上 下
22 / 37

第21話 錦鯉の《生け簀》への投獄

しおりを挟む
 いつもは穏やかで華やかな鯉屋だが、その時はざわざわと不穏な空気が漂っていた。
 大勢が出入りする広間の中心で向き合っているのは、結と鯉屋の紫音だった。

 「今何と?」
 「……僕と累を元の世界に戻して下さい」
 「まあ、どうなさったのです。このところ練習を嫌がってらっしゃると思ったら何故」

 不安そうな顔をして紫音は手を伸ばしたけれど、結はびくりと震えてその手を叩き返した。
 鯉屋において絶対的存在である大旦那と紫音に対しての不敬な行動に、周囲は何て事を、と結に非難の目を向けた。
 結を心配する声もあるけれど、半数以上はやはりあの跡取りは駄目だ、と落胆を隠せないでいる。その露骨な言葉に胸が痛んだけれど、それでも結はキッと紫音を睨みつけた。

 「僕を使い捨てにする気なんでしょう。僕を殺すんでしょう!?」
 「結様……」
 「鯉も出目金もそんなの知らない!元の世界に帰してよ!」

 紫音は泣きそうな結に戸惑い、跳ね返された手をもう一度伸ばそうとした。
 けれどその手が結に触れる前に、体躯の良い二人の男が紫音を守るようにずいと前に身を乗り出してくる。運動をろくにしてこなかった結の華奢な身体と比較したら大木のようで、結はびくっと恐怖で震えた。

 「そのような事をおっしゃられては困ります。そのためにいらして頂いているというのに」
 「こ、殺されるなんて、聞いてない」
 「何故そんな誤解を。放流は多くの命を救う尊い儀式ですよ」
 「その結果死ぬんでしょう!?同じ事じゃないですか!!」
 「困りましたね。どうしてもできないと言うのなら……」
 「わああ!」

 男はまるで子猫を摘まみ上げるかのように軽々と結を担ぎ上げた。
 結は降ろして、と手足をばたつかせるけれど、その程度の事は気にもならないようで、男はずんずんと歩いていく。

 「お待ちなさい!結様をお放しなさい!」
 「お嬢様はお仕事にお戻りを」
 「結様に無礼を働く事は許しませんよ!お止めなさい!」

 紫音は男の腕を掴み歩みを止めようとするけれど、結よりも細いその腕では何の効果も無い。
 いくら紫音が叫んでも男は歩みを止めない。紫音を振り切るかのように大股で進み続けたが、ぴたりと足を止めた。
 男がおもむろに大きな扉を開くと、そこは一面青の世界だった。積み木の様にがたがたと重ねられた巨大な水槽群は結が金魚屋で見たよりもはるかに巨大で数も多い。
 けれどその中に泳ぐのは宝石のような美しい金魚では無かく、悠々と泳ぎながらも赤々と目をぎらつかせる錦鯉だった。

 「お役目を果たさぬ部外者を留め置く道理は無し。兄君と共にここにお入り頂きましょう」
 「ここ何……?」
 「錦鯉の《生け簀》ですよ」

 男は結を抱え、大量の錦鯉がうようよと詰め込まれている水槽に歩み寄った。
 すると、錦鯉はまるで餌が来たとばかりにざああと集まってくる。

 「わああ!」
 「あなた一人の我がままで兄君も道連れにしてよろしいのですか?」 
 「そんな!累は関係無いじゃないですか!勝手に連れてきたくせに!」
 「来てしまったものは仕方ない。郷に入っては郷に従え。働かざるもの食うべからず」
 「累は関係無い!」
 「あなたと魂を同じくする者はあなたであるも同然。さあ、どうします。錦鯉の恐ろしさはご存知ですね」

 錦鯉は魂を食らう。
 魂で成り立つこの世界に置いて、それを食らうというのは即死だ。それは錦鯉を連れ歩いた結も分かっている。

 「いい加減になさい!一体誰の許可を得てこのような事を!」
 「大旦那様ですよ。跡取りがごねたら放り込めとのお達しです」
 「何ですって……!?」
 「勘違いなさいますな。我らの主人は大旦那様でありあなたではありません」

 そう言うと男は紫音を突き飛ばし、扉の外にいた男がずるずると紫音を引きずり出してしまう。
 そして、結を錦鯉の水槽に囲まれた隙間に結を投げ落とすと、その上を水槽で塞いでしまう。足元も頭上も左右も全て錦鯉で囲まれ、錦鯉はガンガンと体当たりしてくる。
 この水槽は錦鯉を閉じ込めるための物だから割れる事は無いけれど、明らかに結を食おうとしている姿が恐ろしくて足が震えて動けなくなってしまう。

