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想いの果てへ
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外を見れば雪が降っていた。地面も見渡す限り真っ白だ。今日も昨日と変わらず雪が積もっている。僕は小さな窓から純白の世界を眺めた。
ひらひらと優しく雪が舞い降りる。それは溶けることなく積もってゆく。少しずつ、少しずつ、雪は深くなってゆく。冬はいつだって真っ白だ。辺りにはこの小さな小屋以外何も建っていないので、一面に広がる雪以外何も見えない。白一色だけのこの世界を人はきっと退屈だというのだろう。それでも僕はこの光景を心の底から美しいと思っている。静寂に包まれるここは、いつだって穏やかで優しかった。
僕は暫く窓から雪を眺めていたけれど、窓の隙間から入ってくる冷気に体を震わせる。少し寒くなってきた。僕は席から立ち上がってゆっくりと暖炉へと寄った。勿論、手にテディベアを持ったまま。これは君がくれたものだから僕はいつだってこの子と共にいるのだ。テディベアをぎゅっと抱きしめながら、僕は暖炉で体を温めた。この小屋の中はいつでも暖炉に火が灯されているからとても暖かい。僕は暫く暖炉の前に座り込んでいたけれど、暖炉の炎が頼りなくゆらゆら揺れ始めたのを見て立ち上がる。薪を足さなければいけない。
ふらふらと部屋の隅から薪を持ってきて暖炉に放り込めば炎は元気を取り戻した。ぱちぱちと音を鳴らして、炎はいつものように揺らめき始める。
この小屋は町から遠く離れたところに一軒だけぽつんと立っている。住んでいたのは僕と君の二人だけ。本当は僕一人で住もうと思っていたから二人で住むには少し狭い。それと、この小屋にはテディベアが二匹いる。一つは僕ので、もう一つは君の。初めは一匹しかいなかったのだ。君が僕に買ってきた一匹だけ。けれど僕がそれに不満を持って文句を言ったらもう一匹増えた。それは君の分。今は小屋に一つだけある小さな机の、君がいつも座っていた椅子にちょこんと座っている。僕とお揃いのテディベア。もこもこした彼が行儀よく座っている姿に僕はくすりと笑った。
そろそろ食事を作る時間かな。君ももうすぐ帰ってくるだろう。僕は暖炉の前から立ち上がり台所へ向かった。
何を作ろうか。今日も雪が降っているから温かいものを作ろう。きっと君は凍えて帰ってくるだろうから。本当は君の好物を作ってあげたかったのだけれど、君は僕が作ったものであればなんでも喜んでしまうのだ。だから僕は君の好物を知らない。今だから言ってしまうけれど、何が食べたいと僕が尋ねた時に「なんでもいい」と言われるのが一番困るんだ。何を作っても美味しく食べてくれるのは嬉しいのだけれど。
そんな君との日々を思い出しながら僕が選んだ料理は何の変哲もないスープだった。雪を鍋に入れて暖炉の火で溶かす。そこに雪の中に入れて冷凍しておいた芋を放り込んで、ことことと煮た。味付けは塩。特別なことは何もしない。そもそも今具材を切らしているから大したものは作れない。けれど君はこんなスープでも、きっと喜んで食べてくれるだろう。
鍋をゆっくり火にかけている間にも雪は深くなっていく。
僕は生まれた時から右足が欠けていた。体も小さくて僕は皆から気味が悪いと言われていた。あぁ、君だけは違ったかな。僕の義足にかっこいいと目を輝かせたのも君だけ。お母さんもお父さんも気持ち悪いと言っていたのに、君はなんでそんな風に言ってくれたのだろう。僕はゆっくりしか歩けないから、皆が僕を置いていった。けれど君だけは僕と手を繋いでずっと一緒にいてくれた。体が小さくて馬鹿にされていた僕を君は抱き上げやすいと喜んでいた。でも僕は子供ではないし、何だったら君と同い年だからちっとも抱き上げられたくはないのだけれど。
