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第五話 理性を失った獣
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「物証だ。子供の惨殺死体と共にホルスト卿の地下室から見つかった物といえば分かるかな」
冷静に発せられた低い警官の声。俺は我を失ったように車から飛び降り、誰かにそれを見られるまいと鋸へと駆け寄った。
「それを寄こせェ――!」
鋸を前にへたり込む孤児院出身の女を躊躇なく突き飛ばし、俺は明らかに使い古された凶器へ手を伸ばす。その瞬間、俺を取り囲んでいた別の警官の一人が、俺を背後から羽交い締めにした。俺はそれに暴れる。「離せ、この無礼者が!」と喚きながら手足を振り回した。顔を赤く染めた俺の姿を眼前に見る羽目になったその女は、蒼白になりながら全身を震わせた。
「ひどい」
女が俺を見て茫然と呟く。それを皮切りにあちこちから混乱の声が囁かれ始める。
「ホルスト卿はどうしてしまったのだ」
「あの鋸は本当に卿の持ち物なのか」
「あれではまるで狂人ではないか」
「迷いなく女を突き飛ばしたぞ」
「助けを求める者に快く手を伸ばし、貧しい者に寄付をする卿はどこへ行ってしまったのか」
その言葉を捕らえた野太い声の警官は諭すように言った。
「そこの紳士よ、今、寄付と言ったか? しかし、その金ですら、この男が非道な方法で稼いだもののほんの一部でしかないのだぞ」
「いい加減なことを言うなァ!」
俺が入れた合いの手に警官は笑う。彼は拘束された俺のそばまで歩み寄ると、俺が身に着けている幾つもの宝石のうちの一つをピンと弾いてみせた。
「この大粒の宝石は? この特注品に見える高級車は? 莫大な金の掛けられた貴様の巨大な豪邸と豪勢な暮らしは? その元手は民から奪った財と、麻薬取引と、あぁ、そういえば、貴様と嗜虐嗜好を共有するお仲間へ孤児を売りつけ、金を稼いでいたという報告もあったな。つまり人身売買か。それだけではなく、悪質極まりない様々な詐欺行為を行っていたことも判明している。――さぁ、民よ、今こそ断罪の時であるッ」
警官は車の前に立ち、高らかに告げた。
「この男は人前では聖人君子のふりをしていたが、その実、裏では慈善家だと崇め奉られることで悦に浸り、皆を見下し、皆の血税を不当に強奪し、それを己の私財とし、そして何よりも、女を強姦し子供を甚振ることを快楽とする狂人である!」
「適当なことを言うな、今すぐその薄汚い口を閉ざせッ!」
俺は、この警官が俺に向ける見当違いの暴論に唾を撒き散らしながら反論するが、警官は俺の方を見向きもしない。
「皆の者、この姿を見てもなお、この男を庇い立てするというのか!」
「ふざけるなァ!」
もはや当初の穏やかな表情を醜く歪めて狂気に満ちた表情で警官に噛みつく俺の姿に、ついに孤児院出身の女が地面に転がった石を投げた。
「この裏切り者!」
そう叫んだ女は滂沱の涙を流して絶叫した。
「私は信じていたのに! お優しい方だと信じていたというのにッ――よくも騙したな!」
俺に突き飛ばされたまま地面に座り込んだ女は髪を振り乱しながら叫んだ。俺はその様子を血走った眼球にキリリと映しながら罵声を飛ばす。
「庶民風情が無礼だぞ! この私に暴言を吐き、あまつさえ石を投げ捨てるとはッ。今すぐそこに平伏して懺悔せよ。這いつくばり、私に許しを乞うがよい!」
この言葉に警官が「ハッ、それが貴様の本性か」と顔を歪めて愉快そうに笑う。俺は歯を剥きだしにして唸った。
「おい、どいつもこいつも、何故私を助けようとしない! 昔施してやった恩を忘れた恩知らずが!」
俺の言い分に顔を見合わせ始めるが、しかし次の行動に移ろうとしない無能な民衆に俺は畳みかけた。
「結局、庶民など低能な獣風情に過ぎないということか。あぁ、そうだったなァ、確かに思い返せば貴様らなど、私がほんの少しでも優しい言葉をかけてやれば、喜んで尻尾を振る犬の様で、有り余る金のほんの僅かを気紛れに投げ捨ててやれば、地に這いつくばって金を拾い集める猿の様であったな。ハハ、貴様らに期待した私が愚かだった。まさにこれこそ、このホルストの人生唯一の汚点と言えよう!」
――あぁ、楽しい、楽しい。感情のまま憎悪をぶつけることのなんと痛快なことか。俺は心の底から喝采しながら民衆を愚弄し、己の中に渦を巻く憎しみを吐き散らす。足りない、それでもなお、俺を心地よく満たすには足りないのだ。俺へと向けられる視線が混乱から激しい怒気へと変化してゆく観客の愚劣さへ万歳、皆の有様が滑稽だと笑う。
