魔族の男は魔法の盾でそれを防ぐ。
ラディアは生身でそれを思いっきり受けるが、吹き飛ばされつつナイフを思いっきり握りしめる。
本来なら、先程の不意打ちに近い一撃で勝負を終わらせるつもりだったが、そうはいかなかった。身体能力でも魔力でも確実に負けている。
なら、次は出し惜しみなく魔法を存分に使って大暴れするしかなさそうだ。短期決戦以外に、勝てる見込みがない。
「風の妖精の加護よ、大自然の力よ、我が道を阻む敵を殲滅する力をここに!」
「ちっ、てめえ何を」
詠唱を口ずさむラディアに魔族も気づいたらしい。先程の口ぶりから魔族はラディアのことを知っている様子だ。風の妖精の加護を授かっていることを知っているはずだ。魔族の男は強い魔法が来るはずだ、と身構える。
「――"ダストデビルストライク"ッ!」
だが、身構えたところでそれに対応できるはずもない。
巨大な魔方陣が魔族の男の頭上に出現する。そこに風がだんだんと収束していく。
そして、それらは旋回してまるで巨大な竜巻のように形成されてそれがそのまま下に落ちる。
「くそっ! ぐううあああっ!」
当然、それは魔族を巻き込む。体が千切れそうなほどの風の勢いに流されて洗濯機で洗われる衣服のように弄ばれる。
「てめええええっ!」
――ゴオオオオッ!
魔族の声は風にかき消される。
そのまま竜巻のようなそれは近くの家を数個巻き込んで破壊し、地面を抉って巨大なクレーターを形成する。耳をつんざく轟音が鳴り響く。土煙が立ち込めて、どうなったのかよく見えない。
「……これで、地面に叩き落とせた」
人間ならばバラバラになって跡形も残らない一撃。魔物であろうと魔族であろうと、無傷ではいられないだろう。
"ダストデビルストライク"、つむじ風を巻き起こしてそれを隕石のように地面に落下させる一撃。並みの人間が使えば魔力のほぼすべてを持っていかれるほどで、風魔法の中では屈指の破壊力を持つ。
例え、風の妖精の加護を持っているラディアであっても、消費する魔力は大きい。
「これだけやれば、あんたの得意の盾も役に立たないでしょう?」
「はははっ、お前は強気なやつらしいな。持って帰って奴隷にしたい気分だ」
土煙の中から、ゆっくりと男は歩いてくる。全身から血を流し、ふらふらとおぼつかない足取りでこちらに向かってくる。どうやら、魔法を使う価値はあったらしい。もう、あと一撃さえ与えてしまえば勝てる。
足に力を込めて、一気に跳ぶ。それに魔族の男は対応しない。きっと、体が動かないのだろう。血を流しながら、ゆっくりと魔族の男は動く。痛む体に鞭を打って、なんとか動かしているような状態だろう。
その魔族の男へ、ラディアは――ナイフを突き立てた。ナイフを握りしめて、敵の心臓を抉る。
「……」
悲鳴もあげずに絶命する。びくんっ、と跳ねてそのまま動かなくなる。
なんとも、あっけなく死んだ。魔族との戦いは、激闘の末に倒すようなものだとラディアは思っていたが、そんなこともなくすぐに決着はついた。
この肉を抉る感触、動けないものにナイフを突き立てる状況、とても不快な感覚だ。ナイフを引き抜くと、血がプシュっと飛び出て降りかかる。顔についた血を拭う。
魔族の男の亡骸は、人間でない特徴を少し持ち合わせているとしても、その姿は人間にそっくりで、人の死体に見える。
まるで、人間にナイフを突き立てたように錯覚する。肉を抉る感触が手に残る。
人間の同士が殺し合う戦場にでも来た気分だ。
魔族なのに、あっけなく死んだこともまるで人間ように思えてくる。
「……」
それを振り払うように、ラディアは再び走り出した。
数分走り回り、幾度となく魔物に遭遇するが、どれも弱いものばかりで魔法を撃って、ナイフで切ればどれもたちまち絶命した。さっきの魔族ほど強いものはいない。
魔力を消費しすぎたらしく、体が気だるい。魔力回復薬を口に放り込んで、魔力をなんとか回復させる。
そして、またラディアはアリアを探す。
レジスはそこまで大きな町じゃない。そろそろ見つかるはずだろう。
そうして、アリアを探してラディアは走り続けた。通りすがりに見えるのは知っている町並み。
それは――べっとりと付着した血といくつも倒れる死体によって極彩色に彩られている。日常はこんなにもあっけなく崩れてしった、ということを思い知らされる。
そうして走っているうちに、一度ラディアは立ち止まる。何かの気配を感じる。
――敵?
