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1巻
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「特に怪しい点はない。だから、何もできなかった。すまない」
「お気遣いいただけただけで光栄ですわ」
私が首を横に振ると、アレク殿下は眉根を寄せた。
「どうして、あのメイドはいつも一緒にいるんだ?」
「おそらくエイナに心酔しているんです」
「俺たちの知らない何かがあるのだろうな。あと、エイナ嬢と兄上の件だが、二人が両思いだというなら、結婚させてやろう。兄上が即位後、もしくはその前に俺たちが結婚したら、俺は公爵位を授かることになっている。その時は王都から少し離れた場所に住むことになるが、それは気にならないか?」
「それについてはかまわないのですが……」
「……どうした?」
アレク殿下が切れ長の目を、より細めて首を傾げる。
「いえ。思っていたより、すんなり認めていただけるのだな、と驚いてしまいまして」
「このままエイナ嬢と結婚するのは不安だった。嫌われないように努力していたつもりなんだが、彼女は俺を見ようとも、話を聞こうともしなかった。今度は夫婦で天使と悪魔だと言われかねないし、彼女と暮らす自分が想像できなかったんだ」
「そう言われてみれば、私もそうかもしれませんわ」
クズーズ殿下とは結婚しなければならないと思ってはいたけれど、結婚した後の生活については何も考えていなかった。
「そういえば、君と兄上の結婚の日取りは決まっていたよな?」
「はい。半年後です」
「では、もう動かないといけないな。話し合いは君の部屋でも大丈夫か? 日時は俺が段取りする。君の予定で駄目な日は?」
「私の部屋で結構です。それから日時に関してもお任せいたします」
「わかった。決まったら連絡する」
アレク殿下は頷いて立ち上がる。
「あまり長居するのは良くないから、今日はもう帰るよ。お見舞いに君とエイナ嬢が好きだという店の菓子を侍女に預けてあるから、良かったら食べてくれ。じゃあ、お大事に」
「ありがとうございました! それから、アレク殿下!」
「どうした?」
「髪の毛をおろして帰ってください。エイナを悔しがらせたいので」
婚約解消後に、アレク殿下が実は整った顔立ちの人だった、なんて知ったら、エイナはとても悔しがるだろうから、今は隠しておきたい。
思いついたのでそう言ってみると、アレク殿下は口元に笑みを浮かべた後、髪の毛をおろし、私の所に戻ってきて耳元に顔を寄せた。
「君の記憶が戻っているようだから、良いことを教えてあげよう。君のご両親は俺の言うことを信じてくれている。兄上たちのせいでメイドをどうこうすることはできないが、二人は君を守ってくれてるよ」
「え!?」
「俺の両親は兄上の外面に騙されて、俺のことを信じてくれなかった。だけど君の両親は、君の命に関わることだからと、俺の言うことを信じてくれた。調査を止められたことに引っかかったからかもしれない。だから、君の記憶が戻った、もしくは元々忘れていなかったと打ち明けても話を聞いてくれるはずだ」
アレク殿下はそう言うと、私が答えようとする前に部屋を出ていってしまった。ココが慌ててお見送りをするために部屋を出ていく。
彼に言われて気づいたけれど、私についていた侍女やメイドが変わっていたのは、お父様たちが私にとって彼女たちがあまり良くない使用人だと判断してくれたからかもしれない。
クララに関しては、エイナとクズーズ殿下が庇うから手が出せない、ということかしら?
エイナの本性にお父様たちが気づいていなかったとしても、二人が私の敵ではないことを知ることができてホッとした。
でも、どうして、アレク殿下に記憶があるとバレてしまったの? エイナへの態度があからさますぎた?
「……まあいいわ」
一人で考えても答えは出ない。
「お父様たちが理解してくださっているのなら、婚約解消だって認めてもらえるわよね」
クズーズ殿下とエイナが婚約することになれば、エイナも幸せになる。お父様たちも私を贔屓しただなんて悩まなくても良いでしょう。
もし円満な婚約解消が無理そうだとしても、何とかして婚約解消する方法を考えないといけないわ。
***
「僕たちとアレクとエイナの四人で話し合いをするとアレクから聞いたが、君が前に言っていたくだらない話じゃないだろうな? 僕はそんなに暇じゃないんだぞ」
約束の時間より一時間も早くにやってきた、白シャツ、白パンツ姿のクズーズ殿下は、出迎えた私に向かって、眉根を寄せてそう言った。
今日は、アレク殿下が段取りしてくださった話し合いの日。
お迎えする準備は整っていたけれど、まさかクズーズ殿下が一時間前に来るとは予想していなかった。
「それは申し訳ございませんでした。ところで、いらっしゃるお時間がかなり早いようなのですが」
「早く終わらせようと思ったんだ。それに、君とは話し合わないといけないと思ったから」
「どんなことをでしょうか?」
まだ怪我が快復しておらず本調子ではないため、侍女の手を借りてクズーズ殿下が座るソファの向かいの席まで移動して彼に問う。
「君は本当に僕との婚約を解消しようと思っているのか?」
侍女を見ると意図を理解してくれたのか、メイドの代わりにお茶を用意してくれた後、一礼して部屋から出ていった。
扉が閉まったのを確認し、クズーズ殿下からの質問に答えた。
「そのつもりですが、何か問題でもございますか? 私はクズーズ殿下とエイナのためを思っただけなのですが」
「エリナ。エイナがあれだけ可愛いんだ、君が卑屈になる気持ちもわかる。だが、僕は僕なりに君を愛するつもりだよ。僕の愛を受ければ、君もエイナをいじめたりしなくていいはずだ」
「そもそも私はエイナをいじめてなんかいません」
私がはっきりとそう告げたにもかかわらず、クズーズ殿下は首を横に振る。
「まだ、そんなことを言っているのか。いじめたほうはいじめてないと言うんだ。君が気づいていないだけで、君は彼女を傷つけているんだよ」
クズーズ殿下は、憐れむように私を見下ろした。
――どうしても殿下は、エイナの言葉を信じたいのね。それなら、好きにすればいいわ。私は私を信じてくれた人と生きていきたいから。