「あぁ、惨めで哀れな民よ、餌を放る人間に喜んで擦り寄る家畜のような無様な姿を再び晒すがいい! そうすればこの私を侮辱した罪を寛大にも許そうではないか!」
「惨めで哀れなのはどちらかな」
警官がニィと口元を釣り上げた。憤怒を浮かべる民衆に向き直り、彼は堂々と両手を広げて語り掛ける。
「我が愛する民達よ、こうして捕らえられてもなお、獣のように暴れ狂う男の姿を忘れてはならない。この男の極悪非道な所業の全てを決して忘れてはならないのだ。そして我々の捜査の結果判明した全ての罪を鑑みて、ここに今、彼に下される処罰を発表しよう」
さながら舞台俳優の如く己が注目されている状況に悦に浸る警官を、己の感情のまま殴りつけたかったが、その直前で俺は思いとどまる。歯ぎしりを始めた俺をよそに、警官は高らかに宣言した。
「ホルスト卿は死罪だ!」
「ふざけるなァ――!」
俺の絶叫等少しも介さず、警官は嬉々として民衆を煽り始めた。
「さぁ、民よ。まだこの男が生きている今のうちに、この姿を刻み付けるのだ! 金をふんだんに使った特注の車を用意し、自己顕示欲に任せて己の結婚パレードを大規模に宣伝までした挙句、結局は愛する女にすら見放され、たった一人で惨めな姿を晒しながら町を巡った事実を! そして、その先で断罪を受ける哀れな男の姿を! 滑稽なのはどちらだ! 皆を騙し、笑いものにしていた男に相応しい最期であること間違いないだろうッ」
この警官の高らかな宣言と共に、観客達は興奮に沸いた。
「異常者が!」「裏切り者!」「俺達を騙したな!」「この狂人が!」
そして誰かが石を投げる。石を持っていないものは手当たり次第に物を投げ始める。
「許さない、許さない――よくもこの私を馬鹿にしたな!」
親の仇でも見るような視線を向けながら、杖を突いた男が俺を罵倒した。それに続いて俺に浴びせられる、聞くに堪えぬ罵詈雑言。少し前までの俺を庇い立てるような流れは一転して、その場はただ俺を糾弾するだけの見世物へと変化を果たす。祝福の花びらの代わりに投げつけられる石の幾つかは俺の元まで届いて、俺の体を傷付けた。彼等の抱く俺への憎しみの感情がありありとここまで伝わってくる。
まるで理性を失った獣の様だと俺は思った。
本当に滑稽なのは、一体どちらか。
冷静に発せられた低い警官の声。俺は我を失ったように車から飛び降り、誰かにそれを見られるまいと鋸へと駆け寄った。
「それを寄こせェ――!」
鋸を前にへたり込む孤児院出身の女を躊躇なく突き飛ばし、俺は明らかに使い古された凶器へ手を伸ばす。その瞬間、俺を取り囲んでいた別の警官の一人が、俺を背後から羽交い締めにした。俺はそれに暴れる。「離せ、この無礼者が!」と喚きながら手足を振り回した。顔を赤く染めた俺の姿を眼前に見る羽目になったその女は、蒼白になりながら全身を震わせた。
「ひどい」
女が俺を見て茫然と呟く。それを皮切りにあちこちから混乱の声が囁かれ始める。
「ホルスト卿はどうしてしまったのだ」
「あの鋸は本当に卿の持ち物なのか」
「あれではまるで狂人ではないか」
「迷いなく女を突き飛ばしたぞ」
「助けを求める者に快く手を伸ばし、貧しい者に寄付をする卿はどこへ行ってしまったのか」
その言葉を捕らえた野太い声の警官は諭すように言った。
「そこの紳士よ、今、寄付と言ったか? しかし、その金ですら、この男が非道な方法で稼いだもののほんの一部でしかないのだぞ」
「いい加減なことを言うなァ!」
俺が入れた合いの手に警官は笑う。彼は拘束された俺のそばまで歩み寄ると、俺が身に着けている幾つもの宝石のうちの一つをピンと弾いてみせた。
「この大粒の宝石は? この特注品に見える高級車は? 莫大な金の掛けられた貴様の巨大な豪邸と豪勢な暮らしは? その元手は民から奪った財と、麻薬取引と、あぁ、そういえば、貴様と嗜虐嗜好を共有するお仲間へ孤児を売りつけ、金を稼いでいたという報告もあったな。つまり人身売買か。それだけではなく、悪質極まりない様々な詐欺行為を行っていたことも判明している。――さぁ、民よ、今こそ断罪の時であるッ」
警官は車の前に立ち、高らかに告げた。
「この男は人前では聖人君子のふりをしていたが、その実、裏では慈善家だと崇め奉られることで悦に浸り、皆を見下し、皆の血税を不当に強奪し、それを己の私財とし、そして何よりも、女を強姦し子供を甚振ることを快楽とする狂人である!」
