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第31話 鯉屋の主

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 「あなたの望む改革をやってあげます。だから今の主を捨てて僕に付いて下さい」

 それは何の保証もない宣言だった。
 けれどその力強い言葉にこの場の誰もが息を飲んだ。産まれてからずっと一緒に育って来た累ですら、目を見開いて息を詰まらせた。
 大旦那を名乗る男は卸鈴を手に取り、そしてそれを懐にしまい込んだ。

 「……君がこんな強い人だとはね」

 大旦那を名乗る男は結と同じ顔をしている累をちらりと見て嬉しそうに微笑んでから、すうっと息を吸い再び結と目を合わせた。 

 「そうだよ。私はある方の指示で大旦那を演じる代理人だ」
 「お、大旦那様……まさか、そんな……」
 「大旦那なんてただの役職名さ」
 「それでも現場を任されたのは信頼されているからでしょう。何故裏切ったんです」

 まだ鯉屋を継いだわけでもないのに、結の強い言葉は大旦那を名乗っていた男の心を鋭く切り付けた。
 大旦那を名乗っていた男は傷口を抑えるように胸を抑え、跡取りからその双子の兄へと目を移す。そしてぐっと唇を強く噛み、しおしおと身体を丸めていく。

 「……君に賭けたかった。この世界を変え人々を救ってくれると」
 「人々を?それは具体的に誰の事です」
 「全てだ」
 「それってつまり」

 結は疑問を投げかけようとしたけれど、それを遮って声を荒げたのは依都だった。
 神威を押しのけ飛び出して、大旦那を名乗っていた男の胸倉を掴み上げる。

 「じゃあどうして鉢を見捨てたんですか!!」
 「より!」
 「鉢の人はひもじくて出目金に襲われて大店の人に暴力振るわれて!救いたいならまず鉢を守ってよ!」

 依都は幼い見た目に反していつも理性的で、感情任せに人に当たる事など一度も無かった。
 そんな依都が目に涙を浮かべながら爆発する姿に累はたじろいだが、神威は落ち着け、と依都を抱きかかえるようにして大旦那を名乗っていた男から引き離した。
 しかし結は困ったような顔をして、ふうと一息ついた。

 「よりちゃんは優しいね。けどね、鉢は必要な犠牲なんだ」
 「何言ってるんですか、結様!無意味な虐殺が必要なわけないじゃないですか!」
 「違うよ。そうじゃないんだ」

 結は神威が未だに臨を警戒しているのに気付き、臨が動けないように膝の上で抱えた。

 「例えば鉢に飴を配るとする。けどその飴はどこから出てくるの?」 
 「それは鯉屋さんが手配してくれれば!」
 「飴屋は鯉屋に降らない。なら購入するか鯉屋の備蓄を配布する必要があるけど、鉢の人は鯉屋に入り切る人数かな」
 「そ、れは」
 「それに目先は凌げても継続はできないよ。だって飴もタダじゃないから。服だってそうだね。全部バラまけばある程度は行き渡るだろうけど有限だ。貰えない人はどうする?」

 それは、と依都は何も言い返せずぎゅうっと神威の袖を掴んだ。
 依都は鯉屋ならどうにでもできると漠然と思っていたし、累の弟である結ならこちらの味方に付いてくれると思っていたのだ。
 それが全て打って返され、依都は唇を小刻みに震わせた。

 「物資は有限だ。全て配布したら鯉屋も大店も一年足らずで鉢同様になるだろうね」
 「でも出目金くらいどうにかしてくれたっていいじゃないですか!」
 「それは誰が戦うの?」
 「それは、錦鯉だっています」
 「錦鯉も使い捨てで有限だよ。対して出目金は無限に出てくる。鉢全域に配布したら十日と持たない」

 無理だよ、と結は慰める言葉は一つも出さずに切って捨てた。
 結はこんな人間だったのかと落胆すると同時に、結を止める事もせず静観している累にも腹が立った。
 ひどい、と依都は無意識のうちに呟いていた。

 「鉢の人は死んでも良いんですか……」
 「良くは無いよ。でも鉢を切り捨てれば大店を含め人口の七割を占める街は生きる」
 「大店と街だけ助かればいいんですか!?」
 「じゃあよりちゃんが死ねば鉢の十人が生きられるとするよ。死んであげる?」

 結は臨を膝から降ろした。凛はぬるぬると泳いで依都を睨み、およそ鯉とは思えないほど口をがばりと開いて鋭い牙を剥き出しにする。
 子供の頭くらい噛み砕けそうな勢いでガチガチと噛みつくふりをした。
 依都は驚きのあまりどすんと尻餅をついたけれど、その時既に神威が破魔矢を抜いていた。今にも結に切りかかりそうで、累は神威と同じように結を背に庇った。
 ギリギリと睨み合いが始まったが、結はため息を吐いてから再び臨を膝に抱え込み、いいよ、と累にも座るように促した。

 「愛情は命にならないよ。絶対的に物資が必要なんだ。そのためにやるのは愛を囁く事?」
 「だって!鉢の人にはどうしようもないじゃないですか!」
 「そうだよ。だから大店を生かすんだ。どうにかできる大店を」
 「……へぁ?」
 「いい?鉢が衰退するのは鉢の中で経済が回って無いせいだよ。自給自足できないから養われるしかない」
 「だってしょうがないじゃないですか!仕事なんて無いんです!」
 「そう。今は無い。なら作ればいいんだ」

 結はぎゅうと累に抱き着いて頬を寄せた。
 すりすりとじゃれつく姿はとても今まで厳しい事を言っていた人間とは思えない。

 「累は大店に鉢の人を雇用してもらったよね。仕事は作れるんだ」
 「……じゃあ何で今まで作ってくれなかったんですか……」
 「今までの支配者が思いつかなかったからだよ。できないなら支配者の座につくべきじゃない」

