上 下
2 / 15

2.暗殺失敗?

しおりを挟む
 衣擦れの音が聞こえる。
 ありえない。
 この部屋で生きている人間は私一人だ。
 先刻まで生きていたもう一人なら、そこに首が転がって――

(首がない?)

 転がっていたはずの首がなくなっている。
 カーペットには赤いシミが残っているし、そこにあったのは間違いない。
 何より私が見間違えるものか。
 これまで何回、何十回見てきたと思っている。
 絶対にありえない。
 私は確かに、首を撥ねたんだ。

「全く困るな。せっかく終わらせた書類が真っ赤だよ」

 二度目の声。
 もはや疑いようもない。
 信じられなくとも、私の後ろにいる。
 
「暗殺に来るのは構わないが、時と場所を考えてくれ」

 後ろを振り向く。
 これでもう信じるしかなくなった。
 テーブルを一つ挟み、その男は当然のように立っている。
 暗闇で光る赤い瞳は、私のことを真っすぐに見つめていた。

(首が繋がっている? 間違いなく切り落としたはずなのに……)
 
 部屋の魔道具はすべて無効化した。
 なら幻術?
 そんな気配はなかったし、私は幻術も見破れる。
 何より、床に残っている赤い液体が、そこにあったことを証明している。

「ふむ、今度の暗殺者は思ったより小さいな」
「っ――」

 私のことが見えている。
 当たり前だ。
 殺したと思って、スキルは解除してしまっている。
 私は咄嗟にナイフを構え思考を回らす。
 このまま戦うか、一度逃げるか。

「無駄だ」

 パチン。
 彼は指を鳴らした。 
 次の瞬間、床に流れていた血が動き出し、私に襲い掛かる。

「なっ――」

 咄嗟のことで反応できなかった私は、床に仰向けで貼り付けにされてしまう。
 手首と足首を血の輪が拘束して、ナイフも手から離れている。

「くそっ!」
「この声は女か? しかもまだ若いな」

 手足は動かない。
 魔術で血を操っていたのか?
 どちらにしろ、ここから抜け出す手段を私は持っていない。
 彼は徐に私へ近づいてくる。

「ふむ」

 そして、私の顔をじーっと見つめていた。
 きっと私をどうしようか考えているに違いない。
 暗殺に失敗した暗殺者の行く末へ決まっている。
 暗殺を依頼した相手を教えろと言われ、伝えなければ拷問される。
 そして答えた後は、用済みと殺されるか、惨めな辱めを受けるだけだ。

(もう終わりだ……このまま辱めを受けるくらいなら、いっそ死んだほうが良い)

 自死のための毒なら仕込んである。
 奥歯をぐっと噛みしめれば、私はそれで死ねる。
 
 死ねば終わる。
 ようやく私も……解放される。

 そう思っていた。
 思っていたはずなのに……

(何で……どうして?)

 身体が震えて動かない。
 奥歯を噛みしめようと力を入れているのに、まったく動いてくれない。
 まさか……死ぬのが怖いの?
 これまで何人も殺してきて、自分は死ぬのが恐ろしいなんて……そんなこと許されるわけがないのに。

 魔道具の効果が切れ、部屋の明かりがつく。
 照らされた私の姿を見て、彼は目を丸くして驚いていた。

「お前……」

 この表情……
 きっと私が先祖返りだと知って驚いている。
 次に続く言葉は簡単に予想できる。
 醜いとか、気持ち悪いとか、汚らわしいとか……何度も聞いてきた。
 私にはお似合いの言葉だ。

「可愛いな」
「え?」
「うん、可愛い! 過去最大級の可愛さだ!」
「……は?」

 あまりに予想外の発言過ぎて、さすがの私も理解できなかった。
 彼は気分が高ぶっている様子で、子供みたいに無邪気な目をして私に言う。

「これが先祖返りというやつか! 噂には聞いていたが何という破壊力……くっ、可愛すぎて目が……」
 
 本当に何を言っているのだろう。
 可愛いとは、まさか私のことを言っているわけじゃないよな?
 いやでも、この状況は私しかいないし……本気で言っているのか?

 異質な状況に陥って、徐々に緊張感が抜けていく。
 彼に敵意や殺意がなく、純粋に楽しんでいるように見えたのも影響しているだろう。
 気付けば私は、死を覚悟していたことすら忘れかけていた。

 そして突然、彼は大きな声で宣言する。

「よし決めたぞ! お前をメイドとして雇おう!」
「……は?」
「今日からお前は俺のメイドだ」
「な……」

 何言ってるんだこいつ?

「そうと決まればさっそく準備だ! まずは服を用意せねば……確か衣装室に何着かあったな」
「お、おい!」
「安心してくれ。全サイズ揃っているからお前に合う物も用意できる」
「いやそういうことじゃ――」
「窮屈だろうがしばし待っていてくれ! すぐに持ってくる!」

 そう言って彼は部屋を飛び出していった。

「えっ……」

 私は床に張り付けられたまま放置されている。
 もう訳が分からなくて、ただただ開いた口がふさがらない。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

ブラッドムーンは誘惑の香り

恋愛 / 完結 24h.ポイント:21pt お気に入り:422

運命の相手が変態すぎてどうすればいいですか?

恋愛 / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:113

吸血鬼パパと拾われた俺。〜子育て同棲編〜

BL / 完結 24h.ポイント:71pt お気に入り:581

処理中です...