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3  公爵夫人とはなんなのか

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 その日の夜、お父様に執務室に呼び出された。
 話の内容は予想通り、婚約者が決まったという話だった。

「お前なんぞをもらってくれる人が現れたぞ」
「そうなんですね」

 知っていたこともあり、大して驚くこともなく頷くと、お父様は鼻の下にたくわえている髭に触れて不機嫌そうな顔になった。

「なぜ驚かぬのだ?」
「……いえ、先にカバード様から教えていただいていましたので」

 本来ならば、カバードに様など付けたくない。
 でも、付けなければうるさいのだ。

 お父様がいる時はカバードやアフォーレのを呼ぶ時には様をつけるようにしている。

 酷い時は殴られるからだ。

 今は防御するものを持ってきていないので、挑発するような言葉は控えておいたほうが良い。

「カバードが? なぜ、あいつが知っておるのだ?」 
「わかりません。詳しいことは本人にお聞きになってはどうでしょうか」

 カバードは嘘をつくかもしれない。

 でも、メイ伯爵夫人が私たちのやりとりを見ていたから、カバードが馬鹿なことを言っても証言してくれる。

「……わかった。とにかく、10日後、ボルバー氏と会うのだ。いいな?」
「会うのですか?」
「ああ。顔合わせをしたいと言っているからな」
「メイド服しか持っていませんが、この格好で会えば良いのでしょうか」

 尋ねると、お父様は私を睨みつける。

 昔のお父様は顔立ちの整った人だと、娘ながらに思っていた。

 でも、年を重ねるにつれて太っていき、今では丸顔で小太りの中年男性になっていて、腹回りだけ見ると侯爵としての威厳は全く見られない。

 だからだろうか。
 睨まれても怖いとは思わなかった。

「普通の服でいけばいいだろう! 何が言いたいのだ!?」
「メイド服しか持っていないとお伝えしました。それに物心ついてからは、普段着に着る服を買っていただいた覚えはないのですが?」

 普段は屋敷から出ないので、メイド服でも困らない。
 寝間着は冬のものだけ、メイド仲間が着なくなった分をもらって重ね着して眠っている。

 下着は、家庭教師の二人が買ったものをプレゼントしてくれるので、ありがたく頂戴している。
 最初は返すものがないのでもらえないと断わっていた。
 でも、二人に言わせれば、家庭教師としてもらっている金額からすれば安いものだから受け取ってくれと言って、私の体型が変わる度にプレゼントしてくれる。

 アクセサリーは、何一つ持っていない。

 以前、メイド仲間から誕生日に手作りアクセサリーをもらったことがあった。

 それを付けている姿を見せてほしいとお願いされたので見せようとしたらアフォーレに見つかって奪われた。

 奪われただけでも許せないのに、目の前で踏み潰されてしまい、もう二度と大事なものは身に付けないと誓った。

 それにしても、お父様は自分が私に何か買ってやったという覚えがないということも思い出せないのかしら。

 呆れていると、お父様が口を開く。

「まあ、お前には今まで必要ないものだったからな。わかった。必要経費として買ってやろう。貴族のドレスを中古で安く買える店があるから、そこで適当に見繕ってやろう」

 貴族のドレスなんてオーダーメイドらしいから、着てみないと私の体型に合うかどうかもわからないのに好き勝手するものね。

 お父様が言っているのは質屋のことだと思う。
 最近は天候が悪いせいで作物が育たず、物価も高騰している。

 そのせいで没落している貴族も多い。

 この家の財務状況を、私はタッチしていないのでわからない。
 お父様の側近が管理しているようだから、何とかなると思っているというか、そうであってほしい。

「承知しました。また、詳しいことがわかれば、メイド長を介してでかまいませんのでお知らせください」

 こんな所に長居はしたくない。
 一礼して部屋から出ていこうとすると、お父様が珍しく私を呼び止める。

「おい」
「……何でしょうか?」
「この婚約が破談になった場合、お前を追い出すからな。十七歳になるまで育ててやったのだ。これ以上、お前の面倒を見てやる必要もなかろう」
「……今までのように働かせてもくれないということですか?」
「お前の代わりなんぞ、いくらでもおるからな」

