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後日談
本職《killer》
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──公園のベンチの端に、少女がひとり座っている。
仕立てのいい水色のワンピースを着て、じっと遠くを見つめている。雑木林のつくる木陰が、夏のぎらつく日差しから彼女の青白い肌を守ってくれていた。
長い髪がすこし栗色掛かって見えるのは、染めているのではなくて一本一本が細いせいだろう。
「こんにちは」
横合いから唐突に、愛らしい声で挨拶が飛んでくる。体を強ばらせつつ声の方に顔を向けると、そこには彼女と同年代の少女が立っていた。
高校の制服だろうネイビーチェックのスカートに、グレーのカーディガンの首元からは白い襟とえんじのリボンがのぞいている。
つややかな黒髪を二つ結びにした、愛らしい声に相応しいこの美少女は、名を【匂坂 羽摘】という。
「──座ってもいい?」
少女の座るベンチの反対側の端を視線で示して、羽摘は問いかけた。少女は美しい来客の姿を少し観察してから、無言でうなずく。
「ありがとう」
にっこり笑って、羽摘はそこに腰を下ろした。三人掛けサイズのベンチなので、真ん中にひとりぶんの隙間が空いている。
「あなたが、ユリネちゃん?」
「……うん」
一拍置いて、ユリネと呼ばれた少女は答える。
「#pekekoを見たひと?」
「うん、気になって」
羽摘が #pekeko で見つけたアカウント「ユリネ」は、毎日おなじ時間に同じ内容を投稿し、数分後に削除するという行為を繰り返していた。すくなくともここ五日間、日課のように欠かすことなく。
「“わたしをころしにきて”」
羽摘が呟く。それが、書き込まれていた言葉だった。毎日、同じタイムスタンプ──かの『ペケ子の動画』がいちばん最初に投稿されたのと、寸分違わず同じ時刻に。
添えられた数十桁の数列を、日付とGoogle MAPの座標だと仮定し、羽摘は今日ここに辿り着いたのである。
「──私ね、これから殺されるの」
厚みも血色も薄い唇からこぼれるユリネ──揺音の声は、耳を澄まさないと聞き逃してしまうほどに弱々しかった。
「そう、なんだ」
驚くわけでもなく、羽摘は相槌を打つ。
平日の昼前、周囲に他の人影は見えない。数年ほど前、ここより住宅地の近くに、広くて遊具のたくさんある公園が作られたせいだ。
「だからね、どうせ死ぬなら私、あのこに殺してほしかったの」
ここの遊具と言えば、砂場の横に並ぶ、塗装がはげて地獄から這い出してきたような姿になった動物たちぐらいだ。不用意に跨ろうものなら、きっと呪われてしまう。
「私、あのこが好き。あんなふうになりたかったけど、私はすごく体が弱くって。だから、せめてあのこに」
『あのこ』とは、ペケ子のことだろう。まっすぐ前方を見つめたままで、揺音はそう締めくくった。
「揺音ちゃんは、なぜ殺されなきゃいけないの?」
羽摘は、そんな揺音の青白い横顔を見つめながら問いかける。
「莉々子さん……おじいちゃんの奥さんがね、私が居ると遺産を相続できないから」
彼女は『おばあちゃん』ではなく『おじいちゃんの奥さん』と言った。それで、大方の事情は察しがつく。
「そうじゃなく。揺音ちゃんは、あのこに殺されるようなこと、したの?」
「うん、したよ……私ね、おじいちゃんと……」
そこまで言って、彼女は言葉を飲み込んだ。まっすぐ見つめる視線の先、高いポールの上に鎮座した丸い時計の文字盤を確かめながら、替わりに別の言葉を口にする。
「ねえ、あなたは……あのこじゃ、ないの?」
揺音は視線を羽摘に向けて、核心に触れる問いを放った。
「あのこなら、早く私を殺して。あのこじゃないなら、お願いだからもう帰って。もうすぐ、あの人が来る……」
そして、そう続ける。
「あの人、って?」
「伊藤さん──っていうのはきっとほんとの名前じゃないだろうけど。梨々子さんが連れてきた使用人のおじさん。たぶん……おじいちゃんと、パパとママのことも殺したひと」