「クズーズ殿下に何を言っても、私の言葉は届かないようですね」
「エリナ」
クズーズ殿下は立ち上がると、テーブルを回り込んで、私の隣に腰を下ろした。
隣に来られたことに不快感を覚えたけれど、体がすぐには動かなくて、侍女を呼ぼうとベルに手を伸ばす。しかしクズーズ殿下は、それを取り上げた。
「素直な気持ちを聞かせてほしい。エリナ、僕は君がエイナをいじめていたとしても責めたりなんかしない。劣等感を持つのはすごく共感できるからだ。婚約を解消したいというのは、演技なんだろう?」
「……演技?」
「ああ。城に帰って考えたんだ。君は僕にかまってほしくて、婚約者を交換したいだなんて言い出したのかなって」
「違います。とにかくベルを返してくださいませ」
横にずれて身を離すと、彼はまたこちらに近づいてくる。
「なあ、エリナ。僕はエイナよりも君のほうが王妃にふさわしいと思っている。だから、意地を張らずに僕と結婚するんだ」
「殿下はエイナがお好きなのでしょう? 私が殿下の婚約者の座をエイナに譲れば、殿下とエイナは結ばれるのですよ? それはエイナだけでなく殿下にとっても喜ばしいことでしょう?」
作り笑顔で返すと、クズーズ殿下は首を横に振る。
「エイナのことが好きというわけではない。ただ、可愛いと思うだけだ。彼女は性格も良いし、僕のことを立ててくれる。君は性格は悪いかもしれないが、そのほうが王妃のプレッシャーを強く感じなくて良いだろう?」
「結局は、ご自分とエイナのことしか考えていらっしゃらないのですね」
ベルを取り返すことを諦めたところで部屋の扉が叩かれ、返事を待たずにエイナが部屋に入ってきた。
「クズーズ殿下がいらっしゃっていると聞いたのですけどっ」
満面の笑みを浮かべて入ってきたエイナは、クズーズ殿下が私の隣に座っている光景を見て、笑顔を消した。
それを見て、クズーズ殿下は途端に慌て始めた。
「いや、これは違うんだ。彼女の具合が悪そうだったから介抱しようとしていた」
「もう大丈夫ですから、席にお戻りになって?」
慌てる殿下に、ここは助け舟を出しておいた。こんなところで、痴話喧嘩をされても困る。
「元気になったのなら良かった」
クズーズ殿下は引きつった笑顔を見せて頷くと、さっきまで座っていた場所に戻った。
「……とっても、早くいらっしゃったんですのね」
エイナはクズーズ殿下の隣に座ろうとして、立ち止まって舌を出し、こつんと自分の拳を頭に軽く当てた。
「いけない、間違えちゃった。ついつい、こっちへ来てしまったわ、ごめんなさい、エリナ。あなたの婚約者なのに隣に座ろうとしてしまって!」
「いいのよ。もうすぐ、そうじゃなくなるから」
「エリナ!?」
クズーズ殿下が驚きの声を上げて立ち上がろうとしたけれど、笑顔を向けて制する。
「詳しい話はアレク殿下がいらっしゃってからにしましょう」
「だ、だが! アレクは、嫌がると思うぞ。僕のお下がりの婚約者を押しつけられるなんて迷惑なはずだ」
「それはアレク殿下に聞いてみなければわかりませんわ」
「ねえ、エリナ。今日は婚約者を交換する話をするのよね? でもクズーズ殿下がおっしゃるように、私たちは良くても、アレク殿下は嫌がるかもしれないわ。だって、アレク殿下は、私のことを好きみたいだし」
私の隣に腰を下ろしたエイナは、わざわざ私の顔を覗き込みながら言った。
――自分はアレク殿下を好きじゃないけど、アレク殿下は自分を好きだと言いたいのね?
「でも、エイナとクズーズ殿下が愛し合っているのなら、アレク殿下は私の提案を理解してくださると思うの」
「べ、別に、僕とエイナはそんな関係じゃない!」
「……クズーズ殿下」
エイナが目を潤ませてクズーズ殿下を見ると、彼はエイナから顔を背けた。
――どうして、クズーズ殿下は婚約解消を嫌がるのかしら? 本当にエイナのことが好きではないの?
時間はまだかなり早いけれど、アレク殿下を待たずに話を始めてしまおうかと考えていると、部屋の外が騒がしくなり、ノックの後にココが私に告げる。
「アレク殿下がいらっしゃいました」
「え!? もう?」
驚きはしたけれど、私にとってはありがたかった。
中に入ってもらうようココに言うと、黒ずくめのアレク殿下が入ってくるなり謝ってきた。
「すまない。兄上がかなり早くに出たと聞いて、慌てて来たんだ。話し合いの開始時間が予定よりも早くなっていただなんて知らなかった」
アレク殿下は私に謝った後、最後のほうの言葉はクズーズ殿下に向かって言った。
「そ、それは……」
「アレク殿下、時間は早めておりませんのでご安心ください。クズーズ殿下が早く来られて、そのことを知ったエイナが早くにやってきただけです」
「そうか。なら、良かった」
ココがアレク殿下にお茶を出し、私たちにもお茶を淹れ直してから一礼して部屋を出ていくと、部屋の中は静まり返る。
すると、かなり間隔を空けてクズーズ殿下の隣に座っているアレク殿下が口を開いた。
「今日集まってもらった件だが、もう知っているとは思うが、婚約者を交換するという話をしたい」
「嫌だ!」
アレク殿下の言葉に間髪容れず放たれたクズーズ殿下の言葉に驚いて、私たちは彼に目を向けた。クズーズ殿下は立ち上がり、アレク殿下を見下ろして言う。
「いや、嫌だというより駄目だ。エリナは僕の婚約者なんだ! アレク、お前には渡さない!」
――何を言ってるの、この人。
私とアレク殿下は呆れた顔になり、エイナは今にも泣き出しそうな表情でクズーズ殿下を見つめた。
クズーズ殿下の言葉に耳を疑っていた私たちだったけれど、いち早く平静を取り戻したアレク殿下が口を開いた。
「兄上。俺にエリナ嬢を渡したくないという理由だけで、婚約者の交換を駄目だとおっしゃっているんですか?」
「そ、それだけじゃない! お前にはエリナを幸せにできないからだ」
「意味がわかりません。兄上以外の人と結婚すると、エリナ嬢は幸せになれないと?」
「そういうことだ」
アレク殿下の質問に、クズーズ殿下は、大きく首を縦に振った。
――何を根拠に、この人は自分が私を幸せにできると思ってるの? どちらかといえば、クズーズ殿下と一緒になったら、不幸になる未来しか見えないんだけれど?
