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最終章「適当がいつの間にか愛に変わる時」
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──今年もまた、ブルーメルに春が訪れる。そういえば私がこの屋敷に輿入れした時期もちょうど同じ季節だったなと、色とりどりに咲き誇る花の香りを胸いっぱいに吸い込みながら、やけに懐かしく思った。
「旦那様早く早く!あっちにシートを敷きましょう!私お腹が空いて今にも叫び出しそうだから!」
麗らかな陽射しを胸いっぱいに吸い込んだ私は、背中の真ん中辺りまで伸びた髪を盛大に揺らしながら、彼に向かって手招きを繰り返す。
髪を切らずに伸ばしているのは、この方が少しでも女性らしく見えるからという打算。胸の方はかなり前に成長がストップしてしまったので、せめてこのくらいはという思いから、ヴァンドームに嫁いで一度も切っていない。
「今日は良い日和だな。君がこの屋敷に初めてやって来た日を思い出す」
旦那様は木の根元にバスケットを下ろすと、そこから取り出したシートをばさりと広げる。駆け寄って反対側を持って、共同作業で芝生の上に敷いた。
「そんなこと言って、旦那様は出迎えてもくれなかったじゃないですか」
「い、いや。柱の影から見てはいたんだが、どうしても顔を合わせるのが気まずかったんだ」
「どうしてですか?」
「酷い結婚宣誓式だったから」
空腹も限界に達している私は、普段からは想像もつかない手際の良さで、マリッサがバスケットに詰めてくれたパイやサンドイッチを並べていく。
彼はことあるごとにこの話を持ち出しては、いつも一人でしゅんと項垂れていた。白い結婚はお互い納得して結んだ契約だし、それを解消する方が怖かったくらいに快適だったから、謝る必要なんてこれっぽっちもないのに。
「あれはあれで良い思い出じゃないですか!あの時はいつも以上にコルセットをぎちぎちに絞められていたので、さっさと終わってくれて命拾いをしました。つまり旦那様は、私の命の恩人というわけです!」
「……それはとても喜ばしいが、僕が最低だったことには変わりない」
ああ、私のちょっとした冗談が彼を傷付けてしまったと反省しながらも、お行儀の悪い右手が勝手にサンドイッチの方へ伸びていく。それを左手でぺしっと叩いて諌めると、旦那様に向かってにこっと微笑んだ。
「ほら、いつまでも落ち込んでいないで食べましょう。美味しいものは、嫌な気分を吹き飛ばしてくれますから!」
ひょいと摘んだサンドイッチを彼の口元に差し出すと、少し戸惑いながらもぱくりと食べてくれる。もぐもぐと咀嚼する姿が可愛らしくて、まるで庭に迷い込んでいるリスに餌をあげているような気分になった。
「フィリアはいつでも前向きだな。そんなところも本当に尊敬する」
「ふふっ、大げさですね」
彼の表情が和らいだのを確認してから、私も勢いよくサンドイッチにかぶりつく。口の端についたパン屑を、旦那様の親指が優しく拭う。
「愛しているよ、フィリア」
「な、なんですか藪から棒に」
「無性に言いたくなってしまったんだ」
突然甘ったるい瞳で私を見つめるものだから、喉にパンとハムを詰まらせそうになった。
旦那様はいつだって、こんな私を認めてくれる。否定せずに受け止めて、問題が起こればしっかり話し合いの時間を設けて、決して女だからと見下したりしない。
これからも、彼が私に与えてくれる気持ちを当たり前だと思わずに、手を取り合って生きていきたいと思う。
気恥ずかしさを誤魔化すように次のスコーンに手を伸ばす私に、旦那様が思い出したように「そういえば」と別の話を切り出した。
「フィリアのおかげで、ヴァンドーム家の評判がさらに上がっている」
「私ですか?それは旦那様が、手付かずの庭を整備してくださったから」
「君の提案がなければ、きっとそのままだっただろう」
柔らかな表情でそう言われると、なんだか誇らしい気分になる。けれどあれは本当に、私の功績ではない。
広大過ぎるヴァンドームのお屋敷の中には、整備されていない土地があった。ある日何気なく「もったいないから、ここで遊べたらいいのに」と漏らした言葉を、彼はただの世間話として流さなかった。
すぐさま整備に取り掛かり、荒地だったのを見事な芝生と木製の遊具、それに素敵な温室まで建ててくれた。そうして私は月に数度、そこで領民の子ども達を招いて一緒に遊んでいるのだ。幸い、野遊びスキルと虫や草花の知識は溢れるほどにあるので、とても喜ばれた。
ブルーメルは豊かで住み良い町だけれど、いかんせん王都から遠過ぎる。学園を卒業した子ども達はそのまま王都に移り住むことも多いらしく、若者が減ってしまうのは領地にとって由々しき問題でもある。
