人と獣の境界線

蒼衣ユイ/広瀬由衣

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第五章 多様変遷

第十八話 南へ(二)

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 華理行きが決まると薄珂と立珂、慶都はすぐに旅支度を始めた。
 華理へは船で十数日を要する。船旅の心得を聞いても実感が湧かず不安だったが、仕入れをするという名目で響玄が共に来てくれる事となった。それでも成長期であることへの不安はぬぐえずにいると、ここは私がと美星も付いて来てくれることになった。
 そしてあっという間に当日となり、船に乗り込んだ立珂は目をまんまるにして飛び上がった。

「ふね! ふね! ふね!」
「落ち着け立珂」
「ふねぇ!」

 未知の国よりも前に未知の乗り物との出会いに立珂ははしゃぎ回った。落ちたら一大事だが、傍には慶都がぴったりとくっついている。慶都は崖から落ちた立珂を助けてくれた実績があり、慣れない場所で頼れる護衛がいることはとても安心できた。
 けれどそのはしゃぎぶりを見てくくっと笑う声が後ろから聞こえてきた。

「怖がるかと思ったが大丈夫そうだな」
「天藍」
「お前は平気か? 怖くはないか」
「俺は里から出た時に乗ったよ。立珂は捕まってたからさ」
「ああ、そうだったな」

 里と蛍宮を往復する方法は幾つかある。里から小舟で少し行った陸地に蛍宮の連絡船が来て、孔雀は主にこれを利用していた。鳥獣人であれば飛びきることもできるし、小舟だけで点在する島々を経由することもできる。
 しかしあの時は立珂を助けることで頭がいっぱいだった。船旅を楽しむ余裕などなかったが、実を言えば今もそうだ。立珂の輝く笑顔は船よりも海よりも魅力的だ。薄珂の目が立珂以外には向くことはない。だからこそ天藍の方から隣に歩み寄ってくれるのは嬉しかった。

「向こうで何するんだ?」
「買い物。涼しい服の作り方を知りたいんだって」
「有翼人の服飾文化が変わりそうだな。羽根の収集はしないのか?」
「しない。立珂の体調も心配だから今回は遊ぶだけにするよ」
「だが響玄殿は仕事をするようだぞ」

 響玄は色々と持ち込んでいるようだった。船は響玄も持っているが、国が所有する船は比較にならないほど大きい。一度で幾つかの商談を終わらせるつもりのようで、宮廷が積み込んでいる荷物よりも多い。これには美星も手伝いに入り、親子で商売の算段を立てていた。

「旅費がかからなくて助かるって喜んでたよ」
「ははは。響玄殿は有翼人保護区区長でありお前達の保護者。その頼みを断わる選択肢などないな」

 宮廷職員はざわざわと慌ただしく駆け回っている。その中には護栄と浩然の姿もあり、屈強な兵も大勢乗船の手伝いをしている。中には初めて見る服装の職員もいて、何をする要員なのか分からない者ばかりだった。
 知っている人が少ない態で慣れない場所へ行くのは不安もあったが、立珂はこれっぽっちも気になっていないようではしゃぎまわっている。

(立珂はまた成長するんだろうか)

 初めての船旅は立珂を助けるためだった。だが今回は立珂が望んで羽ばたいた一歩だ。
 南は遠い。その地で待つものがどんな意味を持つのか。薄珂はぐっと拳を握りしめ、立珂を抱きしめに船へ乗り込んだ。

*

 それから長い航海が続き、ようやく華理が近付いてきた。そして見えてきたのは延々と続く深い森だった。見渡す限り一面の緑で、ところどころに小屋が立っている。岩場も多く、圧倒的な大自然だった。
 しかし港に着くとそれは一変した。数えきれないくらい大小様々の船が並び、それを擁してもなお有り余る広さだった。