「……クズーズ殿下?」
私が口を開く前に、エイナが震える声で殿下の名前を呼ぶ。すると、クズーズ殿下はすとんとソファに座り直し、エイナには何も言わず、アレク殿下を睨む。
「エイナの顔を見てみろ。婚約者の交換だなんて言うから、傷ついているだろう?」
「本当にそうなんですかね?」
「そうに決まっているだろう!」
「そんなに大声を出さなくても今から確認しますよ。で、どうなんだ、エイナ嬢?」
アレク殿下が尋ねると、エイナは首を横に振った。
「私はクズーズ殿下をお慕いしていますが、エリナのことを考えたら、婚約者の交換だなんて酷いことはできません! だって、エリナはクズーズ殿下のことが好きなんでしょう? それに、アレク殿下だって私のことを……」
「エイナ。あなたが私のことを考えてくれているのなら、婚約者を交換してくれないかしら? アレク殿下もそう思いませんか?」
「俺も同意見だ。俺は人の恋路の邪魔はしたくないのでね」
「私もです。クズーズ殿下とエイナが愛し合っているのなら、婚約者を交換して、愛し合う二人に幸せになってもらいたいです」
そして二人が結婚した後は、これ以上私に関わらないようにしてもらうわ。私がアレク殿下のもとに行けば、エイナと会うこともほとんどないでしょう。
「本当にいいんですか?」
私の言葉を聞いて、エイナは少しだけ不満そうな顔をした。私がまったく悔しがらないし、アレク殿下が婚約解消を嫌がると思っていたのかもしれない。
対してクズーズ殿下は眉を大きく吊り上げて拒絶を示した。
「別に僕は、エイナと結婚したいわけではない!」
クズーズ殿下の叫びを聞いて驚いたのは、私だけじゃなかった。
「クズーズ殿下! どうして、そんなことをおっしゃるんですか? 酷いです!」
「いや、エイナ。あの、君のことを悪く言ってるんじゃなくてだな」
「じゃあ、何だって言うんですか!? 私と結婚したくないってことですよね!?」
言い合いの末、エイナは両手で顔を隠し、声を上げて泣き始めた。
これが嘘泣きなのか、悲しくなって本当に泣いているのか、私には判断がつかない。
「そういう意味じゃない! 君は魅力的な女性だよ! だけど僕は今までエリナと結婚すると思っていたんだ。だから、今更婚約者を替えるだなんてできない!」
「その理由では、エリナ嬢が幸せになれないからではなく、兄上が自分のことしか考えていないようにしか聞こえませんが?」
エイナを慰めようとするクズーズ殿下にアレク殿下がそう言うと、クズーズ殿下は怒りをむき出しにして再び叫ぶ。
「そういう意味ではない! 婚約者の交換なんてやらなくてもいい! どうしてそんなことをしなければいけないんだ! エリナにふさわしいのは、この僕だぞ!?」
「クズーズ殿下、私のことはお気になさらないでください。私と無理に結婚する必要はありませんわ。あなたと結婚する資格はエイナにもございます。エイナとどうぞ、お幸せになってください」
「エリナ! どうして、そんなことを言い出すんだ? 今まで、上手くやってきただろう?」
怒りを滲ませていた顔が途端に泣きそうになり、クズーズ殿下は私に訴えてくる。
クズーズ殿下がどうして私との婚約を解消したくないのか、その理由がさっぱり見えてこない。今まで私と結婚すると思っていた……なんて、理由にはならないわ。
「上手くやってきたというより、そうするのが当たり前だと思っていただけです。今回、私が婚約者の交換を考えた理由をお伝えいたしますわね」
一度、言葉を区切ってから、私はクズーズ殿下を見据えた。
「クズーズ殿下、私があなたとの婚約を解消したい理由は、あなたに思いやりがないからです。お見舞いに来てくださった時の殿下の態度には、私への気遣いが一切見えませんでした」
「ど、どういうことだ?」
「あの時にもお伝えしましたが、普通、婚約者が怪我をしたのであれば、まずは婚約者の体の心配をするはずです。それなのに、あなたはエイナの話ばかりしておられました。馬鹿な人間でなければ、あなたの頭の中の多くを占めているのは誰だか、わかってきますよね?」
にこりと微笑むと、クズーズ殿下は首を横に振る。
「そ、それは、その、混乱していただけだ。それに、君は元気そうだったじゃないか!」
「元気そうに見えたとしても、エイナの話ばかりするのはおかしいでしょう」
笑顔を消して厳しい口調で彼にそう言ってから、大きく息を吐く。
「クズーズ殿下。正直に言わせていただきますが、私はあなたと共に人生を歩んでいくつもりはありません。なぜなら、あなたの気持ちはエイナに、エイナの気持ちはあなたにあるからです。どうしてもそちらが婚約を解消するつもりがないとおっしゃるのであれば、こちらから婚約破棄させていただきます」
「やめてくれ! そんなことをしたら、僕が可哀想に思われるじゃないか!」
クズーズ殿下の叫びを聞いて、アレク殿下は苦虫を噛み潰したような顔になった。
それを一瞥し、私はすぐにクズーズ殿下に視線を戻した。
「つまり世間体が大事だということですわね? では、クズーズ殿下。あなたから婚約を破棄していただけませんか?」
「ぼ、僕から?」
「ええ。婚約破棄をされた自分が可哀想だとおっしゃるなら、あなたから婚約を破棄してくださいませ。ですが、婚約破棄をする理由を私のせいにはしないでください」
「じゃあ、どうしろって言うんだ?」
クズーズ殿下は情けない顔で私に聞いてくる。私はため息をついて答えた。
「国民のためを思って、天使と言われているエイナを選んだことにされてはいかがですか?」
「国民の多くは君が悪魔と呼ばれていることを知らないんだぞ? そんなの納得しないだろう!」
