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episode23-1
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今この場で笑顔なのは、年の割に無邪気な母と営業スマイルを崩さない漆原だけだった。
美咲も信頼感はしているが、笑顔で人を手玉にとるやり口には胡散臭さを感じざるを得ない。
そんな事を思われていると分かっているのかいないのか、漆原はノートパソコンを祖父に向けた。
父もばたばたと祖父の隣に座って一緒に覗き込んだ。
「かいつまんでお見せします。まずアンドロイドと裕子さんが二人暮らしを始めた約五十年前から」
漆原はいくつか並んでいた動画のうち一つを拡大表示し再生した。
そこにはまだ研究者として活躍していた二十代頃の祖母が映っていた。
アンドロイドの目で撮影されているのでアンドロイド自体は映っていないが、そこには幸せそうに微笑む祖母の姿が映っている。
並んで料理をして洗濯をして、手を繋いで買い物をする。夜になれば添い寝をする様子はまるで同棲を始めたばかりの恋人同士のようで、これ以上のものが映ったらどうしようかと美咲は思わず目を背けた。
そしてこれを祖父と父はどんな気持ちで見ているのかを考えると、美咲は二人の顔を見る事ができなかった。
けれど漆原は動画を止める事は無く、違う動画を拡大した。
「次はこの十年後。四十年前です」
こんなに仲の良い二人の十年後となると、人間なら子供を産んで生活様式が変わっていてもおかしくない。
けれどアンドロイドは変わらない。人間が年老いてもボディは変わらず、AIは成長してもパーソナルは変わらない。こうなると人間はアンドロイドに飽きてしまい、まだ動くアンドロイドでさえ買い替え廃棄する事がほとんどだ。
よほど愛情が深くなければ何十年も傍に置く事などありえない。きっと仲睦まじい、それこそ祖父が激怒する内容が映っているだろうと誰しもが思った。
けれどそこに写っていたのは、予想に反してアンドロイドに飽きる一般的な人間の姿だった。
アンドロイドを怒鳴り散らし、愛を囁かれてもそれすら苛立ちに変わっていく。
あれだけ大切に傍に置いて愛したアンドロイドを不愉快に思いながらも手放せない。それはまるで――
「アンドロイド依存症の初期症状です。そしてさらに十年後」
漆原は別段変った事ではないかのように、ショックを受ける祖父と父を置き去りにして次の動画を再生した。
そこに映る祖母は美咲に優しく微笑んでくれた女性と同一人物だとはとても思えない暴れようだった。
物を投げつけ金切り声を上げ、傍に寄ろうとすればするほど不愉快そうに叫びまわる。けれどその内容は『同じ事ばかり言うな』とプログラム通りの行動を非難する言葉に変わっていた。
「この時点で依存症中期。そしてこの十年後」
アンドロイドの目線であるこの動画に祖母は映っていなかった。
次第に画面はノイズ混じりになり音声も消え、ガツンと殴られたような音と共に視界が傾きどうやら倒れたようだった。
そこで画面は暗転し、漆原は動画を閉じた。
(これがアンドロイド依存症……)
美咲は実際に発症している様子を見るのは初めてだった。
人間を支え助けるために作られたアンドロイドが原因でこうまで変貌を遂げる様子はあまりにも恐ろしかった。
開発者ならその問題にこそ取り組むべきだ、等という陳腐な正義感を振りかざすのがどれほど滑稽だったか思い知った。
父を見ると、顔を青くして絶句し小さく震えていた。子供の頃に分かれた切りで記憶など薄いだろうに、それでもこの動画はショックを与えるには十分なようだった。
しかし祖父は表情を変えていなかった。
おもむろにノートパソコンへ手を伸ばすと、再び動画を再生し始める。父は止めようと声をかけたが、その手を振りほどき動画を見つめ続けた。
静まり返る部屋の中でマウスのカチ、カチ、というクリック音だけが響く。そのまま二度三度と再生し続け、五分ほどしてようやく口を開いた。
「……何故こんな壊れるような事を……」
「不思議ではないですよ。血の繋がった家族を殴る人間もいますしね」
漆原は美咲と美咲の母に手を上げ怪我を負わせた祖父に向かってにっこりと微笑んだ。
マウスのクリック音の止んだ室内には衣擦れの音すらしなくなっていた。
「では直近十年間のデータを見ましょう」
よくもそんな事を言って笑ってられるなと誰かしらが思っただろう。普段の祖父なら怒りで手を上げたに違いない。
けれど祖父は何も言わず漆原が動画を再生する指を追っていた。
