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第一章

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 この世界には三つの種族がいる。人間と獣人、そしてそのどちらでもない有翼人だ。

 私の母は人間だ。死んだ父は鳥獣人だったけど、私は有翼人として生まれた。
 有翼人は人間でありながら背に羽を持つ。けれど羽は神経が通っていない。鳥のように飛ぶどころか動かすこともできないのでお荷物でしかない。
 重い……暑い……
 私の羽はとても大きい。身体を覆うほどの羽は歩くことも許してくれない。
 異常なまでに保温性が高いため少し動けば汗をかき、羽根が触れると痒くて掻きむしるのでまた皮膚炎になる。
 動けないから働くこともできず、働きに出る母を見送るしかできない。
 しかしその稼ぎは私の皮膚炎の薬代に消え、そんな私は食事を与えらえるのを待つだけだ。
 ……有翼人にさえ生まれなければ
 苦労して育ててくれる母にそう叫びたい気持ちを抑えて生きる。それが私という生き物だった。

*

 母が朝から働きに出て数時間経ち、私は黙々と刺繍していた。
 別に手芸が好きなわけではない。動かず家の中でできる仕事しかできないので消去法でこれになっただけだ。
 しかしお金を払って刺繍をさせるなんてどういう金持ちなのだろうか。
 だがせめて自分の薬代くらいは自分で稼ぎたい。例えつまらない仕事でも贅沢は言えない。
 それでも節約のため灯りすら付けられない薄暗い部屋でちくちくやるのは気が滅入る。
 気晴らしに外へ出ようと、私は四つん這いで扉を開けた。そよそよとそよぐ風は心地良く、杖を突きながら日陰をそろそろと歩いた。
 するとその時だった。そこで私は許せないものを見てしまった。

「……あれは何?」

 通りの向こうに何かがいた。十二、三歳だろうか。私よりも十歳は若い有翼人の少年で、人間の姿をした黒髪の少年に抱っこされている。
 だが羽は背より少し大きいくらいで歩くことに難はなさそうだった。何故抱っこする必要があるのか分からない。
 しかし私が驚いたのはそれではない。羽の色だ。少年の羽は作りものかと疑うほど真っ白だったのだ。

「純白の羽なんてありえない! 普通は何かに色が寄ってるわ!」

 私の羽は枯れた銀杏の葉のようにくすんでいる。けれど私が特別こうだというわけじゃない。
 有翼人の羽はそれなりに薄汚れているものなのだ。純白の羽なんて天使とかいう苦労知らずな架空の生き物で、そんなのは有翼人という現実を苦しむ生き物ではない。
 それでも少年の羽は白く輝いていた。愕然として見つめていると、もう一つ輝くものが目に飛び込んできた。
 それは純白の羽根を持つ少年の服だ。身体にぴったりと沿う細身の仕上がりで、きちんと羽が出ているけれど背はどこも露出していない。

「何? どうしてあの子は普通の服を着れるの?」

 有翼人は服らしい服を着ない。万人が布を巻き付けるだけだ。これは貧乏だからではない。羽を出せる既製服が存在しないからだ。
 人間と獣人は同じ服で良いが、常に羽のある有翼人だけはそうはいかない。
 しかし有翼人は私と同じ理由でに動けない者ばかりで、専用の服を作る事業を始める余力などないのだ。
 仕方なく人間の服に穴を開けるが、ここで大きな問題がある。穴を開けたところで一人で脱ぎ着はできないのだ。
 誰かが羽を穴に通す作業が必要で、それを一人でやろうものなら汗だくだ。羽を抜き差しするうちに穴は広がり、二、三日すればもはやただの布切れになり下がる。
 つまりどうしたって布を巻くだけになり、それが有翼人の服なのだ。
 けれど純白の羽根を持つ少年の服は違っていた。ぴたりと身体に沿い、羽を出していても肌は全く露出をしていなかった。

「あの服どうなってるんだろう。私でも着れるのかな……」

 私は釘付けになった。地模様が薄っすらと煌めく黄色い生地に黄金の刺繍。縁取る緑の生地も煌めいているが、決して下品ではない。
 しかし不思議な形状だった。肩や脇にやたらと釦が付いている。前身頃と後身頃で生地が異なり、ぱっと見る限りで後身頃はとても薄い生地のようだった。
 異素材だわ。それも違和感の生まれない絶妙な組み合わせ。釦は多いけど服本体に柄が無いから全体を引き締める役割になってる。すごくお洒落……
 手芸に興味はないけれど、続けていれば服飾に関する知識だけは増えていた。見たこともない形状と高級な生地、悔しいけれど私の手では到底作れない繊細な刺繍に釘付けとなってしまった。
 私は無意識のうちに手を伸ばしたが、純白の羽根を持つ少年は抱っこして貰っていた腕からぴょんと飛び降りると元気いっぱいに走り出す。
 ふいに見えた顔は柔らかそうなぷくぷくの頬と、羽よりも眩い輝きを放つ笑顔だった。
 とても愛らしくて、幸せいっぱいと言わんばかりの笑顔は私なんかが声をかけて良い存在ではなかった。
 美しい羽に駆ける脚。軽々抱いてくれる人もいる。同じ有翼人なのにどうして私は……
 杖を握る手から力が抜け、私は転ぶように座り込んだ。その拍子にがりっと小石が頬を抉った。

「おい。大丈夫か」

 ふと視界が暗くなり男の声がした。憐れんでくれたのか、手を差し伸べてくれている。
 見上げると、そこにいたのは一人の青年だった。人間か獣人かは分からないが、背に羽が無いということは有翼人ではない。
 私とは違う。

「大丈夫か?」
「……大丈夫に見えますか」
「ああ、いや……」
「放っておいてください」

 哀れみの手に縋りたくないという自尊心だけは高く、私は杖を頼りになんとか一人で家に戻った。
 汚れた羽を叩いてから床に広げて、その上にごろりと転がった。敷布団を必要としないことだけがこの薄汚れた羽の利点だ。
 きっとあの子はふかふかの布団で眠るんでしょうね。あんなお洒落な服、絶対お金持ちよ。
 そんな醜い嫌味を念じるしかできない自分が愚かなことは分かっていた。それでも瞼を閉じれば純白の羽根を持つお洒落な少年の姿が脳裏に浮かんでくる。
 有翼人が欲しいものを全て持っていた。羨ましくてたまらない。
 ――ああ、そうか。あれは幻だったんだ。私の理想を形にした幻影。誰も手に入れられない憧れ。
 そう言い聞かせて私は天井を見つめた。
 私は疲れていた。ひどく、ひどく疲れていた。
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