クズーズ殿下が声を荒らげると、被せるようにアレク殿下が口を開いた。
「兄上」
「何だよ!?」
「エリナ嬢と二人で話をさせていただけませんか」
「するなと言ってもするんだろう!」
クズーズ殿下は叫ぶと、アレク殿下に背を向けた。
「少しだけいいか?」
「はい」
アレク殿下に呼ばれ部屋の隅に向かう。するとなぜか、残されたクズーズ殿下とエイナが喧嘩を始めた。
「クズーズ殿下、酷い! 私の心を弄んでいたんですね!」
「ち、違う! 僕はただ!」
「なら、責任をとって、私を幸せにしてください!」
「そ、それは無理だ!」
「どうして無理なんですか!? クズーズ殿下は、やっぱりエリナのほうが良いんですか!?」
修羅場になった二人を見るのは面白いけれど、ずっと見ているわけにはいかないので視線をアレク殿下に向ける。
「どうされましたか?」
アレク殿下は身を屈めて私の耳元に口を近づけて話をしてくる。
「兄上が婚約解消をしたがらない件だが、もしかすると、エイナ嬢が俺の婚約者だからかもしれない」
「どういうことでしょうか?」
「俺の婚約者が自分に夢中になっていることに、兄上は優越感を抱いていただけかもしれない」
「そんな! それって、アレク殿下にもエイナにも失礼な話じゃないですか」
「そうじゃないかと思っただけだから、証拠もないし絶対とは言えない」
アレク殿下の話を聞き、ふと疑問が湧く。
「でも、それでしたら、私とエイナを交換することを嫌がるのはなぜなんでしょう? アレク殿下から婚約者を奪えるじゃないですか」
「それはそれで違うんだろ。自分の婚約者を俺に奪われるとも思っているのかも」
「だとすると、殿下はエイナとの今後の関係をどうするつもりだったのでしょうか?」
「君と結婚するまでの遊びという可能性が高い」
「最低な人ですわね」
この件に関してはエイナに同情するけれど、自分の好みじゃないからといってアレク殿下を蔑ろにするんだから、自業自得なところはあると思う。
「そんな話を聞いてしまったら、余計にクズーズ殿下と結婚できませんわ」
「そうなると、エイナ嬢を兄上の婚約者にしないといけない。昔からのしきたりを兄上の代で変えるわけにはいかないだろうからな」
「公爵令嬢としか結婚できない、というやつですわね」
「そういうことだ。今、他の公爵家に令嬢はいると言えばいるがまだ三歳だ。兄上と結婚するよりも、兄上の子供と結婚したほうが良いだろうからな」
頷き合ってエイナたちを見ると、顔を両手で覆って泣いているエイナを、クズーズ殿下が必死に慰めているところだった。
「色々と問題はあるが、とにかく、今は君と兄上との婚約破棄を優先させることにしようか」
「はい。あの二人が結婚するとなると国の未来が心配にはなりますけど……」
王太子はクズーズ殿下なのだし、彼を正しく導くのは王妃になる人間だと思う。私とエイナ、どちらがふさわしいかと言われたら、昔はエイナだと思っていた。
クリーンなイメージだけを考えればエイナはかなり王妃向きだと思う。笑顔を振りまくだけしかできないだろうから、ある意味無害。クズーズ殿下が駄目人間だとしたら、政治は側近たちに頑張ってもらうしかない。
「とにかく、このままでは埒が明かない。何か切り札にできそうなものはないか?」
アレク殿下は整った顔を歪めながら聞いてきた。
「もう、なりふりかまわず、こちらから婚約を破棄いたします。お父様に確認しましたが、陛下はエイナを気に入っていらっしゃるようですし、エイナのために婚約破棄をしたということにして押し切ります。陛下なら、クズーズ殿下を納得させてくださるでしょう」
「兄弟の問題に巻き込んでしまってすまない。できる範囲のことはさせてもらう」
「気になさらないでください。ただ、危なくなったら、助けていただけますか?」
「もちろんだ」
苦笑して顔を見合わせた後、私たちは修羅場と化している、エイナたちの所へ戻ることにした。
「私の心を弄んでいたんですね!? あの時、私が婚約者だったらと何度も思ったと言ってくれたのに!」
嘘泣きだと思っていたけれど、どうやらエイナは本当に泣いているようだった。しかも動揺しているのか、特に私とアレク殿下の前でしてはいけない話を大声で続けていた。
「私が愛していますと言ったら、同じ気持ちだと言ってくださったじゃないですか!」
エイナはソファに置かれていた黒色の四角いクッションを手に持つと、クズーズ殿下を叩き始めた。
「バカバカバカバカ! クズーズ殿下のバカぁ!」
「落ち着いてくれ、エイナ! アレクたちが見ているだろう!? いつもの可愛い君に戻ってくれ!」
「どうせ、エリナたちの話なんて、誰も信じないから大丈夫です! 私とクズーズ殿下の証言と、エリナとアレク殿下の証言、どちらかを信じるとしたら、私たちに決まっているじゃないですか!」
「お気遣いいただけただけで光栄ですわ」
私が首を横に振ると、アレク殿下は眉根を寄せた。
「どうして、あのメイドはいつも一緒にいるんだ?」
「おそらくエイナに心酔しているんです」
「俺たちの知らない何かがあるのだろうな。あと、エイナ嬢と兄上の件だが、二人が両思いだというなら、結婚させてやろう。兄上が即位後、もしくはその前に俺たちが結婚したら、俺は公爵位を授かることになっている。その時は王都から少し離れた場所に住むことになるが、それは気にならないか?」
「それについてはかまわないのですが……」
「……どうした?」
アレク殿下が切れ長の目を、より細めて首を傾げる。
「いえ。思っていたより、すんなり認めていただけるのだな、と驚いてしまいまして」
