6 / 6
最終話 スタートボタン
しおりを挟む
『ただの人形如きと過ごした思い出の方が大切だなんて、貴方はそんな酷い人じゃなかった! 貴方は私の知っている修二さんじゃないわ!』
「君の方こそ、先ほどから訳の分からないことばかり喚きたてている。変わってしまったのは君じゃないか!」
先程から美里は「私らしからぬ」だの「変わってしまった」だの酷い言い様だ。まるで私が別人になったとでも言いたげであるが、若かりし頃の私と今の私は同一人物ではないのか。多少性格は変わったかもしれないが、それでも年齢だけでは私の本質――根の部分は変わらない。
ならば、美里は何をもって私を私だと定義しているのだ。三十年間の記憶の有無が、私が私である同一性を揺らがせるということか。持ち得ている記憶が当時と今で異なる私は、同一の人間であると言えないのか。
私には最早、何も分からなかった。ただ、彼女は私を責め続ける。
『要するに、貴方はもう私のことなんて大切じゃないってことでしょう!』
スピーカーが空気を大仰に揺らして音を出す。
『私の体がこんな風になったから? あぁ分かった。私が料理をしなくなったからでしょう! なんでも調理してしまう電子レンジが出来たから、私はもうお役御免ってことね!』
「君は何を言って――」
『あぁ、そういうこと! それなら、あんなアンドロイド如きに現を抜かす理由が分かるわ! 電子レンジがある以上、私はもう用なしだものね! 貴方に都合のいいことしか言わない意思のないロボットの方が、それは遊んでいて楽しいでしょうよ。えぇ、そうじゃなくちゃ、私が玩具の人形に負けるなんてありえないもの! そう、全部あの電子レンジが悪いんだわ。私の居場所を奪ったのだから!』
彼女はまるで笑うように叫び続ける。
『そうだ、貴方、私の代わりに電子レンジと結婚すれば? だって、私の代わりに料理を作ってくれるんでしょう? それで、貴方の大好きなロボットと楽しく暮らせばいいのよ。あぁ、貴方がそんな最低な人だとは思わなかったわ。あんな玩具に執着して――』
これ以上は耐えられなかった。
私は目の前にある箱を蹴飛ばしていた。『きゃあ!』という女の悲鳴と共に、ザーと言う雑音がスピーカーから漏れ出る。私は気にせず、近くの椅子を振り上げてスピーカー部分を殴りつけた。
何度、椅子を箱にぶつけただろうか。私の肩が激しく上下する頃には、その箱はジージーというノイズ以外の何の音もたてなくなっていた。あぁ、これで静かになった。
私は時間を掛けて呼吸を落ち着かせてから、工具箱を取ってきて箱の解体を始める。葉山から聞いて、この機械の構造は熟知していた。
気づいたら、夜が明けていた。天井窓から差し込む朝日が照らすのは、箱の中に収められた、何本もの管が突き刺さる人間の脳であった。私はそれを鷲掴む。
血と名の知らぬ液体がボタボタと私の手を伝うが、気にせずにその脳を運んだ。
私は無言でそれを電子レンジに入れる。パタリと蓋を閉めれば、無理矢理管を引き千切ったせいで崩れた脳が、ベシャリと電子レンジの中に納まっている光景が見えて、私はそれを滑稽に思う。
「君は電子レンジと喚いてばかりだ……そんなに電子レンジが好きなのならば、君のいるべき場所は私の隣ではなく、ここなんじゃないかな」
私はそう呟いて、ゆっくりと指を伸ばす。
そして、私はスタートボタンを押した。
*
記憶の有無が人の同一性を決定づけるのならば、私にとっての「秋月美里」は、私と同じ日々を過ごした記憶を持つ存在ではないだろうか。
カプセルの中で眠る彼女をベッドまで運び、胸元に掛けた小さなカードを彼女の額に当てる。すると、彼女の口が急にパカリと開かれ、そこから私の知る彼女の声とは似て非なる機械音声が滑らかに流れ出た。
『アンドロイド【美里】を起動しますか』
答えはもう、決まっている。
*
ゆっくりと目を開けた彼女に、私は微笑みかけた。
「おはよう、美里」
「……あら、おはよう、貴方」
ゆっくりと体を起こした美里は不思議そうに辺りを見回す。
暫くしてから、彼女は私に向かって口を開いた。
「貴方、今はハンバーグが食べたい気分だわ」
「そうかい」
「だから昨日あなたが言った通り、今朝はハンバーグ弁当を電子レンジで温めようと思うの」
彼女の言葉に、私は苦笑した。
「すまないね。電子レンジは今、使えないんだ」
(終)
「君の方こそ、先ほどから訳の分からないことばかり喚きたてている。変わってしまったのは君じゃないか!」
先程から美里は「私らしからぬ」だの「変わってしまった」だの酷い言い様だ。まるで私が別人になったとでも言いたげであるが、若かりし頃の私と今の私は同一人物ではないのか。多少性格は変わったかもしれないが、それでも年齢だけでは私の本質――根の部分は変わらない。
ならば、美里は何をもって私を私だと定義しているのだ。三十年間の記憶の有無が、私が私である同一性を揺らがせるということか。持ち得ている記憶が当時と今で異なる私は、同一の人間であると言えないのか。
私には最早、何も分からなかった。ただ、彼女は私を責め続ける。
『要するに、貴方はもう私のことなんて大切じゃないってことでしょう!』
スピーカーが空気を大仰に揺らして音を出す。
『私の体がこんな風になったから? あぁ分かった。私が料理をしなくなったからでしょう! なんでも調理してしまう電子レンジが出来たから、私はもうお役御免ってことね!』
「君は何を言って――」
