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第一章

1.勇者、死す

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 王都中から歓声が沸き起こる。
 人々は安堵した。
 恐怖で眠れぬ夜の終わりを感じて。
 人々は歓喜した。
 もう枕を濡らす必要はないのだと。

「勇者エレン・ワインバーグ、よくぞ世界を救ってくれた」

 国王の前で膝をつく男はゆっくりと顔をあげる。
 その表情は穏やかで、誇らしくもなく、威厳に満ちてもおらず。
 ただ、どこにでもいる青年としての顔で……。

「私一人の力ではありません。仲間がいてくれたから生き抜くことができました。皆さんが我々を信じてくれたから、勝利することができたのです」
「うむ。その言葉、そなたは清々しいほどに勇者よな」
「勇者様ばんざーい!」
「エレン様ばんざあーい!!」

 歓声はより大きく広がっていく。
 人間と魔族、勇者と魔王、長きにわたる因縁が今、ようやく幕を下ろした。
 
  ◇◇◇

 平和の訪れた王都では連日連夜お祭り騒ぎが続いていた。
 人々は浮かれている。
 だが、それも悪くはない。
 やっと手に入れた平和なんだ。
 今くらい、心の底から全身全霊で満喫すればいい。

 俺は扉を開け、用意してもらった部屋に入る。
 暗い部屋で明かりもつけず、そのまま亡霊のようにとぼとぼ歩き、倒れるようにベッドに寝転がる。

「はぁ……疲れた」

 仰向けになり天井を見上げる。
 俺が勇者に選ばれたのは三年前のことだった。
 田舎で両親と細々とした生活をしているところに、突然王都から使いがやってきた。
 驚きはしたが、勇者に選ばれたという話に疑いはなかった。
 そういう予感は幼いころからあったんだ。
 知らない誰かの声を聞いたこともある。
 だから自分でも驚くほどあっさりと順応して、仲間と共に魔王討伐の旅にでた。
 旅の中、多くのことを経験した。
 人々の苦しみ、悲しみ、絶望を目の当たりして、己の正義をより強固にして。
 か弱き者たちを守るため、その力の全てを使おうと誓った。

 辛く苦しい旅だった。
 傷つくのは力なき者たちだけじゃない。
 共に戦う仲間も傷つき、時には生死の境を彷徨った。
 俺は欲張りだから、全部を救おうとして、苦い経験もたくさんした。
 誰かが傷ついてしまうくらいなら、俺が全て引き受けたかった。
 そんな無鉄砲な俺を、仲間たちは優しく支えてくれた。
 彼らは俺の誇りだ。
 彼らが一緒にいてくれたから、俺は今日も生きている。
 この命は俺の物だけど、彼らが守ってくれた宝物でもある。

「楽しかったなぁ……」

 そう、楽しかったんだ。
 大変な旅も、彼らと一緒なら楽しいと思えた。
 不謹慎と言われようと、ここだけは譲れない。
 俺にとってこの三年間は、黄金色に輝く永遠の宝物だ。

「終わったんだ……な」

 全身の力が抜けていく。
 俺はもう役割を終えた。
 勇者として戦うことはなくなった。
 世界は平和になったんだ。
 だからもう、いい加減休んでもいいだろう?
 人々が心から安心して眠れた日がないように。
 俺もまた、安眠からは程遠い生活を送っていたんだから。

 ――よい。
 ――今は休め。

 心の中で誰かが俺にそう言ってくれた。
 おかげで僅かに張りつめていた緊張の糸も和らいで、ゆっくりと眠りに落ちていく。
 幾年ぶりの安らかな眠りに。

  ◇◇◇

 静かな部屋。
 開けたはずのない窓から夜風が吹き抜ける。
 心地いい風が、一瞬だけ止む。

 コトン。

 足音が一つ……いや、二つ。
 窓からやってきた気配に気づいて、俺は深い眠りから目覚める。

「……誰だ?」

 二人が窓を背に立っている。
 ローブを身に纏い顔を隠し、男か女かもわからない。
 一つわかるのは、只者ではないということ。
 おそらく人間だ。
 魔族特有の雰囲気は感じない。
 そもそもここは人間の国、強力な結界に守られていて魔族が立ち入ることはできない。

「こんな夜遅くになんの用ですか? そんな……」

 俺は視線を彼らの手元に向ける。
 二人は片手にナイフを持っていた。

「危ないものを持って」

 二人が同時にナイフを構える。
 もはや疑いようはない。
 俺を殺すためにここへやってきたことは。

「はぁ……」

 俺は小さくため息をこぼす。
 理由はどうあれ、俺を快く思わない者がいることに?
 違うな。
 ただ、呆れてしまったんだ。
 せっかく平和になったのに、みんな楽しそうにしているのに。
 そんな日々を簡単に壊そうとする誰かがいることが。
 結局、本当の平和なんてまやかしなのかもしれない。
 世界には争いがつきもので、完全になくすことはできないのだろう。
 
「お前の……言う通りだったな。魔王」

 背後からもう一人が迫る。
 俺は気づいていた。
 正面の二人が囮であり、本命は気配を完全に消していたもう一人であることを。
 わかった上で――

「ぐっ……」

 避けなかった。
 毒が塗られたナイフが深々と心臓を貫く。
 旅の中で何度も味わった傷の痛み。
 慣れこそしなくても、耐えられるようにはなっていた。
 はずだった……。

 だけどこれは、耐えられそうにないな。

「申し訳ありません。勇者様……これも命令なのです」
「……ああ、わかっているよ」

 俺を刺した男が涙を流しながら、倒れ込む俺を支えている。
 異様な光景だ。
 だが、わかっていたよ。
 彼らの意思ではないことくらい。
 だって最初から、彼らには殺意が感じられなかった。
 彼らから感じられた感情は、哀しみだけだった。

 こうして、勇者エレンは死んだ。
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