「このままエイナ嬢と結婚するのは不安だった。嫌われないように努力していたつもりなんだが、彼女は俺を見ようとも、話を聞こうともしなかった。今度は夫婦で天使と悪魔だと言われかねないし、彼女と暮らす自分が想像できなかったんだ」
「そう言われてみれば、私もそうかもしれませんわ」
クズーズ殿下とは結婚しなければならないと思ってはいたけれど、結婚した後の生活については何も考えていなかった。
「そういえば、君と兄上の結婚の日取りは決まっていたよな?」
「はい。半年後です」
「では、もう動かないといけないな。話し合いは君の部屋でも大丈夫か? 日時は俺が段取りする。君の予定で駄目な日は?」
「私の部屋で結構です。それから日時に関してもお任せいたします」
「わかった。決まったら連絡する」
アレク殿下は頷いて立ち上がる。
「あまり長居するのは良くないから、今日はもう帰るよ。お見舞いに君とエイナ嬢が好きだという店の菓子を侍女に預けてあるから、良かったら食べてくれ。じゃあ、お大事に」
「ありがとうございました! それから、アレク殿下!」
「どうした?」
「髪の毛をおろして帰ってください。エイナを悔しがらせたいので」
婚約解消後に、アレク殿下が実は整った顔立ちの人だった、なんて知ったら、エイナはとても悔しがるだろうから、今は隠しておきたい。
思いついたのでそう言ってみると、アレク殿下は口元に笑みを浮かべた後、髪の毛をおろし、私の所に戻ってきて耳元に顔を寄せた。
「君の記憶が戻っているようだから、良いことを教えてあげよう。君のご両親は俺の言うことを信じてくれている。兄上たちのせいでメイドをどうこうすることはできないが、二人は君を守ってくれてるよ」
「え!?」
「俺の両親は兄上の外面に騙されて、俺のことを信じてくれなかった。だけど君の両親は、君の命に関わることだからと、俺の言うことを信じてくれた。調査を止められたことに引っかかったからかもしれない。だから、君の記憶が戻った、もしくは元々忘れていなかったと打ち明けても話を聞いてくれるはずだ」
アレク殿下はそう言うと、私が答えようとする前に部屋を出ていってしまった。ココが慌ててお見送りをするために部屋を出ていく。
彼に言われて気づいたけれど、私についていた侍女やメイドが変わっていたのは、お父様たちが私にとって彼女たちがあまり良くない使用人だと判断してくれたからかもしれない。
クララに関しては、エイナとクズーズ殿下が庇うから手が出せない、ということかしら?
エイナの本性にお父様たちが気づいていなかったとしても、二人が私の敵ではないことを知ることができてホッとした。
でも、どうして、アレク殿下に記憶があるとバレてしまったの? エイナへの態度があからさますぎた?
「……まあいいわ」
一人で考えても答えは出ない。
「お父様たちが理解してくださっているのなら、婚約解消だって認めてもらえるわよね」
クズーズ殿下とエイナが婚約することになれば、エイナも幸せになる。お父様たちも私を贔屓しただなんて悩まなくても良いでしょう。
もし円満な婚約解消が無理そうだとしても、何とかして婚約解消する方法を考えないといけないわ。
***
「僕たちとアレクとエイナの四人で話し合いをするとアレクから聞いたが、君が前に言っていたくだらない話じゃないだろうな? 僕はそんなに暇じゃないんだぞ」
約束の時間より一時間も早くにやってきた、白シャツ、白パンツ姿のクズーズ殿下は、出迎えた私に向かって、眉根を寄せてそう言った。
今日は、アレク殿下が段取りしてくださった話し合いの日。
お迎えする準備は整っていたけれど、まさかクズーズ殿下が一時間前に来るとは予想していなかった。
「それは申し訳ございませんでした。ところで、いらっしゃるお時間がかなり早いようなのですが」
「早く終わらせようと思ったんだ。それに、君とは話し合わないといけないと思ったから」
「どんなことをでしょうか?」
まだ怪我が快復しておらず本調子ではないため、侍女の手を借りてクズーズ殿下が座るソファの向かいの席まで移動して彼に問う。
「君は本当に僕との婚約を解消しようと思っているのか?」
侍女を見ると意図を理解してくれたのか、メイドの代わりにお茶を用意してくれた後、一礼して部屋から出ていった。
扉が閉まったのを確認し、クズーズ殿下からの質問に答えた。
「そのつもりですが、何か問題でもございますか? 私はクズーズ殿下とエイナのためを思っただけなのですが」
「エリナ。エイナがあれだけ可愛いんだ、君が卑屈になる気持ちもわかる。だが、僕は僕なりに君を愛するつもりだよ。僕の愛を受ければ、君もエイナをいじめたりしなくていいはずだ」
「そもそも私はエイナをいじめてなんかいません」
私がはっきりとそう告げたにもかかわらず、クズーズ殿下は首を横に振る。
「まだ、そんなことを言っているのか。いじめたほうはいじめてないと言うんだ。君が気づいていないだけで、君は彼女を傷つけているんだよ」
クズーズ殿下は、憐れむように私を見下ろした。
――どうしても殿下は、エイナの言葉を信じたいのね。それなら、好きにすればいいわ。私は私を信じてくれた人と生きていきたいから。
「クズーズ殿下に何を言っても、私の言葉は届かないようですね」
「エリナ」
クズーズ殿下は立ち上がると、テーブルを回り込んで、私の隣に腰を下ろした。
隣に来られたことに不快感を覚えたけれど、体がすぐには動かなくて、侍女を呼ぼうとベルに手を伸ばす。しかしクズーズ殿下は、それを取り上げた。
「素直な気持ちを聞かせてほしい。エリナ、僕は君がエイナをいじめていたとしても責めたりなんかしない。劣等感を持つのはすごく共感できるからだ。婚約を解消したいというのは、演技なんだろう?」