 「出して!出してよ!!」
 「しばらくそこで頭を冷やすとよろしいでしょう」

 男達は高笑いして去り、バタンと扉は閉ざされてしまった。
 シンと静まり返る部屋の中で聞こえるのは錦鯉が跳ねる水音だけだ。結を取り囲む錦鯉はばしゃばしゃと激しく泳ぎ、その音が結を追い詰める。
 ぺたりと座り込むと足元からも錦鯉が餌を食おうと体当たりをしてきて、結は悲鳴を上げて立ち上がった。けれど寄り掛かる水槽からもガンガンと体当たりする音が聞こえてくる。
 水槽を叩いて助けを求めようとしても、もしそれで水槽が割れたらどうしようという恐怖で動く事もできない。
 放流をするのとどちらがマシだっただろう。そんな事を思いながら、結はただ立ち尽くすしかなかった。

 「……累……」

 脳裏に浮かぶのは自ら突き放した兄の顔だった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる

フルーツパフェ
大衆娯楽
 転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。  一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。  そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!  寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。 ――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです  そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。  大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。  相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。      

飯屋の娘は魔法を使いたくない?

秋野 木星
ファンタジー
3歳の時に川で溺れた時に前世の記憶人格がよみがえったセリカ。 魔法が使えることをひた隠しにしてきたが、ある日馬車に轢かれそうになった男の子を助けるために思わず魔法を使ってしまう。 それを見ていた貴族の青年が…。 異世界転生の話です。 のんびりとしたセリカの日常を追っていきます。 ※ 表紙は星影さんの作品です。 ※ 「小説家になろう」から改稿転記しています。

異世界もふもふ食堂〜僕と爺ちゃんと魔法使い仔カピバラの味噌スローライフ〜

山いい奈
ファンタジー
味噌蔵の跡継ぎで修行中の相葉壱。 息抜きに動物園に行った時、仔カピバラに噛まれ、気付けば見知らぬ場所にいた。 壱を連れて来た仔カピバラに付いて行くと、着いた先は食堂で、そこには10年前に行方不明になった祖父、茂造がいた。 茂造は言う。「ここはいわゆる異世界なのじゃ」と。 そして、「この食堂を継いで欲しいんじゃ」と。 明かされる村の成り立ち。そして村人たちの公然の秘め事。 しかし壱は徐々にそれに慣れ親しんで行く。 仔カピバラのサユリのチート魔法に助けられながら、味噌などの和食などを作る壱。 そして一癖も二癖もある食堂の従業員やコンシャリド村の人たちが繰り広げる、騒がしくもスローな日々のお話です。

【完結】異世界で小料理屋さんを自由気ままに営業する〜おっかなびっくり魔物ジビエ料理の数々〜

櫛田こころ
ファンタジー
料理人の人生を絶たれた。 和食料理人である女性の秋吉宏香(あきよしひろか)は、ひき逃げ事故に遭ったのだ。 命には関わらなかったが、生き甲斐となっていた料理人にとって大事な利き腕の神経が切れてしまい、不随までの重傷を負う。 さすがに勤め先を続けるわけにもいかず、辞めて公園で途方に暮れていると……女神に請われ、異世界転移をすることに。 腕の障害をリセットされたため、新たな料理人としての人生をスタートさせようとした時に、尾が二又に別れた猫が……ジビエに似た魔物を狩っていたところに遭遇。 料理人としての再スタートの機会を得た女性と、猟りの腕前はプロ級の猫又ぽい魔物との飯テロスローライフが始まる!! おっかなびっくり料理の小料理屋さんの料理を召し上がれ?

『異世界庭付き一戸建て』を相続した仲良し兄妹は今までの不幸にサヨナラしてスローライフを満喫できる、はず?