君はいつも僕を子供扱いしていた。あのテディベアもそう。君が僕の誕生日に買ってきたテディベアは小さな子供が好むものだ。だから僕はせっかく君が買ってきてくれたというのに子供扱いするなと怒ったのだ。子供でもないのにテディベアを貰うだなんて、どうしても恥ずかしかったのだ。今思うと僕は君に酷いことを言ってしまった。けれど君はそんな僕にちっとも怒らないで、それどころか数日後に自分用のテディベアを買ってきた。二人で持っていたら恥ずかしくないと、君はそう言っていた。
なんでそうなるんだよ。僕はそう思ったのだけれど、いつの間にか君とお揃いのテディベアが大好きになっていた。だから僕は君がくれたテディベアを肌身離さず持ち歩いている。君もそうしていた。一人だったらそんな子供っぽいことはできなかったけれど、君がやっていたから恥ずかしくなかった。
僕と君と二匹のテディベア。僕達は決して離れなかった。
僕が君と離れようと思ったのはたった一度きり。僕が実家を出て一人暮らしを始めようとしたときだった。周りと違う見た目をしていた僕は気味悪がられてばかりで、もはや人の中で生きたいと思えなかったのだ。だから故郷から遠いところに小屋を買った。そこは冬になると雪に閉ざされる孤独な地。僕は一人で一匹のテディベアを連れてそこへ引っ越した。
そうしたら何故か君までついてきた。君も僕と同じようにテディベアを連れてこの小さな小屋にやってきたのだ。一人で暮らすのは大変だろうからと、そう言って。僕は君をこんな辺鄙な土地に連れて来るつもりなんてなかったのに、君は雪が綺麗でいい場所だと喜んで引っ越してきた。
君は僕の代わりに町へ行って食材を買ってきてくれた。重い薪も運んできて町に働きに出てお金を稼いできてくれた。
今僕が煮込んでいるスープの具材も君が買ってきてくれたものだ。僕は殆ど外に出ないからここにあるものは大抵君が買ってきてくれたもの。僕は十分煮込まれた鍋を机に置いて、用意しておいた二つの皿に注いでいく。席は二つ。一つには君のテディベアが座っていてもう片方は空席だ。
そうそう、僕は殆ど外に出ないけれど全く外に出なかった訳では無い。君は冬になると時折僕を引っ張って外に連れて行った。君は片手にテディベアを持ってもう片方の手で僕の手を掴む。僕も君に握られていない手にはテディベアを連れている。二人と二匹で僕達は雪の世界へと飛び出すのだ。
ひらひら雪が舞い散る中、君は子供の様にはしゃぎまわった。僕も君に連れられて雪の中を駆けまわった。とはいっても、歩くことさえままならない僕は殆ど君に引き摺られていただけだけれど。降り積もった雪の上に僕と君の足跡が残る。大きな足跡は君の、小さくて左右で歪な足跡は僕の。僕の右足は途中から義足の棒になっているから雪の上を歩くとずぼりと埋まってしまうのだ。僕はいつもそうやって雪に足を取られて雪の上に倒れ込んでしまう。積もり続ける雪は柔らかくて、僕はどんどん下へ下へと沈んでいくのだ。君はそんな僕に手を伸ばして、僕を雪の中から起こしてくれる。そうして僕達は雪まみれになりながらいつも笑いあっていた。
どうして君は子供でもないのに雪遊びが好きだったのだろう。小屋の中は暖炉に火が炊かれていて暖かいのに君は雪の中に駆け出してははしゃいでいた。僕も君に連れていかれて一緒に遊ぶ。そういえば僕は君と手を繋いでもらわないと一歩も小屋の外に出なかった。だから君は僕の手を引いて外へ連れ出していたのかな。