「……演技?」
「ああ。城に帰って考えたんだ。君は僕にかまってほしくて、婚約者を交換したいだなんて言い出したのかなって」
「違います。とにかくベルを返してくださいませ」
横にずれて身を離すと、彼はまたこちらに近づいてくる。
「なあ、エリナ。僕はエイナよりも君のほうが王妃にふさわしいと思っている。だから、意地を張らずに僕と結婚するんだ」
「殿下はエイナがお好きなのでしょう? 私が殿下の婚約者の座をエイナに譲れば、殿下とエイナは結ばれるのですよ? それはエイナだけでなく殿下にとっても喜ばしいことでしょう?」
作り笑顔で返すと、クズーズ殿下は首を横に振る。
「エイナのことが好きというわけではない。ただ、可愛いと思うだけだ。彼女は性格も良いし、僕のことを立ててくれる。君は性格は悪いかもしれないが、そのほうが王妃のプレッシャーを強く感じなくて良いだろう?」
「結局は、ご自分とエイナのことしか考えていらっしゃらないのですね」
ベルを取り返すことを諦めたところで部屋の扉が叩かれ、返事を待たずにエイナが部屋に入ってきた。
「クズーズ殿下がいらっしゃっていると聞いたのですけどっ」
満面の笑みを浮かべて入ってきたエイナは、クズーズ殿下が私の隣に座っている光景を見て、笑顔を消した。
それを見て、クズーズ殿下は途端に慌て始めた。
「いや、これは違うんだ。彼女の具合が悪そうだったから介抱しようとしていた」
「もう大丈夫ですから、席にお戻りになって?」
慌てる殿下に、ここは助け舟を出しておいた。こんなところで、痴話喧嘩をされても困る。
「元気になったのなら良かった」
クズーズ殿下は引きつった笑顔を見せて頷くと、さっきまで座っていた場所に戻った。
「……とっても、早くいらっしゃったんですのね」
エイナはクズーズ殿下の隣に座ろうとして、立ち止まって舌を出し、こつんと自分の拳を頭に軽く当てた。
「いけない、間違えちゃった。ついつい、こっちへ来てしまったわ、ごめんなさい、エリナ。あなたの婚約者なのに隣に座ろうとしてしまって!」
「いいのよ。もうすぐ、そうじゃなくなるから」
「エリナ!?」
クズーズ殿下が驚きの声を上げて立ち上がろうとしたけれど、笑顔を向けて制する。
「詳しい話はアレク殿下がいらっしゃってからにしましょう」
「だ、だが! アレクは、嫌がると思うぞ。僕のお下がりの婚約者を押しつけられるなんて迷惑なはずだ」
「それはアレク殿下に聞いてみなければわかりませんわ」
「ねえ、エリナ。今日は婚約者を交換する話をするのよね? でもクズーズ殿下がおっしゃるように、私たちは良くても、アレク殿下は嫌がるかもしれないわ。だって、アレク殿下は、私のことを好きみたいだし」
私の隣に腰を下ろしたエイナは、わざわざ私の顔を覗き込みながら言った。
――自分はアレク殿下を好きじゃないけど、アレク殿下は自分を好きだと言いたいのね?
「でも、エイナとクズーズ殿下が愛し合っているのなら、アレク殿下は私の提案を理解してくださると思うの」
「べ、別に、僕とエイナはそんな関係じゃない!」
「……クズーズ殿下」
エイナが目を潤ませてクズーズ殿下を見ると、彼はエイナから顔を背けた。
――どうして、クズーズ殿下は婚約解消を嫌がるのかしら? 本当にエイナのことが好きではないの?
時間はまだかなり早いけれど、アレク殿下を待たずに話を始めてしまおうかと考えていると、部屋の外が騒がしくなり、ノックの後にココが私に告げる。
「アレク殿下がいらっしゃいました」
「え!? もう?」
驚きはしたけれど、私にとってはありがたかった。
中に入ってもらうようココに言うと、黒ずくめのアレク殿下が入ってくるなり謝ってきた。
「すまない。兄上がかなり早くに出たと聞いて、慌てて来たんだ。話し合いの開始時間が予定よりも早くなっていただなんて知らなかった」
アレク殿下は私に謝った後、最後のほうの言葉はクズーズ殿下に向かって言った。
「そ、それは……」
「アレク殿下、時間は早めておりませんのでご安心ください。クズーズ殿下が早く来られて、そのことを知ったエイナが早くにやってきただけです」
「そうか。なら、良かった」
ココがアレク殿下にお茶を出し、私たちにもお茶を淹れ直してから一礼して部屋を出ていくと、部屋の中は静まり返る。
すると、かなり間隔を空けてクズーズ殿下の隣に座っているアレク殿下が口を開いた。
「今日集まってもらった件だが、もう知っているとは思うが、婚約者を交換するという話をしたい」
「嫌だ!」
アレク殿下の言葉に間髪容れず放たれたクズーズ殿下の言葉に驚いて、私たちは彼に目を向けた。クズーズ殿下は立ち上がり、アレク殿下を見下ろして言う。
「いや、嫌だというより駄目だ。エリナは僕の婚約者なんだ! アレク、お前には渡さない!」
――何を言ってるの、この人。
私とアレク殿下は呆れた顔になり、エイナは今にも泣き出しそうな表情でクズーズ殿下を見つめた。
クズーズ殿下の言葉に耳を疑っていた私たちだったけれど、いち早く平静を取り戻したアレク殿下が口を開いた。
「兄上。俺にエリナ嬢を渡したくないという理由だけで、婚約者の交換を駄目だとおっしゃっているんですか?」
「そ、それだけじゃない! お前にはエリナを幸せにできないからだ」
「意味がわかりません。兄上以外の人と結婚すると、エリナ嬢は幸せになれないと?」
「そういうことだ」
アレク殿下の質問に、クズーズ殿下は、大きく首を縦に振った。
――何を根拠に、この人は自分が私を幸せにできると思ってるの? どちらかといえば、クズーズ殿下と一緒になったら、不幸になる未来しか見えないんだけれど?
