上 下
10 / 31

9   懇願する夫 ①

しおりを挟む
 メイドにお茶を淹れてもらったあと、ミスティック伯爵令嬢とジリン様には二人がけのソファに、シリュウ兄さまには安楽椅子に座ってもらい、わたしが階段から突き落とされるまでの話をかいつまんで話した。

「な、なんて最低な方なんですの!? ブロスコフ侯爵がそんな方だなんて、思ってもいませんでしたわ! そんな方に愛されている女性も気の毒に思えてくるくらいですわね!」

 ミスティック伯爵令嬢が心底嫌そうな顔をして言うので、わたしとシリュウ兄さまは、思わず顔を見合わせた。

「どうかなさいましたか?」

 首を傾げたミスティック伯爵令嬢に、シリュウ兄さまが答える。

「君だよ」
「え……、わたくしがなんですの?」

 ミスティック伯爵令嬢は自分を指さして、きょとんとした顔をする。

「だから、ブロスコフ侯爵は君が好きなんだ」
「そうだろうと思ってたんだよなぁ」

 ジリン様はソファから立ち上がり、窓に近づくと、窓の外を眺めながら、のんびりとした口調で続ける。

「パーティーで会った時の彼の態度がおかしかったからねぇ。失礼かと思って言わなかったけど、まるで不審者だよ」
「やはり、気づいておられましたか」

 尋ねると、ジリン様は迷うことなく頷く。

「うん。ルイーダは鈍いから気づいてなかったけど、普通は気づくよねぇ。というか、もしかして、本人は気づかれてないと思ってる?」
「はい。ですので、わたしには絶対に言うなと言っていました」

 わたしからレンジロード様がミスティック伯爵令嬢が好きだなんて言っていないから、こんな話をしても約束を破ったことにはならないわよね!

「で、ですが、わたくしとブロフコス侯爵はほとんどお話をしたことがありませんのよ? どうして、そんなことになるんですの?」

 困惑しているミスティック伯爵令嬢の質問に答える前に確認する。

「話をしても良いのですが、嫌な気分になるかもしれません。それでもよろしいですか?」
「もうなっておりますから、かまいません。人に好意を向けられていると知って、嫌な気持ちになるなんて初めてですわ」

 言わないほうが良いのか迷った時、ジリン様が手を挙げる。

「僕は聞いておきたいなぁ。ルイーダは僕の婚約者だから、変な虫がつくのは困るんだよねぇ」
「……わたしはかまわないのですが、ミスティック伯爵令嬢は……」
「ジリン様が聞きたいとおっしゃるのなら、わたくしも聞きたいですわ」

 ミスティック伯爵令嬢は、ジリン様のことが大好きなようで、明るい表情で言った。
 ミスティック伯爵令嬢とジリン様の様子を見ていると、二人の間に付け入る隙はない。

 レンジロード様が勇気を出せなかった理由の一つに二人の仲の良さがあるんでしょうね。

 ……いや、やっぱり、勇気がないだけかしら。うん。そうね、きっとそう。というよりも、絶対にそうだわ。
 あの人は、母親と同じで弱いものいじめしかできないんだもの。

 どうでも良いことを考えていると、シリュウ兄さまに話しかけられる。

「リコット、俺も聞いておきたい」
「失礼しました。では、レンジロード様がお相手の方を好きになった理由をお話しますね」

 わたしは、レンジロード様から何十回も聞かされた、ミスティック伯爵令嬢との出会いの話を話した。

 それは、十年以上も前のことで、レンジロード様は繁華街の路地に野良猫の親子を見つけた。
 黒色の毛を持つ母猫と子猫が5匹。子猫も5匹とも真っ黒だったらしい。

 私たちの国の一部の人の間では、黒色の猫は縁起が良くないと言われている。レンジロード様はその猫たちに攻撃しようとした。
 当たり前だが母猫の抵抗に合ってに引っかかれ、それを見た護衛が母猫に斬りかかろうとした時、ミスティック伯爵令嬢が割って入ったのだそうだ。

 たまたま、ミスティック伯爵家が買い物に来ていたから、猫たちは助かった。

 ミスティック伯爵令嬢は、その時に泣きながら、レンジロード様の頬を打ったそうだ。伯爵令嬢が侯爵令息の頬を打ったとなると、問題になりそうなものだが、レンジロード様のやったことはいけないことだし、その時に、レンジロード様はミスティック伯爵令嬢に恋に落ちたので、大ごとにされなかった。