それならあの時も僕を連れて行ってくれたらよかったのに。
どうして君は僕を連れて行ってくれなかったの。僕は君が手を差し出してくれないと外へ行けないんだ。歩くのも下手で、体も小さくて、僕は君が手を引いてくれないと小屋から外へ飛び出せないんだ。ねぇ、どうして君は僕を連れて行ってくれなかったの。どうして君だけが連れていかれたの。見知らぬ男が一枚の紙を持って小屋を訪ねてきた時、君だけが連れていかれて僕は小屋に残された。
右足がなくて義足だから? 体が小さくて弱いから? 一人ではうまく歩けないから? 体が丈夫で健康で若い男だった君だけが連れていかれてしまった。ねぇ、どうして僕は連れて行ってくれないの。君が僕の手を握ってくれたら僕はどこへだって行くのに。
それなのに君は僕を置いていった。君は連れていかれる前に保存がきく食材をたくさん町へ行って買ってきて、たくさん薪を持ってきた。そんなにいらないよ。僕はそう言ったのに君は小屋が埋まるんじゃあないかという程大量に薪を用意したのだ。
これがないと寒いだろ。
君はそう言って部屋を薪だらけにした。
いらない。そんなものはいらない。寒くてもいい。食材もそんな多く食べきれない。何も欲しくない。僕はそう言ったのに、君は僕の言うことを聞いてくれなかった。
そして君は肌身離さず持ち歩いていたテディベアを置いて、代わりに銃を片手に出て行った。
必ず生きて帰ってくるから、待っていて。そう言って君は雪の中に消えていった。
だからこの小屋には君のテディベアが座っている。行儀よく、君がいつも座っていた席に。君の代わりにこの子はいい子で座っているのだ。僕も君を待っている。自分のテディベアを抱きしめながら、ずっとずっと待っている。
ねぇ、僕は後どれだけ待てばいいの? いつになったら君は戻ってきてくれる? 僕は君が帰ってきたときのために、暖炉に火を灯して部屋を暖かくしているんだ。君がお腹を空かせて帰ってきたときのために、食事を作って待っている。君は雪に降られて凍えて帰ってくるだろうからいつも作るのは温かい料理。だからいつでも帰って来ていいんだよ。
僕はスープを二人分注いで鍋を台所に戻す。そして自分のテディベアの右足を引きちぎった。引きちぎった右足は暖炉に放り込んで、片足だけになったテディベアをいつも僕が座っている席に置く。その子はいい子に座ってくれた。
上着を着た。君が僕のために買ってくれたもの。僕はぎこちなく歩いて君が出て行った玄関の扉を開ける。その瞬間、外の冷気が部屋に吹き込んだ。僕は外に出て開かれたままの扉から小屋の中を見つめる。
小さな机の上には温かい食事。そして二匹のテディベアが向かい合って座っていた。
最後の薪が燃える暖かい部屋の中、かつての君と僕のように。
僕はぱたりと扉を閉ざした。
外は雪が降っていた。ひらひら空から雪が舞い踊る。大地に降り積もった雪は一切の汚れがなく真っ白で、そこに空から舞う雪がまた積もってゆく。静寂に包まれた純白の世界。僕は初めて一人で外へと飛び出した。
左足で踏み出す。義足である右足は雪に埋もれていった。再び左足を踏み出す。義足である右足がまた沈んでゆく。その前に左足を。僕はよろけながら、それでも一歩一歩進んでいった。小さな体で歩き続ける。雪が頭に積もっていった。けれどそんなことは気にしない。僕は小屋を飛び出して君を追いかけるのだ。
君は僕を連れて行ってくれなかった。だから僕が君に会いに行く。右足が欠けていても、体が小さくても、僕は前へ進めるのだ。僕は君のそばにいられるのだ。君が手を差し伸べなくたって僕は一人で歩けるのだ。君を追いかけることが出来るのだ。
