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プロローグ
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わたし、リコットはノイルン王国にあるエルローゼ伯爵家の長女だ。
ノイルン王国は山に囲まれた、一年中、温暖な気候の場所に位置し、酪農が盛んな国で、人間よりも牛や羊のほうが多く、穏やかな性格の人が多いと言われている。
最近は移民が多く、治安が悪化しているのは確かだが、他国よりも旅行者にとって安全で過ごしやすい国だ。
わたしの両親も例に漏れず穏やかな性格の持ち主で、特にお母様はのんびりしていた。
お母様はわたしがわがままを言っても怒る人ではなく、使用人も叱ってはくれるけれど、わたしが泣き出すと黙り込んでしまっていた。
お父様も娘のわたしには甘く、何をやっても穏やかな口調で叱るだけで、怒鳴られるようなことはなかった。
そのせいもあり、10歳くらいまでのわたしは、本当に無邪気でわがままで、好きなものは好きと言ったし、嫌いなものは嫌いと悪気なく言っていた。
自分にとっては正しいことだったので、嫌なことを言われた時の相手の気持ちなど考えたことがなかった。
そんなわたしが11歳になった時に婚約者ができた。
お相手はレンジロード・ブロスコフ様。わたしより一つ年上の侯爵家の嫡男で、整った顔立ちに水色の髪と瞳は言葉をなくしてしまうくらいに綺麗で、わたしは彼に一目惚れをした。
「レンジロード様、大好きです!」
会う度に、わたしは彼に想いを伝えた。でも、彼はいつもそっけない態度だった。
「リコット、声が大きい。耳に響くから口を開かないでくれないか」
大好きな人に口を開かないでくれだなんて言われたら、普通はショックを受けてしまうものだと思う。
でも、この頃のわたしは違った。レンジロード様はわたし以外の人にも、こんな風に冷たい態度をとるから、これが彼なりの挨拶みたいなものだと考えていた。
口を開かないでくれと言われたので、口は開かずに笑顔で彼を見つめると、レンジロード様は大きなため息を吐いて、わたしを一瞥したあとは、本を読んだりするなどして、わたしを無視していた。
そんな日々が続くと、さすがにわたしも成長した。自分が彼に嫌われていることに気が付いたのだ。
決定的だったのは、15歳になって迎えたデビュタントの日も、彼はどこか上の空で、わたしを嘘でも褒めることはなかったことだ。
友人や家族は褒めてくれたけど、レンジロード様は鼻で笑うだけ。あとは、まったく私に興味を示さなかった。
彼の好みのドレスやメイクではなかったのかもしれない。次にパーティーに行く時は彼の好みを聞いてから、メイクやドレスを決めよう。
彼に嫌われているのだから、そんなことをしても意味がないとわかっているのに、現実から目を逸らそうとした。
レンジロード様との婚約は政略的なものであるとわかっていたが、彼に好きな人がいると知ったのもこの時だった。
レンジロード様の意中の女性が、わたしに話しかけてきたのだ。
いつもは誰にでも冷静に相手をするレンジロード様が、彼女を前にすると頬を赤くして、上手く会話をすることも出来なかった。
ルイーダ・ミスティック伯爵令嬢は、容姿端麗で有名な人で、同性であるわたしでもドキドキしてしまうような大人の色気がある人だ。
彼女が去っていったあと、恍惚とした表情で彼女の背中を目で追い続けているレンジロード様に尋ねる。
「レンジロード様はミスティック伯爵令嬢がお好きなのですか?」
「声が大きい!」
小声で言ったつもりだったけど、レンジロード様にはそうではなかったらしい。誰に聞かれているかわからないのだから、冷静に考えれば、レンジロード様が焦る気持ちもわかる。
でも、聞かずにはいられなかったのだ。
「……レンジロード様はわたしが嫌いですか?」
「……そうだ。君の無邪気で何事も前向きにとらえられる性格が、私には癪に障る。本当に嫌いなタイプだ」
はっきりと言われたあとは、どんな風にパーティー会場をあとにしたかは覚えていない。
気が付くと、自室で泣いていた。
好きな人がいたことは仕方がない。でも、そこまで嫌われているだなんて思っていなかった。
嫌われているとわかったのに、それでもレンジロード様のことを忘れられない自分が本当に嫌になった。
次の日の朝に、レンジロード様から手紙が届き、自分に好きな人がいることを、他の人には話さないでほしいと書かれていただけでなく、婚約の解消も諦めてくれとのことだった。
ミスティック伯爵令嬢には婚約者がいて、その婚約者と上手くいっているように見えたし、自分が気持ちを打ち明けることで、彼女に迷惑をかけたくないからだそうだ。
どうせ叶わない恋だし、誰と結婚してもレンジロード様の中では扱いは同じなのだから、自分を好きだと言っているわたしと結婚してくれるらしい。
数日後のよく晴れた日の昼下がり、婚約者の義務として、わたしに会いに来た彼に確認した。
「レンジロード様はミスティック伯爵令嬢のことしか考えていないのですね」
「そのことの何が悪い? 考えているだけなんだから別にかまわないだろう?」
考えているだけじゃないじゃないですか。あなたのミスティック伯爵令嬢への態度は、彼女に恋していることが一目瞭然です。
そう思ったけれど、17歳のわたしは、これ以上、レンジロード様に嫌われたくなくて、何も言えなかった。
すると、レンジロード様は冷たい目でわたしを見て言った。
「そんなに暗い顔をしないでくれ。君に魅力がないのが悪い。例えるなら、彼女は光で君は闇だ。私が彼女を忘れられないのは、君のせいだと思え」
わたしのせい。
