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「お久しぶりです」

 頭を下げると、オサヤ様も深々と頭を下げてくる。

「お久しぶりです。兄が大変、ご迷惑をおかけいたしました」

 そう言われると、ビトイの事を思い出してしまい、まだ胸が痛む。

(いつまで引きずっているのよ! しっかりしなくちゃ)

 自分にそう言い聞かせて笑顔を作る。

「お気になさらないでください。オサヤ様のせいではありませんから…」
「ですが…」

 なぜか、食い下がってくるオサヤ様。

 婚約者以外の異性と話をしていると世間体的にも良くないし、お姉様に知られたら、また何を言われるのかわからないので、通りがかったウェイターに空になったグラスを渡してから、お願いする。

「もう終わった事ですので…。ただ、過去の事だと笑って許せる程では、まだないのです」
「それはもちろんわかっています。でも、アザレア様…、勝手な事を申し上げるのですが…、あの、兄を許してやっていただけませんか?」

 オサヤ様の言葉に驚いたのは、わたしだけじゃなく、横に立っていたトーリ様もだった。

 わたしに話しかけるだけでも緊張していたみたいで、わたしの隣にいるトーリ様の事が、オサヤ様には今まで見えていなかった様だった。

「あっ」

 と、オサヤ様はトーリ様を見て小さく声を上げた。

(気配を消すのは得意だと言っておられたけど…。本当にそうみたいね)

 その存在に気付いた上に、トーリ様が眉を寄せたからか、オサヤ様は慌てて言う。

「あくまでもお願いになるんですけど…」
「どうして、そんなお願いをされるんです? 本当にわたしは傷付いたんです!」
「アザレア様がそう思われるのは理解しています! ただ、兄は本当に反省しているんです! 真面目に仕事もしています。ですから!」
「……ですから?」

 聞き返したのはトーリ様だった。

 トーリ様の方を見ると、口を挟むつもりはなかったのに挟んでしまったのか、少しだけ罰の悪そうな顔をしてから、開き直った様に尋ねる。

「ですから、何なんだ? 浮気を許してやってどうしろと?」
「そ、それは…」
「一応、俺は彼女の婚約者なんだが? それをわかって、そんな事を俺の前で言ってるのか?」
「き、気付いておりませんでした! 申し訳ございません!」
「……」

 オドオドしているオサヤ様を一瞥した後は、わたしに任せると言わんばかりに、トーリ様は口を閉ざし、通りがかったウェイターに空いたグラスを渡した。

(とりあえず、話を聞いてあげた方がいいのかしら? でも、何もしてあげられないから、やめておいた方がいいわよね…)

「ごめんなさい、オサヤ様。もちろんいつかは過去の事として割り切るつもりでいますから、もう少し待っていただけませんか?」
「もう少しっていつなんですか!? 明日、明後日!? 早くしてもらえないですか!?」
「そ、そんな早くには無理です!」
「そこを何とかお願いします」

 オサヤ様が私に向かって手を伸ばしてきたけれど、トーリ様がオサヤ様の腕をつかんで止めてくれた。

「女性に気軽に触れようとするな」
「あ、申し訳ございません…」

 オサヤ様はシュンとしてつかまれた手を引っ込めようとしたので、トーリ様もその手を離した。

「一体、何があったんですか?」

 トーリ様にお礼を言ってから、よっぽどの事情でもあるのかと思って尋ねると、オサヤ様は今にも泣き出しそうな顔になって言う。

「僕には…、僕には当主なんて向いてないんです!」
「……向いてない?」

(オサヤ様はまだ16歳で、ノーマン伯爵もまだまだお元気だから、当主になるといってもまだ先の事だと思うのだけど?)

 聞き返すと、オサヤ様は首を大きく縦に振る。

「お兄様が継ぐつもりだと思って、何年も生きてきたんですよ。それなのに、いきなりいつかは当主になれだなんて!」
「それをアザレア嬢に言っても意味がないだろ」
「…意味はあります! アザレア様がお兄様を許してくれて、また婚約者になってくれるなら、お兄様にも当主になれる権利があるんじゃないかって…!」

 オサヤ様の言葉を聞いて、思わず、トーリ様とわたしは顔を見合わせた。

(廃嫡したのに、そんな事はありえない。わたしがビトイを許す許さないは別にしても、よりを戻すだなんて絶対にありえない事は、ノーマン伯爵だってわかってるはず! という事は、今、オサヤ様が仰った言葉は、ノーマン伯爵の言葉じゃないはずだわ)

「あの、オサヤ様? その話は誰からお聞きに? 自分で考えたのですか?」
「いえ…、兄が言っていたんです。やはり、自分にはアザレア様しかいないという事に気が付いて、そして、アザレア様の事を本当に愛しているという事に気が付いたんだって…」

(そんな事、絶対にあるわけないわ! もし、あるとしたら…)

「逃した魚は大きいってやつか」

 トーリ様が呆れた顔で呟いた。

 


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