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episode25
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リビングに久世一家が集まり、漆原は紅茶を淹れると離れたソファに腰かけていた。
誰もなかなか口を開かないまま数分が経ち、一進一退どころか停滞してしまう。
息苦しくなってきた美咲はちらりと目線で漆原に助けを求めた。
この場で最も無関係な赤の他人に助けを求めるような話題でも無いのだが、漆原は立ち上がって美咲の傍へと向かった。
「裕子さん。うかがっても良いですか?」
「は、はい」
「あのアンドロイド、探すつもり無かったですよね」
「おい! おかしな事を言うな!」
美咲は思いもよらない漆原の発言と口ごもる祖母の様子に驚いたが、それ以上に、真っ先に祖母を擁護した祖父に驚いた。
それには擁護された本人も驚いたようで、ぽかんと口を開けて見返している。
けれど漆原は特に驚きも怯みもせず、ううん、と不思議そうに思っているような演技をした。
「GPSもUIDを判別するメモリも正常に稼働してました。あれなら居場所の追跡くらいできたはずです。何故自分で探さず捜索願にしたんですか?」
「それは……その……」
「アンドロイドを捨ててでも家族と暮らしたいと思い始めたんじゃないんですか? でももし捜索願でA-RGRYが戻って来たら完全に家族を断ち切るつもりだった。違いますか」
「そう、そうだよ。お祖母ちゃん、何度も家まで来てくれてたんだよね」
「……もう何十年も、アンドロイドだけが私の家族でした。でももし裕太が結婚して子供がいたら……」
祖母はゆっくりと美咲を見上げ、震えるその手を伸ばして美咲の頬に触れた。
「孫に会ってみたいと、ずっと思ってたの……」
「お祖母ちゃん……」
目に涙を溜める祖母を美咲はぎゅうっと抱きしめた。
美咲の父も母も嬉しそうな顔をしていたけれど、祖父だけは難しそうな顔をしたままだった。
そしてようやく妻の前でその口を開いた。
「……洸はどうした」
「洸?」
突如飛び出した名前に、漆原も目を丸くした。
その場の誰もその名前には聞き覚えが無いようだったが、美咲の腕の中で祖母がぴくりと身体を揺らした。
「あなた、あの子の名前を覚えてらしたんですか……」
「え? 洸って、あのアンドロイドの名前?」
「そうよ。もう私以外呼ぶ人はいなかったけど……」
美咲はちらりと祖父を見た。
やはり誰とも目を合わせようとはしなかったが、憎いアンドロイドの名前を覚えていたのは妻への愛情があったからだろう。
漆原にも想定外だった話に全員言葉を失ってしまったが、それを破ったのは美咲の母ののん気な声だった。
「あら~、じゃあこれやっぱりアンドロイドのお洋服なんですね~」
「服? 服って何?」
「お片付けした箪笥に入ってたの~」
美咲の母は鞄をごそごそと漁ると古ぼけたワイシャツを取り出した。
恐らく元は白の無地だったのだろう。しかしすっかり黄色く変色していてとても着れそうにない。
「ここにね、首のタグのとこ。お名前書いてあるのよ」
「ほんとだ。洸って書いてある」
美咲はワイシャツを手に取ると、確かに洸と書いてあった。
サイズもあのアンドロイドが着るにはちょうど良いだろう。
再びじわりと目に涙を溜めた祖母にそれを手渡すと、祖母は手をかたかたと震わせてぎゅうっと抱きしめた。
「もう、捨ててあるとばっかり……」
「捨てるわけがないだろう。お前も洸も、うちの家族だ」
「……家族?」
美咲は思わず、え、と声を出した。
どうやってアンドロイドを受け入れさせるかが問題だと思っていただけに、その言葉は全く予想していなかった。
しかし漆原は待ってましたと言わんばかりに、にやりと笑った。
「漆原といったか。洸は直るのか」
「外傷は問題ありません。ただパーソナルは俺の専門外なんで、見てもらわないと分かりません」
「ふん。貴様にもできない事があるのか」
「数少ないできる事に集中してるだけですよ」
「頼む。直してやってくれ。金ならいくらかかっても構わん。直ったら――裕子、すまなかった。帰って来てくれ。洸も入れて全員で暮らそう」
「あ、あなた!」
他人に頭を下げる事など許さない高すぎるプライドをへし折って、久世大河は深々と頭を下げた。
頭を下げる程度では許せないだろう妻でさえ、止めて下さい、と思わず駆け寄るほどの出来事だった。それは息子もその嫁も声を上げるほどだ。
まさか頭を下げさせるなんて、この場の誰も思っていなかっただろう。美咲は漆原を見上げ、ほう、と深く息を吐いた。
「では修理に取り掛かります。私の同期に美作トップのパーソナルエンジニアがいるので頼んでみます」
「穂積さん?」
「ああ。あいつは誰よりもアンドロイドの命を大切にしてる。きっと直してくれる」
「……はい」
漆原はぽんっと美咲の頭を撫でると、嬉しそうな、しかしどこか寂しそうに微笑んだ。
ようやく頭を上げた祖父も美咲の頭を撫で、数年ぶりに笑顔をみせた。
「美咲。良い上司に恵まれたな」