僕は雪の中を進む。どんなに遅くとも確かに前へ進んでいく。だから、ねぇ、お願い。僕を置いて行かないで。僕を連れて行って。雪が舞い散る中、僕は必死に歩いた。小屋からここまで左右非対称の足跡が続いているのだろう。けれど僕は決して振り向かない。僕は二度とあの小屋へは戻らない。僕は君の元へ行くのだから。
右足が深く雪に突き刺さって僕は体勢を崩した。降り積もる雪の中、僕はその場に倒れ込む。
新しく積もり続ける雪は柔らかかった。僕は雪の中に沈んでゆく。下へ下へと僕は埋もれていく。視界が純白に染まった。
起き上がらないと。僕はそう思うのに動けなかった。雪が僕の全身に纏わりつき、体があまりにも重い。雪が僕を呑み込み、倒れ込んだままの僕にひらひらと雪が積もっていく。雪が僕を包み込む。
どこからか、笑い声が聞こえてきた。
『あーあ、また転んだのかよ!』
僕はその声にはっと顔を上げる。そこには君が笑って立っていた。
『ほら』
君は僕に手を差し出す。いつものように、君は大きな手を僕の前に差し出すのだ。
僕はその手を取った。君に力強く引き上げられれば、今まで雪の中で倒れていたことが嘘のように僕はすんなり立ち上がれた。君は僕を見て笑い転げている。
『お前、雪まみれだな!』
僕も君を見て笑ってしまった。
『君だって、雪まみれだよ』
僕達は手を繋いで笑いあった。空から雪が舞い落ちて僕達は雪の色に染まってゆく。
『ねぇ、僕を連れて行ってくれる?』
僕が君にそう尋ねれば君は僕の手をぎゅっと握り返してくれた。
『あぁ、一緒に行こう』
僕達は雪の世界を駆け出した。
体が軽かった。どこまでも走って行ける気がした。だって君が僕の手を引いてくれるから。だから僕はどこへだって行ける。もう二度と置いて行かれなんてしない。あぁ、なんて体が軽いのだろう。今ならどんなに遠くにだって行ける。僕達は二人で笑いあいながら走り続ける。
手を繋いで走る僕達の上に雪だけが静かに積もっていった。
(終)
ひらひらと優しく雪が舞い降りる。それは溶けることなく積もってゆく。少しずつ、少しずつ、雪は深くなってゆく。冬はいつだって真っ白だ。辺りにはこの小さな小屋以外何も建っていないので、一面に広がる雪以外何も見えない。白一色だけのこの世界を人はきっと退屈だというのだろう。それでも僕はこの光景を心の底から美しいと思っている。静寂に包まれるここは、いつだって穏やかで優しかった。
僕は暫く窓から雪を眺めていたけれど、窓の隙間から入ってくる冷気に体を震わせる。少し寒くなってきた。僕は席から立ち上がってゆっくりと暖炉へと寄った。勿論、手にテディベアを持ったまま。これは君がくれたものだから僕はいつだってこの子と共にいるのだ。テディベアをぎゅっと抱きしめながら、僕は暖炉で体を温めた。この小屋の中はいつでも暖炉に火が灯されているからとても暖かい。僕は暫く暖炉の前に座り込んでいたけれど、暖炉の炎が頼りなくゆらゆら揺れ始めたのを見て立ち上がる。薪を足さなければいけない。
ふらふらと部屋の隅から薪を持ってきて暖炉に放り込めば炎は元気を取り戻した。ぱちぱちと音を鳴らして、炎はいつものように揺らめき始める。
この小屋は町から遠く離れたところに一軒だけぽつんと立っている。住んでいたのは僕と君の二人だけ。本当は僕一人で住もうと思っていたから二人で住むには少し狭い。それと、この小屋にはテディベアが二匹いる。一つは僕ので、もう一つは君の。初めは一匹しかいなかったのだ。君が僕に買ってきた一匹だけ。けれど僕がそれに不満を持って文句を言ったらもう一匹増えた。それは君の分。今は小屋に一つだけある小さな机の、君がいつも座っていた椅子にちょこんと座っている。僕とお揃いのテディベア。もこもこした彼が行儀よく座っている姿に僕はくすりと笑った。
