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19 妻の罠②

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 二階にあるバルコニーにはちょうど人がおらず、私はサーディンがいるであろう木が、ターズ様にとって背になる方向で立ち止まった。

 ひんやりとした風がハーフアップにしている私の髪の毛を揺らす。
 バルコニーから見える景色は外灯の灯りでとても綺麗だ。

 一緒にいるのがターズ様でなければ良かったんだけど贅沢は言えない。

 少しの沈黙のあと、タキシード姿のターズ様が弱々しい笑みを浮かべて話しかけてくる。

「リリララ、久しぶりだね。元気そうで良かった」
「おかげさまでサレナール王国にいた頃よりも健康に過ごせていますわ。ターズ様はあまり体調が良いようには見えませんがどうかされましたか?」
「知っているだろうけど、君が出て行ってから色々とあったんだよ」
「申し訳ございませんが、ターズ様とは離婚したと思っておりましたので、あまり気にしておりませんでした」

 サレナール王国のことや、国に残っている友人たち、国王陛下の動きなどは気にしていたけど、ターズ様の体調については本当に心配していなかった。
 
 私の発言にショックを受けたのか、外灯に照らされたターズ様の表情が曇った。
 のんびり話をするつもりもないので、早速、こちらの本題に入らせてもらうことにする。

「ターズ様、どうして離婚届を提出してくださらないのですか」
「わかるだろ。君が好きだから。ただ、それだけだよ」
「申し訳ございませんが信じられません。それに、信じられたとしても気持ちに応えられません。ですので離婚届にサインをして、係の者に渡してくださいませ」
「嫌だ」

 堪えきれなくて、大きなため息がこぼれた。

 何回言えば、ターズ様は納得してくれるのかしら。

「サインをした離婚届を置いていたはずです。それにサインだけしてもらえませんか」
「無理だよ。破いたから」

 ターズ様は何がおかしいのか鼻で笑った。

 その可能性があると思って、サーディンがサレナール王国の離婚届をもらって来てくれていた。
 
「新しいものを持っております。この後すぐにターズ様のサインをいただけますか。提出は私がいたします」
「嫌だよ」
「子供ではないのですから、駄々をこねるような真似はおやめください」
「……僕の話も聞いてくれないかな」
「……何でしょうか」

 どうせ碌でもない話なんでしょう。
 そう思ってターズ様の襟元を見つめる。
 
「君が戻ってきてくれるなら、父上の企みを潰すように努力する」
「……努力するでは意味がありません。潰さないといけないものですから」
「じゃあ、絶対に止めてみせる!」

 自信がないから努力すると言い出したんでしょうに、絶対だなんてよく言えたものね。
 
 これ見よがしに大きなため息を吐いて答える。

「信用できません」
「でも、これしか手がないと思うんだ。君は知らないかもしれないけど、父上の力はすごいんだよ」
「……あなたは国王陛下と一緒に何をしようとしているのですか」

 皇帝になりたいのではないかというのは、あくまでも私たちの仮説でしかない。
 本当の理由が何なのかは、本人たちの口から聞くしかない。
 そう思って聞いてみた。

「僕は何もしてない。父上に言われるがままにやって来ただけだ! 何も悪いことをしようなんて思ってない!」
「言われるがままと言われましても、そんなことをお願いされて、おかしいとは思わなかったのですか?」
「……それは思ってたよ。だけど、逆らえなかったんだ」

 たとえ、国王陛下に命令されて、私を含む9人の女性と結婚したにしても、私を9番と呼んで良い理由にはならないわ。
 それに結婚するまで隠しておくこともおかしいわよね。

「どうして逆らえなかったんです? 脅されるか何かされたのですか」
「……そうだよ」

 ターズ様は、真剣な表情で頷いた。
 不思議な力のせいなのか。
 見ないようにしようと思っているのに、自然に目を合わせようとしてしまう。
 何とか視線を逸らすと、ターズ様が近付いてきた。

「父上は君との結婚を反対してた」
「それはそうでしょうね」

 私が国王陛下の立場なら反対するわ。
 
「でも、君以外に必要な9人を妻にするのなら良いって言ってくれたんだ」
「一人足りませんが、私と9番目に結婚した理由は何なのですか?」
「父上が良いって言ったからだよ。僕が留学することによって、多くの味方を手に入れることができたから」