「……うん」
そして、壊れたアンドロイドは再び漆原の元に預けられ、久世一家は揃って自宅へ帰って行った。
誰もなかなか口を開かないまま数分が経ち、一進一退どころか停滞してしまう。
息苦しくなってきた美咲はちらりと目線で漆原に助けを求めた。
この場で最も無関係な赤の他人に助けを求めるような話題でも無いのだが、漆原は立ち上がって美咲の傍へと向かった。
「裕子さん。うかがっても良いですか?」
「は、はい」
「あのアンドロイド、探すつもり無かったですよね」
「おい! おかしな事を言うな!」
美咲は思いもよらない漆原の発言と口ごもる祖母の様子に驚いたが、それ以上に、真っ先に祖母を擁護した祖父に驚いた。
それには擁護された本人も驚いたようで、ぽかんと口を開けて見返している。
けれど漆原は特に驚きも怯みもせず、ううん、と不思議そうに思っているような演技をした。
「GPSもUIDを判別するメモリも正常に稼働してました。あれなら居場所の追跡くらいできたはずです。何故自分で探さず捜索願にしたんですか?」
「それは……その……」
「アンドロイドを捨ててでも家族と暮らしたいと思い始めたんじゃないんですか? でももし捜索願でA-RGRYが戻って来たら完全に家族を断ち切るつもりだった。違いますか」
「そう、そうだよ。お祖母ちゃん、何度も家まで来てくれてたんだよね」
「……もう何十年も、アンドロイドだけが私の家族でした。でももし裕太が結婚して子供がいたら……」
祖母はゆっくりと美咲を見上げ、震えるその手を伸ばして美咲の頬に触れた。
「孫に会ってみたいと、ずっと思ってたの……」
「お祖母ちゃん……」
目に涙を溜める祖母を美咲はぎゅうっと抱きしめた。
美咲の父も母も嬉しそうな顔をしていたけれど、祖父だけは難しそうな顔をしたままだった。
そしてようやく妻の前でその口を開いた。
「……洸はどうした」
「洸?」
突如飛び出した名前に、漆原も目を丸くした。
その場の誰もその名前には聞き覚えが無いようだったが、美咲の腕の中で祖母がぴくりと身体を揺らした。
「あなた、あの子の名前を覚えてらしたんですか……」
「え? 洸って、あのアンドロイドの名前?」
「そうよ。もう私以外呼ぶ人はいなかったけど……」
美咲はちらりと祖父を見た。
やはり誰とも目を合わせようとはしなかったが、憎いアンドロイドの名前を覚えていたのは妻への愛情があったからだろう。
漆原にも想定外だった話に全員言葉を失ってしまったが、それを破ったのは美咲の母ののん気な声だった。
「あら~、じゃあこれやっぱりアンドロイドのお洋服なんですね~」
「服? 服って何?」
「お片付けした箪笥に入ってたの~」
美咲の母は鞄をごそごそと漁ると古ぼけたワイシャツを取り出した。
恐らく元は白の無地だったのだろう。しかしすっかり黄色く変色していてとても着れそうにない。
「ここにね、首のタグのとこ。お名前書いてあるのよ」
「ほんとだ。洸って書いてある」
美咲はワイシャツを手に取ると、確かに洸と書いてあった。
サイズもあのアンドロイドが着るにはちょうど良いだろう。
再びじわりと目に涙を溜めた祖母にそれを手渡すと、祖母は手をかたかたと震わせてぎゅうっと抱きしめた。
「もう、捨ててあるとばっかり……」
「捨てるわけがないだろう。お前も洸も、うちの家族だ」
「……家族?」
美咲は思わず、え、と声を出した。
どうやってアンドロイドを受け入れさせるかが問題だと思っていただけに、その言葉は全く予想していなかった。
しかし漆原は待ってましたと言わんばかりに、にやりと笑った。
「漆原といったか。洸は直るのか」
「外傷は問題ありません。ただパーソナルは俺の専門外なんで、見てもらわないと分かりません」
「ふん。貴様にもできない事があるのか」
「数少ないできる事に集中してるだけですよ」
「頼む。直してやってくれ。金ならいくらかかっても構わん。直ったら――裕子、すまなかった。帰って来てくれ。洸も入れて全員で暮らそう」
「あ、あなた!」
他人に頭を下げる事など許さない高すぎるプライドをへし折って、久世大河は深々と頭を下げた。
頭を下げる程度では許せないだろう妻でさえ、止めて下さい、と思わず駆け寄るほどの出来事だった。それは息子もその嫁も声を上げるほどだ。
まさか頭を下げさせるなんて、この場の誰も思っていなかっただろう。美咲は漆原を見上げ、ほう、と深く息を吐いた。
「では修理に取り掛かります。私の同期に美作トップのパーソナルエンジニアがいるので頼んでみます」
「穂積さん?」
「ああ。あいつは誰よりもアンドロイドの命を大切にしてる。きっと直してくれる」
「……はい」
漆原はぽんっと美咲の頭を撫でると、嬉しそうな、しかしどこか寂しそうに微笑んだ。
ようやく頭を上げた祖父も美咲の頭を撫で、数年ぶりに笑顔をみせた。
「美咲。良い上司に恵まれたな」
「……うん」
そして、壊れたアンドロイドは再び漆原の元に預けられ、久世一家は揃って自宅へ帰って行った。
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