「フィリアと遊ぼう」イベントが功を奏したかどうかは分からないけれど、やっぱり子ども達が伸び伸びと過ごせる環境は、多いに越したことはない。
まぁ実際は、私自身が誰よりも一番泥だらけになって楽しんでいるのだから、戦略も何もあったものじゃない。というより、夢のように楽しい毎日で私の方が感謝しているくらいなのだから。
「これも全部、旦那様と結婚したおかげです。私は世界一の幸せ者だと、堂々と胸を張って言えます」
「それは僕の台詞だ。フィリアが愛おし過ぎて、毎晩寝顔を見るたびに泣きそうになる」
「それはもう、夫というより父親みたいですね」
悪戯っぽい笑みを浮かべながら、揶揄うような視線で旦那様を見つめる。ほんの少し頬を膨らませたかと思えば、流れるような動作で私の唇を奪った。
「親子でこんなキスはしないだろう?」
「……オズベルト様の、意地悪」
「そんな可愛らしい顔で睨んでも、余計に火を付けるだけだ」
彼はしたり顔でそう言うと、もう一度優しい口付けをする。こうなったらもう、どう足掻いても私は勝てない。
「いつまで経っても顔を赤らめて、君は本当に可愛いな」
「そういう旦那様は、すっかりキスがお上手になりましたね」
照れ隠しにぷいっとそっぽを向いた私に、彼は楽しげにくつくつと喉を鳴らす。頬を突かれたり肩をくすぐられたりしていると、次第にじゃれ合いのようになってお互い目を見合わせながら笑った。
「ああ、楽しい!こんなに幸せで、いつかバチが当たりそうです」
「そんなことはない。この先いつか家族が増えたら、その分だけ幸せも増える。もっともっと楽しい未来しか見えないな」
旦那様が優しく私の腰を抱き、身を預けるようにこてんと彼の肩にもたれかかる。爽やかな風が吹いて、目の前に広がる綺麗な若草色の芝生がざあっと音を立てて揺れた瞬間、彼の口にした未来の光景がそこに浮かんだ気がした。
「じゃあもし将来私達の子ども達が『クッキーとケーキ、どっちを先に食べよう』なんて悩んだら、とっておきの秘訣を伝授しなければいけませんね。神様とサイコロ、どっちに決めてもらおうか?って」
「ははっ、君の言う通りだ。それはきっと、最高の道を示してくれるに違いない」
旦那様は体を揺らしながら、まるで私と同じ光景を想像しているかのように優しげな眼差しで目の前を見つめていた。
確かに、私達の始まりは運命でもなんでもなくただの適当な偶然に過ぎなかった。だけど、少しずつ彼を知っていくうちに大好きになって、今はこんな風に幸せな未来を共有出来る。
「これからもずっと、側にいてほしい」
「もちろん、それがいちばんの選択ですから」
自然に綻ぶ頬をそのままに、光り輝く太陽に向かって人差し指をまっすぐ突き上げたのだった。
「旦那様早く早く!あっちにシートを敷きましょう!私お腹が空いて今にも叫び出しそうだから!」
麗らかな陽射しを胸いっぱいに吸い込んだ私は、背中の真ん中辺りまで伸びた髪を盛大に揺らしながら、彼に向かって手招きを繰り返す。
髪を切らずに伸ばしているのは、この方が少しでも女性らしく見えるからという打算。胸の方はかなり前に成長がストップしてしまったので、せめてこのくらいはという思いから、ヴァンドームに嫁いで一度も切っていない。
「今日は良い日和だな。君がこの屋敷に初めてやって来た日を思い出す」
旦那様は木の根元にバスケットを下ろすと、そこから取り出したシートをばさりと広げる。駆け寄って反対側を持って、共同作業で芝生の上に敷いた。
「そんなこと言って、旦那様は出迎えてもくれなかったじゃないですか」
「い、いや。柱の影から見てはいたんだが、どうしても顔を合わせるのが気まずかったんだ」
「どうしてですか?」
「酷い結婚宣誓式だったから」
空腹も限界に達している私は、普段からは想像もつかない手際の良さで、マリッサがバスケットに詰めてくれたパイやサンドイッチを並べていく。
彼はことあるごとにこの話を持ち出しては、いつも一人でしゅんと項垂れていた。白い結婚はお互い納得して結んだ契約だし、それを解消する方が怖かったくらいに快適だったから、謝る必要なんてこれっぽっちもないのに。
「あれはあれで良い思い出じゃないですか!あの時はいつも以上にコルセットをぎちぎちに絞められていたので、さっさと終わってくれて命拾いをしました。つまり旦那様は、私の命の恩人というわけです!」
「……それはとても喜ばしいが、僕が最低だったことには変わりない」
ああ、私のちょっとした冗談が彼を傷付けてしまったと反省しながらも、お行儀の悪い右手が勝手にサンドイッチの方へ伸びていく。それを左手でぺしっと叩いて諌めると、旦那様に向かってにこっと微笑んだ。
「ほら、いつまでも落ち込んでいないで食べましょう。美味しいものは、嫌な気分を吹き飛ばしてくれますから!」
ひょいと摘んだサンドイッチを彼の口元に差し出すと、少し戸惑いながらもぱくりと食べてくれる。もぐもぐと咀嚼する姿が可愛らしくて、まるで庭に迷い込んでいるリスに餌をあげているような気分になった。
