人と獣の境界線

蒼衣ユイ/広瀬由衣

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第五章 多様変遷

第八話 皇太子たち(一)

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「透珂って……」
「よくある名だと思っていたが、まさかこんな」
 閃里は口元を抑え、恐ろしいものを見るような目で薄珂を凝視した。透珂様、と唇を震わせている。

(透珂ってたくさん人を殺したんだよな。何で様付け?)

 薄珂は直接その男を知っているわけではない。伝承のような話を牙燕から聞いただけで真相は知らない。
 それに深く気にしたこともなかった。薄珂にとって父は育ててくれたあの父で、薄珂の家族は立珂だけだ。会ったことすらない男の名を聞かされても感慨にふけることなどない。ただ『透珂は多くの人を殺した』という認識で、それだけを見れば悪人だ。それをまさか様付けで呼ぶ個人的な知り合が身近にいるなんて思ってもいなかった。
 閃里は我に返ると薄珂に駆け寄り両肩を殴るような強さで掴んできた。

「涼音様はどうされた! お戻りになられたのか!」
「え? 誰?」
「何を言ってる! 涼音様はお前の」
「閃里殿。この子は知らないんですよ」
「何だと!?」

 閃里の勢いに呑まれていると護栄がすっと間に入ってきた。閃里の手を引かせると、護栄はそっと薄珂の背を撫でる。

「この子らは何も教えられず育ったようです。二人を育てたのは涼音様ではありません」
「な、何だと。では涼音様は」
「引き続き捜索を続けています。ですが、やはりこの子は似ているんですね……」

 護栄は明らかに何かしらの事情を知っているようだった。
 それ自体は驚くようなことではない。天藍に関わる者の素性を調べていないわけがないからだ。そして掴んだ情報をやたらと露呈させることなどないだろう。知らせるとしたら利用価値が生まれた時だ。護栄がそういう男であることはよく分かっている。
 けれど同時に、一見厳しく恐ろし気なことを言っても根本では善人であることも知っている。握った情報が何であれ、天藍が大切にする者を陥れるようなことはしないだろう。
 護栄を見上げると、やはり傷付いたような悲しい眼をしていた。護栄は膝を付き薄珂の顔を覗き込み、ぎゅっと両手を握った。

「……本当は里から来てすぐに話すつもりでいたんです。でも迷ってしまった。まさかあなたたちがこんなに……」

 護栄の手が震えていた。何かを言いよどみ俯いている。そんな姿を見るのは初めてだった。

「あの、これ何の話? 俺は透珂も涼音も知らないんだ」
「分かっています。これ以上は殿下にご説明をお願いしましょう。閃里殿もご同席頂けますか」
「当然だ。俺はそいつに聞かなければならん」

 すみません、と護栄はもう一度薄珂の手を握った。透珂と涼音、閃里がどう関係するのかは分からない。もしかすれば聞かない方が良い真実を知っているのかもしれない。それは恐ろしく思えた。
 けれどそれ以上に、護栄がまるでらしくない姿を見せることの方が恐ろしかった。
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