そろそろ食事を作る時間かな。君ももうすぐ帰ってくるだろう。僕は暖炉の前から立ち上がり台所へ向かった。
何を作ろうか。今日も雪が降っているから温かいものを作ろう。きっと君は凍えて帰ってくるだろうから。本当は君の好物を作ってあげたかったのだけれど、君は僕が作ったものであればなんでも喜んでしまうのだ。だから僕は君の好物を知らない。今だから言ってしまうけれど、何が食べたいと僕が尋ねた時に「なんでもいい」と言われるのが一番困るんだ。何を作っても美味しく食べてくれるのは嬉しいのだけれど。
そんな君との日々を思い出しながら僕が選んだ料理は何の変哲もないスープだった。雪を鍋に入れて暖炉の火で溶かす。そこに雪の中に入れて冷凍しておいた芋を放り込んで、ことことと煮た。味付けは塩。特別なことは何もしない。そもそも今具材を切らしているから大したものは作れない。けれど君はこんなスープでも、きっと喜んで食べてくれるだろう。
鍋をゆっくり火にかけている間にも雪は深くなっていく。
僕は生まれた時から右足が欠けていた。体も小さくて僕は皆から気味が悪いと言われていた。あぁ、君だけは違ったかな。僕の義足にかっこいいと目を輝かせたのも君だけ。お母さんもお父さんも気持ち悪いと言っていたのに、君はなんでそんな風に言ってくれたのだろう。僕はゆっくりしか歩けないから、皆が僕を置いていった。けれど君だけは僕と手を繋いでずっと一緒にいてくれた。体が小さくて馬鹿にされていた僕を君は抱き上げやすいと喜んでいた。でも僕は子供ではないし、何だったら君と同い年だからちっとも抱き上げられたくはないのだけれど。
君はいつも僕を子供扱いしていた。あのテディベアもそう。君が僕の誕生日に買ってきたテディベアは小さな子供が好むものだ。だから僕はせっかく君が買ってきてくれたというのに子供扱いするなと怒ったのだ。子供でもないのにテディベアを貰うだなんて、どうしても恥ずかしかったのだ。今思うと僕は君に酷いことを言ってしまった。けれど君はそんな僕にちっとも怒らないで、それどころか数日後に自分用のテディベアを買ってきた。二人で持っていたら恥ずかしくないと、君はそう言っていた。
なんでそうなるんだよ。僕はそう思ったのだけれど、いつの間にか君とお揃いのテディベアが大好きになっていた。だから僕は君がくれたテディベアを肌身離さず持ち歩いている。君もそうしていた。一人だったらそんな子供っぽいことはできなかったけれど、君がやっていたから恥ずかしくなかった。
僕と君と二匹のテディベア。僕達は決して離れなかった。
僕が君と離れようと思ったのはたった一度きり。僕が実家を出て一人暮らしを始めようとしたときだった。周りと違う見た目をしていた僕は気味悪がられてばかりで、もはや人の中で生きたいと思えなかったのだ。だから故郷から遠いところに小屋を買った。そこは冬になると雪に閉ざされる孤独な地。僕は一人で一匹のテディベアを連れてそこへ引っ越した。
そうしたら何故か君までついてきた。君も僕と同じようにテディベアを連れてこの小さな小屋にやってきたのだ。一人で暮らすのは大変だろうからと、そう言って。僕は君をこんな辺鄙な土地に連れて来るつもりなんてなかったのに、君は雪が綺麗でいい場所だと喜んで引っ越してきた。
君は僕の代わりに町へ行って食材を買ってきてくれた。重い薪も運んできて町に働きに出てお金を稼いできてくれた。