揺音の声に、憎しみはなかった。ただ諦観だけが、虚ろな瞳をはじめ、彼女のほとんどすべてを暗く覆っているのだった。
「だからお願い、もう帰って。たぶん警察とかは呼んでもだめだと思う」
そんな彼女が最期に抱いた唯一の希望が、自分の意志でペケ子に殺してもらうことだったのだろう。一体、そのためにどれだけの準備をして伊藤という男──おそらくは裏稼業のプロ──を出し抜き、この場所で想い人を待つ時間を捻出したのか。
「私、友達もいないから、さいごにあなたとお話できて嬉しかった。だからね、逃げて」
きっとそれは彼女にとって、まさに命を懸けた偉業だったことだろう。
「ちなみに、揺音ちゃん」
しかしその警告と懇願が聞こえないかのように平然としたまま、羽摘は揺音のさらに後方に視線を向けて言った。
「伊藤って、あいつのこと?」
その視線の先、公園横の細道に乗りつけた黒の高級車。降り立ったダークグレーのスーツを上品に着こなす初老の男が、まっすぐこちらに向かって歩いてくる。
特に長身というわけではないが、均整の取れたスタイルに真っすぐ伸びた背筋は、どこかアスリートのようにさえ見える。
「……ああ、もう来たんだ……そう……本当にごめんなさい、巻き込んでしまって……」
上品な歩き方に反する速さで、地獄の動物たちを跨ぎつつみるみる近付いてくる男──伊藤は、綺麗に七三分けのロマンスグレーで、特徴はないが整った顔立ちに、やわらかな微笑みを貼り付けたように浮かべていた。
「──やあ、良かった。お嬢様にはお友達がいないと聞き及んでおりましたが、ちゃんと、こんなに可愛らしい方がいらしたのですね」
標的のはずの揺音の前を通り過ぎ、羽摘の前に真っすぐ立って見下ろした彼は、よく回る舌でそう話しかけてくる。
「それなら寂しくありませんね。お嬢様のこと、今後ともよろしくお願いいたします」
握手を求めるように無造作に差し出した右手には、ごく当前に黒い拳銃が握られている。その銃口を羽摘の眉間にぴったり合わせ、伊藤は一寸の躊躇もなく引き金を引いていた。
仕立てのいい水色のワンピースを着て、じっと遠くを見つめている。雑木林のつくる木陰が、夏のぎらつく日差しから彼女の青白い肌を守ってくれていた。
長い髪がすこし栗色掛かって見えるのは、染めているのではなくて一本一本が細いせいだろう。
「こんにちは」
横合いから唐突に、愛らしい声で挨拶が飛んでくる。体を強ばらせつつ声の方に顔を向けると、そこには彼女と同年代の少女が立っていた。
高校の制服だろうネイビーチェックのスカートに、グレーのカーディガンの首元からは白い襟とえんじのリボンがのぞいている。
つややかな黒髪を二つ結びにした、愛らしい声に相応しいこの美少女は、名を【匂坂 羽摘】という。
「──座ってもいい?」
少女の座るベンチの反対側の端を視線で示して、羽摘は問いかけた。少女は美しい来客の姿を少し観察してから、無言でうなずく。
「ありがとう」
にっこり笑って、羽摘はそこに腰を下ろした。三人掛けサイズのベンチなので、真ん中にひとりぶんの隙間が空いている。
「あなたが、ユリネちゃん?」
「……うん」
一拍置いて、ユリネと呼ばれた少女は答える。
「#pekekoを見たひと?」
「うん、気になって」
羽摘が #pekeko で見つけたアカウント「ユリネ」は、毎日おなじ時間に同じ内容を投稿し、数分後に削除するという行為を繰り返していた。すくなくともここ五日間、日課のように欠かすことなく。
「“わたしをころしにきて”」
羽摘が呟く。それが、書き込まれていた言葉だった。毎日、同じタイムスタンプ──かの『ペケ子の動画』がいちばん最初に投稿されたのと、寸分違わず同じ時刻に。
添えられた数十桁の数列を、日付とGoogle MAPの座標だと仮定し、羽摘は今日ここに辿り着いたのである。
「──私ね、これから殺されるの」
厚みも血色も薄い唇からこぼれるユリネ──揺音の声は、耳を澄まさないと聞き逃してしまうほどに弱々しかった。