「……おい。壊れたのに何故最近のデータがある」
「何故でしょうね。それよりこれ。この動画は三カ月間に撮影された物です」
漆原は別のフォルダを開くと新しい動画を立ち上げた。
それはやはりアンドロイドの目で撮影されていて、視界には美咲が出会った祖母の姿が映っている。
だがそこに映っていたのは藤堂邸でもその近隣でもなく、この家の誰もが知る風景が映っていた。
「……ここに、来たのか……?」
「データを見る限りで月に一、二度。あのアンドロイドがどうやって藤堂邸から美咲のマンションなんて長距離を移動できたのか不思議だったんですが、おそらく――」
「お祖母ちゃんが連れて来てたんだ……」
「依存症中期は感情がマイナスに振り切れた場合、アンドロイドを捨てようとする事もあるからな」
「でも何でわざわざ私のマンションまで来たんですか? この家の前に倒れてたならともかく」
「それだよ」
「え? どれ?」
漆原はニヤリと笑うと、前触れも無く美咲の頭をがしりと掴んだ。
「ぎゃっ!」
「こいつ――失礼。美咲さんのマンションについてうかがいたいんですが、家賃の入金先はどなたですか? 管理はお母様とうかがいましたが」
「お金はぜ~んぶお父さんよね~」
「俺? いや、お前じゃ無いのか?」
「え~? 違うわ~。お義父様から任せて頂いた時には全部手続き終わってたし~」
「じゃあ父さんじゃないのか?」
「いいえ、違います。入金先は藤堂小夜子さんです」
「「「え?」」」
確信ありとばかりに断言する漆原の自信満々な顔に、久世親子は声を揃えて疑問の声を上げきょとんと眼を丸めた。
美咲はどうせ何か言いたい事があるんだろうと予測して漆原を見ると、やはり漆原はどや顔をしていた。
漆原はしたり顔で祖父を見やると、答えを催促するかのようにコツン、と人差指で机を叩いた。
「お間違いないですね、大河さん」
「……何故そんな事を知っている。不動産屋が個人情報を漏らしたか」
「いえ、カマかけただけです。藤堂小夜子さんなんですね」
美咲はこの野郎、と言いかけて我慢した。
しかし美咲の母は違うことが気になっているようで、こめかみ辺りで指をくるくると回して考えてるような仕草をした。
「あの~、藤堂小夜子さんて誰ですか~?」
「……そういえば誰だろ。誰なんですか?」
久世家の事情なのに確認先が漆原である事をもはや誰も疑問に感じていない。
漆原は困った事など何も無いようで、鞄から二冊の雑誌を取り出した。
美咲も信頼感はしているが、笑顔で人を手玉にとるやり口には胡散臭さを感じざるを得ない。
そんな事を思われていると分かっているのかいないのか、漆原はノートパソコンを祖父に向けた。
父もばたばたと祖父の隣に座って一緒に覗き込んだ。
「かいつまんでお見せします。まずアンドロイドと裕子さんが二人暮らしを始めた約五十年前から」
漆原はいくつか並んでいた動画のうち一つを拡大表示し再生した。
そこにはまだ研究者として活躍していた二十代頃の祖母が映っていた。
アンドロイドの目で撮影されているのでアンドロイド自体は映っていないが、そこには幸せそうに微笑む祖母の姿が映っている。
並んで料理をして洗濯をして、手を繋いで買い物をする。夜になれば添い寝をする様子はまるで同棲を始めたばかりの恋人同士のようで、これ以上のものが映ったらどうしようかと美咲は思わず目を背けた。
そしてこれを祖父と父はどんな気持ちで見ているのかを考えると、美咲は二人の顔を見る事ができなかった。
けれど漆原は動画を止める事は無く、違う動画を拡大した。
「次はこの十年後。四十年前です」
こんなに仲の良い二人の十年後となると、人間なら子供を産んで生活様式が変わっていてもおかしくない。
けれどアンドロイドは変わらない。人間が年老いてもボディは変わらず、AIは成長してもパーソナルは変わらない。こうなると人間はアンドロイドに飽きてしまい、まだ動くアンドロイドでさえ買い替え廃棄する事がほとんどだ。
よほど愛情が深くなければ何十年も傍に置く事などありえない。きっと仲睦まじい、それこそ祖父が激怒する内容が映っているだろうと誰しもが思った。
けれどそこに写っていたのは、予想に反してアンドロイドに飽きる一般的な人間の姿だった。
アンドロイドを怒鳴り散らし、愛を囁かれてもそれすら苛立ちに変わっていく。
あれだけ大切に傍に置いて愛したアンドロイドを不愉快に思いながらも手放せない。それはまるで――
「アンドロイド依存症の初期症状です。そしてさらに十年後」
漆原は別段変った事ではないかのように、ショックを受ける祖父と父を置き去りにして次の動画を再生した。
