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幸福の天使と不幸の悪魔
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天使と悪魔が人間の世界を観察しておりました。
「あぁ、可哀そうに。不幸な人間がいるよ」
「おぉ、素晴らしい。不幸な人間がいるぞ」
天使は人間の不幸を悲しみ、悪魔は人間の不幸を喜びます。天使は言いました。
「哀れな人間から不幸を消してあげよう。代わりに幸福を授けよう」
不幸を愛する悪魔はそれに反対しましたが、天使は人間達から不幸を取り除き、幸福を授けました。
すると、世界中の人間達が幸せになりました。どこもかしこも笑いが絶えない、誰もが幸福な夢のような世界です。
「ほら、ごらんよ悪魔。これこそが世界のあるべき姿だよ」
「あぁ、なんて悍ましい! 今すぐ世界中の人間達から幸福を奪ってやる!」
悪魔は喚きましたが、天使は悪魔を説得しようとします。
「そう言わずにもう少し見てごらん。きっとこれを見れば、悪魔も素晴らしいと納得する」
悪魔はそんな天使が煩わしかったので、一旦説得されたふりをすることにしました。そして天使の隙を見て、人間に不幸をばらまいてやろうと決めました。
「おう、分かった。お前がそう言うのなら、ちょっとばかし観察してみよう」
そうして悪魔と天使は、人間達の観察をすることにしました。
そこには本当に素晴らしい世界が広がっておりました。誰もが笑顔で、不幸な人間など、どこにもおりません。世界からいじめも差別も虐待も暴力も犯罪も対立も戦争もなくなり、誰もが幸福になりました。
「ほら、ごらんよ悪魔」
天使はある少年を指さしました。不治の病に侵され、死を待つだけの少年でした。全身を襲う激しい痛みに泣き叫んでいた少年は、天使の与えた幸福のため笑顔になりました。そして痛みから解放された少年は、笑顔のまま死んでゆきました。
「ほら、ごらんよ悪魔」
天使はある少女を指さしました。元の顔が分からなくなる程、酷い火傷を顔に負った少女でした。その醜い容姿のせいで誰からも愛されず差別されていた少女は、天使の与えた幸福のため笑顔になりました。天使が変えた世界からは差別もなくなったのです。
「ほら、ごらんよ悪魔」
天使はある男を指さしました。かつて起こった、とある戦争の帰還兵でした。人を殺した呵責に苛まれ続け、死んだように生きていた男は、天使の与えた幸福のため笑顔になりました。変えることのできない過去に囚われることもなくなり、自傷することもなくなりました。
「ほら、ごらんよ悪魔」
天使はある女を指しました。今まさに屋上から飛び降りようとしていた女です。夫の暴力に耐えかね、誰にも助けてもらえずに死を選ぼうとした女は、天使の与えた幸福のために笑顔になりました。家に戻れば彼女の夫も、もはや女を殴ることはないでしょう。
人が人を傷つける世界はもうどこにもありません。それはなんて優しい世界でしょう。
「あぁ、やはり世界はこうあるべきだ」
天使は大層喜びました。二人は観察を続けます。
誰もが幸せで、それは平穏な世界でした。やがて人間は社会活動をやめました。金で幸福を買う世界は終わりましたから、働く必要がなくなったのです。お金を追い求めて生きる、かつての人間達はもうどこにもおりません。そして人間は、日々穏やかに幸せを享受して生きはじめました。
人間が仕事をしなくなった世界から、かつてあった社会構造は消えてゆきました。年功序列制度は消え、才能に恵まれなかった人間も生きやすくなり、貧富が本質的な意味をなさなくなって、誰しもが平等になりました。
そして食べ物もなくなってゆきました。誰も手入れをしない農地は何も育たなくなり、保管してあった食料も、物流が消えたことでそのまま腐り落ちました。川から水が引かれることもなくなり、飲み水が行き渡らなくなりました。
しかし、誰もが幸福でした。天使が与えた幸福により、死の恐怖も消え失せていたからです。世界中の人間が餓死し、衰弱死してゆく中、誰もが笑顔で幸せでした。絶望の中で死にゆく人間は、もはやこの世界にはいないのです。最後の最後まで、優しい幸福の中、人々は死んでゆきました。
「最後までずっと幸せだなんて、なんて素晴らしい世界なんだろう!」
天使はうっとりと目を細めました。あぁ、なんて幸福な世界なのだろう。天使は自分が変えた世界に大満足でした。
しかし、悪魔はその隙を見逃しません。
「今だ! 人間達に不幸をばらまいてやる!」
その瞬間、悪魔は人間達に不幸をばらまきました。
衰弱しながらも生きながらえていた人間達は、不幸を思い出しました。今まさに息絶えようとしていた人々は死に怯えはじめ、生き残った人間達は社会活動を再開しました。人々はまた富と権力のために働き出し、さらなる利益追求のため他者を蹴落とし始めました。
国々も資源と領土を求めて、他国への侵略行為を再開しました。
こうして、世界にいじめも差別も虐待も暴力も犯罪も対立も戦争も戻りました。人は人を傷つけ、時に殺し、時に間接的に死に追い込みました。人々は泣きながら死んでゆき、絶望に嘆くようになりました。誰しもが平等で笑顔だった世界はもはやどこにもなく、不幸に満ちた世界だけが広がっていたのです。
「あぁ、なんてことを!」
天使はその悪魔の所業に戦慄しました。しかし、悪魔は笑っています。
