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国の英雄
しおりを挟む旧リベルト邸で、アイビーは自分の犯行を包み隠さず全てルートに話した。
「アランにとって私の事なんてどうでもいいんです。だから、あの人の前でエリーザを殺そうとしました。アランはエリーザのことしか頭にないんです。アランが何をしていようとしていたか知っていますか?エリーザと隣国に駆け落ちしようとしていたんですよ。私というものがありながら。」
狂い、正気を失ったふりをして、アイビーはルートに糾弾する。
しかし、顔はルートの方を向いているが、意識は全く別のところに追いやっていた。
ルートの表情を認識したくない。
こんな醜い自分の姿を本当は見せたくなかった。
「結局エリーザを殺すことはできなかった。何故かそこにアランがいて止められたんです。そのままわけも分からず気を失って、気づいたら自室のベッドで寝てたんです。この事実はきっと世間に公表されないでしょうね。」
息を切らし、下を向く。
話は終わりだ。
いや、話だけじゃない。
先生と教え子という関係性も、人生も、何もかも。
「このことは、報告させてもらうよ。」
アイビーの頭上から、ルートからの冷たい一言が降りかかる。
アイビーは、顔をあげ、今度はちゃんとルートの目を見つめ、はっきりとした口調で告げる。
「構いませんよ。私はあの人を、アランを愛しています。あの人に愛されないのなら、生きていたって意味が無い。死罪になったって本望です。」
一部に事実を刷り込ませながら語った言葉。
きっと彼には何も届いていないだろう。
アイビーは何も言わず、無表情でルートの方を見ることなく、ルートの前から去った。
私の人生において、するべきことは全て終わった。
あの言葉が聞こえた日から、私は、このためだけに生きてきた。
翌日、ルートの報告により、アイビー・アルベルトは、侯爵夫人を殺害しようとしたとして、国王から死罪が言い渡された。
━━━━━━━━━━━━━━━
久しぶり開く木製の扉。
夕暮れ時のオレンジ色の光が螺旋階段の壁に開けられた小窓から射している。
火の着いていないランタンを手に持ち、コツコツと足音を立てながら彼女のいる塔のてっぺんを目指すしの階段をゆっくり登っていく。
段数はかなりあるが日頃から忙しく国内各地を回っているため体力はそこまで消耗されなかった。
彼女に会う前に息切れなどしていたらきっと笑われてしまう。
ようやく見えてきた鉄の扉。
扉の前まで来ると向こうから声をかけられた。
「久しぶりね。エイド。」
その声は、かつて向けられていた温かで優しい快活な声ではなく、凍えるように冷たい軽蔑の色の混じった声。
そして、愛する妻イリスの声だった。
━━━━━━━━━━━━━━━
エイドがイリスと出会ったのはまだエイドが国の英雄と呼ばれるずっと前。
エイドが14歳の時の話だ。
今よりも貴族と庶民の距離がずっと近く、王宮に流れる空気ものほほんとしており今のように権力争いが行われていなかった王国内では平和な時代。
エイドは、友達に会うためによく城下町に遊びに出かけていた。
「エイド!遅いぞ!」
エイドを呼ぶいつもの元気な友の声が聞こえる。
「悪い!親にまたうるさく言われてさ」
その声にエイドも明るく返す。
「あー、エイドのところは厳しいもんな。さすが貴族。」
今度は別の友から茶化すように笑われる。
その言葉に不貞腐れた振りをして、エイドは友達に声をかける。
「ほら、さっさと行くぞ。」
エイドの言葉を合図に3人は城下町の外れにある小さな森林にむかった。
森林に入ってすぐの場所にある巨木を目指して談笑しながら歩く。
3人は巨木の周りを整備し、そこを遊び場にしていた。
周りが木で囲まれ、人があまり寄り付かないこの場所を3人は秘密基地として気に入っていた。
秘密基地に辿り着く。
しかし、いつもと何かが違う。
踏み荒らされた芝生に雑に折られた木の枝。
エイドはその異変にいち早く気づき、唯一変わった箇所のない巨木に近づいて行った。
それから、巨木の幹をぐるっと回ってみることにした。
友人2人は、秘密基地に着くや否や突然顔色を変え、まっすぐ巨木に歩いていくエイドにまたか、と思いながら、巨木から少し離れた位置にある、石と切り株に座って、エイドを観察していた。
エイドは何か自分が興味を示すものを見つけるとそれに夢中になり周りが見えなくなる。
最初の頃はその癖に困惑していたが、今ではもう慣れっこになっていた。
エイドが丁度巨木の裏に回った時、視界の端にちらっと灰色の物体が見え、エイドはピタリと足を止めた。
「...あなたは、誰?」
