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第13話 大店の卸鈴

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 水が流れるようになり鉢は以前より活気付いていた。
 それは大きな一歩ではあったが、現代日本で大学に通うほど余裕のある生活をしていた累からすると鉢の中はまだまだ暗い。
 生活水準はすぐどうなるものでは無いけれど、何より累が気になっているのは秀介の言っていた『やる事があるのは有難い』という話だ。累は鉢のあちこちを歩いて見たけれど、鉢にはやる事が何もない。何かをしている人も、しようとしてる人もいないのだ。
 食料も体力も無いから何もできないというのはあるが、会話をするだけだって楽しむことはできる。だがそれすらも億劫になってしまっているのだ。
 今日も依都と神威と三人で鉢の片付けや掃除をしているのだが、ぐったりと寝転んでいる人ばかりだ。
 現世なら子供は公園で遊んでいる姿が見られるが、鉢でははしゃぐ声すら聞こえてこない。ただぼうっと空を見上げている子供たちを見て、累は巾着から何か取り出して近寄った。

 「なあ、こういうのやった事あるか?」
 「……なあに?」

 累が持っていたのはしわくちゃの紙切れだった。
 それは当然食べられるわけでも無く捨てるだけ、いや、焼却場から拾って来ただけの正真正銘ゴミだ。
 けれど累はそれを直線に折って爪で折り目を付け、四方を切ると綺麗な正方形を作り出した。そしてそれを三角に折りまた三角に折り……そしてあちこちを降り続けていくと完成したのは折鶴だった。

 「うわあ!」
 「折って何かの形にするんだよ。やってみ」
 「どうやったの!?もう一度やって!」
 「じゃあ違うのも作るか。薔薇とかできるぞ」

 累は巾着からごそりと紙切れを取り出した。
 それはまたしわくちゃだったけれど、赤に黄色、さまざまな柄が描かれていて目に美しい。どれもそこそこ立派な用紙だったけれど、どれにもどこかの店の名前が書かれていた。

 「大店の包装紙なんてよく貰ってこれたな」
 「いや、ゴミだよ。紙製品ってのは製造過程で絶対に端切れがあるから。あとこれもな」
 「布?また端切れじゃねーか」
 「端切れ上等。おーい!お母さん達ー!」

 累は座り込んでいる女性達に駆け寄ると、びらりといくつもの布を広げた。
 それは両手を広げるよりも大きい物もあれば細切れの物もある。これも焼却場から持って来たゴミだ。

 「何です、これは」
 「これをこうして欲しいんだよね」

 また累は巾着から何かを引っ張り出すと、それは針と糸だった。
 針はぐにゃりと折れ曲がっていて糸も長さがバラバラだ。これでは到底売り物にはならないし、大店のような金持ち連中はもちろん街で生活できるくらいの人も使わないゴミだ。
 けれど糸を通すことはできるし、その糸もある。累は針に糸を通すと、布を縫い合わせ始めた。

 「針なんてよく見つけて来たねえ。袋作るのかい?」
 「袋は袋だけどただの袋じゃない。依都!神威!ここにそこの端切れ全部入れてくれ!」
 「はーい」

 依都もまた大量の端切れを持っていた。
 それは小さなものばかりで、数センチメートルしか無い物ばかりで何にも使い道がない。これもまたゴミだ。
 けれど依都と神威が両手で持っても運びきれない量があり、三人でそれをぎゅうぎゅうと袋に押し込んだ。すると袋はぽこりと膨らんだ。

 「んで、最後はまつり縫いで……」

 累は器用にすいすいと縫ってきっちりと封をする。それは肌触りは悪いけれど、厚みがあって柔らかい。

 「枕だ!」
 「ふかふか!やったあ!」
 「寄せ集めだけど無いよりいいだろ。敷布団作れば土に寝転がらなくていいし」
 「こ、こんなに布もらっていいのかい」
 「いいのいいの。糸は色も種類あるから刺繍すれば模様になるよ。紐も拾って来たから巾着とか髪飾りとかさ」
 「ほしーい!お母さん作って!」