『あぁ、そういうこと! それなら、あんなアンドロイド如きに現を抜かす理由が分かるわ! 電子レンジがある以上、私はもう用なしだものね! 貴方に都合のいいことしか言わない意思のないロボットの方が、それは遊んでいて楽しいでしょうよ。えぇ、そうじゃなくちゃ、私が玩具の人形に負けるなんてありえないもの! そう、全部あの電子レンジが悪いんだわ。私の居場所を奪ったのだから!』
彼女はまるで笑うように叫び続ける。
『そうだ、貴方、私の代わりに電子レンジと結婚すれば? だって、私の代わりに料理を作ってくれるんでしょう? それで、貴方の大好きなロボットと楽しく暮らせばいいのよ。あぁ、貴方がそんな最低な人だとは思わなかったわ。あんな玩具に執着して――』
これ以上は耐えられなかった。
私は目の前にある箱を蹴飛ばしていた。『きゃあ!』という女の悲鳴と共に、ザーと言う雑音がスピーカーから漏れ出る。私は気にせず、近くの椅子を振り上げてスピーカー部分を殴りつけた。
何度、椅子を箱にぶつけただろうか。私の肩が激しく上下する頃には、その箱はジージーというノイズ以外の何の音もたてなくなっていた。あぁ、これで静かになった。
私は時間を掛けて呼吸を落ち着かせてから、工具箱を取ってきて箱の解体を始める。葉山から聞いて、この機械の構造は熟知していた。
気づいたら、夜が明けていた。天井窓から差し込む朝日が照らすのは、箱の中に収められた、何本もの管が突き刺さる人間の脳であった。私はそれを鷲掴む。
血と名の知らぬ液体がボタボタと私の手を伝うが、気にせずにその脳を運んだ。
私は無言でそれを電子レンジに入れる。パタリと蓋を閉めれば、無理矢理管を引き千切ったせいで崩れた脳が、ベシャリと電子レンジの中に納まっている光景が見えて、私はそれを滑稽に思う。
「君は電子レンジと喚いてばかりだ……そんなに電子レンジが好きなのならば、君のいるべき場所は私の隣ではなく、ここなんじゃないかな」
私はそう呟いて、ゆっくりと指を伸ばす。
そして、私はスタートボタンを押した。
*
記憶の有無が人の同一性を決定づけるのならば、私にとっての「秋月美里」は、私と同じ日々を過ごした記憶を持つ存在ではないだろうか。
カプセルの中で眠る彼女をベッドまで運び、胸元に掛けた小さなカードを彼女の額に当てる。すると、彼女の口が急にパカリと開かれ、そこから私の知る彼女の声とは似て非なる機械音声が滑らかに流れ出た。
『アンドロイド【美里】を起動しますか』
答えはもう、決まっている。
*
ゆっくりと目を開けた彼女に、私は微笑みかけた。
「おはよう、美里」
「……あら、おはよう、貴方」
ゆっくりと体を起こした美里は不思議そうに辺りを見回す。
暫くしてから、彼女は私に向かって口を開いた。
「貴方、今はハンバーグが食べたい気分だわ」
「そうかい」
「だから昨日あなたが言った通り、今朝はハンバーグ弁当を電子レンジで温めようと思うの」
彼女の言葉に、私は苦笑した。
「すまないね。電子レンジは今、使えないんだ」
(終)
0
お気に入りに追加
1
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
後宮の棘
香月みまり
キャラ文芸
蔑ろにされ婚期をのがした25歳皇女がついに輿入り!相手は敵国の禁軍将軍。冷めた姫vs堅物男のチグハグな夫婦は帝国内の騒乱に巻き込まれていく。
☆完結しました☆
スピンオフ「孤児が皇后陛下と呼ばれるまで」の進捗と合わせて番外編を不定期に公開していきます。
第13回ファンタジー大賞特別賞受賞!
ありがとうございました!!
祭りばやしは不倫の音色
瀧けんたろう
現代文学
アラフィフになる舞子には、人に言えない秘密がある。決して自分ではしないと思っていた不倫をしている。やめたいと思いながら、依存している自分。それは、相手の男にとっても同じだった。しかし、舞子の母は厳しい人で、そんなことは決して知られたくない。その母が、ガンと診断され、離婚して舞子のマンションで同居することになる。やがて母は認知症を発して、舞子のことがわからなくなってくる。悲しみが深まるある秋祭りの日に、母が長い年月、ずっと胸に秘めてきた秘密を知ることになる。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
病窓の桜
喜島 塔
現代文学
花曇りの空の下、薄桃色の桜の花が色付く季節になると、私は、千代子(ちよこ)さんと一緒に病室の窓越しに見た桜の花を思い出す。千代子さんは、もう、此岸には存在しない人だ。私が、潰瘍性大腸炎という難病で入退院を繰り返していた頃、ほんの数週間、同じ病室の隣のベッドに入院していた患者同士というだけで、特段、親しい間柄というわけではない。それでも、あの日、千代子さんが病室の窓越しの桜を眺めながら「綺麗ねえ」と紡いだ凡庸な言葉を忘れることができない。
私は、ベッドのカーテン越しに聞き知った情報を元に、退院後、千代子さんが所属している『ウグイス合唱団』の定期演奏会へと足を運んだ。だが、そこに、千代子さんの姿はなかった。
一年ほどの時が過ぎ、私は、アルバイトを始めた。忙しい日々の中、千代子さんと見た病窓の桜の記憶が薄れていった頃、私は、千代子さんの訃報を知ることになる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる