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12 遊ばれる王太子
しおりを挟む「ソフィー」
「……ワイアット?」
家に戻るためにメイドと一緒に城の廊下を歩いていると、背後から呼び止められたので立ち止まって振り返ると、声をかけてきたのはワイアットだった。
もしかしてもう、騒ぎを聞きつけてやって来たのかしら。
ワイアットの表情が、なぜか辛そうに見えたので、彼に駆け寄って尋ねる。
「どうかしたの? 陛下に何かあった訳じゃないわよね?」
「陛下は大丈夫ですが……」
「どうしたの? 何か問題でも起きたの?」
「今、王太子殿下から聞いたんですが」
「……え? ああ、私がケイティにスープを食べさせようとしたことで何か言っていたの?」
「いえ。その、その話ではなくて……、その、ソフィー、君に婚約者が出来たんですか?」
「はい?」
スープを飲ませようとしたことで怒られるのかと思っていただけに、婚約者の話を持ち出されて、思わず間抜けな声を上げて聞き返してしまった。
「まさか、ジュートと本当に婚約したりしませんよね? 私の家からの手紙は届きましたか?」
「レストバーン家からの手紙は、まだ見ていないけれど、いつ送ってくれたのかしら?」
「昨日です」
「じゃあ、今日には届くはずじゃないかしら?」
「いや、それはそうなんですが、ジュートと本当に婚約するつもりなんですか?」
ワイアットが珍しく焦っているので、首を傾ける。
「ワイアット、何かあったの? ジュートと私の関係はあなただってよく知っているでしょう」
「そ、それは……、そうなんですけど」
五大公爵家の令息や令嬢は、皆、仲が良い。
公爵家は力を合わせて王家を守ろうと、代々、交流を深めていて、大人が談笑している間は子供たちだけで一緒に遊んでいた。
年齢もバラバラで個性的なメンバーばかりだけれど、社交場で顔を合わせれば、終了後に集まって話をするくらいには仲が良い。
だから、ワイアットも私とジュートの関係性を知っている。
今回の婚約がフリであることくらい、言わなくても理解できるはずだった。
「ソフィー、実は、私もあなたに婚約を申し込みたいんです」
「……はい?」
「迷惑かもしれないと思って、何日か悩みましたが、やはり伝えておきたくて……。で、正式に両親から許可を取って婚約の申し出をすることにしたんです」
ワイアットが頬を少しだけ赤くして言った。
ちょ、ちょっと待って。
ワイアットが私に婚約を申し込んでくれたの!?
夢じゃなくて?
ああ、そうね。
これは夢なんだわ!
「ありがとう、ワイアット。夢から覚めても、この喜びは忘れないと思う」
「……はい? 何を言っているんですか? 夢なんかじゃないですよ! ……ソフィー、もしかして、そんなに私との婚約することが嫌なんですか?」
「そ、そんな訳ないじゃない! 嬉しいわ。だからこそ夢だと思うのよ。だって、ワイアットと私が婚約だなんて、ありえることじゃないもの。そうよ、これは夢!」
早口でまくし立てると、呆然としているワイアットを置いて歩き出す。
その後は、メイドが必死に話しかけてくれていたのに、全く頭に入ってこなかった。
ふわふわした気持ちで、家に戻ったのはいいものの、家に届けられていた、レストバーン家からの手紙を読んで、私は自分の頬を叩いた。
私ったら、舞い上がりすぎていたわ!
夢じゃなかった!
それはそうよね。
夢だったとしたらリアルすぎるもの!
ワイアットになんて言ったらいいの?
