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第五章 多様変遷
第三十二話 もう一人の皇太子(一)
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宮廷に向かい、薄珂は一人の男を探した。
隠れられたら面倒だと思っていたが、男は最も人通りの多い中央庭園の四阿にいた。呑気に茶を飲んでいる。
「閃里様」
「……聞いたようだな」
「牙燕将軍へ俺の情報を流したのは閃里様だね」
「ああ。機を窺うため宮廷に残った」
長椅子に掛けていた閃里は、座れ、と自分の隣をとんとんと叩く。
薄珂はそれに従い隣に座ると、思っていた以上に閃里が暗い顔をしているのがよく見えた。
「どうして牙燕将軍は今更俺を立てようとしたの? 遅いと思うんだよね。里に入ってすぐならもっと素直に従ったよ」
「……それはお前のせいだな」
「俺?」
閃里はぐびりと茶を飲み干すと、はあとため息を吐いて空を見上げた。今日はとても良く晴れている。
「先々代皇陛下の治世がどうだったか知っているか?」
「知らない。でも宋睿以下だったと思うよ」
「へえ。何故だ」
「宋睿が支持されてたから。よほどの意味がなければ人殺しなんてしないよ。宋睿はそれをやらなければいけない理由があって、それは当時国民の願いだったんだ」
「宋睿が強烈だっただけかもしれんぞ」
「それでも支持率は低かったと思う。だって一度も名前を聞いたことがないんだ」
「名前?」
「もし宋睿以外の支配者を求めるなら天藍と先々代皇の名も上がるはず。でも全く聞かない。それは必要とされてないからだ」
「……良い洞察力だ」
閃里は小さく笑った。空になった茶碗をかちゃかちゃと弄り、わずかな飲み残しがくるくる揺れるのをじっと見つめている。
「その通りだ。善人ではあったが政治家としての手腕は無い。全種族を愛し全国民を貧困へ追い詰めた。だから宋睿は獣人を取り立てた。物理的な力があるというだけでできることは多い。人間の技術を取り入れ蛍宮の国力を向上させたのも宋睿だ」
「政治的な能力の高い人だったんだね」
「ああ。だが有翼人を毛嫌いした。その理由は分からんが、有翼人を切り捨てる判断は賢明だったと俺は思ってる。世界が迫害傾向にある種族を保護するのは世界を敵に回すに等しい。だから中立国は存在しないんだ。それでも有翼人狩りはやりすぎだったが」
「それでやられてたら世話ないよね」
「……だがそれまで有翼人を無視していたわけじゃない。法は種族問わず適用され、一部の職員には人知れず弱者を守らせていた。その中心にいたのが」
「莉雹様だね」
びくりと震え、閃里はじっと薄珂を睨んだ。
「何故知っている」
「響玄先生が言ってた。莉雹様は宋睿の頃すでに『人知れず有翼人を守る』という運用を確立してたんだ。護栄様を教育したのはこの運用を守るためじゃないかな。莉雹様が陰になるには自分の上に強い光が必要だ」
「お前は本当によく見ているな。そうだ。莉雹殿は透珂様が戻られた時のために先々代皇のお志を守り続けた。だが莉雹殿はもう区切りをつけた。立珂という光が現れたからな」
「……うん。良くしてくれてるよ」
「本当はな、牙燕様も分かっておられた。もう時代は変わったのだと。だから隠れ里に退き、家族との慎ましやかな生活を望む慶真殿に自らの護衛という口実をお与えになられた」
「ああ、そういうことか。何で慶真おじさんなのか不思議だったんだ」
「姿の変わった穏やかな日々を愛し始めていた。しかし天藍が第二の宋睿にならないと断言はできん。だから俺は宮廷に残った。牙燕様には余計な心労を与えたくない」
「じゃあ俺が里に来たのは運が悪かったね」
「運か。偶然だと思うか」