釈 余白(しやく)
ファンタジー
HOT 1位!ファンタジー 3位! ありがとうございます!  父親が不慮の事故で死亡したことで最後の肉親を失い残された高校生の小村雷人(こむら らいと)と小学生の真琴(まこと)の兄妹が聞かされたのは、父が家を担保に金を借りていたという絶望の事実だった。慣れ親しんだ自宅から早々の退去が必要となった二人は家の中で金目の物を探す。  その結果見つかったのは、僅かな現金に空の預金通帳といくつかの宝飾品、そして家の権利書と見知らぬ文字で書かれた書類くらいだった。謎の書類には祖父のサインが記されていたが内容は読めず、頼みの綱は挟まれていた弁護士の名刺だけだ。  最後の希望とも言える名刺の電話番号へ連絡した二人は、やってきた弁護士から契約書の内容を聞かされ唖然とする。それは祖父が遺産として残した『異世界トラス』にある土地と建物を孫へ渡すというものだった。もちろん現地へ行かなければ遺産は受け取れないが。兄妹には他に頼れるものがなく、思い切って異世界へと赴き新生活をスタートさせるのだった。 その他、多数投稿しています! https://www.alphapolis.co.jp/author/detail/398438394

ズボラ通販生活

ice
ファンタジー
西野桃(にしのもも)35歳の独身、オタクが神様のミスで異世界へ!貪欲に通販スキル、時間停止アイテムボックス容量無限、結界魔法…さらには、お金まで貰う。商人無双や!とか言いつつ、楽に、ゆるーく、商売をしていく。淋しい独身者、旦那という名の奴隷まで?!ズボラなオバサンが異世界に転移して好き勝手生活する!

変わり者と呼ばれた貴族は、辺境で自由に生きていきます

染井トリノ
ファンタジー
書籍化に伴い改題いたしました。 といっても、ほとんど前と一緒ですが。 変わり者で、落ちこぼれ。 名門貴族グレーテル家の三男として生まれたウィルは、貴族でありながら魔法の才能がなかった。 それによって幼い頃に見限られ、本宅から離れた別荘で暮らしていた。 ウィルは世間では嫌われている亜人種に興味を持ち、奴隷となっていた亜人種の少女たちを屋敷のメイドとして雇っていた。 そのこともあまり快く思われておらず、周囲からは変わり者と呼ばれている。 そんなウィルも十八になり、貴族の慣わしで自分の領地をもらうことになったのだが……。 父親から送られた領地は、領民ゼロ、土地は枯れはて資源もなく、屋敷もボロボロという最悪の状況だった。 これはウィルが、荒れた領地で生きていく物語。 隠してきた力もフルに使って、エルフや獣人といった様々な種族と交流しながらのんびり過ごす。 8/26HOTラインキング1位達成! 同日ファンタジー&総合ランキング1位達成!

【本編完結】さようなら、そしてどうかお幸せに ~彼女の選んだ決断

Hinaki
ファンタジー
16歳の侯爵令嬢エルネスティーネには結婚目前に控えた婚約者がいる。 23歳の公爵家当主ジークヴァルト。 年上の婚約者には気付けば幼いエルネスティーネよりも年齢も近く、彼女よりも女性らしい色香を纏った女友達が常にジークヴァルトの傍にいた。 ただの女友達だと彼は言う。 だが偶然エルネスティーネは知ってしまった。 彼らが友人ではなく想い合う関係である事を……。 また政略目的で結ばれたエルネスティーネを疎ましく思っていると、ジークヴァルトは恋人へ告げていた。 エルネスティーネとジークヴァルトの婚姻は王命。 覆す事は出来ない。 溝が深まりつつも結婚二日前に侯爵邸へ呼び出されたエルネスティーネ。 そこで彼女は彼の私室……寝室より聞こえてくるのは悍ましい獣にも似た二人の声。 二人がいた場所は二日後には夫婦となるであろうエルネスティーネとジークヴァルトの為の寝室。 これ見よがしに少し開け放たれた扉より垣間見える寝台で絡み合う二人の姿と勝ち誇る彼女の艶笑。 エルネスティーネは限界だった。 一晩悩んだ結果彼女の選んだ道は翌日愛するジークヴァルトへ晴れやかな笑顔で挨拶すると共にバルコニーより身を投げる事。 初めて愛した男を憎らしく思う以上に彼を心から愛していた。 だから愛する男の前で死を選ぶ。 永遠に私を忘れないで、でも愛する貴方には幸せになって欲しい。 矛盾した想いを抱え彼女は今――――。 長い間スランプ状態でしたが自分の中の性と生、人間と神、ずっと前からもやもやしていたものが一応の答えを導き出し、この物語を始める事にしました。 センシティブな所へ触れるかもしれません。 これはあくまで私の考え、思想なのでそこの所はどうかご容赦して下さいませ。

処理中です...