絶対に呆れているわよね。
やっぱりこの話は無しに、なんて言われそう。
こういうところが、お母様の娘だとよく言われるところだと、いつも思っていたはずなのに。
「はあ、やってしまったわ」
テーブルに突っ伏して頭を抱えていると、メイドが来客を知らせてくれた。
ワイアットかと思って顔を上げると、ワイアットではないと言われてしまった。
相手を聞くと「ジュート様です」と言われたので、とりあえず、リビングに通してもらった。
ふわふわの柔らかそうな金色の髪に、エメラルドグリーンの瞳。
気だるげな表情はいつものことだ。
小柄なので声を発さなければ美少女と勘違いされる、整った顔立ちをしたジュートは私を見て言う。
「おはよう、ソフィー。朝早くからごめん。早く着きすぎちゃってさ。……で、さっき、ワイアットに会ったんだけど、何かあった?」
「うう、今は言わないで。それから、おはよう、ジュート」
「うーん。よくわからないけど、ソフィー、また、暴走したの?」
「暴走って言わないでぇ」
気のおけない間柄なので、こんな情けない姿を見せても、ジュートにしてみればいつものことだ。
ジュートは大して気にする様子はなく、私の向かい側に座った。
「ワイアットにはソフィーは良い人だけど、僕のタイプではないと言っておいたからね」
「それって、お礼を言ったほうがいいのかしら」
「いいんじゃないかなあ?」
のんびりした性格のジュートは、少し考えてから話を続ける。
「今回の件で、父上と母上が心配していたよ。元気そうで良かった。それに、ケイティと縁が切れたのは良かったね」
「ありがとう。あなたもホッとしたんじゃない?」
「ここ最近は避けていたから、顔も見ていなかったんだ。手紙攻撃もなくなったし、諦めてくれたのかなって思っていたけど、王太子殿下に近付いていたんだね」
「そうみたい。いつの間に知り合ったのかしら」
「君の家でじゃないの?」
ジュートがダイニングテーブルに頬杖をついて、おっとりとした口調で尋ねてきた。
「……そういえば、最近はケイティにお客様が来ていたような気がするわ。興味がなかったから、誰が何をしに来ているのか考えてなかったけれど」
「君の両親も放置していたみたいだね。もしかして、ケイティと王太子殿下をくっつけるためにわざと放置していたのかもしれないなあ」
「円満に婚約破棄させるつもりだったのかしらね」
「そうなんじゃないかなぁ。黙って好き勝手させるような人たちじゃないしさ」
ジュートは答えてから、なぜか不思議そうな顔をした。
「……あれ?」
「どうかした?」
「何か、焦げ臭くない?」
「……そう言われてみればそうね」
何かを焼いているような臭いがして、辺りを見回す。
リビングでは目に見えて何かが燃えているということはない。
ジュートの前にお茶を置いたメイドが、私たちの話を聞いて、慌てて臭いのするほうへ向かっていったかと思うと、すぐに戻ってきて叫ぶ。
「お嬢様、ジュート様、すぐに窓から外に出て下さい! 玄関の扉から火が上がっています!」
私とジュートは顔を見合わせたあと、立ち上がって玄関に向かう。
火がつけられたばかりなのか、扉が半分近く燃えていて、近くの壁にも燃え広がろうとしていた。
「これは……」
呟いて指を鳴らすと、一瞬にして火が消えた。
無効化で消えたということは、普通の火じゃないことはすぐにわかる。
「ねえ」
「何?」
ジュートに話しかけられ聞き返すと、彼は呆れ顔で尋ねてくる。
「ゼント殿下って馬鹿なの?」
「そうみたいね」
「普通は魔法の火を使わないでしょ。犯人は自分だって言ってるようなものじゃないか」
「だから、馬鹿だと思うわ」
一部が焼け焦げてしまった家の扉と壁を見ながら、私とジュートはため息を吐いた。
「そういえば、警備してくれていた兵士はどうしているのかしら」
「……何も言わないってのもおかしいね」
兵士たちが異変に気付かないわけがない。
ジュートが扉を蹴り飛ばすと、扉は外に向かって吹っ飛び、ポーチから少し離れた場所に落ちた。
扉は家の修理ができる人を呼んで直してもらうようにしないといけないわ。
ジュートと一緒に外に出ると、舌打ちが聞こえ、どこからか、ゼント様の声が聞こえてきた。
「くそっ! 失敗したか」
ゼント様は飛んでいった扉の下敷きになっていた。
家の周りにいた兵士たちは私たちを見てホッとしたような表情を浮かべている。
ゼント様に中にいる私に知らせるな、と命令されていたってとこかしら。
兵士たちには可哀想な思いをさせているわ。
護衛対象に危険を知らせようとしたらゼント様に殺されかねないし、知らせなくても、私たちを危険な目に合わせた罰として殺されてしまう恐れがある。
こんな職場は嫌でしょうね。
ちゃんと、彼らの身の安全を確保する様にしてあげないと駄目だわ。
こんなことを言うのもなんだけど、私は自分で自分を守れるからね。
「……どうしようもない人だな」
「……ジュート?」
ジュートが無言で右手の人差し指を丸を描くようにくるりと回した。
それは彼が魔法を使う時の動作だと知っている私が不思議に思った時だった。
「うわあ!?」
ゼント様の叫び声が聞こえて目を向けると、なぜかゼント様の体が腰のあたりまで地面に埋まっていた。
ジュートは地の魔法が得意で、土を自由に扱うことができる。
だから、ゼント様がいた場所の土をどこかへ移動させて落とし穴を作り、そこに彼を落としていた。
「もうちょっと深くすれば良かった」
ジュートは眉根を寄せて呟くと、私にお願いしてくる。
「悪いけど、ソフィー。魔法を解除してくれない?」
「いいけど、何をするの?」
指を鳴らすと、ジュートの魔法が解除され、下半身に土がついてはいるけれど、ゼント様の全身が見えるようになった。
けれど、すぐにジュートが指を動かす。
「うわぁっ!? 何なんだ、一体!?」
ゼント様の間抜けな声と共に、今度は彼の姿が一切見えなくなった。
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