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5   結構です

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「本当に行くのか?」

 旅立つ日の朝、ノウル様は馬車に乗ろうとした私に当たり前のことを聞いてきた。キソウツ公爵令嬢がやって来て、今日で五日目になるけれど、ノウル様はずっと私との離婚を回避しようと必死だった。

「あなたたちと比べて、私は常識人なんです。王命に逆らうわけにはいきません」
「王名では離婚はしなくても良いと書いてあったじゃないか」
「フェル殿下に失礼なことはできません」

 離婚届はこの街を出る前に、私が届けることになっている。この家を出たら、ノウル様とは二度と会うつもりはない。

「……ナナリー、本当にごめん。だけど、待っていてほしい」
「はい?」

 待っていてほしい、とは?

 意味がわからなくて聞き返した。すると、ノウル様は真剣な表情で言う。

「君の前で胸を張れるようなふさわしい男になったら、君を迎えに行くから待っていてほしいんだ」
「来なくて結構です」

 何を考えてるの、この人。私と復縁できると思っているなんて馬鹿げてるわ。
 
 きっぱりとお断りして、私は、横でお座りしているリリに話しかける。

「リリ、行くわよ」
『はーい』

 リリの返事のあとに『また、会えるかなぁ?』という声が頭に響いた。話しかけてきたのは、キソウツ公爵令嬢が連れて来た茶色のトイプードルのリチャだった。キソウツ公爵家にも大型犬がいる。小型犬のリチャは愛玩犬として飼われていたが、キソウツ公爵令嬢がこちらに来たと同時に一緒に連れて来ていたのだ。
 犬種図鑑の説明にはトイプードルは賢いと書かれていた。愛玩犬として飼われているということは、キソウツ公爵家は本来のリチャの良さを生かし切れていないのだと思う。

「リチャ、元気でね」
『また会おうねぇ!』

 無邪気なリチャに手を振り、ララを馬車に乗せると、ノウル様が叫ぶ。

「ナナリー! 絶対に迎えに行くから!」
「来ないで! 国際問題になりますよ!」

 今にも泣き出しそうなノウル様に、キソウツ公爵令嬢が寄り添う。

「悲しまないでくださいませ。わたくしとお腹の子供が、あなたを幸せにしてさしあげますわ」
「君に幸せにしてほしくなんかない! 大体、本当にオレの子なのかよ!?」
「あなた以外にいるわけがありませんわ!」
「信じられない!」

 二人の会話があまりにもくだらないので、わたしはさよならも言わずに馬車に乗り込んだ。



******


 リリが馬車に酔ったりしたこともあり、予定よりも三日遅れで、私たちはパゼリノ王国の城下にたどり着いた。王城に行くのかと思いきや、今日は王城の近くある公園でイベントがあるらしく、私たちはそこに連れていかれることになった。
 とても大きな公園で貴族の犬の散歩スポットとなっているらしく、公園内には武器の持ち込みは不可になっている。

 リリの散歩をしながら、護衛が詳しい話をしてくれる。

「今日は国賓がいらしていまして、そのお相手をフェル殿下がされるのです。フェル殿下はこの公園の中央にある広場におられますので、そちらにご案内いたします」
「ありがとうございます。ところで、この公園はとても立派ですけど、王家の管轄か何かなのですか?」
「そうです。王家が管轄している動物たちの憩いの場です。この公園は入場口が四つありまして、その内の一つが王城の城壁の一部を切り抜いた形になっています。明日から、ナナリー様はそちらから出入りしていただくことになります」

 公園は高い石の壁にぐるりと囲まれていて、動物園のような造りになっている。
 子供が遊べそうな広いスペースというよりかは、犬が走り回れるような場所や、水飲み場、人間の休憩所やお手洗いなどがあり、まだ確認できないけれど、中央には広場があるらしい。

「当たり前のルールになりますが、排泄物は持ち帰ることになります。リリ様を散歩される場合は、お付きの者が処理させていただきます」
「わかりました。ありがとうございます」
 
