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第三章「縮んでいくキョリ」

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「あ、あはは…凄いでしょこれ」

盛大に生卵が飛び散った床のこと、すっかり忘れてた。キッチンの上は粉まみれだし、テーブルの上には食べきれなかったクッキーの山。

こんな状態だったのをすっかり忘れて、甘崎君を中に招いてしまった。恥ずかしくて笑ってごまかすけど、彼の表情はいたって普通。

「もしかして、これ作ってたの?」

「実はそうなんだ。ごめんね、せっかくのお誘い何度も断っちゃって」

「それはいいけど、でも何で?」

「実は…」

私は、ことの経緯を全部甘崎君に話した。彼がどんな顔をして聞いてるのか見るのが怖くて、私はずっと俯いたままだった。

甘崎君はただ黙って、私が話すことに静かに耳を傾けてくれていた。

「…というわけなんだ。甘崎君の好意をこんな風にしちゃって、本当にごめんなさい」

「…」

甘崎君、黙ったままだ。やっぱり呆れるよね。もしかしたら、もう話しかけてくれなくなるかもしれない。

そう思うと、自分でもビックリするくらいに胸の奥がズキズキと痛んだ。また泣きそうになるのを、必死で堪える。

「白石さんってさ」

「…うん」

「凄く正直だよね」

予想外の言葉に、私はパッと顔を上げた。私を見つめる甘崎君の顔が優しげで、心臓がギュッと反応する。

「そんな正直に言うことないのに」

「だって私、甘崎君の心のこもったクッキーを悪用したんだよ?」

「言い方が大げさだなぁ」

甘崎君は小さく笑いながら、テーブルの上のクッキーを一枚つまんでパクリと食べる。その様子を、私はドキドキしながら見つめた。

「うん、普通」

「だ、だよね」

「別に悪くないよ」

そう言って、またクッキーに手を伸ばす。つまんだ一枚を、甘崎君はなぜかジッと見つめた。

「こんな必死に練習するほど、その先輩のことが好きなの?」

「え…?」

「…いや、なんでもない」

甘崎君はふいっと顔を逸らして、その一枚も口に放り込む。私はさっきの言葉の意味を、それ以上彼に聞くことはできなかった。

「でもまだあげるわけじゃないんでしょ?」

「うん。というか、別に先輩にあげようと思って作ってたわけでもないんだ。ただ、甘崎君の苦労を味わいたかったというか」

「何それ」

笑いながら三枚目に手を伸ばす甘崎君から、私はなぜか目が離せなかった。自分の作ったものを食べてもらえるって、こんなに嬉しいことなんだ。

「これ、持って帰っちゃダメ?翠達喜んで食べると思うから」

「えっ、でも…」

「俺もまだ、食べたいから」

甘崎君の作るお菓子の方が何倍もおいしいのに。彼の気遣いにまた泣きそうになりながら、私は笑顔で頷いた。

それから甘崎君はクッキーを保存袋に入れて、たくさん持って帰ってくれた。

「甘崎君、色々ありがとう」

甘崎君のおかげですっかり立ち直った私は、彼に向かって深々と頭を下げる。

「今から肉じゃが食べるね」

「うん」

「最近自分の夜はクッキーばっかり食べてたから、甘崎君のご飯楽しみだなぁ」

キッチンに置いてあるタッパーの中の肉じゃが。その味を想像したら、急にお腹が空いてきた。

背を向ける直前、甘崎君は視線だけを私に向ける。

「今度、一緒に作る?クッキー」

「え…いいの?」

「いいよ」

甘崎君と一緒に何か作れるなんて、凄く嬉しい。

「ありがとう!甘崎君」

「…うん」

甘崎君の言葉に、私はキラキラと目を輝かせる。外は薄暗くて彼の表情はよく見えなかった。
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