そこに映る祖母は美咲に優しく微笑んでくれた女性と同一人物だとはとても思えない暴れようだった。
物を投げつけ金切り声を上げ、傍に寄ろうとすればするほど不愉快そうに叫びまわる。けれどその内容は『同じ事ばかり言うな』とプログラム通りの行動を非難する言葉に変わっていた。
「この時点で依存症中期。そしてこの十年後」
アンドロイドの目線であるこの動画に祖母は映っていなかった。
次第に画面はノイズ混じりになり音声も消え、ガツンと殴られたような音と共に視界が傾きどうやら倒れたようだった。
そこで画面は暗転し、漆原は動画を閉じた。
(これがアンドロイド依存症……)
美咲は実際に発症している様子を見るのは初めてだった。
人間を支え助けるために作られたアンドロイドが原因でこうまで変貌を遂げる様子はあまりにも恐ろしかった。
開発者ならその問題にこそ取り組むべきだ、等という陳腐な正義感を振りかざすのがどれほど滑稽だったか思い知った。
父を見ると、顔を青くして絶句し小さく震えていた。子供の頃に分かれた切りで記憶など薄いだろうに、それでもこの動画はショックを与えるには十分なようだった。
しかし祖父は表情を変えていなかった。
おもむろにノートパソコンへ手を伸ばすと、再び動画を再生し始める。父は止めようと声をかけたが、その手を振りほどき動画を見つめ続けた。
静まり返る部屋の中でマウスのカチ、カチ、というクリック音だけが響く。そのまま二度三度と再生し続け、五分ほどしてようやく口を開いた。
「……何故こんな壊れるような事を……」
「不思議ではないですよ。血の繋がった家族を殴る人間もいますしね」
漆原は美咲と美咲の母に手を上げ怪我を負わせた祖父に向かってにっこりと微笑んだ。
マウスのクリック音の止んだ室内には衣擦れの音すらしなくなっていた。
「では直近十年間のデータを見ましょう」
よくもそんな事を言って笑ってられるなと誰かしらが思っただろう。普段の祖父なら怒りで手を上げたに違いない。
けれど祖父は何も言わず漆原が動画を再生する指を追っていた。
「……おい。壊れたのに何故最近のデータがある」
「何故でしょうね。それよりこれ。この動画は三カ月間に撮影された物です」
漆原は別のフォルダを開くと新しい動画を立ち上げた。
それはやはりアンドロイドの目で撮影されていて、視界には美咲が出会った祖母の姿が映っている。
だがそこに映っていたのは藤堂邸でもその近隣でもなく、この家の誰もが知る風景が映っていた。
「……ここに、来たのか……?」
「データを見る限りで月に一、二度。あのアンドロイドがどうやって藤堂邸から美咲のマンションなんて長距離を移動できたのか不思議だったんですが、おそらく――」
「お祖母ちゃんが連れて来てたんだ……」
「依存症中期は感情がマイナスに振り切れた場合、アンドロイドを捨てようとする事もあるからな」
「でも何でわざわざ私のマンションまで来たんですか? この家の前に倒れてたならともかく」
「それだよ」
「え? どれ?」
漆原はニヤリと笑うと、前触れも無く美咲の頭をがしりと掴んだ。
「ぎゃっ!」
「こいつ――失礼。美咲さんのマンションについてうかがいたいんですが、家賃の入金先はどなたですか? 管理はお母様とうかがいましたが」
「お金はぜ~んぶお父さんよね~」
「俺? いや、お前じゃ無いのか?」
「え~? 違うわ~。お義父様から任せて頂いた時には全部手続き終わってたし~」
「じゃあ父さんじゃないのか?」
「いいえ、違います。入金先は藤堂小夜子さんです」
「「「え?」」」
確信ありとばかりに断言する漆原の自信満々な顔に、久世親子は声を揃えて疑問の声を上げきょとんと眼を丸めた。
美咲はどうせ何か言いたい事があるんだろうと予測して漆原を見ると、やはり漆原はどや顔をしていた。
漆原はしたり顔で祖父を見やると、答えを催促するかのようにコツン、と人差指で机を叩いた。
「お間違いないですね、大河さん」
「……何故そんな事を知っている。不動産屋が個人情報を漏らしたか」
「いえ、カマかけただけです。藤堂小夜子さんなんですね」
美咲はこの野郎、と言いかけて我慢した。
しかし美咲の母は違うことが気になっているようで、こめかみ辺りで指をくるくると回して考えてるような仕草をした。
「あの~、藤堂小夜子さんて誰ですか~?」
「……そういえば誰だろ。誰なんですか?」
久世家の事情なのに確認先が漆原である事をもはや誰も疑問に感じていない。
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