そうか。
わたしが悪いのか。
この時のわたしは、本気で彼の言葉に納得していたのだった。
ノイルン王国は山に囲まれた、一年中、温暖な気候の場所に位置し、酪農が盛んな国で、人間よりも牛や羊のほうが多く、穏やかな性格の人が多いと言われている。
最近は移民が多く、治安が悪化しているのは確かだが、他国よりも旅行者にとって安全で過ごしやすい国だ。
わたしの両親も例に漏れず穏やかな性格の持ち主で、特にお母様はのんびりしていた。
お母様はわたしがわがままを言っても怒る人ではなく、使用人も叱ってはくれるけれど、わたしが泣き出すと黙り込んでしまっていた。
お父様も娘のわたしには甘く、何をやっても穏やかな口調で叱るだけで、怒鳴られるようなことはなかった。
そのせいもあり、10歳くらいまでのわたしは、本当に無邪気でわがままで、好きなものは好きと言ったし、嫌いなものは嫌いと悪気なく言っていた。
自分にとっては正しいことだったので、嫌なことを言われた時の相手の気持ちなど考えたことがなかった。
そんなわたしが11歳になった時に婚約者ができた。
お相手はレンジロード・ブロスコフ様。わたしより一つ年上の侯爵家の嫡男で、整った顔立ちに水色の髪と瞳は言葉をなくしてしまうくらいに綺麗で、わたしは彼に一目惚れをした。
「レンジロード様、大好きです!」
会う度に、わたしは彼に想いを伝えた。でも、彼はいつもそっけない態度だった。
「リコット、声が大きい。耳に響くから口を開かないでくれないか」
大好きな人に口を開かないでくれだなんて言われたら、普通はショックを受けてしまうものだと思う。
でも、この頃のわたしは違った。レンジロード様はわたし以外の人にも、こんな風に冷たい態度をとるから、これが彼なりの挨拶みたいなものだと考えていた。
口を開かないでくれと言われたので、口は開かずに笑顔で彼を見つめると、レンジロード様は大きなため息を吐いて、わたしを一瞥したあとは、本を読んだりするなどして、わたしを無視していた。
そんな日々が続くと、さすがにわたしも成長した。自分が彼に嫌われていることに気が付いたのだ。
決定的だったのは、15歳になって迎えたデビュタントの日も、彼はどこか上の空で、わたしを嘘でも褒めることはなかったことだ。
友人や家族は褒めてくれたけど、レンジロード様は鼻で笑うだけ。あとは、まったく私に興味を示さなかった。
彼の好みのドレスやメイクではなかったのかもしれない。次にパーティーに行く時は彼の好みを聞いてから、メイクやドレスを決めよう。
彼に嫌われているのだから、そんなことをしても意味がないとわかっているのに、現実から目を逸らそうとした。
レンジロード様との婚約は政略的なものであるとわかっていたが、彼に好きな人がいると知ったのもこの時だった。
レンジロード様の意中の女性が、わたしに話しかけてきたのだ。
いつもは誰にでも冷静に相手をするレンジロード様が、彼女を前にすると頬を赤くして、上手く会話をすることも出来なかった。
ルイーダ・ミスティック伯爵令嬢は、容姿端麗で有名な人で、同性であるわたしでもドキドキしてしまうような大人の色気がある人だ。
彼女が去っていったあと、恍惚とした表情で彼女の背中を目で追い続けているレンジロード様に尋ねる。
「レンジロード様はミスティック伯爵令嬢がお好きなのですか?」
「声が大きい!」
小声で言ったつもりだったけど、レンジロード様にはそうではなかったらしい。誰に聞かれているかわからないのだから、冷静に考えれば、レンジロード様が焦る気持ちもわかる。
でも、聞かずにはいられなかったのだ。
「……レンジロード様はわたしが嫌いですか?」
「……そうだ。君の無邪気で何事も前向きにとらえられる性格が、私には癪に障る。本当に嫌いなタイプだ」
はっきりと言われたあとは、どんな風にパーティー会場をあとにしたかは覚えていない。
気が付くと、自室で泣いていた。
好きな人がいたことは仕方がない。でも、そこまで嫌われているだなんて思っていなかった。
嫌われているとわかったのに、それでもレンジロード様のことを忘れられない自分が本当に嫌になった。
次の日の朝に、レンジロード様から手紙が届き、自分に好きな人がいることを、他の人には話さないでほしいと書かれていただけでなく、婚約の解消も諦めてくれとのことだった。
ミスティック伯爵令嬢には婚約者がいて、その婚約者と上手くいっているように見えたし、自分が気持ちを打ち明けることで、彼女に迷惑をかけたくないからだそうだ。
どうせ叶わない恋だし、誰と結婚してもレンジロード様の中では扱いは同じなのだから、自分を好きだと言っているわたしと結婚してくれるらしい。
数日後のよく晴れた日の昼下がり、婚約者の義務として、わたしに会いに来た彼に確認した。
「レンジロード様はミスティック伯爵令嬢のことしか考えていないのですね」
「そのことの何が悪い? 考えているだけなんだから別にかまわないだろう?」
考えているだけじゃないじゃないですか。あなたのミスティック伯爵令嬢への態度は、彼女に恋していることが一目瞭然です。
そう思ったけれど、17歳のわたしは、これ以上、レンジロード様に嫌われたくなくて、何も言えなかった。
すると、レンジロード様は冷たい目でわたしを見て言った。
「そんなに暗い顔をしないでくれ。君に魅力がないのが悪い。例えるなら、彼女は光で君は闇だ。私が彼女を忘れられないのは、君のせいだと思え」
わたしのせい。
そうか。
わたしが悪いのか。
この時のわたしは、本気で彼の言葉に納得していたのだった。
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