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異世界で奴隷を買いました
1. プロローグと憂鬱な日常
しおりを挟む「ニーナ……愛してる、ずっとここに居てくれ」
熱い吐息が頬を撫でる。ごつごつと男らしく骨ばった手ががっしりと私の両手首をつかんで、ベッドに縫い付けられている。目の前に迫る顔はくらくらするほどの美形。よく日に焼けた褐色の肌に高い鼻。切れ長の瞳は黒曜石のように輝いていて、薄い唇の端から覗く八重歯がセクシーだ。
そんなとんでもない美形の彼はどこか苦しそうな顔をして、まるで私に懇願するかのように愛を囁いている。ただしベッドの上で。
いやなんで!? ど、どういうこと!?
俗に言う貞操の危機なんだろう。だけどそれよりも私はこの状況が全く理解できなくて、頭の中で誰が説明してよと叫んだ。
◇◇◇◇◇
「広森さーん。この書類、また間違えてるよ」
「ええ! すみません!」
「えぇって……しっかりしてよ。何年目なの」
ざわざわと人が出入りするオフィス。グレーが基調の平凡そのものの職場。その一角で、営業社員らしいスマートなスーツを着こなした若い男が、目の前の地味な女を怒っている。
そして怒られているのが私、広森荷菜(ひろもり にな)だ。残念なことに。
「すみません……あれ? でも、これ……」
「でもじゃないだろ? じゃあよろしくね!」
私が書類を指しながら口の中でもごもごと反論しようとするが、若い男はほぼ無理やり書類を押し付けるとくるりと踵を返して行ってしまった。ひらひらと手を振られて、その背中を引き留めることもできずに私は唇を噛みしめた。
私の仕事は保険会社の営業事務。だけどこれほど自分に向いていない職業はないと思う。やたらと煩い陽キャの集まりみたいな保険会社の営業社員。彼らの持ってくる書類のミスを見つけたり、足りない書類がないかどうかチェックしたり。他にもお客様対応に社内書類のとりまとめ。それが私の仕事だ。お給料が良かったし、大手会社だから研修がしっかりしていると聞いて入社したけれど……間違いだった。いくら研修を頑張って知識があっても、営業社員から優遇されて評価が高いのは美人だったり可愛かったりして愛想のいい女の子たち。私みたいに地味で陰気な女はお荷物扱いなのだ。たとえ仕事にミスがなくても。
手渡された書類を見て、ふぅとため息を吐く。
「…………この書類、作ったの私じゃないのに」
書類の下に書かれているのは、可愛いと有名な新入社員の女の子の名前。それを彼が気が付いて私に押し付けたのかそうじゃないのかは分からないけど、言い訳すらさせてもらえずに怒られて、慣れたこととは言え気分が落ち込む。落ち込むだけじゃなくてこの話が上司に伝わったら、また評価が下がるかもしれない。日本企業だから首を切られることはなくても、面談でまた嫌味を言われてしまうかも。上司も、知識があるとかミスが少ないなんてことは評価せずに「もっと笑顔で」とか「もっと化粧したら?」なんていう昭和なことを言ってくるのだ。ブスが明るくしたら明るくしたで、馬鹿にしてくるくせに。
そのことを考えてますます気分が下向きになって、私は書類をしまうとそっと席を立った。
もう入社して何年だっただろう。いつかみんなが顔じゃなくて中身を評価してくれると思っていたけど……いつまで経ってもそんな時は訪れないようだった。人の少ない女子トイレに体を引き摺って入ると、扉を閉めて下を向く。
ちょっとだけ。ちょっとだけ休憩して、席に戻らないと。だって辞めたってどこも行くところないし。
でも、もし私なら冷遇されている人がいたら助けるのに……。なんでこんな職場を選んじゃったんだろ。
そう思って目を瞑っていると、急にふわりと意識が遠のいていく。え、どうしよう。貧血? なんで急に。
あ、ヤバイ本当に倒れるかも。
そう思った次の瞬間には、もう意識が途切れていた。
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