 話を聞き終えたミスティック伯爵令嬢は「あの時のクソ野郎だったのですか!」と憤った。

「どうして、ルイーダはその相手がブロスコフ侯爵だと知らなかったんだろう」

 不思議そうにするシリュウ兄さまに、わたしは苦笑して答える。

「先代のブロスコフ侯爵がミスティック伯爵夫妻に口止めしたそうです。レンジロード様がミスティック伯爵令嬢に嫌われたくなくてお願いしたんでしょう」
「……信じられませんわ!」

 ミスティック伯爵令嬢は怒りで体を震わせながら叫んだ。


******


 レンジロード様が恋に落ちた時の話を終えたあと、かなりの時間が経っていたので、また日を改めて話をしようということになった。シリュウ兄さまが車椅子をプレゼントしてくれたので、早速、それに乗ってエントランスまでお見送りすることにした。

「では、リコット様、お手紙を書きますわね!」
「ルイーダ様、わたしも詫び状を送り終えましたら、お手紙を書きますね」
「まあ! 詫び状だなんて結構ですわ! リコット様は何も悪くありませんもの!」

 話をしている間に、わたしとミスティック伯爵令嬢との間に友情が芽生え、わたしはミスティック伯爵令嬢ではなく、ルイーダ様と呼ぶことになった。

 わたしとルイーダ様がエントランスホールでわざと大きな声で話をしていると、声が聞こえたのか、もしくは聞き耳を立てていたのか、レンジロード様が慌ててやって来て、ルイーダ様に話しかける。

「も、もう、お帰りですか」
「ええ。思っていた以上に長居してしまいまして申し訳ございません」
「いえ! リコットも喜んでいると思います」

 レンジロード様はわたしのほうに目を向けることなく言った。彼の中では、わたしは今、この場にいないらしい。

「それなら嬉しいですわ」

 ルイーダ様がにこりと微笑むと、レンジロード様は一瞬で顔を真っ赤にした。そんな、レンジロード様にルイーダ様は言う。

「リコット様から、お友達の旦那様の話を聞いたんですけれど、それが酷いお話でしたの。あまりにも酷いお話でしたので、もっと詳しくお話を聞きたいんです。改めてまた、こちらにお伺いしてもよろしいでしょうか」
「……え? 友人の旦那?」
「はい。その方は、結婚前から、お相手の方に口を開くななどの暴言を浴びせていたのです! 本当に許せませんわ! 、その方がどこの誰か教えていただけませんでしたから、次こそはお聞きしたいと思いますの」
 
 ルイーダ様の話を聞いたレンジロード様は、彼女の言っている旦那様が自分のことだと気づき、赤かった顔が、みるみるうちに青くなっていった。


    
しおりを挟む
感想 120

あなたにおすすめの小説

役立たずの私はいなくなります。どうぞお幸せに

Na20
恋愛
夫にも息子にも義母にも役立たずと言われる私。 それなら私はいなくなってもいいですよね? どうぞみなさんお幸せに。

養っていただかなくても結構です!〜政略結婚した夫に放置されているので魔法絵師として自立を目指したら賢者と言われ義母にザマァしました!(続く)

陰陽@3作品コミカライズと書籍化準備中
恋愛
養っていただかなくても結構です!〜政略結婚した夫に放置されているので魔法絵師として自立を目指したら賢者と言われ義母にザマァしました!大勢の男性から求婚されましたが誰を選べば正解なのかわかりません!〜 タイトルちょっと変更しました。 政略結婚の夫との冷えきった関係。義母は私が気に入らないらしく、しきりに夫に私と別れて再婚するようほのめかしてくる。 それを否定もしない夫。伯爵夫人の地位を狙って夫をあからさまに誘惑するメイドたち。私の心は限界だった。 なんとか自立するために仕事を始めようとするけれど、夫は自分の仕事につながる社交以外を認めてくれない。 そんな時に出会った画材工房で、私は絵を描く喜びに目覚めた。 そして気付いたのだ。今貴族女性でもつくことの出来る数少ない仕事のひとつである、魔法絵師としての力が私にあることに。 このまま絵を描き続けて、いざという時の為に自立しよう! そう思っていた矢先、高価な魔石の粉末入りの絵の具を夫に捨てられてしまう。 絶望した私は、初めて夫に反抗した。 私の態度に驚いた夫だったけれど、私が絵を描く姿を見てから、なんだか夫の様子が変わってきて……? そして新たに私の前に現れた5人の男性。 宮廷に出入りする化粧師。 新進気鋭の若手魔法絵師。 王弟の子息の魔塔の賢者。 工房長の孫の絵の具職人。 引退した元第一騎士団長。 何故か彼らに口説かれだした私。 このまま自立?再構築? どちらにしても私、一人でも生きていけるように変わりたい! コメントの人気投票で、どのヒーローと結ばれるかが変わるかも?