今僕が煮込んでいるスープの具材も君が買ってきてくれたものだ。僕は殆ど外に出ないからここにあるものは大抵君が買ってきてくれたもの。僕は十分煮込まれた鍋を机に置いて、用意しておいた二つの皿に注いでいく。席は二つ。一つには君のテディベアが座っていてもう片方は空席だ。
そうそう、僕は殆ど外に出ないけれど全く外に出なかった訳では無い。君は冬になると時折僕を引っ張って外に連れて行った。君は片手にテディベアを持ってもう片方の手で僕の手を掴む。僕も君に握られていない手にはテディベアを連れている。二人と二匹で僕達は雪の世界へと飛び出すのだ。
ひらひら雪が舞い散る中、君は子供の様にはしゃぎまわった。僕も君に連れられて雪の中を駆けまわった。とはいっても、歩くことさえままならない僕は殆ど君に引き摺られていただけだけれど。降り積もった雪の上に僕と君の足跡が残る。大きな足跡は君の、小さくて左右で歪な足跡は僕の。僕の右足は途中から義足の棒になっているから雪の上を歩くとずぼりと埋まってしまうのだ。僕はいつもそうやって雪に足を取られて雪の上に倒れ込んでしまう。積もり続ける雪は柔らかくて、僕はどんどん下へ下へと沈んでいくのだ。君はそんな僕に手を伸ばして、僕を雪の中から起こしてくれる。そうして僕達は雪まみれになりながらいつも笑いあっていた。
どうして君は子供でもないのに雪遊びが好きだったのだろう。小屋の中は暖炉に火が炊かれていて暖かいのに君は雪の中に駆け出してははしゃいでいた。僕も君に連れていかれて一緒に遊ぶ。そういえば僕は君と手を繋いでもらわないと一歩も小屋の外に出なかった。だから君は僕の手を引いて外へ連れ出していたのかな。
それならあの時も僕を連れて行ってくれたらよかったのに。
どうして君は僕を連れて行ってくれなかったの。僕は君が手を差し出してくれないと外へ行けないんだ。歩くのも下手で、体も小さくて、僕は君が手を引いてくれないと小屋から外へ飛び出せないんだ。ねぇ、どうして君は僕を連れて行ってくれなかったの。どうして君だけが連れていかれたの。見知らぬ男が一枚の紙を持って小屋を訪ねてきた時、君だけが連れていかれて僕は小屋に残された。
右足がなくて義足だから? 体が小さくて弱いから? 一人ではうまく歩けないから? 体が丈夫で健康で若い男だった君だけが連れていかれてしまった。ねぇ、どうして僕は連れて行ってくれないの。君が僕の手を握ってくれたら僕はどこへだって行くのに。
それなのに君は僕を置いていった。君は連れていかれる前に保存がきく食材をたくさん町へ行って買ってきて、たくさん薪を持ってきた。そんなにいらないよ。僕はそう言ったのに君は小屋が埋まるんじゃあないかという程大量に薪を用意したのだ。
これがないと寒いだろ。
君はそう言って部屋を薪だらけにした。
いらない。そんなものはいらない。寒くてもいい。食材もそんな多く食べきれない。何も欲しくない。僕はそう言ったのに、君は僕の言うことを聞いてくれなかった。
そして君は肌身離さず持ち歩いていたテディベアを置いて、代わりに銃を片手に出て行った。
必ず生きて帰ってくるから、待っていて。そう言って君は雪の中に消えていった。
だからこの小屋には君のテディベアが座っている。行儀よく、君がいつも座っていた席に。君の代わりにこの子はいい子で座っているのだ。僕も君を待っている。自分のテディベアを抱きしめながら、ずっとずっと待っている。
ねぇ、僕は後どれだけ待てばいいの? いつになったら君は戻ってきてくれる? 僕は君が帰ってきたときのために、暖炉に火を灯して部屋を暖かくしているんだ。君がお腹を空かせて帰ってきたときのために、食事を作って待っている。君は雪に降られて凍えて帰ってくるだろうからいつも作るのは温かい料理。だからいつでも帰って来ていいんだよ。
