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強欲の章

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 俺の名前はアンセル。
 この地で代々伝わる魔術師の家系、といっても血のつながりはない。
 先代の師匠が孤児だった俺を広い育ててくれた。
 師匠も同じような境遇だったらしく、この道場を継ぐ人間は必ずしも血縁者ではない。
 必要なのは、魔術師としての才能があるか否か。
 どうやら俺には魔術師としての才能があったらしく、その才を見ぬかれ師匠の弟子となった。
 煩悩を捨てることで得られる境地。
 俺たちは大賢者の教えに習い、日夜修行に明け暮れていた。

 そして現在二十五歳。
 師匠は十五年前。
 つまりは俺が十歳の時に失踪した。
 依頼、俺がこの道場の家主であり、大賢者の術式を受け継ぐ当主となった。
 
 煩悩を捨て、心を制御し、魂を知覚する。
 それこそが救世の英雄、大賢者と呼ばれた初代から脈々と受け継がれし教え。
 魔術の深淵に至るために必要な初歩の一つ。
 
 人間には煩悩が一〇八個あると言われている。
 一〇八の煩悩と向き合い、乗り越えることで、魔術師として更なる高みへと踏み出す。
 煩悩を克服する修行はとても険しい。
 生きるために必要な欲求でさえ、魔術師にとって心を乱し、魔力の制御を惑わす麻薬なのだから。

「煩悩と向き合い、心を制御すること。それこそが先代の教え。これを完遂することで初めて、【天芯倶舎テンジンクシャ】の道は開かれる」
「「「はい!」」」

 俺は日々、三人の弟子たちと共に修行を積んでいる。
 基礎的な魔力操作、魔術師なら誰もがやる訓練以外にも、煩悩と向き合う訓練を行う。
 肉体には魂が宿り、魔量は魂からあふれ出る。
 魂を知覚し、制御することができれば、人は魔力を手足のようにコントロールすることが可能となる。
 そのためにはまず……。

「煩悩を取り払い、魂を知覚しなくてはならない」
「それが一番……難しいんです」
「口に出さない! それも煩悩の一つよ」
「……眠くなるよぉ」

 教えの基礎だが、この基礎こそが最も重要で、最も難しいことだ。
 人は生きていく上で様々なことを考え、いろいろなものを見て、出会うだろう。
 そこには感情が付きまとう。
 あれがほしい、これがほしい、今のままじゃ足りない……もっと、と。
 生きている限り、欲望は尽きない。
 湯水のように湧き出る欲望を常に制御する鋼の理性。
 それを身に着けるまでに、俺たちは何年も修行を積んでいる。

「魂を見るんだ。視覚ではない……全身で。そうすれば……」

 俺は弟子たちに道を示すように、わかりやすく魔力を操る。
 体外にあふれ出た魔力を自在に操り、空に絵を描くように動かす。
 本来、魔力は視認できない。
 しかし高密度の魔力は視界に移り、さらに密度を上げ、出力を向上させれば実体すら生まれる。
 魂を知覚し、自在に操る領域に至れば、魔力操作だけで日常生活が遅れるだろう。
 こんな風に。

「凄いです。さすが先生!」
「……私だっていつか、師匠みたいにやってみせるわよ!」
「せんせー格好いいー!」
「……」

 抱き着こうとするスピカを、シアンが首根っこを掴んで止めた。

「隙を見て抱き着こうとするんじゃないわよ」
「うえ、シアンだって抱き着きたい癖に」
「そ、そんなことないわよ!」
「二人とも集中が乱れてるよ? ちゃんとやらなきゃ!」
「……」

 賑やかな三人。
 揺れる乳房、露出された肌、今にも届きそうな手。
 無自覚な誘惑……。

 煩悩、煩悩、全て煩悩だ。
 彼女たちの存在が、いつだって魔術師としての俺を試している。
 今だって気を抜けば、すぐにでもあの胸に触れたいし、抱き着かれたら返したい。
 ほとんど裸みたいな服なら、いっそ裸のほうがよくないか?
 とか、考えてしまいそうになる。

 耐えろ俺!
 今日を耐えれば明日が来るぞ!
 
「――!」
「どうかされました? 先生?」
「……誰かが近づいている」
「え!?」

 リーナが驚いて目を大きくする。
 無理もない。
 こんな山奥に人が来ること自体が珍しい。
 金品は何もないし、人里離れた山奥には用心しなくても泥棒すら入らない。
 俺はも少し驚いていた。
 目を瞑り、魔力で探る。

「一人……体格的に女性? 君たちと同じくらいの子かな?」
「敵でしょうか?」
「いや、敵意は一切感じない」

 そもそも盗賊か何かなら、たった一人でこんな場所には来ない。
 周辺には集落もなく、特に観光地でもない。
 ここへ訪れる目的があるとすれば……。

「失礼します! ここに大賢者様はいらっしゃいませんか!」

 道場の扉が開いた。
 そこに立っていたのは、高貴な雰囲気を漂わせる美少年……?
 銀色の髪が風で靡く。
 透き通るようなエメラルドの瞳が幻想的で、思わず魅入る。

「――! あなたが、当代の大賢者様ですね!」

 その人は俺を見て、安心したような表情を見せる。
 やはり俺に会いに来た人だろう。
 しかも格好からして、それなりの身分の人間。
 だとすれば、大方の用件は予測できる。
 ただしその前に一つだけ訂正しておこう。

「失礼ですが、俺はまだ大賢者には程遠い。修行中の身です」
「何を言う! そのように魔力を操る者など見たことがありません! あなたは間違いなく大賢者様だ!」

 ちょうど弟子たちに魔力を操る様子を見せていたから、そのまま魔力を出しっぱなしにしていた。
 見慣れない人間にとっては、さぞ幻想的に見えるだろう。
 しかしこれも初歩の応用でしかない。
 大賢者を名乗るには、俺はまだ未熟だ。

「大賢者様! どうかあなたのお力を貸してください!」
「――申し分かりませんが。王都の魔術師の集団に入ることならお断りしています」

 以前に何度か勧誘にきた。
 高い地位を用意するから、ぜひ王都に来てほしいと。
 もちろん断った。
 俺が求めているのは地位や権力ではない。
 魔術を極めることのみ。
 それは王都ではなく、この地で十分に成し遂げられる。
 そもそも王都なんて欲望の宝庫だ。
 絶対に耐えられない。

「そうではありません。大賢者様にお願いしたいのは、もっと王国の……いいえ、世界の未来に関わることです」
「ん? 世界の未来?」
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