水瀬白龍

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 貴方は行きつけの喫茶店で、いつものコーヒーを飲んでいる。なかなか他でみない上等の物で、貴方は大層これが気に入っているのだ。ただ、今日はそんなコーヒーの味より、別に気になるものがあるようだ。はらりと、どこからか風に吹かれて新聞の一枚が飛んできた。これは何だとちょっとした好奇心で、貴方はそれに手を伸ばす。レアチーズケーキを頬張りながら、その新聞に目を通してみた。おぉ、何ということだろう。どういうことかと、貴方は突然目を見開いた。うめき、そして顔をしかめてしまう。思ったより、それは壮絶な記事だったのだ。もう、コーヒーの香りもレアチーズケーキの甘さもどうだって良くなった。浮かない顔で、貴方は新聞を畳んだ。

 ***

『うん、いい天気だ』と、牛は言った。
「うん、ぽかぽかであたたかい!」と少女は言った。

「ねぇ、牛さんもあたたかいと嬉しいの?」
『勿論さ、私はいつも外に繋がれているからね。あたたかいと、気持ちいいんだ』

 牛は大きく欠伸をした。牛は少女の家で飼われていた。少女は人間の男と女の間に生まれた人間の子供だったが、その牛と話すことが出来た。最も、彼女の両親は、そんなこと信じちゃあいないが。

「あ、そうだ。これ今日のご飯!」
『おぉ、ありがたい』

 牛用の餌を少女が牛の前に置くと、牛はすぐにそれをもぐもぐと食べ始める。口で咀嚼しながら、少女と牛はいつものように話し始めた。

「ねぇ、牛さん」
『なんだい』
「昨日ね、友達と喧嘩しちゃったの」
『そうかい』
「もう、友達やめるって言われたの! 酷くないかしら!」
『酷いねぇ』
「でも、私には牛さんがいるものね。だからいいいの。牛さんは私と友達のままでいてくれるものね?」
『勿論だとも。あぁでも、そのお友達さんとは仲直りしてきなさい』
「え、なんで? 私は悪くないわ!」
『いいからいいから、友達はたくさんいた方がいいからね、大丈夫、うまくいかなくたって、私がずっと君の親友さ。気楽にいっておいで』
「うーん、牛さんがそう言うのなら」
『そうだ、そのいきだ』

 もぐもぐ口を動かしながら、牛は言った。少女は浮かない顔でも、「分かったわ」と返す。



 次の日、また一人と一匹は話していた。

「仲直りできたわ!」
『うんうん、それは良かった』
「牛さん、ありがとう! 大好きよ」
『ありがとう、まぁ礼には及ばないさ。君が友達とまた楽しく遊べるなら、私も嬉しいからね』
「そうなの?」
『そうさ、友達が嬉しいと君も嬉しくなるだろう?』
「そっか、そうだね、牛さん!」
『そうさ』
「じゃあ、私も牛さんが喜んでくれて、とっても嬉しいわ」
『なんだか堂々巡りをしているような気がするが、君が嬉しいなら私も嬉しいよ』
「じゃあ、じゃあ私も牛さんが喜んでくれて、とってもとっても嬉しいわ!」

 その後暫く、牛と少女は同じ会話を続け、牛は楽しそうに欠伸をした。



 また次の日。

「ママが今日お買い物に連れて行ってくれるって!」
『君を?』
「そう、とっても楽しみ! そうだ、お土産は何がいい?」
『でも、君のママは私のためにお土産を買うことを許すのかい?』
「うーん、ママは、パパもだけれど私が牛さんと話せることを信じていないものね。買ってくれるかしら」
『それじゃあ、今日帰ってきたら、お買い物でのことを話してくれるかい? 私は庭に繋がれているから、ここの外には行けないからね』
「じゃあ、牛さんは退屈?」
『そんなことはないさ』

 牛は眠そうに言う。

『私のお友達が、私と話をしてくれるからね』
「そっか!」

 少女は笑う。

『さぁ、ママが待っているよ。行ってきなさい』
「うん!」

 少女は牛に促されて、走って家の方へと向かっていった。牛はつまらなさそうに目を閉じた。



 そして次の日、牛は笑顔を浮かべた少女が、自分の所へ話に来るのを待っていた。しかし、その日少女は来なかった。来たのは彼女の父親で、無言で餌を放って家へ戻っていくだけだった。
 また次の日も、牛は彼女を待ったが、今度は彼女の母親しか来なかった。毎日会いに来てくれていた少女が二日も来ないとはどうしたのだろうかと、牛は考える。話し相手がいなくて少々退屈だ。そう思ったが、繋がれている牛は何もすることがないので、ただ欠伸をするだけだった。

 さらにその次の日、やっと彼女は牛に会いに来た。しかし、彼女は泣いていた。

『おや、どうしたんだい』
「あのね、牛さんあのね」

 少女は泣きながら答えた。

「ママとパパが牛さんのこと、明日食べるって!」
『なんだ、そんなことか』
「え?」

 少女はぽろぽろ泣きながら、牛をぎょっとみる。

「殺されちゃうんだよ! ママとパパが、私の友達を殺すって……牛さん、死んでしまうのよ!」
『そんなこと、ずっと前から知っていたさ』

 欠伸をしながら牛はつまらなさそうに答える。

『ママとパパが、君の友達相手を作るために私を買ったと思っていたのかい?』
「それは!」
『私を食べるためさ。食べて消化して、排泄するためさ。皮は剥いで何かに使うかもしれないけれどね。ともかく、私は君と、君のママとパパに殺され、食われるのさ。ずっと前から知っていたことだ。それが明日だとは思わなかったけれどね』
「そ、そんな……牛さんは嫌じゃないの!」
『嫌?』
「だって殺されてしまうのよ! 食べられてしまうのよ! 私は嫌よ、ママとパパに私の友達を食べないでって、殺さないでって、泣いて頼んでも聞いてくれないの! 嫌よ牛さん、死んでしまうなんて!」
『どうせ、生き物は皆死ぬのさ。私はそれがちょっと早かっただけ。どうってことないことさ』