完結 この手からこぼれ落ちるもの   

ポチ
恋愛
やっと、本当のことが言えるよ。。。 長かった。。 君は、この家の第一夫人として 最高の女性だよ 全て君に任せるよ 僕は、ベリンダの事で忙しいからね? 全て君の思う通りやってくれれば良いからね?頼んだよ 僕が君に触れる事は無いけれど この家の跡継ぎは、心配要らないよ? 君の父上の姪であるベリンダが 産んでくれるから 心配しないでね そう、優しく微笑んだオリバー様 今まで優しかったのは?

【完結】あなたは知らなくていいのです

楽歩
恋愛
無知は不幸なのか、全てを知っていたら幸せなのか  セレナ・ホフマン伯爵令嬢は3人いた王太子の婚約者候補の一人だった。しかし王太子が選んだのは、ミレーナ・アヴリル伯爵令嬢。婚約者候補ではなくなったセレナは、王太子の従弟である公爵令息の婚約者になる。誰にも関心を持たないこの令息はある日階段から落ち… え?転生者?私を非難している者たちに『ざまぁ』をする?この目がキラキラの人はいったい… でも、婚約者様。ふふ、少し『ざまぁ』とやらが、甘いのではなくて?きっと私の方が上手ですわ。 知らないからー幸せか、不幸かーそれは、セレナ・ホフマン伯爵令嬢のみぞ知る ※誤字脱字、勉強不足、名前間違いなどなど、どうか温かい目でm(_ _"m)

あなたには、この程度のこと、だったのかもしれませんが。

ふまさ
恋愛
 楽しみにしていた、パーティー。けれどその場は、信じられないほどに凍り付いていた。  でも。  愉快そうに声を上げて笑う者が、一人、いた。

どうか、お幸せになって下さいね。伯爵令嬢はみんなが裏で動いているのに最後まで気づかない。

しげむろ ゆうき
恋愛
 キリオス伯爵家の娘であるハンナは一年前に母を病死で亡くした。そんな悲しみにくれるなか、ある日、父のエドモンドが愛人ドナと隠し子フィナを勝手に連れて来てしまったのだ。  二人はすぐに屋敷を我が物顔で歩き出す。そんな二人にハンナは日々困らされていたが、味方である使用人達のおかげで上手くやっていけていた。  しかし、ある日ハンナは学園の帰りに事故に遭い……。

私のことが大嫌いらしい婚約者に婚約破棄を告げてみた結果。

夢風 月
恋愛
 カルディア王国公爵家令嬢シャルロットには7歳の時から婚約者がいたが、何故かその相手である第二王子から酷く嫌われていた。  顔を合わせれば睨まれ、嫌味を言われ、周囲の貴族達からは哀れみの目を向けられる日々。  我慢の限界を迎えたシャルロットは、両親と国王を脅……説得して、自分たちの婚約を解消させた。  そしてパーティーにて、いつものように冷たい態度をとる婚約者にこう言い放つ。 「私と殿下の婚約は解消されました。今までありがとうございました!」  そうして笑顔でパーティー会場を後にしたシャルロットだったが……次の日から何故か婚約を解消したはずのキースが家に押しかけてくるようになった。 「なんで今更元婚約者の私に会いに来るんですか!?」 「……好きだからだ」 「……はい?」  いろんな意味でたくましい公爵令嬢と、不器用すぎる王子との恋物語──。 ※タグをよくご確認ください※

わたくし、残念ながらその書類にはサインしておりませんの。

朝霧心惺
恋愛
「リリーシア・ソフィア・リーラー。冷酷卑劣な守銭奴女め、今この瞬間を持って俺は、貴様との婚約を破棄する!!」  テオドール・ライリッヒ・クロイツ侯爵令息に高らかと告げられた言葉に、リリーシアは純白の髪を靡かせ高圧的に微笑みながら首を傾げる。 「誰と誰の婚約ですって?」 「俺と!お前のだよ!!」  怒り心頭のテオドールに向け、リリーシアは真実を告げる。 「わたくし、残念ながらその書類にはサインしておりませんの」

処理中です...