「そう、なんだ」
驚くわけでもなく、羽摘は相槌を打つ。
平日の昼前、周囲に他の人影は見えない。数年ほど前、ここより住宅地の近くに、広くて遊具のたくさんある公園が作られたせいだ。
「だからね、どうせ死ぬなら私、あのこに殺してほしかったの」
ここの遊具と言えば、砂場の横に並ぶ、塗装がはげて地獄から這い出してきたような姿になった動物たちぐらいだ。不用意に跨ろうものなら、きっと呪われてしまう。
「私、あのこが好き。あんなふうになりたかったけど、私はすごく体が弱くって。だから、せめてあのこに」
『あのこ』とは、ペケ子のことだろう。まっすぐ前方を見つめたままで、揺音はそう締めくくった。
「揺音ちゃんは、なぜ殺されなきゃいけないの?」
羽摘は、そんな揺音の青白い横顔を見つめながら問いかける。
「莉々子さん……おじいちゃんの奥さんがね、私が居ると遺産を相続できないから」
彼女は『おばあちゃん』ではなく『おじいちゃんの奥さん』と言った。それで、大方の事情は察しがつく。
「そうじゃなく。揺音ちゃんは、あのこに殺されるようなこと、したの?」
「うん、したよ……私ね、おじいちゃんと……」
そこまで言って、彼女は言葉を飲み込んだ。まっすぐ見つめる視線の先、高いポールの上に鎮座した丸い時計の文字盤を確かめながら、替わりに別の言葉を口にする。
「ねえ、あなたは……あのこじゃ、ないの?」
揺音は視線を羽摘に向けて、核心に触れる問いを放った。
「あのこなら、早く私を殺して。あのこじゃないなら、お願いだからもう帰って。もうすぐ、あの人が来る……」
そして、そう続ける。
「あの人、って?」
「伊藤さん──っていうのはきっとほんとの名前じゃないだろうけど。梨々子さんが連れてきた使用人のおじさん。たぶん……おじいちゃんと、パパとママのことも殺したひと」
揺音の声に、憎しみはなかった。ただ諦観だけが、虚ろな瞳をはじめ、彼女のほとんどすべてを暗く覆っているのだった。
「だからお願い、もう帰って。たぶん警察とかは呼んでもだめだと思う」
そんな彼女が最期に抱いた唯一の希望が、自分の意志でペケ子に殺してもらうことだったのだろう。一体、そのためにどれだけの準備をして伊藤という男──おそらくは裏稼業のプロ──を出し抜き、この場所で想い人を待つ時間を捻出したのか。
「私、友達もいないから、さいごにあなたとお話できて嬉しかった。だからね、逃げて」
きっとそれは彼女にとって、まさに命を懸けた偉業だったことだろう。
「ちなみに、揺音ちゃん」
しかしその警告と懇願が聞こえないかのように平然としたまま、羽摘は揺音のさらに後方に視線を向けて言った。
「伊藤って、あいつのこと?」
その視線の先、公園横の細道に乗りつけた黒の高級車。降り立ったダークグレーのスーツを上品に着こなす初老の男が、まっすぐこちらに向かって歩いてくる。
特に長身というわけではないが、均整の取れたスタイルに真っすぐ伸びた背筋は、どこかアスリートのようにさえ見える。
「……ああ、もう来たんだ……そう……本当にごめんなさい、巻き込んでしまって……」
上品な歩き方に反する速さで、地獄の動物たちを跨ぎつつみるみる近付いてくる男──伊藤は、綺麗に七三分けのロマンスグレーで、特徴はないが整った顔立ちに、やわらかな微笑みを貼り付けたように浮かべていた。
「──やあ、良かった。お嬢様にはお友達がいないと聞き及んでおりましたが、ちゃんと、こんなに可愛らしい方がいらしたのですね」
標的のはずの揺音の前を通り過ぎ、羽摘の前に真っすぐ立って見下ろした彼は、よく回る舌でそう話しかけてくる。
「それなら寂しくありませんね。お嬢様のこと、今後ともよろしくお願いいたします」
握手を求めるように無造作に差し出した右手には、ごく当前に黒い拳銃が握られている。その銃口を羽摘の眉間にぴったり合わせ、伊藤は一寸の躊躇もなく引き金を引いていた。
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