「フィリアはいつでも前向きだな。そんなところも本当に尊敬する」
「ふふっ、大げさですね」
彼の表情が和らいだのを確認してから、私も勢いよくサンドイッチにかぶりつく。口の端についたパン屑を、旦那様の親指が優しく拭う。
「愛しているよ、フィリア」
「な、なんですか藪から棒に」
「無性に言いたくなってしまったんだ」
突然甘ったるい瞳で私を見つめるものだから、喉にパンとハムを詰まらせそうになった。
旦那様はいつだって、こんな私を認めてくれる。否定せずに受け止めて、問題が起こればしっかり話し合いの時間を設けて、決して女だからと見下したりしない。
これからも、彼が私に与えてくれる気持ちを当たり前だと思わずに、手を取り合って生きていきたいと思う。
気恥ずかしさを誤魔化すように次のスコーンに手を伸ばす私に、旦那様が思い出したように「そういえば」と別の話を切り出した。
「フィリアのおかげで、ヴァンドーム家の評判がさらに上がっている」
「私ですか?それは旦那様が、手付かずの庭を整備してくださったから」
「君の提案がなければ、きっとそのままだっただろう」
柔らかな表情でそう言われると、なんだか誇らしい気分になる。けれどあれは本当に、私の功績ではない。
広大過ぎるヴァンドームのお屋敷の中には、整備されていない土地があった。ある日何気なく「もったいないから、ここで遊べたらいいのに」と漏らした言葉を、彼はただの世間話として流さなかった。
すぐさま整備に取り掛かり、荒地だったのを見事な芝生と木製の遊具、それに素敵な温室まで建ててくれた。そうして私は月に数度、そこで領民の子ども達を招いて一緒に遊んでいるのだ。幸い、野遊びスキルと虫や草花の知識は溢れるほどにあるので、とても喜ばれた。
ブルーメルは豊かで住み良い町だけれど、いかんせん王都から遠過ぎる。学園を卒業した子ども達はそのまま王都に移り住むことも多いらしく、若者が減ってしまうのは領地にとって由々しき問題でもある。
「フィリアと遊ぼう」イベントが功を奏したかどうかは分からないけれど、やっぱり子ども達が伸び伸びと過ごせる環境は、多いに越したことはない。
まぁ実際は、私自身が誰よりも一番泥だらけになって楽しんでいるのだから、戦略も何もあったものじゃない。というより、夢のように楽しい毎日で私の方が感謝しているくらいなのだから。
「これも全部、旦那様と結婚したおかげです。私は世界一の幸せ者だと、堂々と胸を張って言えます」
「それは僕の台詞だ。フィリアが愛おし過ぎて、毎晩寝顔を見るたびに泣きそうになる」
「それはもう、夫というより父親みたいですね」
悪戯っぽい笑みを浮かべながら、揶揄うような視線で旦那様を見つめる。ほんの少し頬を膨らませたかと思えば、流れるような動作で私の唇を奪った。
「親子でこんなキスはしないだろう?」
「……オズベルト様の、意地悪」
「そんな可愛らしい顔で睨んでも、余計に火を付けるだけだ」
彼はしたり顔でそう言うと、もう一度優しい口付けをする。こうなったらもう、どう足掻いても私は勝てない。
「いつまで経っても顔を赤らめて、君は本当に可愛いな」
「そういう旦那様は、すっかりキスがお上手になりましたね」
照れ隠しにぷいっとそっぽを向いた私に、彼は楽しげにくつくつと喉を鳴らす。頬を突かれたり肩をくすぐられたりしていると、次第にじゃれ合いのようになってお互い目を見合わせながら笑った。
「ああ、楽しい!こんなに幸せで、いつかバチが当たりそうです」
「そんなことはない。この先いつか家族が増えたら、その分だけ幸せも増える。もっともっと楽しい未来しか見えないな」
旦那様が優しく私の腰を抱き、身を預けるようにこてんと彼の肩にもたれかかる。爽やかな風が吹いて、目の前に広がる綺麗な若草色の芝生がざあっと音を立てて揺れた瞬間、彼の口にした未来の光景がそこに浮かんだ気がした。
「じゃあもし将来私達の子ども達が『クッキーとケーキ、どっちを先に食べよう』なんて悩んだら、とっておきの秘訣を伝授しなければいけませんね。神様とサイコロ、どっちに決めてもらおうか?って」
「ははっ、君の言う通りだ。それはきっと、最高の道を示してくれるに違いない」
旦那様は体を揺らしながら、まるで私と同じ光景を想像しているかのように優しげな眼差しで目の前を見つめていた。
確かに、私達の始まりは運命でもなんでもなくただの適当な偶然に過ぎなかった。だけど、少しずつ彼を知っていくうちに大好きになって、今はこんな風に幸せな未来を共有出来る。
「これからもずっと、側にいてほしい」
「もちろん、それがいちばんの選択ですから」
自然に綻ぶ頬をそのままに、光り輝く太陽に向かって人差し指をまっすぐ突き上げたのだった。
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