か細い声でその物体は声をかけてきた。
そこにいたのは細い足を抱え、薄汚れた布を頭から被った栗色の髪の琥珀色の瞳を不安げに揺らす美しい少女だった。
少女に声をかけられた瞬間、エイドは、なにかに取り憑かれたようにまっすぐ友の待つ秘密基地の入口にむかった。
「悪い、今日は帰ってくれないか?」
顔を下に向け、静かに、エイドは友に声をかける。
「は?何で...」
突然の言葉に2人は苛立たしげに声をあげようとする。
こんなことは今まで1度もなかった。
「いいから。」
しかし、エイドの気迫に押され、反論しても無駄だという空気を即座に感じとった。
それから、黙って城下町へと帰って行った。
この出来事以降、エイドとは二度と会うことはなかった。
エイドの方も、今ではその2人の名前も顔もよく思い出せない。
エイドはまた、巨木の裏にいる少女の元に戻って行った。
「もう誰もいないから、出てきていいよ。」
「...。」
少女は、足を抱え、顔を埋めて頑なに動こうとしない。
その様子を見てエイドは、人1人分くらいの間を空け、少女の隣に座った。
真上にあった太陽が木々に隠れ見えなくなり、見えなくなった頃。
少女はようやく口を開いた。
「あなたは、どうしてずっと隣にいるの?」
顔を下に向けたままで聞き取りにくかったが、確かに少女はそう言った。
「心配だから。」
エイドはただ一言、そう言った。
「どうして心配なの?」
少女はまた、質問する。
「Ωの女の子が森の中で1人でいたら危ないから。」
エイドは単調に答える。
すると、少女は顔を勢いよく上げ、エイドの方を見た。
「どうしてΩだってわかったの。」
先程までのか細い声ではない。
芯の通った力強い、困惑と恐怖の混じった声で少女はエイドに問いかける。
「αだから。」
エイドはまた、先程と変わらず素っ気なく答えた。
━━━━━━━━━━━━━━━
それから、エイドは少女を王宮の騎士団に引き渡した。
どうやら少女は奴隷商に売られそうになっていた所を逃げ出してきたらしい。
Ωの人間を愛玩具として販売する商人は少なくない。
貴族や金持ちの商人から一定数の需要があり、高く売れるからだ。
少女の証言により、奴隷商の一味は捕まったと風の噂で聞いた。
そして、エイドがΩの少女と出会った日。
この日を境に、エイドは、冷酷で、野心溢れる青年へと変わった。
部屋に篭もり、これまで全くしてこなかった政治や経済、歴史とにかく自分が必要だと思ったことを勉強した。
成人してからは自国の貴族だけでなく、他国の貴族とも親交を深め、ミレニアム王国の知名度を上げていき、貿易の中間地点としてたくさんの商人が集まる貿易都市としてミレニアム王国を他の列強諸国と並ぶほど大きくしていった。
その中では、やはりあまり表には出せないような内容の取引もあった。
しかし、エイドは利用できるものはなんでも利用しどんどんと自分の名声を上げた。
ある日の昼下がり、エイドは定期報告のために国王から呼び出され、王宮を訪れていた。
用事を終え、自分の屋敷に帰ろうと王宮内にある回廊を歩いていると向かいの廊下に1人、足早に歩く人影が見えた。
「あっ...」
その人影を見つけた瞬間、思わず声が出た。
全速力で向かいの廊下へ向かいら人影を追う。
「待ってくれ!」
声が届いたのかその人影は立ち止まり、
腰まで伸びた栗色の髪を揺らしながらエイドの方を振り返る。
「あなたは...」
手を膝につき、顔を下に向け、息を切らしているエイドの方にその少女は向かってくる。
「あの時、助けてくださった方ですか?」
少女は膝を曲げてしゃがみ、下に向けたエイドの顔を覗き込む。
「君は...君の...」
久しぶりに走ったせいで息がなかなか整わない。
その様子を見て、少女はふんわりと笑った。
「私は、イリス。今は陛下に仕える侍女をしております。エイド様、あなたがあの時、助けてくれたんですよね。」
あの時見せてくれなかった、初めて見た少女の、イリスの笑顔。
その笑顔につられて、こちらまで顔が綻びそうになる。
そして、体勢を立て直し、イリスの目をまっすぐ見つめて、ずっと伝えたかった想いを告げる。
「ずっと君に会いたかった。」
その言葉にイリスは頬を染める。
そして、口角を上げて目を細め、笑顔をさらに深める。
「私も、ずっとあなたに会いたかった。」
そしてこの話は、国王陛下の侍女から侯爵夫人になったアルベルト夫人のシンデレラストーリーとして、貴族の間で広く知れ渡ることになる。
イリスがΩであり、奴隷だったという事実を除いて。
━━━━━━━━━━━━━━━
そうだ、私はイリスのためならなんだってする。
今の地位も、名声も、肩書きも、全てイリスを手に入れるため。
なのに、私は...