 ちろりと結は大旦那を名乗っていた男を見た。
 それはまるでお前のせいだと言っているようだった。

 「大店が事業拡大すれば人手不足になり雇用が増える。やるべきは大店の経済発達だ」
 「……だから累さんは色々やってくれてたんですか……?」
 「そうそう。前に結が雇用がどうとかいう話してた事があって」
 「覚えててくれたんだね。嬉しいー」

 きゃっ、と結は累に抱き着いた。
 話す内容と振る舞いのギャップが多きすぎて、兄に甘えるこの姿も作戦なのだろうかと神威は一層結への不信感を募らせた。

 「無知は言い訳にならないけど、知恵があっても一人で守れる物の数なんてたかが知れてる。この人は無知なりに大店を守り、大店で鉢を守ろうとしたんだ」
 「け、けど、それと暴力は何の関係も無いですよ。ただのいじめです」

 いじめ、という言葉が可愛らしくて結はぷっと吹き出してしまった。

 「それはね、鉢の人が大店に入らないようにするためだよ。そうでしょう?」
 「……そうだ。立ち入り禁止の札なんて意味が無い。近寄りたくないと思わせる必要があった」
 「何でですか!入れてあげればいいじゃないですか!せめて身を守る事くらい!」
 「大店に入れて物乞いさせてあげるの?でも大店の暴力で死んだのはこっそり侵入した人だよ」
 「でも……でも……」
 「大旦那様が手加減して一人を見せしめにして鉢全員が助かるのと、何もせず鉢の大半が死ぬのどっちがいいと思う?」

 でも、と依都はぼとぼとと涙をこぼした。
 神威は咄嗟に依都の頭を抱えるように抱きしめてやると、依都はうーっと小さく唸ってその手に収まった。

 「大旦那が圧を掛けるのはあの広い鉢に安寧をもたらす苦肉の策だっんだ。よりちゃんが思うほど鯉屋は絶対じゃない」

 しんと静まり返る室内に、ぐすぐすと依都の鳴き声だけが響いた。
 神威は依都の背を擦りながら結を睨みつけ、何か言おうと口を開けたがその時すっと大旦那を名乗っていた男が立ち上がり依都の前に立った。
 神威は咄嗟に破魔矢に手を掛けたが、それと同時に大旦那を名乗っていた男は正座をし、肥大が畳に触れるまで頭を下げた。

 「……すまない」
 「お、大旦那様!ああ、いえ、ええと……」

 たとえ偽物だったとしても、今まで大旦那様と敬われていた男が土下座をした姿に、結を除いた全員がぎょっとした。
 結だけはしらっとしているが特に紫音は驚いたようで、思わず身を起こすよう肩に手を添えたけれど、大旦那を名乗っていた男はその手を制止して頭を下げ続けた。

 「私は何もできなかった。だが累殿はほんの数日で大店を味方に付け鉢を救った」
 「だから今の主を裏切った、と」
 「……裏切っているつもりはない。累殿の存在は必ずやあの方の支えとなる」
 「はあ?累が支えるのは僕なんであの方とやらの支えにはなりません」

 結のその言葉は全員に電流を走らせた。
 刺すような冷ややかな目で見降ろしたままいつものように累にぎゅうっと抱き着いて、寝言は寝てからどうぞ、と拒絶の言葉を叩きつける。
 うわあ、と神威は苦笑いを浮かべたが、累はやはり幸せそうに微笑んでよしよしと結の頭を撫でていた。わあい、とその手に収まったまま結はそうだ、と大旦那を名乗っていた男を振り返る。

 「頭上げて下さい。もう一つ教えて欲しいんですけど、あなたは跡取りをどう思いますか?あなた個人としてです」
 「……他に手を見つけたい。だが他の手が無い以上仕方のない事でもある」
 「まあそうですね。ぶっちゃけ僕が鯉屋でもそうします」

 跡取りを犠牲にする事へ賛同され、累はぎゅうっと結を抱きしめた。
 累が愛してやまない最愛の弟の自虐的な発言に顔を真っ青にして震えながら、駄目だ、絶対に駄目だ、ときつく抱きしめる。結はその強さに身じろぎしたけれど、累は放そうとしない。
 結はくすっと笑って累に身を任せ抱き返し、大旦那を名乗っていた男に向けてニヤリと笑った。

 「でも僕は何もせず死ぬつもりはありません。そして準備は整っています」
 「……準備とは、何のです?」

 混乱の色を隠せない紫音の問いには答えず、結は大丈夫だよ、と累を宥めて腕の中からすり抜け立ち上がった。
 そして大旦那を名乗っていた男に歩み寄ったが、足を止めずに通り過ぎてしまう。そのまま真っ直ぐ進むと、その先にいるのは大旦那を名乗っていた男が扮していた白い狐面の鈴屋だ。

 「そ、そういえば、その方はどなたなのです。ええと、大旦那様が鈴屋で、でも鈴屋は大旦那様とお話なさっていましたし……」

 一人混乱する紫音には触れもせず、結は鈴屋の目の前でぴたりと足を止めた。

 「鯉屋がうまく回せてないのは情報と知識の不足です。真の大旦那に属人化した結果、彼の能力限界値で止まってしまった。ならば新しい情報と知識を仕入れればいいわけです。そうは思いませんか、商売人の鈴屋さん。いえ……」

 結は右手をぬうっと伸ばし白い狐面を正面から掴んだ。
 そのままつうっと面を撫でると縁に指を滑らせ、ゆっくりとその仮面をはぎ取った。
 そこにいたのは――

 「鯉屋の主、破魔矢の旦那さん」
 「……猫かぶりめ」
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