「うわあ! おっきい! 薄珂! すごくおっきいよ!」
「大きいな。天藍、これ港だよね」
「そうだ。華理は南の中枢。全てが集まっているからな」
「は~……」

 建物は大きく、蛍宮では見たことの無い材質の建物が立ち並ぶ。薄珂の身長よりはるかに高い金属の棒が立っていて、その先に白くて四角い何かがついている。一体何かと思ったが、地上を歩いていた人が棒の下部にある突起を押した。すると白いそれは突如輝き出した。

「あ、あれ、なんで光り出したの?」
「電灯だよ。蛍宮は役所くらいだが華理じゃ一般家庭にも常設されてる。美星。立珂をもっと薄着にしてやれ。日向に出ればもっと熱い」
「承知致しました。立珂様、どれにしますか?」
「きいろいの!」

 立珂が鞄に飛びつき服を選び始めると、すかさず慶都は腰に付けていた丸めていた物を取り外し、広げると大きな一枚の布だった。そして人前で着替え始めようとした立珂を隠すようにして立っている。

(あんなの用意してたんだ。いいな。あれならいつどこで裸になっても大丈夫だ)

 これは成長期に入り変化したことの一つだ。外を歩いている時に突然裸になりたがることが増えた。それがいけないことだと分かっているから我慢するが、それでも我慢しきれず脱ぎだしてしまうことがあった。
 人間にはかなり嫌な顔をされたが、こうして隠してやれば白い眼を向けられることはない。慶都も獣化を耐えられなかったからどうにかしてやりたいと思ったのかもしれない。
 それを分かっているのかいないのか、立珂はきゃあきゃあとはしゃぎ美星に着替えを手伝ってもらっている。慶都と美星は既に阿吽の呼吸だ。
 頼りになる二人へ立珂を任せ、薄珂は辺りをきょろきょろと見回した。薄珂は探したいものがあるのだ。

「どうした」
「知り合いが迎えに来てくれるはずなんだ」
「当てがあるんだったか。響玄殿の伝手か?」
「違うよ。でも天藍も知ってる人。あ、いた」

 薄珂は一人の男を見つけると手を振って呼び寄せた。
 今回の目的は立珂の豪遊だが、薄珂にはもう一つ目的があった。それが彼との再会だ。

「ようこそ華理へ。待ってたよ」
りゅう殿!」

 天藍は驚きながらも歩み寄った。
 柳は麗亜の下で働く人物で、様々な企業を手掛ける事業家だ。有翼人保護区設立に協力してくれて、建設から宅配など自らの会社であらゆることを手配してくれた。これにより有翼人は明恭への信頼も厚くし、護栄には良くも悪くも想像とは異なる結果もあったようだった。

「各地で商売をしてると言っていたが、まさか華理でも?」
「昔から明恭が冬の時期は華理で過ごすことにしてます。第二の故郷ですよ」
「勝手知ったるというわけか。いつの間に薄珂は連絡したんだ?」
「してないけど、麗亜様の手紙に柳さんが華理にいるって書いてあったんだ。きっと迎えに来てくれると思って」
「ほお。今回は麗亜殿の仕事で?」
「俺の仕事は全部麗亜絡みですよ。警備も麗亜直属。子供の面倒くらい朝飯前です」

 薄珂はぽんっと頭を撫でられた。天藍はきょとんとしたが、すぐにくすりと小さく笑い手を差し伸べ握手を交わした。

「預ける。何かあればすぐに連絡をくれ」
「承知致しました」
「薄珂。夜になったら宮廷へ来い。部屋を用意して貰う」
「うん。分かった」

 天藍はぐりぐりと薄珂の頭を撫で、立珂にも声をかけると職員を連れて宮廷へ向かって行った。
 姿が見えなくなるまで見送ると、ゆっくりと隣に立つ柳を見上げた。目が合うとにやりと満足げな笑みを受けべている。

「必要になったろ」
「聞かなきゃいけないことが多そうだ。哉珂さいか

 柳哉珂。薄珂の父、透珂の血縁を探している男である。
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