 お父様がまた髭を触りながら、にやりと笑った。
 
 人を苛立たせる天才なのかしら。

 そう口に出したい衝動を抑えて頷く。

「それは間違っておりませんね」
「そうだろう。今まで置いてやっていたことを有り難く思うんだな。あの時、面倒を見てやったのに親不孝者めが!」

 意味がわからないわ。
 あの時というのは、いつの話をしているのかしら。

 記憶を探ろうとした時、お父様に蹴り飛ばされるシーンが頭に浮かんだ。

 ……今のって、私の記憶よね。
 でも、いつのことだか思い出せない。

「おい、何を突っ立ってているんだ! 早く出て行け!」
「失礼しました」

 慌てて執務室から出て、自分の部屋に戻る道中で考える。
 
 考えてみたら、お父様はいつだって私を捨てることができたはずなのに、どうして家に置いていたのかしら。

 私が知らないだけで、置いておかなければならない理由があったのかもしれない。

 使用人達がお母様のことを話したがらないことと何か関係があるのかもしれないわ。

 調理場の近くまでやって来ると、ソワラを含むメイド仲間が駆け寄ってきた。

「アーティア様、ご無事そうで良かったです! 旦那様から乱暴されたりしませんでしたか?」
「大丈夫よ。心配してくれてありがとう。ただ、ちょっと話しておきたいことがあるから、時間をもらって良いかしら」
「もちろんです!」

 話が長くなるので、私の部屋に来てもらって話をすることにした。

 事情を説明すると、ソワラ達は婚約が決まったことを喜んでくれた。
 でも、相手の名前を聞いた途端、がっかりした顔になった。

「知ってるの?」
「有名な方ですから」

 ソワラはため息をついて、興奮した様子で言う。

「どうして、そんなお相手を婚約者にしたのでしょう! 酷すぎます! 旦那様はどうしてそんなことをなさるのでしょう」

 私と仲の良いメイド達は当たり前かもしれないが若い。
 だから、私がお母様に捨てられた時には、この家にはいなかった。

 古くから残っているのは執事、メイド長、料理長、フットマン数人、庭師達で、その人達はお父様に口止めでもされているのか、家族が私に対して冷たく当たる理由を教えてくれない。

 知っていれば、私の過去の出来事についても聞くことができたのかしら。
 
「前から言っているでしょう。お父様は私のことが嫌いなのよ」

 どんな反応をしたら良いか困っている、ソワラ達に笑いかける。

「気にしないで。もし、可哀想だと思ってくれるのなら、当日は見た目のチェックをお願いしてもいいかしら?」
「もちろんです! お化粧もさせていただきます!」

 化粧道具もメイ伯爵夫人がプレゼントしてくれると言っていたから何とかなる。

 ドレスや靴もお父様が用意してくれるでしょう。

 あとは、これからどうするか考えないといけないわ。

 婚約破棄されてしまったら、住む家がなくなってしまう。
 かといって結婚すれば、夫が浮気三昧の日々が待っている。

 白い結婚をして、旦那を無視して楽しく生きていくのも素敵だ。
 でも、そう上手くいくかはわからない。
 というか、平民になるのなら、贅沢な生活は送れないわ!
 白い結婚をするだけ時間の無駄ね。

 とにかく、会って話をしてから考えようと思った。


*****


 当日、レモンズ家の馬車で、待ち合わせ場所に向かった。

 ボルバー様の容姿は、メイ伯爵夫人に聞いているからわかる。

 少し早く着いて待ち合わせ場所のカフェで待っていると、約束の時間より10分遅れで、ボルバー様らしき人が現れた。

 金色のストレートの長い髪を背中に垂らした、透き通るような青い瞳を持つ甘いマスクの長身痩躯の男性だった。

 カバードと同じで、見た目が良い分、性格が悪い人なのかもしれない。

「よう、悪かったな。まあ、別に帰っても良かったんだけどな」

 私がいる席までやって来たのはいいけれど、謝りもしない上に帰っても良かったというのはどういうことなのか。

 しかも、彼は中年の淑女と一緒だった。

 噂通り年上好きのようで、彼の隣にいる濃紺のドレスに身を包んだ女性の顔を見ると、50代のメイド長と変わらない雰囲気だった。

「あらぁ、可愛いお嬢さんじゃないの。あなたが奪われるんじゃないかって不安になってしまうわ」
「何を言っているんだ、君のほうが可愛いよ」
  
 女性がボルバー様の二の腕に頬を寄せると、ボルバー様は彼女の頭に自分の頬を寄せて私を見つめた。

「見てわかる通り、彼女は俺の恋人のメルメル・オブリー公爵夫人だ」

 見ただけで判断がつくわけないでしょう!

 ツッコミどころが多すぎるわ!
 
「……あの、公爵夫人なのですか」
「そうだけど、何か? あなたは、公爵夫人を見るのは初めて?」
「は、はい」

 というか、公爵夫人をこんな所で堂々と恋人扱いして大丈夫なの?

 
 
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