人と獣の境界線

蒼衣ユイ/広瀬由衣

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第五章 多様変遷

第十七話 混沌(一)

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 立珂の成長期にも慣れ、薄珂は少しずつ宮廷の業務へ戻っていた。立珂は以前よりお昼寝時間が多いため、美星が付き添いその間だけ仕事をする。
 その他にも羽根の納品はいつも通りあるため、今日は天一従業員という立場だ。戸部ではなく応接室に通され護栄と向き合っていた。まだお昼寝時間ではなかったので立珂も一緒に参加している。

「小さな羽根が多いのは助かります。成人の羽根だと小さな防寒具に向かないようで」
「大きいと詰め込むの大変だもんね。大人のは子供より硬いし」
「子供は買い取り価格を上げても良いかもしれませんね。支払いはいつも通り響玄殿へお渡しで良いですか」
「はい。よろしくお願いいたします」
「おねがいたいた、た、いたっ、い、た、します」

 立珂は薄珂の真似をして頭を下げたが、以前にも増して舌足らずのため言い難い言葉が多い。もともと苦手だった言葉はなおさらだ。
 それでも必死に礼儀を尽くそうとする姿は護栄すらも和ませ、立珂の照れ笑いにつられて微笑んでいる。

「護栄様。もう少し時間いただけますか? 相談があるのですが」
「いいですよ。何です?」

 護栄は立珂を撫でながら頷いてくれたが、それが心地良かったのか立珂はいっきに眠くなったようだった。温まったり程好い揺れを感じると眠くなるようで、くふふと笑いながら眠るのを堪えている。

「立珂。まだお話するから美星さんとお昼寝しててくれるか?」
「はあい……慶都いるかな……」
「ではお声掛けしましょうか」
「うん……あそぶ~……」

 遊ぶと言いながらもこくりこくりと頭は揺れ、美星に抱きかかえられたらすぐに眠ってしまった。
 美星が立珂を連れて部屋から遠ざかる足音が聴こえなくなると、薄珂は改めて護栄に頭を下げた。

「すみません。忙しいのに」
「構いませんよ。立珂殿の耳には入れたくないことですか?」
「今はまだ。実は立珂と二人で東に行ってみたいと思ってて」
「東?」

 護栄は一瞬驚き、すぐにいつも通りすまし顔に戻った。
 響玄に立珂を巻き込まないよう釘を刺した方が良いと助言を受けたが、言葉一つ二つで護栄の考えを変えるのは難しいように思われた。

(釘を刺したところでやる気ならやるだろう。なら先手必勝、連れて出る)

 薄珂が警戒したところで護栄の口車で誰かしらが立珂を巻き込みにかかるだろう。ならばいっそ距離を取り、物理的に巻き込むことができない状態にしてしまえば良いと考えたのだ。

「目的を聞いても?」
「父さんの生死を確認したいんだ。今行っておかないとこの先二度と弔うことができない気がする」

 これはこれで本音だった。皇族に興味は無いが、周りがそうはさせないのなら父の遺体は大いに利用されるだろう。遺体がなくとも持ち物を漁り、抗争に利用することだってできるかもしれない。
 立珂が一番大切だ。だがそのために父を犠牲にしたことに何も感じていないわけでは無い。

「立珂殿にも見せるのですか」
「それは分からない。でも立珂だって分かってるよ。俺と二人だけで逃げたんだから」
「……殿下を呼んできます。ここで待っててください」

 護栄は目線だけを下に落とし、小さなため息を吐いてから立ち上がり部屋を出た。
 しばらくすると護栄と共に天藍がやって来た。既に話を聞いたのか、表情は曇っている。

「東へ行きたいそうだな」
「うん。父さんの遺体があると思う。それを確認したいんだ」
「んー……時期が悪いな。ちょうど東への遠征が決まったところだが、今回は色々と込み入ってるんだ。お前達を連れて行くのは難しい」
「そっか……」
「だが前に約束した通り、お前たちの森を調べるつもりだ。それでは駄目か?」
「……それって父さんが本当に死んだか気にしてる人がいるから?」
「いや。羽付き狩りの調査だ。南の華理ほぁりいは知ってるか?」
「明恭と二大勢力ってとこだよね」
「そうだ。難民が多いとかで協力要請がきた。それで実際被害に遭ったお前たちの森が根城になってないか調べたい。覚えてる範囲のことを教えてくれるか。思い出したくないだろうが」
「いいよ。でもその前に教えて欲しいことがあるんだ」
「何だ?」
「天藍が里に来た本当の目的。俺にも護栄様にも嘘をついてるよね」

 びくっと天藍の身体が大きく揺れた。明らかに焦った様子で、護栄は呆れたようにため息を吐いている。それを見れば護栄の指示で天藍が嘘を吐いていたか、もしくは天藍は真相を話さないと高をくくっていたのだろうことは察しがついた。

(離れられないなら動けなくするしかない。護栄様の足止めは天藍を掴むのが確実だ。ついでにあれも聞いておこう)

 天藍の気まずそうな顔を見るに、これは薄珂にとって好都合な状況だ。
 護栄は薄珂に対しても誰に対しても警戒し策略を練っている。だが天藍は心を許した親しい相手、特に庇護対象である者を疑うことはほぼない。突発的に突き崩すなら天藍だ。

「何で皇太子自ら出てきたのか不思議だったんだ。あれなら玲章様だってよかったよね。金剛と争う前提があった以上、皇太子自ら行ってはいけない理由の方が大きい」
「いや、それは本当に金剛だ。本当に」
「それがおかしい。俺を利用する目的だったとしても護栄様が天藍の単独行動を許すとは思えない。少なくとも護衛を一人は付ける」

 天藍はこれまでそれらしいことを言っていた。筋は通っていたし、今まではそれを信じることはできていた。
 だが護栄という男を知ってしまった。知略に長け天藍を守ることを最優先とし、そのためなら非情と思われることも厭わない。
 だが優しい男でもあった。立珂を病に追い込んだのは護栄だったが、それも薄珂と立珂が職員に認めてもらうための教育だった。ただ言葉が足りず、優しさが分かり難いというだけだ。
 その護栄が指名手配犯の象獣人がいる場所に天藍を単身乗り込ませるわけがない。それでもそうしたというのなら、護栄の許しを得ずにやったということだ。

「護栄様を出し抜いてでも一人でやりたいことがあったんでしょ。それは何?」

 護栄はまた呆れたようにため息を吐いた。しかし自ら説明することはなく、天藍を横目に睨んでいる。
 天藍もそれに気付き、苦笑いをして頭を抱え込んだ。しばらく目を泳がせると、ようやく口を開いてくれた。
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