「……クズーズ殿下?」
私が口を開く前に、エイナが震える声で殿下の名前を呼ぶ。すると、クズーズ殿下はすとんとソファに座り直し、エイナには何も言わず、アレク殿下を睨む。
「エイナの顔を見てみろ。婚約者の交換だなんて言うから、傷ついているだろう?」
「本当にそうなんですかね?」
「そうに決まっているだろう!」
「そんなに大声を出さなくても今から確認しますよ。で、どうなんだ、エイナ嬢?」
アレク殿下が尋ねると、エイナは首を横に振った。
「私はクズーズ殿下をお慕いしていますが、エリナのことを考えたら、婚約者の交換だなんて酷いことはできません! だって、エリナはクズーズ殿下のことが好きなんでしょう? それに、アレク殿下だって私のことを……」
「エイナ。あなたが私のことを考えてくれているのなら、婚約者を交換してくれないかしら? アレク殿下もそう思いませんか?」
「俺も同意見だ。俺は人の恋路の邪魔はしたくないのでね」
「私もです。クズーズ殿下とエイナが愛し合っているのなら、婚約者を交換して、愛し合う二人に幸せになってもらいたいです」
そして二人が結婚した後は、これ以上私に関わらないようにしてもらうわ。私がアレク殿下のもとに行けば、エイナと会うこともほとんどないでしょう。
「本当にいいんですか?」
私の言葉を聞いて、エイナは少しだけ不満そうな顔をした。私がまったく悔しがらないし、アレク殿下が婚約解消を嫌がると思っていたのかもしれない。
対してクズーズ殿下は眉を大きく吊り上げて拒絶を示した。
「別に僕は、エイナと結婚したいわけではない!」
クズーズ殿下の叫びを聞いて驚いたのは、私だけじゃなかった。
「クズーズ殿下! どうして、そんなことをおっしゃるんですか? 酷いです!」
「いや、エイナ。あの、君のことを悪く言ってるんじゃなくてだな」
「じゃあ、何だって言うんですか!? 私と結婚したくないってことですよね!?」
言い合いの末、エイナは両手で顔を隠し、声を上げて泣き始めた。
これが嘘泣きなのか、悲しくなって本当に泣いているのか、私には判断がつかない。
「そういう意味じゃない! 君は魅力的な女性だよ! だけど僕は今までエリナと結婚すると思っていたんだ。だから、今更婚約者を替えるだなんてできない!」
「その理由では、エリナ嬢が幸せになれないからではなく、兄上が自分のことしか考えていないようにしか聞こえませんが?」
エイナを慰めようとするクズーズ殿下にアレク殿下がそう言うと、クズーズ殿下は怒りをむき出しにして再び叫ぶ。
「そういう意味ではない! 婚約者の交換なんてやらなくてもいい! どうしてそんなことをしなければいけないんだ! エリナにふさわしいのは、この僕だぞ!?」
「クズーズ殿下、私のことはお気になさらないでください。私と無理に結婚する必要はありませんわ。あなたと結婚する資格はエイナにもございます。エイナとどうぞ、お幸せになってください」
「エリナ! どうして、そんなことを言い出すんだ? 今まで、上手くやってきただろう?」
怒りを滲ませていた顔が途端に泣きそうになり、クズーズ殿下は私に訴えてくる。
クズーズ殿下がどうして私との婚約を解消したくないのか、その理由がさっぱり見えてこない。今まで私と結婚すると思っていた……なんて、理由にはならないわ。
「上手くやってきたというより、そうするのが当たり前だと思っていただけです。今回、私が婚約者の交換を考えた理由をお伝えいたしますわね」
一度、言葉を区切ってから、私はクズーズ殿下を見据えた。
「クズーズ殿下、私があなたとの婚約を解消したい理由は、あなたに思いやりがないからです。お見舞いに来てくださった時の殿下の態度には、私への気遣いが一切見えませんでした」
「ど、どういうことだ?」
「あの時にもお伝えしましたが、普通、婚約者が怪我をしたのであれば、まずは婚約者の体の心配をするはずです。それなのに、あなたはエイナの話ばかりしておられました。馬鹿な人間でなければ、あなたの頭の中の多くを占めているのは誰だか、わかってきますよね?」
にこりと微笑むと、クズーズ殿下は首を横に振る。
「そ、それは、その、混乱していただけだ。それに、君は元気そうだったじゃないか!」
「元気そうに見えたとしても、エイナの話ばかりするのはおかしいでしょう」
笑顔を消して厳しい口調で彼にそう言ってから、大きく息を吐く。
「クズーズ殿下。正直に言わせていただきますが、私はあなたと共に人生を歩んでいくつもりはありません。なぜなら、あなたの気持ちはエイナに、エイナの気持ちはあなたにあるからです。どうしてもそちらが婚約を解消するつもりがないとおっしゃるのであれば、こちらから婚約破棄させていただきます」
「やめてくれ! そんなことをしたら、僕が可哀想に思われるじゃないか!」
クズーズ殿下の叫びを聞いて、アレク殿下は苦虫を噛み潰したような顔になった。
それを一瞥し、私はすぐにクズーズ殿下に視線を戻した。
「つまり世間体が大事だということですわね? では、クズーズ殿下。あなたから婚約を破棄していただけませんか?」
「ぼ、僕から?」
「ええ。婚約破棄をされた自分が可哀想だとおっしゃるなら、あなたから婚約を破棄してくださいませ。ですが、婚約破棄をする理由を私のせいにはしないでください」