「……思わないよ。羽付き狩りはきっと偶然じゃない」
その真相は誰にも分からないだろう。けれど薄珂は響玄の言葉が心の底に引っかかっていた。
(護栄様が羽付き狩りを扇動した可能性がある……)
偶然透珂の子が牙燕将軍の元に行く確率がどれだけあるだろうか。
そんな偶然よりも護栄が羽付き狩りを扇動し薄珂を巻き込もうとしたという説の方がはるかに必然性が高いように思われた。
けれど閃里は追及しない。ここでそれを追求しても意味がないからだろう。結果が全てだ。
「全種族平等は先々代皇陛下の悲願だった。しかしその願いは潰え、牙燕様も諦めた。だが先々代皇の血を引くお前が有翼人保護区を作り、牙燕様が育てた烙玲と錐漣が獣人保護区警備に就いた。それを導いたのもお前だった」
閃里は立ち上がり再び空を見上げた。そこには何もない。雲も無く鳥も飛んでいない。何もない。
そして視線だけ薄珂に落とすと、口元だけ笑みを浮かべた。
「お前が牙燕様の復讐心に火を付けた」
「……その導線を引いたのは俺じゃないけどね」
「そうだな。だが俺にはもう、何が『蛍宮の未来』なのか分からない」
「閃里様も俺を皇太子に立てたい?」
「牙燕様がお望みなら手を尽くすまでだ」
はあ、と閃里は深くため息を吐いた。とても力無い眼差しは何を見据えているか分からなかった。
薄珂は立ち上がり閃里の前に立った。
「協力して欲しいことがある。やりたいことがあるんだ」
「私の主は端から透珂様ではない。お前に尽くす義理はないな」
「そうだね。でも閃里様は牙燕将軍へ隠してることがあるよね。俺はその真相を知ってる」
ぴくりと閃里の目尻が揺れた。目を細めじっと薄珂を睨み付けている。
「やりたいこととはなんだ」
「牙燕将軍の言う通りだよ。時が来たんだ。この国にも俺にもね」
「……お前は護栄より質が悪い」
薄珂は悪手を求めて手を伸ばした。閃里はその手をじっと見つめると、くすっと笑い握り返してくれた。
「いいだろう」
「有難う。それじゃあ本命のところへ行こう」
隠れられたら面倒だと思っていたが、男は最も人通りの多い中央庭園の四阿にいた。呑気に茶を飲んでいる。
「閃里様」
「……聞いたようだな」
「牙燕将軍へ俺の情報を流したのは閃里様だね」
「ああ。機を窺うため宮廷に残った」
長椅子に掛けていた閃里は、座れ、と自分の隣をとんとんと叩く。
薄珂はそれに従い隣に座ると、思っていた以上に閃里が暗い顔をしているのがよく見えた。
「どうして牙燕将軍は今更俺を立てようとしたの? 遅いと思うんだよね。里に入ってすぐならもっと素直に従ったよ」
「……それはお前のせいだな」
「俺?」
閃里はぐびりと茶を飲み干すと、はあとため息を吐いて空を見上げた。今日はとても良く晴れている。
「先々代皇陛下の治世がどうだったか知っているか?」
「知らない。でも宋睿以下だったと思うよ」
「へえ。何故だ」
「宋睿が支持されてたから。よほどの意味がなければ人殺しなんてしないよ。宋睿はそれをやらなければいけない理由があって、それは当時国民の願いだったんだ」
「宋睿が強烈だっただけかもしれんぞ」
「それでも支持率は低かったと思う。だって一度も名前を聞いたことがないんだ」
「名前?」
「もし宋睿以外の支配者を求めるなら天藍と先々代皇の名も上がるはず。でも全く聞かない。それは必要とされてないからだ」
「……良い洞察力だ」
閃里は小さく笑った。空になった茶碗をかちゃかちゃと弄り、わずかな飲み残しがくるくる揺れるのをじっと見つめている。
「その通りだ。善人ではあったが政治家としての手腕は無い。全種族を愛し全国民を貧困へ追い詰めた。だから宋睿は獣人を取り立てた。物理的な力があるというだけでできることは多い。人間の技術を取り入れ蛍宮の国力を向上させたのも宋睿だ」