僕はスープを二人分注いで鍋を台所に戻す。そして自分のテディベアの右足を引きちぎった。引きちぎった右足は暖炉に放り込んで、片足だけになったテディベアをいつも僕が座っている席に置く。その子はいい子に座ってくれた。
上着を着た。君が僕のために買ってくれたもの。僕はぎこちなく歩いて君が出て行った玄関の扉を開ける。その瞬間、外の冷気が部屋に吹き込んだ。僕は外に出て開かれたままの扉から小屋の中を見つめる。
小さな机の上には温かい食事。そして二匹のテディベアが向かい合って座っていた。
最後の薪が燃える暖かい部屋の中、かつての君と僕のように。
僕はぱたりと扉を閉ざした。
外は雪が降っていた。ひらひら空から雪が舞い踊る。大地に降り積もった雪は一切の汚れがなく真っ白で、そこに空から舞う雪がまた積もってゆく。静寂に包まれた純白の世界。僕は初めて一人で外へと飛び出した。
左足で踏み出す。義足である右足は雪に埋もれていった。再び左足を踏み出す。義足である右足がまた沈んでゆく。その前に左足を。僕はよろけながら、それでも一歩一歩進んでいった。小さな体で歩き続ける。雪が頭に積もっていった。けれどそんなことは気にしない。僕は小屋を飛び出して君を追いかけるのだ。
君は僕を連れて行ってくれなかった。だから僕が君に会いに行く。右足が欠けていても、体が小さくても、僕は前へ進めるのだ。僕は君のそばにいられるのだ。君が手を差し伸べなくたって僕は一人で歩けるのだ。君を追いかけることが出来るのだ。
僕は雪の中を進む。どんなに遅くとも確かに前へ進んでいく。だから、ねぇ、お願い。僕を置いて行かないで。僕を連れて行って。雪が舞い散る中、僕は必死に歩いた。小屋からここまで左右非対称の足跡が続いているのだろう。けれど僕は決して振り向かない。僕は二度とあの小屋へは戻らない。僕は君の元へ行くのだから。
右足が深く雪に突き刺さって僕は体勢を崩した。降り積もる雪の中、僕はその場に倒れ込む。
新しく積もり続ける雪は柔らかかった。僕は雪の中に沈んでゆく。下へ下へと僕は埋もれていく。視界が純白に染まった。
起き上がらないと。僕はそう思うのに動けなかった。雪が僕の全身に纏わりつき、体があまりにも重い。雪が僕を呑み込み、倒れ込んだままの僕にひらひらと雪が積もっていく。雪が僕を包み込む。
どこからか、笑い声が聞こえてきた。
『あーあ、また転んだのかよ!』
僕はその声にはっと顔を上げる。そこには君が笑って立っていた。
『ほら』
君は僕に手を差し出す。いつものように、君は大きな手を僕の前に差し出すのだ。
僕はその手を取った。君に力強く引き上げられれば、今まで雪の中で倒れていたことが嘘のように僕はすんなり立ち上がれた。君は僕を見て笑い転げている。
『お前、雪まみれだな!』
僕も君を見て笑ってしまった。
『君だって、雪まみれだよ』
僕達は手を繋いで笑いあった。空から雪が舞い落ちて僕達は雪の色に染まってゆく。
『ねぇ、僕を連れて行ってくれる?』
僕が君にそう尋ねれば君は僕の手をぎゅっと握り返してくれた。
『あぁ、一緒に行こう』
僕達は雪の世界を駆け出した。
体が軽かった。どこまでも走って行ける気がした。だって君が僕の手を引いてくれるから。だから僕はどこへだって行ける。もう二度と置いて行かれなんてしない。あぁ、なんて体が軽いのだろう。今ならどんなに遠くにだって行ける。僕達は二人で笑いあいながら走り続ける。
手を繋いで走る僕達の上に雪だけが静かに積もっていった。
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