 そう言って牛はまた欠伸をする。少女はわんわん泣き叫んだ。

 その夜、少女は自室のベッドの上で寝ころんでいた。手をぎゅっと胸元で握り絞め、そしてぎゅっと眼を瞑って祈る。
 神様、どうか私の大好きな友達を助けてください。
 祈って、祈って、祈って、祈って、祈って、祈って、祈って、祈って、泣きながら祈って、そして――願いは叶えられた。

 次の朝、牛は全身の違和感と共に目覚めた。――なんだ? 体に違和感がある。体を起こして見ると、牛は人間であった。――夢か? 牛も夢は見る。牛は見知らぬ部屋を人間の足で出た。その足で階段を下りて、下りたそこには見知らぬ部屋があり、扉を開ければ少女の両親がいた。二人は机に座っていた。
「おはよう」と母親の方が言い、父親の方も「おはよう」と言った。妙な夢だ、と思いながらも、牛は机に座る。
 そこには、朝食が用意されていた。朝食らしいパンと、それに挟むための肉が置いてあった。少女になった牛は肉をフォークで刺して、口に運ぶ。それは牛の肉であった。

「ずっと牛さんを食べないでって言っていたけれど、美味しいでしょう?」

 母がにこやかに言う。牛は目を見開いた。

「そうだぞ、ちゃんと牛さんにありがとうって感謝をして、美味しく食べてあげるんだ。そうして君が喜んだら、牛さんも喜ぶだろう。大切に食べなさい」

 父親が朗らかに笑った。

「でも良かったわ。この子、食べてくれないかと思ったから」
「美味しく食べて感謝するという食事の大切さが分かったんだろう」
「本当に良かったわ」
「だから、心配損だと言っただろう?」
「美味しく食べてあげるのよ。大切に食べなさいね」
「でも昨夜は珍しく暴れていたよなぁ。あの牛、殺されるのが分かっていたのかな」

 父親は小さく呟く。少女になった牛は水の入ったコップを震える手で掴んで覗き込んだ。そこに映っていたのは、あの友達の少女だった。これは夢か、夢なのか。
 珍しく暴れた牛。少女になった牛。――では、少女はどこに行ったのか。少女になった牛は、両親を呆然と見た。二人とも肉とパンを食べている。

「おいしいな」
「おいしいわね」

 そして、刻まれた牛の肉を見下ろした。
 少女はどこへ行ったのか。少女になった牛は、口の中の肉をごくりと呑み込んだ。そして、ゆらりと立ち上がる。

「あら、どうしたの?」

 母親が優しくこちらを見上げてくるが、無視をして少女になった牛は台所らしき場所へと向かった。棚をぱたぱたと開けて、何かを探し始める。

「あぁ、調味料なら右から三つ目に入っているよ」

 と、父親は言ったが、それも無視した。少女になった牛は、やっと目当ての物を見つける。
 包丁だ。
 牛はふらりと机へと戻る。そして――まず、母親の首をそれで斬り割いた。すぐに母親はがくんと崩れ落ちる。血がびしゃっと部屋を染め上げた。噴き上げられる血はまるで噴水の様だ。

「あぁ、なんで!」

 父親が突然の幼い娘の奇行にぎょっとして目を見開いて立ち上がるが、その丸々と太った腹に、少女になった牛はぶすりと刃を押し込む。ぎゃああと、父親の叫び声が響き渡った。大層うるさかったため、もだえ苦しむ父親の首に母親と同じく刃を押し込むと、また噴水が吹き上がり、やがてその場は静かになる。
 少女になった牛は、座って殺したばかりの男の腹を包丁でくりぬいた。今度はその肉をわざわざフォークで貫いて、自分の口に肉を入れた。噛んで呑み込む。まずかった。また食べた。心の底からまずかった。次は母親の顔を抉って食べた。まだこっちの方がまともな味だった。けれど、少女になった牛は、両親の言葉を思い出す。――おいしく食べてあげるんだ。そうしたら、喜ぶだろう。
 だから、少女になった牛は言った。

「おいしいな」

 これで、嬉しいかい?

「あぁ、そういえば先程、なんでと私に聞いただろう」

 と、父親の方を見下ろす。まずい肉を、まだ牛だった時のようにもくもぐ咀嚼しながら言った。

「君たちが食べて殺したのは、君たちの娘だろう?」

 だから、私が君たちを食べてあげてもいいだろう。少女と牛は、入れ替わった。ただそれだけだった。

「あぁ、何ておいしいんだろう」

 さもおいしそうに、彼女は言う。
 どうせ生き物は皆死ぬのさ。私はそれがちょっとばかり早かっただけ。どうってことないことさ。確かにいつか、そう言った。しかし、牛になった少女は殺されるとき、暴れていたという。「あぁ……」と牛は声を漏らした。
 血の海の中、少女になった牛は、血で濡れた天井をじっと見上げる。

「言わなきゃ、良かったな」

 そう言って、少女になった牛はまた両親の肉を食べ始める。やがて一つ、彼女は大きく欠伸をした。



『七歳の少女、両親を食い殺す』
 そんな記事が数日後、新聞の一ページを飾った。

 (終)

 お時間のある方は、一行目から***の前までの文章の頭文字をそれぞれ一文字ずつ読んでみてください。貴方への問いかけが含まれています。
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