『殺戮侯爵』の婚約破棄

水瀬白龍

文字の大きさ
上 下
5 / 14
本編

第五話 真実

しおりを挟む
 僕には弟と妹が一人ずついた。弟は僕の三つ下で、妹は僕の六つ下。僕はオスカー・シェーファーという名前があったけれど、弟と妹には名前が無かった。
 二人は母の命によって幼い頃から屋敷の屋根裏部屋に閉じ込められていて、虐待を受けていた。

 僕も幼かったものだから幼少期のことはあまり覚えていない。けれど、僕自身も放置されて育ったようなものだ。一応侯爵の嫡男であったことから死なない程度には面倒を見てもらっていたはずだけれど、誰かに愛された記憶も大切にされた覚えも全く無い。両親とはほぼ顔を合わせることなどなかったし、僕に食事を与えていた使用人も僕を随分嫌っていたようだった。
 それでも僕はまだましな方だった。いつの間にか、僕には弟が出来ていた。その数年後には妹も出来ていた。
 でも、気づかぬうちに二人は屋根裏部屋に閉じ込められていた。僕は嫡男であったからまだ人間としての生活を許されていたけれど、二人は人間として生活することさえも許して貰えなかったのだ。

 僕の両親は頭が狂っていた。少なくとも僕にはそのようにしか思えなかった。母は屋敷で僕と顔を合わせても視線を合わせようともせず完全に無視し続けたし、弟と妹を屋根裏部屋に閉じ込めて己の憂さ晴らしのため虐待し続けた。母は僕を無視して、僕の弟と妹を虐待していた。父は侯爵としては優秀だったそうだけれど、父親としては失格だとしか言えないような男だった。僕達の現状を知っていながら、元凶である母に何も言うことなく傍観に徹していたのだから。
 使用人達も頭が狂っていた。頭が狂っている両親に仕えるには、頭がおかしくなければならなかったのかもしれない。僕に用意される食事は生きていくのに必要最低限なものだったし、みすぼらしい僕を陰で見下していた。僕の弟と妹のことはごみだと言って嘲笑っていた。彼らはシェーファー家の使用人だというのに僕の両親に媚を売って、僕達を蔑むだけなのだ。

 我が屋敷にいた大人たちは皆人としての心を持たない者ばかりだったため、僕が弟と妹の世話をした。でも、オスカー・シェーファーが二人の世話をしていることがばれてしまえば僕もどんな目に合わされるか分からない。母の気に入らないことをすれば、待っているのは気絶するまで与えられる折檻だ。だから僕は弟と妹が閉じ込められている屋根裏部屋に行くときは、いつも変装して使用人の格好をしていた。二人の世話をしているのが僕だとばれないように。
 二人はまともな食事を与えられていなかったから僕が二人の食事を用意した。けれど、僕自身もまともなものを貰えはていなかったため、必死に使用人達の目をかいくぐって食料を調達した。時折それがばれては惨い目にあわされたものだけれど、二人の受けている仕打ちに比べればどうってことないものだと己を奮起した。
 二人は母上に虐待されて鞭で打たれていたから、僕が二人の治療をした。僕の弟は妹を庇っていたからいつも重傷で、僕は彼が死なないように必死に薬を手に入れて治療した。妹も幼くてしょっちゅう熱を出していたから、本を読み漁って必死を治療した。
 僕は二人を守るために努力した。僕の出来たことなんて、ただ二人を死なせないことだけだったけれど。二人に人間らしいまともな生活をさせてあげることもできなかったし、二人を屋根裏部屋から出してあげることもできなかった。それでも僕は二人を両親と使用人から守ろうと、全力を尽くしていたのだ。



「しようにんのおにいさんっ、おにいさまが、おにいさまがぁ!」
 僕のことを『使用人のお兄さん』と呼ぶ妹を、僕はなだめるように頭を撫でる。
「大丈夫ですよ、私が治して見せますから」
 今日も僕の弟は妹を庇って酷い仕打ちをされたようだ。母は今回のようにふらっと屋根裏部屋にやって来ては、気まぐれに僕の弟と妹を鞭で打つ。僕の弟は全身を血だらけにして力なく屋根裏部屋の床に倒れていた。
「おにいさま、なおる?」
「えぇ、治しますよ」
 僕は名前の無い妹にそう言うが、実際のところ僕だって本当は手当の方法なんて分からないのだ。周りに隠れて本を読んで、それっぽいことをしているだけ。ただそれでも、何もしないよりはましだろう。
 僕なりに手を尽くして弟の手当てを終えれば、弟は虚ろな目で僕を見上げながら弱弱しく礼を言った。
「いつも……ありがとう、ございます」
「これが使用人である私の仕事ですから」
 掠れた声でそう言う弟に、僕はゆっくりと首を振る。そして僕は弟と妹の二人に今日の分の食事を手渡した。
「今日は立派な食事が用意できましたよ」
「わぁっ、本当だ……」
 妹は僕の持ってきた新鮮な林檎に顔を輝かせ、弟も嬉しそうな表情を浮かべる。僕もそんな二人に嬉しくなって頬を緩めた。
 これは今日、屋敷のごみ箱から見つけ出したものだ。確か、使用人の昼食に林檎が出されていたはず。今日は本当にいい物を見つけることができた。
「しっかり食べて、怪我を治してくださいね」
 僕はそう言いながら弟の口にすりつぶした林檎を流し込む。妹はその横で小さな口を大きく開けて、しゃくしゃく美味しそうに食べていた。
 こうして食事と治療を終えた後、いつも僕は二人の頭を撫でるのだ。
「また明日来ますね」
「うん、またね、しようにんのおにいさん」
「今日もご飯をありがとうございました、使用人さん」
「明日も頑張ってくださいね。必ず私が守りますから」
 別れるときにいつも言っている台詞を言えば、二人はこくんと頷いてくれる。
 僕は妹には『使用人のお兄さん』と、弟には『使用人さん』と呼ばれている。二人は僕が兄であることを知らないのだ。それどころか、物心つく前からこの屋根裏部屋に閉じ込められている二人は、自身がシェーファー侯爵の子供であることも知らないだろう。二人は何も知らない。
 でも、それでいいのだ。二人は何も知らなくていい。何か知ったところで、きっとそれは二人を傷つけることにしかならないだろうから。それに僕が兄だからってなんだ。いつも二人には自分が守るからと言っているけれど、僕はちっとも兄らしいことなんてできていないのだ。
 いつも二人にちゃんとした食事は用意してあげれないし、手当もうまくできないし、母上の虐待を止めることだって出来ないし、屋根裏部屋から逃がしてあげることも出来ない。僕はちっとも二人を守れていないのだ。守る、なんて口先だけ。僕は二人に何もしてあげられない。僕はなんて不出来な兄なんだろう。
 だから僕は二人に兄と呼んでもらえなくてもいいのだ。けれども、僕にとって二人はかけがえのない弟と妹だった。誰からも愛してもらえない僕の生きる支えなのだ。
 大丈夫、二人は必ず僕が守るから。僕はそのためだけに、生きている。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