 私には侍女も専属メイドもいないので、自分で処理することになりそうね。

 礼を言って小道を歩く人たちに目を向ける。たくさんの人が犬を連れて歩いていて、中には犬と一緒にリードを付けた猫も散歩している。

 聞こえてくる犬たちの心の声は、とても楽しそうで私の心も明るくなった。すると、リリが叫ぶ。

『ナナリー、見て! あそこにいるのは、ヨーグルト・テリアよ』
『ヨークシャー・テリアね』
『あ、あそこにいるのは、チーズー!』
『シー・ズーね』

 犬の本能なのかはわからないが、なぜか、リリは犬種を食べ物の名前に変換して覚えている。

 おばあ様の犬種図鑑を持っていなければ、ふわふわの毛を持つ可愛らしい小型犬たちを食べ物の名前で覚えるところだった。犬が犬の種類を覚えていることだけでも、かなり賢いとは思うけどマイペースすぎる。リリが犬の犬種を覚えたのは犬同士での会話だと言うから、もしかしたら、みんな、間違えて覚えているのかもしれないけど。

『ここの国の犬はみんな幸せそうね』
『本当にそう思うわ』

 嬉しそうなリリに同意する。

 パゼリノ王国は世界の中でも特に犬を一番可愛がっている国だと言われている。そのこともあってか、プロウス王国に比べると、貴族らしき人が家族で護衛と共に犬の散歩をしている割合が高い。

 犬たちも『ご主人とお散歩!』と嬉しそうに歩いている。

 犬たちが嬉しそうだと、私も嬉しい。

 犬と念話できる私は聞こうと思っていなくても、犬の声が聞こえることがある。それは、特に犬たちに悲しいことがあった時だ。

『ご主人様が怖い。帰りたくない』

 なんて声が聞こえると、私が家に連れ帰りたくなってしまっていた。でも、この国は違う。犬たちはたっぷりと愛情を注がれているように見える。プロウス王国の貴族は、見栄を張るために犬を可愛がっている人が多かった。猫好きの人にとっては肩身が狭い王国だったから、猫派なのにいやいや犬を飼っていた人が多いのかもしれない。だから、犬に愛情をかけられかったのかもしれないけど、家に迎え入れた以上は、ちゃんとしてほしいものだわ。

『おや、新入りかね』

 後ろから声をかけられて足を止めて振り返った。犬に話しかけられたのか、人間に話しかけられたのか、姿を確認するまでわからないのが困ったところだ。

 私の視線の先には、くるりんと巻かれた尻尾を振っている茶色い中型犬がいた。

『しばづけ!』
「し、し、シバイヌ!」

 シバヅケという食べ物があるのかわからないが、リリがまた間違った名前を言っていた。でも、それどころじゃないくらいに、私は感動していた。シバイヌは世界的にも珍しい犬種で、しかも、ここには茶、白、黒の三色のシバイヌがいた。

「あら、シバイヌを知っている人がいるなんて珍しいわね」

 品の良さそうな中年の女性が微笑んだけれど、すぐにその顔を険しくする。

「今日はクヤイズ殿下が見えられていますから、お気をつけになったほうが良いですよ」
「ご忠告、ありがとうございます」

 クヤイズ殿下というのは、戦争を起こすきっかけを作った馬鹿な王太子だ。どうして、彼がここに来ているのかしら。

「どうしてクヤイズ殿下がこちらに?」
「今日の式典のためです」
 
 どういうことなのかしら。
 シバイヌたちと戯れているリリを見つめながら思った時、護衛がピンと背筋を伸ばして叫ぶ。

「フェル殿下に敬礼!」

 その掛け声と共に護衛たちだけじゃなく、周りにいた貴族や私も頭を下げた。

「頭を上げろ。ここは散歩を楽しむ場だ」

 低音のよく通る声は耳に心地よく感じた。顔を上げると、黒の軍服に腰には剣を携えた黒色の髪に金色の瞳を持つ、美しい顔立ちの青年が私に近づきながら話しかけてくる。

「ナナリーだな。よく来てくれた。俺がフェル・ベッツだ」
「殿下にお会いできて光栄にございます」
「挨拶は改めてしよう。ナナリー、今から、国民の前でクヤイズ殿下がどれだけ馬鹿でクズかを晒してやろうと思う。こちらに着いて早々で悪いが、俺に協力してくれ」

 なんだかよくわからないけど、クヤイズ殿下には自分のやったことを後悔して反省してもらいたいし、できれば痛い目に遭ってもらいたい。

「承知いたしました」

 詳しい話を聞いてもいないのに、わたしは迷うことなく頷いた。
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