「イリス...」
かつてとは違う。
もうしわがれてしまった声で愛する妻の名前を呼ぶ。
「今更、なにが言いたいの?」
冷たい、咎めるような声でイリスは質問する。
当然だ。
国が大きくなるにつれ、第2の性が重要視されるようになり、イリスがΩであるという事実が世間にバレることを恐れ、こんな塔に10年閉じ込めてしまったのだ。
それに、彼女が連れてきたノアという少年。
偶然聞きつけたという奴隷商人の情報を元に自分と同じ境遇にある少年を救い出し、アイビーの専属の使用人にしてしまったこと。
これ以上アイビーにΩの人間を近づけられては、アルベルト家の名声に傷がつく、とイリスの行動力を恐れてしまった。
「本当に...」
縋るような声で扉の向こうにいるイリスに声をかける。
その上、会えない妻の代わりに、寂しさを紛らわすためにルートと関係を持ってしまった。
自らの欲望を満たすためにイリスを裏切る行為をしてしまったこと。
「すまなかった...」
今では何もかも無意味だ。
アイビーがエリーザを殺そうとし、その事をルートに告発された。
娘が死罪となり、アルベルト家の名に泥を塗った。
このままアルベルト家の名声は地に落ちるだろう。
罰がくだったのだ。
イリスを手に入れるために、幸せにするために、それが生きる理由の全てだった。
それがいつしか、自分の名声を上げるため、自分の地位を上げるため、自分の欲望を満たすために変わっていった。
いつからこうなってしまったのだろう。
大抵の人間は躊躇うようなこともたくさんしてきた。
色んな人を傷つけ、陥れてきた。
イリスだって、アイビーだって例外では無い。
その結果がこれだ。
今更謝ったってどうにもならない。
扉の前で崩れ落ち、声を殺しながら涙を流し、今までの自分の行動を悔やんだ。
そんなエイドに、イリスはため息を吐いた。
それから、先程と変わらない咎めるような口調で、エイドに、扉越しに語りかける。
「エイド、あなたがしてきたことはとても許されることではないわ。
「私も、あなたを許さないし、許すつもりもない。」
エイドはすすり泣きながらイリスの話を聞く。
「きっと、あなたに傷つけられてきた人間のほとんどはそういうでしょうね。」
そうだろう。
そんなことはわかっている。
「でも、あなたは確かに国の英雄よ。」
その言葉を聞き、エイドの涙は止んだ。
呆れたような冷たい口調。
しかし、今の言葉には、微かにかつてのような温かさが含まれていた。
「国民の生活のために日々奮闘し、努力してきた。」
「私は全部、見てたから。」
イリスが自分を許すことはないだろう。
...自惚れかもしれない、しかし、確信はあった。
「私は、王宮から離れる。侯爵の名を、今まで得た名声はもうひとつも残っていない。」
それでも
「着いていくわ。いいでしょう?そこでちゃんと反省してもらうから。」
エイド...あなたは、私をあの地獄から助けてくれた、英雄だから。
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