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少し前、春人が宙に立つ鹿を発見した頃---

「あの鹿は・・・」

「ああ、言われなくてもわかっている」

忌々しそうに目を細めて鹿を見やるエルクに、ターミンはそれ以上声をかけなかった。

「あの立派な角。覚えてる。あれは---」

「サンバー。しっ!」

唇に人差し指を当て、余計なことを言いそうになるサンバーを制する。いつもちょっと空気を読んでくれないサンバーを止めるのはターミンの役目だった。

「いくらキツネを落とせても、奴にはあの鹿は倒せないだろう」

腕を組んで不機嫌にフンっと息を吐く。
こう言う時のエルクには何も言わないのが正解だと言うことは昔からよく知っている。

「ま、まあ、とにかくお手並み拝見だね。彼がイガリみたいにやり手なら喜ばしい事じゃないか」

そうこうしている内に春人が身を低くしてコソコソと動き始めた。どうやら鹿の背後に回ろうとしているように見える。

「なんて不器用でノロマな動きだ。あれでは逃げられるぞ」

春人の一挙手一投足に文句アリアリなエルクを無視してターミンとサンバーは黙って行方を見守る。

春人は強力な武器を扱える事以外は普通の人間だろう。自分たちのように身軽に樹上を跳ねて移動したり出来ない身体性能を考えれば、自分達と同じ猟果を求めるのはそもそもハンデが大きすぎるのだ。

そして---

ダァン!---ダン!ダァン!

三度、キツネを落とした時と同じ様な音が響き渡った。
春人からそれなりに離れた場所にいるのに耳を塞ぎたくなる音だ。何度聞いても恐ろしい。

走り去る鹿を追うように春人も駆け出す。
鹿のいた所まで行き、何を確認しているのかしばし立ち止まって熱心に地面を見ていた。

「何をしている!!早く追え!!」

ずっとヤキモキしているエルクが小声で叫ぶ。
矢が当たった鹿を見失うと面倒なのは狩りを日常とする彼女らにとっては常識だ。
動いているならまだしも、森の中で倒れて動かない地味な色のモノを発見するのは骨が折れる事があるし、錯乱した鹿はどこまで走ってしまうかわからない。
複数人で行う狩りならまだしも、今回はどの程度のスキルがあるかすらわからない人間一人での狩りだ。遠くに走られたらきっと見つけられないだろう。

固唾を飲んで見守る三人をよそに、春人は早足程度で鹿の向かった方角へ進み始めた。

「もっと急げ!何してるんだあいつは!」

「エルクうるさい。焦りすぎ。ハルに任せとくしかない」

「くっ・・・」

「ま、まあまあ。僕らも後を追おう。鹿だけじゃなくてハルまで見失ってしまうよ」

三人は隠れていた低木の影から飛び出し、音もなく一頭と一人を追いかける。

移動しながら、先ほど春人が気にしていた地面を見やると---

まるでそこで肉食獣が獲物を襲ったかのように獲物の血と毛が飛び散っていた。
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