 布があるというのを聞いてどこからか人が集まってきた。
 依都と神威の姿を見つけると、また何かやっているに違いないとすっかり囲まれてしまう。
 依都は女性陣に縫い方を教えてやり、意外と面倒見の良い神威は子供達の遊び相手になり、そうしているうちに男性陣が水汲みから戻って来てより一層賑わった。
 
 「ふむ。面白い事をする」
 「そうか?原価ゼロならゴミを再利用するしかな――ん?」

 楽しそうな人々を満足げに見ていた累だったが、急に後ろから声を掛けられふり向いた。
 するとそこにいたのは見覚えのある白い狐面。累を金魚屋に連れて来た男だったが、累がそれに気付くよりも早くに鉢の人々がざざざと後ずさり平伏し出した。

 「鈴屋様だ……!」
 「大店を取り仕切る方がなんでこんなとこに」

 人々は申し訳ありません、と何もしていないのに謝罪の言葉を口にし出す。
 累は鈴屋と呼ばれたこの男が一体どういう身分なのか知らなかったが、この様子を見るに鯉屋と同等程度に恐怖の対象のようだ。狐面で表情は知れないが、それだけに妙な威圧感を感じた。
 誰もががたがたと震える中、累だけは心の中でほくそえんでいた。

 (釣れた!やっぱりこいつは鯉屋の中枢にいながら服従はしてない!)

 累は慈善事業で鉢の活性化をしたわけではなかった。
 鉢は鯉屋の権力の象徴のようなものだ。鯉屋に逆らえばこうなるぞという見せしめで、本音では鉢に手を差し伸べたくてもそうはできないのが現状だ。
 そして実際そういう人間はいると累は知っていた。
 包装紙や布の端切れ等を焼却場から持って行けば良いと累に入れ知恵をしたのは大店の数名だったからだ。
 明確にそうとは言わなかったが、焼却場にある物の行方は誰も気にしやしない、と教えてくれたのだ。
 だがもし自分から声を上げて鉢にやって来る人間がいたら、それはつまり鯉屋すらも手出しをできない絶対的な力を持っている事になる。その権力も組織ではなく単独個人の物であればその一人を懐柔すれば良い。

 (こいつを味方につければ結を連れ出せるかもしれない)

 累はこの男が中立ではないかと思った理由は、二つあった。
 一つ目は、わざわざ累を金魚屋に連れて来た事だ。どう考えても結を跡取りに据え続けるのに累は邪魔でしかない。それなのに自由に動けて大店にも出入り可能という、街の中でもひと際特別扱いをされる金魚屋に置くなんて鯉屋には何の得もない。

 「そこそこは学んだようだな」
 「依都のおかげでね」

 もう一つは最初にこの男が言った言葉だった。
 「利益を寄越せば弟を返してやらんでもない」と言ったのだ。その言い方はいかにも商売人だ。この男は感情じゃなく商売ができれば取り合ってくれるだろうと累は踏んだのだ。
 
 「だが何故あんな布遊びやら紙遊びをする?金にも食にもならん」
 「経済を回すためさ」
 「ほう。詳しく聞かせてくれ」
 「うずくまってても死ぬだけだ。どうせ死ぬなら死ぬ気で働いて稼げばいい」
 「馬鹿な事を。仕事など街には無いだろう」
 「いいや、ある。ただし街じゃなくて大店にだ」
 「大店?あるわけがなかろう」
 「今無いってだけだろ。いいか?まず大店は特定の業務が人手不足だ。それが雑用と力仕事」

 大店の人間は派手好きで辛くて汚い、疲れる地味で単調な仕事を嫌う。
 そういう手があれば楽なんだがな、と本人たちが零したのだ。とはいえこれも鉢を哀れに思う一部の人間だけだが。
 けれど最大の問題は身体が付いて行かないという事だ。食料不足と水不足による栄養失調で元気に働ける人間など一人もいなかった。

 「ならそれができるだけの身体を作ればいい。そのためには飴がいるけど買う金なんてない。だから俺は大店で物々交換してもらったんだ。現世の服は大店でも珍しい商品らしい」
 「ほお。だが鉢に行きわたるほどには無いだろう」
 「ああ。だから確実に大店の需要に応えられる男数人に絞った。相当役に立ったらしくて、前払いしてやるからもっと連れて来てくれってさ」

