人と獣の境界線

蒼衣ユイ/広瀬由衣

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第五章 多様変遷

幕間 美星の信念(一)

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 立珂の希望で華理行きが決まり、美星とその父響玄も共に行くことになった。
 蛍宮一の豪商と称される響玄は商売魂剥き出しで喜んでいたが、美星は立珂の目がその響玄と同じ世界に広がったことに喜びを覚えていた。

(ついに立珂様が世界を見据えられた。お父様と同じように)

 きっと何かが変わるだろうことは立珂の輝く目を見ればすぐに分かった。それを傍で見られることが美星はとても嬉しかった。
 立珂は華理に高い期待を寄せていたが、いざ現地を見て落胆するようなことがなければいいなと心配に思っていたけれどそれは完全に杞憂に終わった。

「ふあ~! すけすけ! きらきら!」

 立珂のはしゃぎようは見たこともないほどだった。元気すぎるほど元気で、少し前まで歩けなかったと言っても誰も信じないだろう。

(あの男は好きになれないけど、今回ばかりは感謝しなくては)

 華理へ来るにあたり、立珂たちは以前知り合った柳という商人に世話になっている。薄珂は柳と話すことが多いらしく今日は席を外しているが、その間に立珂は華理の生地を見せてもらっている。
 南国特有の色彩鮮やかな生地や涼やかな生地を見せてもらうと立珂は目を輝かせた。あれもこれもと手に取って日に透かして透け感を確かめている。

「すてきすてきぃ!」
「ははは。立珂様は本当に生地がお好きだ」
「うんっ! すずしいきじがほしいの!」
「そうですかそうですか。ではこれはどうでしょう」

 体に当てて色味が似合うかを確かめて、どんな形にするのが良いか意気揚々と語り始めている。

(小さな子供が遊んでると思ってるのね。それは大きな間違いよ)

 美星は立珂を取巻く大人たちを一瞥した。
 ここには二種類の人間がいる。服飾職人と生地を売る商人だ。今生地を見せびらかしてるのは主に商人だった。
 彼等は不自然なほどに優しい笑顔で、皇太子殿下に縁のある子供なら手懐けておこうという魂胆が見え隠れしている。
 しかし立珂は商人に手渡された『涼しい生地』を見て眉間にしわを寄せた。

「……これすずしいの?」
「ええ。この薄さは他にはありませんよ」
「でもぺったりしててすずしくないよ。ほら、肌にぺったりくっついちゃう。つるつるしてるから汗を吸わないからきもちわるくなるよ」
「え? ええ、でもきれいでしょう」
「きれいでもきもちよくないならだめだよ。うすければすずしいわけじゃないの。これほんとうに服の生地? ちがうよね」
「あ、ああ、そう、ええと」

 立珂はきらきらと輝くその生地を突き返し、商人は目を丸くした。

(あれは単価の高い高級生地だわ。子供だから輝く物に飛びつくとでも思ったのね)

 物の価値が分からない者に高価な商品を売り付けるのはよくある手だ。きっと立珂もそれに流されると思ったのだろう、すっかり慌てふためいている。
 美星は笑いをこらえていると、商人を押しのけて数名の男女が前に出てきた。彼等は腰にいくつかの小さな鞄を下げていて、そこからは定規や鋏といった裁縫道具が見えている。

(職人ね。立珂様を品定めしていたんだわ)

 職人というのはどの世界でも自尊心が高く誇りを持っている。いくら権力者の縁者とはいえ、何も知らない子供の遊戯にどの程度を提供するか見定めていたのだろう。

「立珂様の目は確かですね」
「う?」
「ご指摘の通りです。これは通気性が悪いので日用には向きません。ただ見目が良いので舞台衣装ではよく使われます」
「そうだよね。こういうのは蓮花さん、あ、華理の女優さんね。劇団のみんながよくつかうの。でも僕すずしいきじがほしいんだ。おせなかあついからうすいきじがいいの」
「羽ですよね。けど有翼人は薄ければ良いというものでもないでしょう」
「う? どうして?」
「風通しの良い生地は涼しいですね。風通しが良いというのは目が粗いということ。しかし目の粗い生地だと羽先が生地をすり抜けるのでちくちくするそうですよ。例えばこれ」