ラディアは警戒する。
「ら、ラディアさん」
聞き覚えのある声。
「……アリア?」
振り返ると、心配そうにぎゅっとラディアの手を握るアリアの姿があった。安心したように、ふっと軽く笑った。
「よかった、無事みたいね」
「はい。ラディアさんは大丈夫ですか?」
「ん。まあね」
所々血は付着しているが、どれも返り血だ。通りすがりに魔物を何匹も倒してきたが、受けた攻撃は一つもない。せいぜい、"エアロボム"の衝撃程度だ。
「次はシュバルツでも探しましょう」
「そうですね。大丈夫でしょうか」
「あいつ、私よりも強いんだから大丈夫に決まってるでしょ」
「やりすぎで町壊しすぎないか心配ですね」
「ははは、あり得るわね」
二人はクスクスと笑い合う。知ってる町なのに、危険ばかり迫っている場所で心細かった。
それが、知っている誰かと出会うことで少しだけ心に余裕が持てるようになった。
「さて、いくわよ」
「はい!」
そして、二人は歩き始める。血に濡れた町で、魔物が徘徊する場所。それでも、仲間と一緒にいればなんとかなるような、そんな気持ちになる。
その気持ちを失わないように、二人は急いでシュバルツを探し始めようとする。
――だが、それを打ち消すように、現れるのは魔物の群れ。
「"ディストラクション"、"プロテクト"!」
危機をいち早く察したアリアはラディアに支援の魔法をかける。衝撃を緩和しダメージを軽減させる魔法の膜を纏わせる"プロテクト"、そして攻撃力を増させる"ディストラクション"、ラディアのパラメーターが一気に上昇する。
「ありがと、アリア!」
と、声をかけると一気に飛び込む。負ける気がしない。相手はただの雑魚だ。
だが、そんな簡単に勝負はつかない。
ラディアはアリアと出会って歓喜していた。それまではひたすら戦闘で心身への疲労が溜まっていた。ひたすら生き物を斬る嫌な時間だった。それをアリアと話すことでなんとか払拭していた。
――だが、魔物を殺す感覚はそれで済んでも魔族を殺す感触はラディアから消えることはなかった。
魔物が一気に身を引いた。ラディアは何事か、と周囲を確認する。
魔物の後ろからやって来るのは、槍を持った白髪の少女。
ラディアの、腕が鈍る。肉を抉る感触が腕に甦る。思わず足を止める。
魔族特有の肌のひび割れが見られないが、相手は殺気を込めてこちらに来ている。明らかに敵だ。
――なのに、ラディアの体は一瞬だけ硬直した。それを敵が見逃すはずもない。
少女の持ってる槍が弧を描く。槍の先端の刃が、ラディアに向かう。
「……ぐぅぅぅっ!」
「ラディアさん!?」
そして、そのままラディアの左肩に直撃する。"プロテクト"によって防護されているが、鈍い痛みがじわじわと伝わってくる。
「"エアロボム"ッ!」
無理矢理、魔法によって生まれる衝撃で距離をとる。
それでも、その距離を一瞬で敵の少女は詰めてくる。とても速い。
ガキンッ!
振るってくる槍をナイフで弾く。
「やっぱり速いな」
関心するように呟く。それでもその間も攻撃の手を緩めない。
――こいつ、強い!
明らかに、今まで相手にした魔物たちとはかけ離れた強さだ。何よりも、速い。ラディアは風の妖精の加護を持っているからこそ、人間離れした速さを持っているが、それと同等かそれ以上の速度を見せつけてくる。
上段に構えて槍を振るい、それをラディアが弾くと直ぐ様体勢を変えて今度は横に薙ぎ払う。金属音が鳴り響く。ナイフによる防御で直撃を防いではいるが、防戦一方だ。防御はしていても、その衝撃を殺せるわけでもなく、吹き飛ばされる。
ラディアの体勢が崩れる。そこへすかさず、少女は飛び込もうとする。
「……くっ、"ブロウブレードエアレイド"!」
飛び込もうとする少女の真上に展開される無数の魔方陣。そこからは風の刃が無数に生成されて一気に真下に降り注ぐ。ラディアの懐へ少女が潜り込んでくることもなく、少女は魔法に晒される。
「はぁ……はぁ……」
「大丈夫ですか、ラディアさん」
「まだ、終わってないわ」
無数の刃、それは確かに少女に到達した。"ディストラクション"によって、威力の上がった一撃。
それにも関わらず、少女へのダメージはほぼゼロに等しかった。少女の肌には擦り傷程度のものしかない。
「くそっ!」
悪態をつきつつ、次の魔法の準備をする。魔法を使わなければ、勝機はない。
「ああ、やっぱりよくない」
そんなラディアを前にして、少女はポツリと呟く。
「"ダストデビル――」
「――君が生きていると、きっとよくない」
瞬きするよりも速く、少女はラディアの目の前まで移動する。一瞬の出来事で、ラディアもアリアも全く視認できなかった。
少女の姿が止まる。魔法を使うチャンスとばかりに唱えようとするが、言葉が出てこない。何かの液体が口から込み上げてくる。
がくんっ、とラディアの体が揺れる。
――熱い、熱い熱い熱い!
圧倒的な熱が全身を覆う。特に、腹部が熱い。体に力が入らなくない。立っていられなくなって、思わず座り込む。腹を擦ると、べっとりと液体が付着する。口を拭っても同じ。生暖かい、赤い液体が手にしっかりとついている。
――血だ。ラディアの体内の血が外に出てきている。ラディアの腹は裂けていて、吐血した。
目の前の少女の持つ槍は、血に濡れていた。
そこでようやくわかった。
――自分は槍で刺されたのだ、と。いつの間にか腹部を貫かれて、引っこ抜いたのだ。先程体が揺れたのは、刺した槍を抜いたからだろう。
口から込み上げた血を、そのままどばっと吐き出す。腹部の穴から血が大量に流れ出ているのがわかる。命が、だんだんと血と一緒に流れ出ていく。体から力が抜けて、冷たくなっていく。体が動かない。
そして、その日のうちにラディア・ハイレディンは絶命する。
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