「適当なことを言うな、今すぐその薄汚い口を閉ざせッ!」
俺は、この警官が俺に向ける見当違いの暴論に唾を撒き散らしながら反論するが、警官は俺の方を見向きもしない。
「皆の者、この姿を見てもなお、この男を庇い立てするというのか!」
「ふざけるなァ!」
もはや当初の穏やかな表情を醜く歪めて狂気に満ちた表情で警官に噛みつく俺の姿に、ついに孤児院出身の女が地面に転がった石を投げた。
「この裏切り者!」
そう叫んだ女は滂沱の涙を流して絶叫した。
「私は信じていたのに! お優しい方だと信じていたというのにッ――よくも騙したな!」
俺に突き飛ばされたまま地面に座り込んだ女は髪を振り乱しながら叫んだ。俺はその様子を血走った眼球にキリリと映しながら罵声を飛ばす。
「庶民風情が無礼だぞ! この私に暴言を吐き、あまつさえ石を投げ捨てるとはッ。今すぐそこに平伏して懺悔せよ。這いつくばり、私に許しを乞うがよい!」
この言葉に警官が「ハッ、それが貴様の本性か」と顔を歪めて愉快そうに笑う。俺は歯を剥きだしにして唸った。
「おい、どいつもこいつも、何故私を助けようとしない! 昔施してやった恩を忘れた恩知らずが!」
俺の言い分に顔を見合わせ始めるが、しかし次の行動に移ろうとしない無能な民衆に俺は畳みかけた。
「結局、庶民など低能な獣風情に過ぎないということか。あぁ、そうだったなァ、確かに思い返せば貴様らなど、私がほんの少しでも優しい言葉をかけてやれば、喜んで尻尾を振る犬の様で、有り余る金のほんの僅かを気紛れに投げ捨ててやれば、地に這いつくばって金を拾い集める猿の様であったな。ハハ、貴様らに期待した私が愚かだった。まさにこれこそ、このホルストの人生唯一の汚点と言えよう!」
――あぁ、楽しい、楽しい。感情のまま憎悪をぶつけることのなんと痛快なことか。俺は心の底から喝采しながら民衆を愚弄し、己の中に渦を巻く憎しみを吐き散らす。足りない、それでもなお、俺を心地よく満たすには足りないのだ。俺へと向けられる視線が混乱から激しい怒気へと変化してゆく観客の愚劣さへ万歳、皆の有様が滑稽だと笑う。
「あぁ、惨めで哀れな民よ、餌を放る人間に喜んで擦り寄る家畜のような無様な姿を再び晒すがいい! そうすればこの私を侮辱した罪を寛大にも許そうではないか!」
「惨めで哀れなのはどちらかな」
警官がニィと口元を釣り上げた。憤怒を浮かべる民衆に向き直り、彼は堂々と両手を広げて語り掛ける。
「我が愛する民達よ、こうして捕らえられてもなお、獣のように暴れ狂う男の姿を忘れてはならない。この男の極悪非道な所業の全てを決して忘れてはならないのだ。そして我々の捜査の結果判明した全ての罪を鑑みて、ここに今、彼に下される処罰を発表しよう」
さながら舞台俳優の如く己が注目されている状況に悦に浸る警官を、己の感情のまま殴りつけたかったが、その直前で俺は思いとどまる。歯ぎしりを始めた俺をよそに、警官は高らかに宣言した。
「ホルスト卿は死罪だ!」
「ふざけるなァ――!」
俺の絶叫等少しも介さず、警官は嬉々として民衆を煽り始めた。
「さぁ、民よ。まだこの男が生きている今のうちに、この姿を刻み付けるのだ! 金をふんだんに使った特注の車を用意し、自己顕示欲に任せて己の結婚パレードを大規模に宣伝までした挙句、結局は愛する女にすら見放され、たった一人で惨めな姿を晒しながら町を巡った事実を! そして、その先で断罪を受ける哀れな男の姿を! 滑稽なのはどちらだ! 皆を騙し、笑いものにしていた男に相応しい最期であること間違いないだろうッ」
この警官の高らかな宣言と共に、観客達は興奮に沸いた。
「異常者が!」「裏切り者!」「俺達を騙したな!」「この狂人が!」
そして誰かが石を投げる。石を持っていないものは手当たり次第に物を投げ始める。
「許さない、許さない――よくもこの私を馬鹿にしたな!」
親の仇でも見るような視線を向けながら、杖を突いた男が俺を罵倒した。それに続いて俺に浴びせられる、聞くに堪えぬ罵詈雑言。少し前までの俺を庇い立てるような流れは一転して、その場はただ俺を糾弾するだけの見世物へと変化を果たす。祝福の花びらの代わりに投げつけられる石の幾つかは俺の元まで届いて、俺の体を傷付けた。彼等の抱く俺への憎しみの感情がありありとここまで伝わってくる。
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