人と獣の境界線

蒼衣ユイ/広瀬由衣

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第一章 獣人隠里

第十一話 無知

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 里は娯楽が少ない。住民同士で語り合ったり本を読んだり、裁縫のように家事の延長でできる事しかないらしい。
 だが最近は新しい娯楽が誕生していた。それは誰もが通り過ぎるだけだった広場で行われ、今日も開催されている。

「立珂ちゃんの服すっごい可愛い。前と後ろで生地が違うの素敵よね」
「生地が変わるとこは幅広の紐を縫い付けてるんだ。つぎはぎに見えないでしょ?」
「うんうん。それいいなって。使い回し感なくなるの」
「私は裾の刺繍が好きよ。今まで作って終わりだったけどこんな使い方があるなんてね」
「これやりたいから上下分けちゃった」

 広場には女性の声が響き渡っているが、女性陣の中心にいるのは立珂だ。
 お祭りの日以来、立珂と話をしたがる女性が増えた。立珂のお洒落は里でも目新しいことだったようで、余り生地や古着を持って広場に集まるのが恒例になっている。
 お洒落友達が増えると立珂にも笑顔が増えた。それは嬉しかったが同時に不安もあった。

「羽根に組紐結ったら?」
「あ、んにゃっ、それはね、あのね」
「花飾りも可愛いわよ。真っ白だから赤が映えるわ」

 獣人しかいない里で有翼人の立珂は珍しい存在で、特に興味を引いたのは羽だ。
 土にまみれて生きる女性にとって純白の羽は宝石のように見えるらしく、羽根枕を家宝とまで言った。
 だが立珂は羽をべたべたと触られるのは好まない。今までは薄珂と父しか触れないから立珂自身も気付いていなかったらしいが、どうも気持ちの良いことでは無いらしい。接触が許されたのは慶都だけだ。
 だがせっかく遊んでいる時に水を差すのも嫌なようで、代わりに言ってやろうかと言ったがそれも申し訳なくて嫌だという。なので何でもない時に慶都がそれとなく会話に交え、自然と情報が広まるのを待つことにした。
 だがもう一つ大きな懸念があった。立珂の羽根が相当高価な商品になる事だ。
 立珂に金銭的価値を見出し危害を加える者がいないとも限らない。里の人々から外に漏れたら狙われる恐れもある。それは二か月前を思い出させ、薄珂は思わず目を細めた。
 しかしその時、こんっと後ろから頭を小突かれた。苦笑いをした天藍だ。

「羽根を毟られるようなことは無いぞ」
「……顔に出てる?」
「出てる。そんなお前に蛍宮の有翼人保護施策を教えてやろう」

 天藍は薄珂の隣に腰かけると一枚の紙をくれた。文字がびっしり並んでいるが、文字を知らない薄珂には読めなかった。

「何これ」
「商標登録申請書類。商売するには商品見本を国に提出し、許可が出ないと販売できない。その申請用書類だ。で、こっちは本人証明」

 次いで渡されたのは木製の板だ。掌より少し大きな長方形で、天藍の名前が刻まれている。

「これを店先に立てないと販売できない。これ無しで販売するのは犯罪で、そうと知ってその店で購入するのも犯罪。つまり立珂の羽根を毟っても売買できないんだよ」
「へえ。そういうのって誰が考えるの? 蛍宮の偉い人?」
「まあそうだな。けど考えたのは蛍宮じゃない。これは明恭から取り入れた制度なんだ」
「明恭って獣人優位の軍事国家とかいう?」
「お、よく覚えてたな。そうだ。あそこは色々あってな、有翼人に関しては先進国と言っていい。明恭はこの法整備で有翼人の羽根の売買を成立させて犯罪も激減した」
「法がなきゃいけないくらい犯罪が多いの? ならこの申請は安全じゃない証明じゃないか」
「……意外と賢いなお前」
「おじさんを信じるなって言っといて板切れ信じる方がおかしいでしょ」
「まあそうだな」

 天藍は苦笑いをして申請書を小さく折ると、ううんと唸って首を傾げた。

「教えてくれるのは嬉しいよ。俺は立珂にとって安全な場所を見つけなきゃいけないから」
「それがこの里だと? ここで鳥籠の鳥にするか?」
「……分からない。でも蛍宮より安全だと思う」
「何でだ? お前らの住んでた森だって前は安全だったろうが」

 びくりと薄珂の身体が大きく揺れた。
 十八年間、命を狙われたことなどなかった。父が用意していた避難場所はただの倉庫でしかなくて、本来の目的で使う日が来るなんて思ってもいなかった。
 それに薄珂は決して弱くはない。大きな身体でぶつかるだけでも攻撃となり、強く羽ばたけば風圧で吹き飛ばすこともできる。飛行できるという点では他の肉食獣人よりも行動範囲が広い。それでも人間には敵わなかった。

(人間は武器が強くて頭も良い。森の中じゃ羽が広がらないから獣化できない。飛ぶなら崖へ行くしかないんだ。全部先手を打たれてた)

 逃げられたのは父の避難訓練のおかげだ。薄珂がうまくやったわけではない。
 ふと立珂がはしゃぐ声が聞こえ、見ると眩しい笑顔で笑っている。森では見たことのないほどで、日に日に輝きを増している。
 薄珂はぐっと拳を握り、天藍を見つめた。

「どうしたら立珂を守れる?」
「それは狙われる理由によって違うな。お前ら何で襲われたんだ?」

 天藍の真面目な問いに、薄珂は思わず目を逸らした。
 薄珂が公佗児であることはまだ誰にも言っていない。信じるものを厳選しろと言われているこの状況でそれを明かすことなんてできるわけもない。