 鉢にも色々な人間がいる。
 その中でも秀介の様に来たばかりの人間はある程度肉体が整っている事がある。累はそういった人間を選定し、優先的に働きに出ててもらったのだ。
 彼らは大店がやりたくない辛い汚い疲れる耳鼻で単調な仕事を見事にこなしていた。

 「しかし鉢の人間が得られる給金などたかが知れてるだろう」
 「貰ってるのは金じゃない。飴だ」
 「……なるほど」
 「金は目が眩むうえ溜めたい人間もいるし、明確な身分差になっちまう。それに今は働ける人数を増やすのが先だ。だから給料は飴にしてもらった。これなら大店は食卓で余った飴を渡せばいいだけだ」
 「安い労働力か。ふむ。だがそれとあの遊びがどう関係している」
 「鉢で待つ事に意味を持たせるためさ」

 累は巾着から包装紙の端切れを取り出した。
 子供たちがもっと欲しい、とこぞって取り合った大店のゴミだ。

 「一方的に養うだけじゃ働いてる人間から不満が出る。そこで活躍してもらうのが子供だ」
 「子供を労働力として売るつもりか?」
 「まさか。働きに出てもらった男は妻と子供の居る父親だ。親は子供のためなら無償の愛で死ぬ気になれる」

 子供たちと母親が遊びだし、水汲みで疲労していた男達も楽しそうに笑っていた。
 特別な事をしたわけではない。ただ家族が笑顔になった、それだけの事だった。

 「子供の笑顔は親の活力。女の活気は男の精力。だから鉢で待つ人間のやる事は女子供を元気にする事」
 「それで生活を賄うと?それが経済を回すといえるのか?」
 「言えるさ。何しろ街は金銭の授受じゃない。基本的に物々交換だ。報酬が飴なら働き次第で生活必需品以外と交換できる。それを家族が喜べば男は多少の苦も乗り越えられるだろう」

 この世界では男が働き女が家庭を守るという概念ではない。
 各自の特殊技能で役割が決まり、それが変わる事は無い。何もできない人間は何もできないままだ。ならば現世の様に一般家庭の仕組を導入してしまえば鉢の新しい生活となる。
 鈴屋と呼ばれた狐面の男は、ははは、と声を上げて笑った。

 「気に入った。お前にこれをやろう」

 鈴屋は懐から二枚の書類を取り出した。
 そこには契約書と書かれていて、あれこれと文字が並んでいる。現世でよく見る仕組みがここにもあるのかと累はまじまじと見た。鈴屋は契約書に押印して契約書の一枚を控えとして、それと一緒に真っ赤に輝く金魚のような小さな鈴をルイに渡した。

 「何これ」
 「まさか!大店の卸鈴!?」

 声をあげたのは依都だった。
 鉢の人々は何だそれと首を傾げていたけれど、神威もびっくりしたように目を見開いている。

 「何?入場用の鈴と違うのか?」
 「全然違いますよ!大店で買い付けをするには鯉屋さんの審査を通過しなきゃいけないんですけど、その卸鈴は無期限審査無しで買い付けができるという特別な物なんです!」
 「買い付けって、買う金ねえよ」
 「卸鈴を持つ人専用の宿泊施設があるんです!そこでは飴も服も薬も何でも貰えます!凄い贅沢ができるんですよ!」
 「貰えるって無料で?」
 「はい!持ち出し自由です!」

 現世にあるホテルのアメニティのようだ。
 けれどそれを持ち出して良しというのなら鉢へ配っても良しという事で、つまりそれは物資の横流しはできないが持ち出し許可されてる物は使って良し――実質協力を得たという事だった。

 「そんな凄い物を貰っていいわけ?」
 「それでまた面白いものを見せてくれ。さすればいずれは跡取り殿も返してやろう」

 それは「この程度じゃ返せない」と言うのと同時に見込み有りと判断してもらえたという事だ。
 累は一足飛びではないけれど、確実な一歩を踏み出した。
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