「政治的な能力の高い人だったんだね」
「ああ。だが有翼人を毛嫌いした。その理由は分からんが、有翼人を切り捨てる判断は賢明だったと俺は思ってる。世界が迫害傾向にある種族を保護するのは世界を敵に回すに等しい。だから中立国は存在しないんだ。それでも有翼人狩りはやりすぎだったが」
「それでやられてたら世話ないよね」
「……だがそれまで有翼人を無視していたわけじゃない。法は種族問わず適用され、一部の職員には人知れず弱者を守らせていた。その中心にいたのが」
「莉雹様だね」
びくりと震え、閃里はじっと薄珂を睨んだ。
「何故知っている」
「響玄先生が言ってた。莉雹様は宋睿の頃すでに『人知れず有翼人を守る』という運用を確立してたんだ。護栄様を教育したのはこの運用を守るためじゃないかな。莉雹様が陰になるには自分の上に強い光が必要だ」
「お前は本当によく見ているな。そうだ。莉雹殿は透珂様が戻られた時のために先々代皇のお志を守り続けた。だが莉雹殿はもう区切りをつけた。立珂という光が現れたからな」
「……うん。良くしてくれてるよ」
「本当はな、牙燕様も分かっておられた。もう時代は変わったのだと。だから隠れ里に退き、家族との慎ましやかな生活を望む慶真殿に自らの護衛という口実をお与えになられた」
「ああ、そういうことか。何で慶真おじさんなのか不思議だったんだ」
「姿の変わった穏やかな日々を愛し始めていた。しかし天藍が第二の宋睿にならないと断言はできん。だから俺は宮廷に残った。牙燕様には余計な心労を与えたくない」
「じゃあ俺が里に来たのは運が悪かったね」
「運か。偶然だと思うか」
「……思わないよ。羽付き狩りはきっと偶然じゃない」
その真相は誰にも分からないだろう。けれど薄珂は響玄の言葉が心の底に引っかかっていた。
(護栄様が羽付き狩りを扇動した可能性がある……)
偶然透珂の子が牙燕将軍の元に行く確率がどれだけあるだろうか。
そんな偶然よりも護栄が羽付き狩りを扇動し薄珂を巻き込もうとしたという説の方がはるかに必然性が高いように思われた。
けれど閃里は追及しない。ここでそれを追求しても意味がないからだろう。結果が全てだ。
「全種族平等は先々代皇陛下の悲願だった。しかしその願いは潰え、牙燕様も諦めた。だが先々代皇の血を引くお前が有翼人保護区を作り、牙燕様が育てた烙玲と錐漣が獣人保護区警備に就いた。それを導いたのもお前だった」
閃里は立ち上がり再び空を見上げた。そこには何もない。雲も無く鳥も飛んでいない。何もない。
そして視線だけ薄珂に落とすと、口元だけ笑みを浮かべた。
「お前が牙燕様の復讐心に火を付けた」
「……その導線を引いたのは俺じゃないけどね」
「そうだな。だが俺にはもう、何が『蛍宮の未来』なのか分からない」
「閃里様も俺を皇太子に立てたい?」
「牙燕様がお望みなら手を尽くすまでだ」
はあ、と閃里は深くため息を吐いた。とても力無い眼差しは何を見据えているか分からなかった。
薄珂は立ち上がり閃里の前に立った。
「協力して欲しいことがある。やりたいことがあるんだ」
「私の主は端から透珂様ではない。お前に尽くす義理はないな」
「そうだね。でも閃里様は牙燕将軍へ隠してることがあるよね。俺はその真相を知ってる」
ぴくりと閃里の目尻が揺れた。目を細めじっと薄珂を睨み付けている。
「やりたいこととはなんだ」
「牙燕将軍の言う通りだよ。時が来たんだ。この国にも俺にもね」
「……お前は護栄より質が悪い」
薄珂は悪手を求めて手を伸ばした。閃里はその手をじっと見つめると、くすっと笑い握り返してくれた。
「いいだろう」
「有難う。それじゃあ本命のところへ行こう」
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