 ということは、やっぱり多くの国の王家や高位貴族はターズ様のすることを疑わないようになっているのね。

「教えていただきありがとうございます。でも、もう、私はあなたの元に戻るつもりはありません」
「リリララ! 母上もいなくなったし、僕には味方がいないんだ。頼むよ、戻ってきてくれ!」 
「味方がほしいだけでしたら、私が戻っても同じです。たとえ国に戻ったとしても、私はあなたの敵になります」
「だから、そうならないようにしてほしいんだ! いや、君が側にいてくれるだけで良い」
「言っていることがめちゃくちゃだということに気付いてくださいませんか。国王陛下を止めると言ったり、自分の味方になれと言ったり意味がわかりません。味方になるということ陛下のやろうとしていることを認めることになるのでは?」
「混乱するくらい困ってるんだってわかってくれよ!」

 そう言って、ターズ様は私の両頬を掴んだ。
 下を向こうとしても、力が強くて動かせない。
 しょうがないので目を合わせないように目を閉じると、ターズ様の息が顔にかかった。

 キス待ちじゃないのよ!
 
 目を開けると、ターズ様の顔が近くにあってぞわりと背筋に悪寒が走った。
 力を振り絞って腕を振り払い、ターズ様の顔を押し退けて叫ぶ。

「いい加減にしてください! 私はあなたの顔なんて本当はもう二度と見たくなかったんです! 大人しく離婚してくれないから会っただけなんです! 復縁なんてありえません!」
「リリララ! お願いだ! 僕の目を見てくれればそんな気持ちは忘れられるよ!」
「どうなるかわかってるのに見るわけがないでしょう!」

 馬鹿なの!?

 この時、セレスから教わったことを思い出して、私は自分の額をターズ様の鼻にぶつけた。

「いっ!」

 ターズ様が鼻を押さえて後退しようとしたところで、ヒールで彼の足を思い切り踏む。

「痛いっ!」

 ターズ様は声を上げてしゃがみ込んだ。
 そんな彼から距離を取って叫ぶ。

「ターズ様、こんなことをするくらいに、私はあなたのことが好きではないんです! 気持ちの押しつけはやめてください!」
「どうしてだよ!? 僕は前から君のことが好きだったのに! 君だって結婚してくれたじゃないか!」
「こんなことになるだなんて誰が予想できるんですか! 大体、そんなに私のことが好きだったなら、内緒で結婚するだなんて馬鹿なことをしなければ良かったんです! 他の妻に遠慮して番号呼びをしなければ良かった!」
「リリララ、言わせてもらうが、君はまったく悪くないと言えるのか?」

 何が言いたいのかわからなくて、無言で見つめると、ターズ様は私を見上げて話す。

「君が僕の苦悩にもっと早くに気付いてくれていれば、こんなことにならなかった!」
「……どういうことですか?」
「そのままの意味だよ! 君が僕の異変に気がついてくれていれば、君も僕も苦しまずに済んだんだ!」
「……私に全く責任がないとは言いません! でも、あなたから悪いと言われるのは腹が立ちます」
「君のように僕に言いたいことを言ってくれる人はいないんだ! 昔の僕に戻るために君が必要なんだ!」

 立ち上がったターズ様の目はギラついていて、異常なように思えた。

 でも、怯むわけにはいかない。
 
「私にだって人生を選ばせてください!」
「聞け! 君が僕のもとに戻らなければ」
「いい加減にしろ!」

 ターズ様の話を遮った声は私じゃなかった。
 息を切らしているレオが私の手を引いて、自分のほうに引き寄せる。

「大丈夫か? 遅くなって悪い。段取りに手間取った」
「私は大丈夫です。強いて言えば額が痛いくらいです」
「額?」 
「はい。ちょっと抵抗しまして」

 近くの木が揺れたので目を向けると、サーディンらしき人が両手を合わせていた。
 
 彼には私が助けを呼ぶまで動かないようにと言っていた。
 だから、彼は悪くないのに謝ってくれたみたいだ。

「大丈夫か?」
「……はい。ありがとうございます」

 仲が良いと思われても、レオに迷惑がかかる。
 だから、わざと敬語を使った。

「もう、仲良くなっているんだな」

 私とレオを忌々しげに見つめて、ターズ様が呟いた。

 仲良くないふりをしようとしたけど、意味がなかった。
 それはそうよね。
 無関係なら、レオが助けにくるはずがないもの。

「彼女とは、あなたの件で色々と話すことが多かったですからね」

 レオは段取りに手間取ったと言っていた。
 でも、ここに来てくれたということは、準備が整ったということだ。

 さあ、ターズ殿下。
 証言してもらうわよ。

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