旦那様には愛人がいますが気にしません。

りつ
恋愛
 イレーナの夫には愛人がいた。名はマリアンヌ。子どものように可愛らしい彼女のお腹にはすでに子どもまでいた。けれどイレーナは別に気にしなかった。彼女は子どもが嫌いだったから。 ※表紙は「かんたん表紙メーカー」様で作成しました。

【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?

アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。 泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。 16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。 マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。 あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に… もう…我慢しなくても良いですよね? この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。 前作の登場人物達も多数登場する予定です。 マーテルリアのイラストを変更致しました。

Crystal of Latir

ファンタジー
西暦2011年、大都市晃京に無数の悪魔が現れ 人々は混迷に覆われてしまう。 夜間の内に23区周辺は封鎖。 都内在住の高校生、神来杜聖夜は奇襲を受ける寸前 3人の同級生に助けられ、原因とされる結晶 アンジェラスクリスタルを各地で回収するよう依頼。 街を解放するために協力を頼まれた。 だが、脅威は外だけでなく、内からによる事象も顕在。 人々は人知を超えた異質なる価値に魅入られ、 呼びかけられる何処の塊に囚われてゆく。 太陽と月の交わりが訪れる暦までに。 今作品は2019年9月より執筆開始したものです。 登場する人物・団体・名称等は架空であり、 実在のものとは関係ありません。

【完結】王太子殿下が幼馴染を溺愛するので、あえて応援することにしました。

かとるり
恋愛
王太子のオースティンが愛するのは婚約者のティファニーではなく、幼馴染のリアンだった。 ティファニーは何度も傷つき、一つの結論に達する。 二人が結ばれるよう、あえて応援する、と。

だから聖女はいなくなった

澤谷弥(さわたに わたる)
ファンタジー
「聖女ラティアーナよ。君との婚約を破棄することをここに宣言する」 レオンクル王国の王太子であるキンバリーが婚約破棄を告げた相手は聖女ラティアーナである。 彼女はその婚約破棄を黙って受け入れた。さらに彼女は、新たにキンバリーと婚約したアイニスに聖女の証である首飾りを手渡すと姿を消した。 だが、ラティアーナがいなくなってから彼女のありがたみに気づいたキンバリーだが、すでにその姿はどこにもない。 キンバリーの弟であるサディアスが、兄のためにもラティアーナを探し始める。だが、彼女を探していくうちに、なぜ彼女がキンバリーとの婚約破棄を受け入れ、聖女という地位を退いたのかの理由を知る――。 ※7万字程度の中編です。

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

【商業企画進行中・取り下げ予定】さようなら、私の初恋。

ごろごろみかん。
ファンタジー
結婚式の夜、私はあなたに殺された。 彼に嫌悪されているのは知っていたけど、でも、殺されるほどだとは思っていなかった。 「誰も、お前なんか必要としていない」 最期の時に言われた言葉。彼に嫌われていても、彼にほかに愛するひとがいても、私は彼の婚約者であることをやめなかった。やめられなかった。私には責務があるから。 だけどそれも、意味のないことだったのだ。 彼に殺されて、気がつけば彼と結婚する半年前に戻っていた。 なぜ時が戻ったのかは分からない。 それでも、ひとつだけ確かなことがある。 あなたは私をいらないと言ったけど──私も、私の人生にあなたはいらない。 私は、私の生きたいように生きます。

いっとう愚かで、惨めで、哀れな末路を辿るはずだった令嬢の矜持

空月
ファンタジー
古くからの名家、貴き血を継ぐローゼンベルグ家――その末子、一人娘として生まれたカトレア・ローゼンベルグは、幼い頃からの婚約者に婚約破棄され、遠方の別荘へと療養の名目で送られた。 その道中に惨めに死ぬはずだった未来を、突然現れた『バグ』によって回避して、ただの『カトレア』として生きていく話。 ※悪役令嬢で婚約破棄物ですが、ざまぁもスッキリもありません。 ※以前投稿していた「いっとう愚かで惨めで哀れだった令嬢の果て」改稿版です。文章量が1.5倍くらいに増えています。

処理中です...