「じゃあ、どうしろって言うんだ?」
クズーズ殿下は情けない顔で私に聞いてくる。私はため息をついて答えた。
「国民のためを思って、天使と言われているエイナを選んだことにされてはいかがですか?」
「国民の多くは君が悪魔と呼ばれていることを知らないんだぞ? そんなの納得しないだろう!」
クズーズ殿下が声を荒らげると、被せるようにアレク殿下が口を開いた。
「兄上」
「何だよ!?」
「エリナ嬢と二人で話をさせていただけませんか」
「するなと言ってもするんだろう!」
クズーズ殿下は叫ぶと、アレク殿下に背を向けた。
「少しだけいいか?」
「はい」
アレク殿下に呼ばれ部屋の隅に向かう。するとなぜか、残されたクズーズ殿下とエイナが喧嘩を始めた。
「クズーズ殿下、酷い! 私の心を弄んでいたんですね!」
「ち、違う! 僕はただ!」
「なら、責任をとって、私を幸せにしてください!」
「そ、それは無理だ!」
「どうして無理なんですか!? クズーズ殿下は、やっぱりエリナのほうが良いんですか!?」
修羅場になった二人を見るのは面白いけれど、ずっと見ているわけにはいかないので視線をアレク殿下に向ける。
「どうされましたか?」
アレク殿下は身を屈めて私の耳元に口を近づけて話をしてくる。
「兄上が婚約解消をしたがらない件だが、もしかすると、エイナ嬢が俺の婚約者だからかもしれない」
「どういうことでしょうか?」
「俺の婚約者が自分に夢中になっていることに、兄上は優越感を抱いていただけかもしれない」
「そんな! それって、アレク殿下にもエイナにも失礼な話じゃないですか」
「そうじゃないかと思っただけだから、証拠もないし絶対とは言えない」
アレク殿下の話を聞き、ふと疑問が湧く。
「でも、それでしたら、私とエイナを交換することを嫌がるのはなぜなんでしょう? アレク殿下から婚約者を奪えるじゃないですか」
「それはそれで違うんだろ。自分の婚約者を俺に奪われるとも思っているのかも」
「だとすると、殿下はエイナとの今後の関係をどうするつもりだったのでしょうか?」
「君と結婚するまでの遊びという可能性が高い」
「最低な人ですわね」
この件に関してはエイナに同情するけれど、自分の好みじゃないからといってアレク殿下を蔑ろにするんだから、自業自得なところはあると思う。
「そんな話を聞いてしまったら、余計にクズーズ殿下と結婚できませんわ」
「そうなると、エイナ嬢を兄上の婚約者にしないといけない。昔からのしきたりを兄上の代で変えるわけにはいかないだろうからな」
「公爵令嬢としか結婚できない、というやつですわね」
「そういうことだ。今、他の公爵家に令嬢はいると言えばいるがまだ三歳だ。兄上と結婚するよりも、兄上の子供と結婚したほうが良いだろうからな」
頷き合ってエイナたちを見ると、顔を両手で覆って泣いているエイナを、クズーズ殿下が必死に慰めているところだった。
「色々と問題はあるが、とにかく、今は君と兄上との婚約破棄を優先させることにしようか」
「はい。あの二人が結婚するとなると国の未来が心配にはなりますけど……」
王太子はクズーズ殿下なのだし、彼を正しく導くのは王妃になる人間だと思う。私とエイナ、どちらがふさわしいかと言われたら、昔はエイナだと思っていた。
クリーンなイメージだけを考えればエイナはかなり王妃向きだと思う。笑顔を振りまくだけしかできないだろうから、ある意味無害。クズーズ殿下が駄目人間だとしたら、政治は側近たちに頑張ってもらうしかない。
「とにかく、このままでは埒が明かない。何か切り札にできそうなものはないか?」
アレク殿下は整った顔を歪めながら聞いてきた。
「もう、なりふりかまわず、こちらから婚約を破棄いたします。お父様に確認しましたが、陛下はエイナを気に入っていらっしゃるようですし、エイナのために婚約破棄をしたということにして押し切ります。陛下なら、クズーズ殿下を納得させてくださるでしょう」
「兄弟の問題に巻き込んでしまってすまない。できる範囲のことはさせてもらう」
「気になさらないでください。ただ、危なくなったら、助けていただけますか?」
「もちろんだ」
苦笑して顔を見合わせた後、私たちは修羅場と化している、エイナたちの所へ戻ることにした。
「私の心を弄んでいたんですね!? あの時、私が婚約者だったらと何度も思ったと言ってくれたのに!」
嘘泣きだと思っていたけれど、どうやらエイナは本当に泣いているようだった。しかも動揺しているのか、特に私とアレク殿下の前でしてはいけない話を大声で続けていた。
「私が愛していますと言ったら、同じ気持ちだと言ってくださったじゃないですか!」
エイナはソファに置かれていた黒色の四角いクッションを手に持つと、クズーズ殿下を叩き始めた。
「バカバカバカバカ! クズーズ殿下のバカぁ!」
「落ち着いてくれ、エイナ! アレクたちが見ているだろう!? いつもの可愛い君に戻ってくれ!」
「どうせ、エリナたちの話なんて、誰も信じないから大丈夫です! 私とクズーズ殿下の証言と、エリナとアレク殿下の証言、どちらかを信じるとしたら、私たちに決まっているじゃないですか!」
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