 職人たちが商人を押しのけ生地の束を立珂の前に並べると、そのうちの一つを立珂の前に広げて手に持たせた。
 立珂の望んだとおり薄い生地だ。

「これを羽で突いてみてください」
「ん」

 立珂は言われた通り自分の羽で布越しに掌を突いた。分厚い生地や目の細かい生地なら当然羽が触れることは無い。立珂が使うのは主にそういう生地だ。
 けれど目の前の薄い生地は羽根の数本を通してしまい、それが触れたのか立珂は驚いたようにぴょっと背筋を伸ばした。

「ちくちくする!」
「そうでしょう。そこでこれです」
「う?」
「着てみてください」

 男性職人が取り出したのは上半身だけの服だ。背中に羽穴が開いていて、有翼人でも着ることができる服だ。

(片肩に釦が二個と両脇に縦三個ずつ。あれは南で主流の有翼人専用服だわ)

 有翼人専用服は立珂が開発するよりも以前から存在するものだ。立珂はこれを参考に独自の改良を重ねているので原型と言っていいだろう。
 立珂は言われた通り着替えを始めた。けれど自分用に作られていない服は久しぶりなのだろう、よろよろとよろけている。

「う、う」
「お手伝いします」
「んにゃあ」

 美星は温かい目で見守られつつ立珂の傍に膝をつき着替えを手伝った。この服は確かに有翼人用だが本人たちにすると大きな課題のある服でもあった。

(羽を通すのが大変なのよね。立珂様のように大きな羽ならなおさら)

 前後に分かれるので一人で着替えができるというのは画期的だ。だがこれを開発したのはおそらく人間なのだろう。羽を通す大変さが汲まれていないのだ。
 結局一人で着替える大変さはそれなりにある。美星が手伝うことでようやく立珂は着替えを終えた。
 すると立珂はきゅるっと目を丸くしてぱあっと眩しい笑顔になった。

「ひや~ん!」
「有翼人専用冷感生地です。通気性が高いわけではありませんが涼しく感じるという特殊な生地。哉珂様も今注力して開発してるんですよ」
「きもちー! ほしー!」
「では蛍宮へお送りしますよ。手始めに立珂様のを一着作ってみましょうか」
「うんっ!」

 立珂はくるんと美星をふり向いた。立珂の服作りに必要な道具一式はもちろん持ってきている。
 美星は期待に満ちた視線を受けて、持ってきた鞄から紙の束を取り出し広げた。すると職人たちは興味深いといった風に覗き込んでくる。

「これは?」
「立珂様ご考案の分割式有翼人専用服の型紙です」
「ふむ。随分と留め具の合印が多いですね。目立ちませんか」
「内に縫い込む鉤型ですので大丈夫です。それにこれなら羽が引っかかりません」
「なるほど。おや、ここは飾り釦ですか」
「うん! かざりぼたんがあるとほんとうのとめぐもおしゃれのいちぶになるでしょ!」
「確かにそうですね。やたらと実用釦が多いと見目が悪いですが、うまいこと隠れている」
「しかしこんなに分割する必要はありますか? いささか多いように見えますが」
「わざと多くしてるの。おきがえで一番大変なのは羽なんだ。穴があっても一人じゃとおせないからとおさなくていいようにしてるの」
「あ……!」

 職人たちははっと気づき、ちらりと美星に目をやり気まずそうな顔をした。

(着替えに手伝いが必要なんて思っても無かったんでしょうね。華理も有翼人の全てが理解されてるわけじゃないんだわ)

 慌てて職人たちは型紙を覗き込み、立珂の身体と見比べた。釦の位置を確かめながら、その一つ一つに感嘆のため息を吐いている。
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