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第一章

第一話 純白の奇跡(一)

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 ここは蛍宮《けいきゅう》という国だ。人間と獣人、有翼人の三種族平等を掲げている珍しい国で、孤児難民の受け入れも積極的なので有翼人も多く集まっている。
 しかし私には生活し難い土地でもある。年中温暖で汗が収まる時期が無いのだ。
 今日も少し暑い。動けば羽の熱で汗をかき、母に水浴びの手間をかけるだけだからじっとしている。
 毎日天井を見つめるだけなんて、生きている意義を見失いそうになってくる。
 ぼんやりしていると、ばたばたと激しい足音がした。勢いよく扉が開き、駆け込んできたのは仕事に出ていたはずの母だった。

「朱莉《あかり》! すごい話を聞いたよ! 羽は小さくできるんだって!」
「……何言ってるの。そんなことできるわけないじゃない」
「できるんだよ! 立珂《りっか》様は羽を小さくして歩けるようになったって!」
「ちょっと落ち着いて。立珂様って誰?」
「殿下の御来賓よ! 立珂様に聞いてくるわ。待ってなさい!」

 母は泥に汚れた服を脱ぎ捨て多少綺麗なものに着替えると、私の回答など一つも聞かないうちに家を飛び出て行ってしまった。
 嵐のように帰宅し夢物語を語った母を見送ると、私は脱力して寝台に転がった。

「小さくなんて嘘よ。抜いたってすぐ生えてくるんだから」

 有翼人は多くが引きこもっているから生態の解明が進まない――と言われている。
 実際自分でも分からないことばかりで、その代表がこの羽だ。
 何のために付いているかも分からず、一枚抜いても数日で元通りだ。
 全部抜いていやろうと思ったこともあったが、抜きすぎると具合が悪くなる。意識不明に陥った者もいるという。

「それに方法があっても教えてくれないわよ。殿下の来賓なんて高貴な方が相手にしてくれるわけがない」

 来賓は国の重要人物だ。国の隅で埃まみれになってる家に来るわけがない。
 そんな眉唾に踊らされ、仕事を放り投げた母が雇い主に叱咤されるのは愚か――申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
 しかしそれは一転した。なんと母は二人の少年を連れて帰って来たのだ。

「朱莉! 立珂様が来て下さったよ!」

 私は全く信じていなかった。
 妙な宗教団体にはまっていたらどうしようと思ったが、少年を見て私は震えた。
 そこにいたのは純白の羽根を持つ少年だった。
 ぷくぷくの頬に愛らしい笑顔、そして目を離せないお洒落な服。

「立珂様……⁉」

 それはかつて見た幻だった。幻想だと言い聞かせた、奇跡を体現した子だった。
 この子が立珂様⁉
 どくんと心臓が跳ねた。私の本能が何かを察した。
 これで私の日常が変わると、そう確信できるほど立珂様の羽は美しかった。
 私はあの時なんと声を掛けようとしたのだったか。今なにを言えばいいだろうか。
 どうしたら良いか分からずにいると、立珂様はくいくいっと一緒にやって来た黒髪の少年の袖を引いた。よく見ればあの時立珂様を抱いていた少年だ。 

「薄珂《はっか》」
「うん。羽見せてもらってもいい?」
「は、はい……」

 名前からして兄弟だろうか。薄珂様は私の後ろに座ると羽に手を突っ込んだ。
 羽は髪の毛みたいな物だから気持ちが悪いとは思わないが、無遠慮に掻き回されるのは良い気はしない。
 母もそう思ったのか、訝し気な顔で薄珂様を覗き込んでいる。

「あの、何を」
「大丈夫だよ! 僕いつも薄珂にやってもらってるから!」
「そ、そうなんですか?」

 立珂様はぴょんぴょんと飛び跳ねた。羽に呑み込まれる私にはできない動きだ。
 ふいに薄珂様の指先が私の背に触れた。さすがに驚いたが、薄珂様はばさりと私の羽を持ち上げ顔ごと入り、何かを確認しているようだった。

「ああ、立珂と同じだ」
「治りますか⁉」
「うん。今やっていい?」
「ここでできるんですか⁉」
「どこでもできるよ。でも何やるか見てもらった方がいいかな。立珂」
「はあい!」

 立珂様がくるりと背を向けると、薄珂様は同じように立珂様の羽に手を差し込み何かを探っている。

「あった。立珂、準備いいか?」
「どぞ!」
「二人とも見ててね。せーの」
「んにゃー!」

 薄珂様は声掛けと同時に、立珂様の羽の中から手を引き抜いた。
 その手には何かが握られていた。何かではない。羽だ。立珂様の羽を抜いたのだ。
 しかし抜けたのは一枚だけではない。立珂様の悲鳴と同時に、ばらばらと大量に羽根が抜け落ちた。立珂様の足元は純白の羽根でいっぱいになった。

「こ、これ……」
「やはり立珂様もご病気で⁉」
「ちがうよー。羽は間引くんだよ」
「ええと、病気ではなく?」

「違うよ。有翼人はみんな同じ。大元を引っ張ると一気に抜けるよ。触ってみて」

 薄珂様は母の手を引っ張って私の羽の中を一緒に掻き回していた。
 つんっとまた薄珂様の指先が触れ、その指を追って母の指も辿り着いて来た。

「膨らんでますね」
「そう。ここの羽を一気に引っ張る」
「でも身体の中がにゅるーってするの。くすぐったいけど我慢ね」
「やってみて。二重になってるとこ抜けば見た目あんまり変わらないよ」
「分かりました。朱莉。抜きますよ」
「うん……」

 母は少し怯えながらも、薄珂様が示してくれた場所の羽をぐっと握りしめた。
 そしてすうっと息を吸い込むと、母は思い切り私の羽を引いた。

「ひゃあ!」

 立珂様が言うようににゅるりとした気味の悪い感覚が体内に広がった。
 何かが勢いよく体内を通り抜けたような感覚だったが、足元を見てそんなことは吹き飛んだ。
 羽根だ。薄汚れた私の羽根が足元に広がっている。
 大量に抜けたそれは間違いなく私の羽根だった。

「ぬ、抜けた! 朱莉! 抜けたわ!」
「軽くなった! もう、今、今もう軽いわ!」
「でしょー! 感動でしょー!」
「これはどれほど抜いて良いんですか⁉」
「好きなだけ。とりあえず歩ける程度にして様子見るといいよ」
「分かりました! 朱莉!」
「うん!」

 母はどんどん羽根を抜いてくれて、そのたびに背が軽くなっていく。
 数分で私の羽根の半分以上が床に落ち、私は壁に寄りかかりながら足を起こした。
 少しだけ力を入れると、一度もできなかった一人での直立があっさりと叶った。

「立てる! 歩けるわ!」
「朱莉!」

 私は母に抱き着いた。自分から駆け寄ったなんていつ以来だろうか。
 母は声を上げて泣いて喜び、つられて私もぼろぼろ涙がでてきた。何故か薄珂様も涙目になっていたけれど、立珂様だけはふんふんと鼻息を荒くしていた。
 立珂様は一歩ずいっと前に出て来て、ぱっと両手を開いた。

「まだだよ! 次はお着替えの時間!」
「お着替え?」
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