人と獣の境界線

蒼衣ユイ/広瀬由衣

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第五章 多様変遷

第五話 宋睿の正義(一)

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 獣人保護区は中央に大きな広場がありここに集まることが多いという。
 加えて生態なのか、獣種ごとに固まる傾向にある。しかし薄珂と立珂のように、森住まいで人間に襲われた経験のある者はあえて様々な獣種と集まることでどんな事態にも対応できるようにしているらしい。
 区内では日常的に獣化をして問題無いのでぱっと見る限りでも色々な獣がいた。

「へび! かわいい!」
「あはは。人間は嫌がるけどね」
「う? なんで?」
「さあ。猫とか兎みたいに人間の愛玩動物になってない獣はだいたい嫌がられるのよ」
「ふうん。へんなの。こんなかわいいのに」

 薄珂と立珂は森育ちだし、薄珂自身が獣なので獣種の違いによる偏見は無い。けれど人間と有翼人には馴染みのない獣も多く、それは嫌悪でなくとも恐怖されることも多い。
 特に肉食獣人には襲い掛かられたら死の危険がある。実際そういう犯罪は少なくない。
 それが分かっているから獣人もできるだけ人間に合わせようとしている。ただそれも全種族平等の蛍宮だからだ。獣人優位の国なら『嫌なら出歩くな』で一蹴されるのだ。

「ねえねえ。にんげんになるとき服どうするの?」
 蛇獣人はぴくりと頭を揺らすと、するすると脱いだ服に潜り込んだ。そして少しずつ身体を人の形に変え、頭を出し手を袖に通しながら完全な人間の姿になった。
「おー」
「器用だね」
「獣体が小さければこれくらいはね。でかい奴は無理だけど」
「人間と有翼人は服脱ぎ棄ててあると嫌そうだもんな」

 獣人保護区の最大の特異性はこれだ。獣から人間になると裸になってしまうため、歩きながらふいに獣化したら服を放置して一旦立ち去る。そうすると周りの誰かが服を道端に畳んで置き、後から本人が取りに来るのだ。
 これが獣人達の獣化対策なのだが、人間や有翼人がいる地区でそれをやると『脱ぎ捨てるなんてどういう神経だ』となり、後から拾うと『落ちてる物を拾うなんて卑しい』と非難を浴びる。そうなると獣化を我慢するしかないのが現状だ。
 こうした生態と価値観の違いを埋めるのは難しいが、ずいっと身を乗り出してきたのは予想外にも戸部職員だった。

「教えてほしいんだが、やはり着替え施設は増やした方が良いか」
「空き家を着替え場に改築する案もあるが、必要なら専用施設にしても良い」
「え、そんな面倒なことはいいから立珂ちゃんの服いっぱいちょうだいよ」
「服?」
「獣人だけのふくだよ! もちあるけるの!」

 職員がくるりと立珂に視線をやると、立珂はきらんと目を光らせた。すかさず薄珂の上位を捲ると腰にぶら下がってる丸い布を広げた。
 これは立珂が考案した服だ。一見すれば丸まった布だが、紐を一つ解くだけで広げられてこれが服になる。形状はほぼ筒で、するりと身体を通せば良いだけになっている。

「……ただの服に見えるが、そんなに利点があるのか?」
「あるわよ! 私達の問題は獣化そのものじゃなくて服なの! 獣から人になると裸でしょ? でも扉をくぐれないほど大きい獣は外で着替えなきゃいけないわ。男は良くても女は大問題よ」
「獣化には常に気を付けてるけど、これが精神的に疲れるのよ。だから突然獣化しちゃう」
「でも! 立珂君の服は広げるのも畳むのも口だけでできるの。持ち歩けるだけで気持ちが違うのよ!」
「精神的利益だな。なるほどなるほど」
「それに形がちょっと変わってるだろ? だから『これは獣化に困った奴の服だ』って分かってくれる。そうすると嫌な顔されないんだ」
「共通認識による相互理解か。意識改革より物理的解決の方が早い。これは良いな」
「だからこれ配ってくれよ。人間に戻れれば別に場所なんてどうでもいいし」
「だが獣化を我慢しなければならないのは変わらんだろう」
「そりゃそうだけど、前触れも無く獣化なんて俺一度もないぜ」
「私はたまにあるけど、体調悪い時くらいで頻繁に起きるものじゃないわね」
「我慢できないのは赤ん坊か小さい子供くらいよ。けどそのくらいの子は裸でも気にしないし、あんま関係無い気するわね」
「妙だな。宮廷では結構問題になってるんだが」
「それは他に我慢しなきゃいけないことが多いんじゃないの? 獣化制御が難しくなるのは精神的に疲労が溜まった時だ」
「……なるほど」

 子供はさらっと言ったが、職員たちは目を泳がせた。
 薄珂はまだ宮廷で務めて日は浅いが、それでも戸部職員がいつもくたびれているのは知っている。護栄に対して不満を持つ者がいることも、自分が経験したからよく分かる。

(宮廷の福利厚生って的外れなことあるんだよな。あれきっと護栄様が超人で凡人のこと分からないからだ)

 何が大変なんだ、と無邪気に問う子供の罪深さを薄珂は苦笑いで見送った。
 職員は誤魔化すように咳ばらいをすると、立珂の作った獣人用の服を手に取った。護栄は採用をしてくれたが、生産費用や配布方法に問題がありまだ普及はしていないので知らない職員も多いのだ。

「これは完全に認識が間違っていたな。他に困ってることはないか」
「ある! 配給!」
「足りてないか?」
「量はあるよ。じゃなくて種類。宋睿様みたいに種類増やして欲しい! 獣種によって食べ物違うんだ」
 思いがけない盛り上がりをみせたが、ふいに飛び出てきた言葉に薄珂は思わず振り返った。

(宋睿『様』? 様付けするのか?)

 宋睿というのは天藍が討った先代蛍宮皇だ。悪政を敷いたため獣人からも非難を浴び、結果命を落とす事となった。
 とても尊敬されるような奴ではない――というのが薄珂の認識だった。とても敬称を付ける相手ではないはずだ。

「それに味付けが嫌。獣人は加工品って好きじゃないんだ。宋睿様は材料まんまくれたよ」
「あと持って来る女の人さ、香付けてるだろ。あれ嫌いだな。俺犬だから鼻がさあ」
「わかる。宋睿様は獣人の男だけで持って来てくれてたもんな」
「そうなのか。宮廷じゃ皆普通に食べているが」
「我慢してるんだろ。だから獣化制御ができなくなるんだよ」
「お、おお……なるほど……」
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