「分からない。本当に急だったんだ。俺たちはいつも通り生活してるだけだったのに」
「急か。なら『羽付き狩り』かもな」

 覚えのある言葉に薄珂の身体は無意識のうちに震えた。そんな薄珂の心を見透かすように天藍はにやりと笑う。薄珂は少しだけ口を尖らせ無言で見つめ返した

「お前達の森は東じゃないか? 紅里ほんりぃあたり」
「名前なんて知らないよ。世界地図なんて知らなかったもん」
「じゃあ羽付きって何だと思う? 有翼人の事じゃないんだこれは」
「知らないってば。金剛は有翼人狩りって言ってたよ」
「勘違いしたんだろ。有翼人狩りは蛍宮が起こした事件で『羽付き』は東における鳥獣人の異称。二か月くらい前に紅里で羽付き狩りがあったと聞いた」
「だったとしても関係ないよ。立珂は鳥じゃないもん」
「いや、間違いない。お前達は羽付き狩りに襲われたんだ」

 聞く耳を持たず流されてくれない天藍にいらついて睨みつけようとした。
 しかし天藍はするりと薄珂の耳たぶをなぞった。そこには天藍がくれた立珂と揃いの耳飾りが付いているが、もう一つ残っているものがある。

「これは銃創だ。銃に撃たれてできる傷跡」

 言われて思い返すと、飛んで逃げる直前に銃が掠めていた。そんな程度の事はもう忘れていて、今更遅いが慌てて隠す。

「それが何。襲われたらこんなの珍しくないでしょ」
「珍しいんだよ。銃は世界的にも数が少ない。出回ってるのは紅里くらいだ」
「……そうなの? 嘘だよ」
「嘘に思えるくらい普通に持ってたのか? なら間違いなく紅里だ」

 薄珂はひゅっと息を呑んだ。追って来る男達は当然のように使っていたので全ての人間が持っている物だと思い込んでいた。

(知らなかった。でもこんな傷でそこまで気付くなんて……)

 撫でられ鳥肌が立ち、薄珂はぱんっと天藍の手を払い除けた。

「けど天藍だって世界の全てを知ってるわけじゃないでしょ。東とは限らない」
「限るんだよ。お前達の名の読みは東のものだ」
「読みって『はっか』が?」
「ここらじゃ『ばぉくぁ』で立珂は『りぃくぁ』。お前らは東の羽付き狩り被害者だよ」

 ぎりっと薄珂は拳を握りしめた。

(まずい。俺が鳥獣人だってばれる)

 つうっと冷や汗が流れた。天藍があの男たちのように襲って来るとは思わない。襲ってきても、こんな広場では自警団がすぐに飛んで来る。
 それでも天藍の狙いが分からず身構えたが、天藍は視線をふいっと立珂へ移した。

「おそらく鳥獣人に間違えられたんだ。立珂の羽な、あれ相当大きいんだよ。普通は背に収まる程度で歩けないなんて事はない」
「え? 羽? あの、え? そうなの?」

 突如話が変わり、薄珂も思わず立珂に目を移した。
 車椅子になれた立珂はすいすいと器用に動かし自由自在に動き回っている。だが以前までは歩けなかった。

「知らなかった。羽が重くて歩けない種族だと思ってた」
「違うな。それに純白の羽なんて見たことが無い。普通はうっすらと何かしらの色に寄る」
「それは嘘だよ。立珂はずっと真っ白だ。色なんて付かない」
「世の中的にはそっちが嘘だ。それで目を付けられたんだな。羽の美しい鳥獣人は狙わる」
「じゃあそうなのかも。でもそれと危険を回避することに関係あるの?」
「あるさ。お前は無知だ。危険を察知する事すらできない。教えられなきゃ紅里人が気を付けるべき対象だと気付けなかっただろう」
「それは……そうだけど……」
「もう一つ問題だ。この里最大の危険因子は何だと思う?」
「えっと、えー……なんだろう……」
「分からないだろ。それと同じだ。蛍宮は本当に安全か? 紅里人がいたらどうする? 蛍宮人と見分け付くか? なら二人だけで孤独に生きるか? だが病気になったらどうする。医療の心得も無いお前に何ができる?」

 ぐぐっと薄珂は拳を握りしめた。何か言い返したいけれど何を言えばいいのか分からない。何故責められてるのかも分からなくなってきてしまう。
 しかし天藍はぽんっと優しく頭を撫でてくれる。

「無知を恐れ知識に飢えろ。学べば選択肢も増える」
「何それ。例えば?」
「最低限、文字の読み書きはできた方が良いな。何をするにも必要になる」
「あ、それ。そうなんだ。教えてくれないかな」
「ほお。じゃあここで一つ良いことを教えてやろう。権力者とは仲良くしとけ。例えばお前らを仲間外れにして罪悪感ある長老とか」
「急に汚いこといわないでよ……」
「ほー。これが汚いことだと分かるのか。お前結構頭良いんじゃないのか?」

 天藍は一瞬驚いたような顔をすると、薄珂の髪を掻き回しながらぐりぐりと撫でた。

「何! 止めてよ!」
「まずは学べ。そうすりゃ危機回避策はおのずと分かる」

 天藍は持っていた紙袋を薄珂の手に置いて去って行った。中には赤々とした腸詰が入っている。孔雀が買ってくれている立珂の大好きな辛い腸詰だった。
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