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第一部 誕嬢篇

「私」の決意

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 困ったことになった。一体どうすればいいのだろう。

 奈津美ならばゲームの知識を活かして、破滅に繋がりそうなフラグを回避していくこともできたのかも知れないが、残念ながら私には、あの悲劇的なラスト以外の情報がほとんどなかった。

 奈津美の話を聞き流していたこと、今さらながらに後悔してがっくりと肩を落とす。

「あっあの、エリシャ様、どこかお加減よろしくないのでは……」 

 紅茶のおかわりを注ぎ終えた侍女さんが、そんな私の顔を覗き込みながら問いかけてくる。整った眉をキュッと寄せ、青みを帯びた灰色の瞳を曇らせて、本気で心配そうな表情だ。

「ありがとう、でも私は元気だから心配しないで」

 無理やりの笑顔で答えたものの、ますます表情を暗くする彼女の様子を見て、失敗したことに気付く。感謝とか気遣いとか、普段なら絶対に口にしない言葉をかける私に、もしかしたら不信感を抱かせてしまったかも知れない。
 
「ええと……私、どこか変?」

 直球で聞いてみた。すると彼女は何かを口にしかけて言い淀む、ということを五回ほど繰り返したのち、ひとつ大きくうなずいて、壁に据え付けられた大きな姿見かがみのほうを手で示すのだった。

 私はその前に移動して、鏡像じぶんをまじまじと覗き込む。

 陶磁器のような白い肌に、はずしたナイトキャップから溢れる長くつやめく黒髪。上品に整った顔立ちを際立てるシャープな柳眉と、猫みたいなアーモンドアイのなかで紫色に輝く瞳。

 ──これが自分だとは到底思えない、超が三つは付きそうな美少女だ。

 あー、このまま日本に戻れたら、アイドルから女優になって特撮出演のオーディション受けまくってやるのに。

 そして同時に、違和感も感じていた。その顔が衿沙でないのは当然なのだが、エリシャとしてもなにかが違う。

 いやもちろん、きのう見たゲームやアニメにおける二次元イラストのそれと違うのは実写だから当然として、おそらくもっと本質的なこと──ああ、そうだ、彼女の最大の個性であろう「性格の悪さ」を感じられないのだ。

「……なんだろ、表情かな……」

 目元あるいは眉根にピンと張り詰めていた糸が、ふわりと緩んだように見える。

 エリシャとしての記憶をもういちど丁寧に辿ってみる。彼女は五年前、十歳で母親を失ってからずっとダンケルハイトの家名を守るため、誰からも侮られないよう精一杯に強がって、虚勢を高く高く掲げ生きてきていた。

 けっして、誰にも心を開かずに。

 鏡の中で胸元に輝いている小さな紫水晶アメジストのペンダントは、お母様が五歳の誕生日に贈ってくれた宝物。十年間、肌身離さず身に着けたこれだけが、エリシャの心の支えだった。

 対する衿沙も、ただのほほんと生きてきたわけではない。十代のころに両親が離婚して、母親とはすっかり疎遠だし、父親の再婚相手とも馬が合わず何年も実家に帰っていない。
 大人になって、人並みの恋をして手酷い失恋もした。
 仕事にやりがいはないし、グレーゾーンを巧みに突いてくる上司のパワハラ兼セクハラにもうんざりだ。

 でもまあ、それらは我慢できないこともない。自分さえ我慢すれば波風立たないのだから、それでいいのだ。幸い衿沙わたしにはオタトークのできる友達がいて、そしてなにより最高の特撮いやしがあった。

 エリシャの心を五年間でがんじがらめにしていた糸が、そんな衿沙と融け合ったことでゆるやかにほどけつつある。その結果、表情がまるで別人のように柔らかに変化したのだろう。

 結局のところ、衿沙がエリシャの前世なのか、それとも人格が憑依したのか、そのへんはよくわからなかった。ただ、ひとつだけ決めたことがある。

 自分自身の運命だからという以前に、鏡の中めのまえの孤独な少女の命を、理不尽な結末から救いたい。
 特撮から学んだ使命せいぎ感に従って、衿沙わたしエリシャ わたし のあんまりな運命シナリオを、どうにかして変えてみせる。

 心の中で私は、そう推し達ヒーローに誓った。

 ──気付けば、鏡の中の私の瞳からは、どちらのものともとれない涙が一筋、こぼれ落ちていた。
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