「あぁ、不幸とはなんて素晴らしいものなのだろう!」
悪魔はそう言って、飛び去ってゆきました。
(終)
「あぁ、可哀そうに。不幸な人間がいるよ」
「おぉ、素晴らしい。不幸な人間がいるぞ」
天使は人間の不幸を悲しみ、悪魔は人間の不幸を喜びます。天使は言いました。
「哀れな人間から不幸を消してあげよう。代わりに幸福を授けよう」
不幸を愛する悪魔はそれに反対しましたが、天使は人間達から不幸を取り除き、幸福を授けました。
すると、世界中の人間達が幸せになりました。どこもかしこも笑いが絶えない、誰もが幸福な夢のような世界です。
「ほら、ごらんよ悪魔。これこそが世界のあるべき姿だよ」
「あぁ、なんて悍ましい! 今すぐ世界中の人間達から幸福を奪ってやる!」
悪魔は喚きましたが、天使は悪魔を説得しようとします。
「そう言わずにもう少し見てごらん。きっとこれを見れば、悪魔も素晴らしいと納得する」
悪魔はそんな天使が煩わしかったので、一旦説得されたふりをすることにしました。そして天使の隙を見て、人間に不幸をばらまいてやろうと決めました。
「おう、分かった。お前がそう言うのなら、ちょっとばかし観察してみよう」
そうして悪魔と天使は、人間達の観察をすることにしました。
そこには本当に素晴らしい世界が広がっておりました。誰もが笑顔で、不幸な人間など、どこにもおりません。世界からいじめも差別も虐待も暴力も犯罪も対立も戦争もなくなり、誰もが幸福になりました。
「ほら、ごらんよ悪魔」
天使はある少年を指さしました。不治の病に侵され、死を待つだけの少年でした。全身を襲う激しい痛みに泣き叫んでいた少年は、天使の与えた幸福のため笑顔になりました。そして痛みから解放された少年は、笑顔のまま死んでゆきました。
「ほら、ごらんよ悪魔」
天使はある少女を指さしました。元の顔が分からなくなる程、酷い火傷を顔に負った少女でした。その醜い容姿のせいで誰からも愛されず差別されていた少女は、天使の与えた幸福のため笑顔になりました。天使が変えた世界からは差別もなくなったのです。
「ほら、ごらんよ悪魔」
天使はある男を指さしました。かつて起こった、とある戦争の帰還兵でした。人を殺した呵責に苛まれ続け、死んだように生きていた男は、天使の与えた幸福のため笑顔になりました。変えることのできない過去に囚われることもなくなり、自傷することもなくなりました。
「ほら、ごらんよ悪魔」
天使はある女を指しました。今まさに屋上から飛び降りようとしていた女です。夫の暴力に耐えかね、誰にも助けてもらえずに死を選ぼうとした女は、天使の与えた幸福のために笑顔になりました。家に戻れば彼女の夫も、もはや女を殴ることはないでしょう。
人が人を傷つける世界はもうどこにもありません。それはなんて優しい世界でしょう。
「あぁ、やはり世界はこうあるべきだ」
天使は大層喜びました。二人は観察を続けます。
誰もが幸せで、それは平穏な世界でした。やがて人間は社会活動をやめました。金で幸福を買う世界は終わりましたから、働く必要がなくなったのです。お金を追い求めて生きる、かつての人間達はもうどこにもおりません。そして人間は、日々穏やかに幸せを享受して生きはじめました。
人間が仕事をしなくなった世界から、かつてあった社会構造は消えてゆきました。年功序列制度は消え、才能に恵まれなかった人間も生きやすくなり、貧富が本質的な意味をなさなくなって、誰しもが平等になりました。
そして食べ物もなくなってゆきました。誰も手入れをしない農地は何も育たなくなり、保管してあった食料も、物流が消えたことでそのまま腐り落ちました。川から水が引かれることもなくなり、飲み水が行き渡らなくなりました。
しかし、誰もが幸福でした。天使が与えた幸福により、死の恐怖も消え失せていたからです。世界中の人間が餓死し、衰弱死してゆく中、誰もが笑顔で幸せでした。絶望の中で死にゆく人間は、もはやこの世界にはいないのです。最後の最後まで、優しい幸福の中、人々は死んでゆきました。
「最後までずっと幸せだなんて、なんて素晴らしい世界なんだろう!」
天使はうっとりと目を細めました。あぁ、なんて幸福な世界なのだろう。天使は自分が変えた世界に大満足でした。
しかし、悪魔はその隙を見逃しません。
「今だ! 人間達に不幸をばらまいてやる!」
その瞬間、悪魔は人間達に不幸をばらまきました。
衰弱しながらも生きながらえていた人間達は、不幸を思い出しました。今まさに息絶えようとしていた人々は死に怯えはじめ、生き残った人間達は社会活動を再開しました。人々はまた富と権力のために働き出し、さらなる利益追求のため他者を蹴落とし始めました。
国々も資源と領土を求めて、他国への侵略行為を再開しました。
こうして、世界にいじめも差別も虐待も暴力も犯罪も対立も戦争も戻りました。人は人を傷つけ、時に殺し、時に間接的に死に追い込みました。人々は泣きながら死んでゆき、絶望に嘆くようになりました。誰しもが平等で笑顔だった世界はもはやどこにもなく、不幸に満ちた世界だけが広がっていたのです。
「あぁ、なんてことを!」
天使はその悪魔の所業に戦慄しました。しかし、悪魔は笑っています。
「あぁ、不幸とはなんて素晴らしいものなのだろう!」
悪魔はそう言って、飛び去ってゆきました。
(終)
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