267 / 356
第五章 多様変遷
第三話 浩然の焦燥(一)
しおりを挟む
浩然は自信ありげに笑む薄珂を見て過去の自分を思い出していた。
あまり知られていないが、浩然は有翼人である。美星同様に羽を切り落としているだけで、生まれた頃は羽があった。
しかし有翼人を迫害する土地だったため親に捨てられたらしく、物心ついた時は他人しかいない隊商の中で暮らしていた。だが隊商は無給でこき使われる場所だった。今でこそあれが違法労働だったことが分かったが、当時は食事を与えてもらえるだけで有難いと思っていた。
それでも高い薬を使わせてはくれなくて、羽根接触による皮膚炎はひどくなるばかりだった。気が付けば動くことができないくらいに悪化し、ついに浩然は自ら羽を切り落とした。
だが羽を失った代償は大きかった。どういう生態なのかは未だ自分でも分からないが、羽を切ったと同時に意識が途切れた。
その後のことは浩然自身あまり覚えていない。ただ朦朧としていて、何かを考えていたのかも覚えていない。皮膚炎は変わらず身を切り裂くような痛みと痒みで、それだけしか思い出せない。覚えているのは『使い物にならないから捨てていけ』と隊商を放り出されたことだけだ。
しかし浩然は突如回復した。目を覚ました場所はふかふかの寝台の上だった。うつぶせになっていて、見知らぬ青年が冷たい布で背中を拭いてくれていた。ぺとぺとと何かを塗っていて、飛び起きると何故か髪が伸びていた。そこでようやく、突如回復したのではなく青年がずっと治療をしてくれていたのだと気が付いた。
「……あんた誰」
「護栄。まだ横になってた方が良いよ、浩然」
「な、何で俺の名前知ってんだ」
「知らない。ほら、横になって」
護栄は意味の分からないことしか言わない男だった。しかし見るからに育ちの良い風で、豪華な食事や上質な服を与えてくれた。数日で完治する凄い薬も使ってくれた。
浩然は初めて人の優しさを知った。しかし返せるものなど何もない。どうしたら恩を返せるかと聞いたが、これが人生の転機だった。
護栄はそれまでとは打って変わって不穏な笑みを見せ、山のように本を積み上げ帳面を突き付け、絶え間ない猛勉強が始まった。
文字の読み書きなどまったく知らなかったが三日で全て習得させられ、金回りのことは専門用語も覚えさせらえれた。政治経済につても叩きこまれ、気が付けば宮廷で護栄付きの文官となり、部下を持つ立場にまで上り詰めていた。
*
護栄の指導は厳しいと誰もが言うけれど、浩然にとっては全てが幸せなことだった。人から「浩然は護栄様の右腕だ」と言われるのは最高の賛辞だ。
だがこれまでの努力も全て無駄だったのではと思う出来事が起きた。それが今目の前で弟を撫でまわし、だらしなくにやついている薄珂の出現だった。
(僕が今の地位を得るまで五年はかかった。でも薄珂はまだ一年足らず)
浩然は悔しかった。あれだけの苦労をしてようやく認められたというのに、薄珂は出会って数か月で護栄の信頼を勝ち取り教育したいとまで思わせたのだ。それは難癖をつけて追い出したいと、愚かなことを考えてしまうほどの悔しさだった。
けれど今や宮廷の大半を味方に付け国民の信頼も厚い。護栄ですら成しえなかった有翼人保護区まで完成に導いた。
(立珂は光だ。でも光が立珂じゃなくても薄珂さえいれば有翼人保護区は作れただろう。原動力がたまたま立珂だっただけの話)
その活躍ぶりは目覚ましく、悔しさを引きずることができないくらいだった。
だがそれ以上に恐ろしさも感じていた。何しろ薄珂はいつも弟を抱きしめ微笑んでいるだけなのだ。その笑顔の裏で暗躍する機転の良さは護栄さながらだった。
浩然は隣に座っている護栄をちらりと見ると、どこか緊張感がある顔をしている。護栄はどんな相手でも手のひらで転がしてきた。自信に満ちた護栄しか知らない浩然にとっては信じられないことだった。
「では聞かせて下さい。どんな削減をするんです?」
その場に緊張が走った。各自業務をしているはずの戸部職員も聞き耳を立てている。普通ならこの圧力に心が挫けるものだ。実際そうして去って行く職員は多い。
だが薄珂は毛ほども感じていないようで、にこりといつものように微笑んでいる。
一体どんな削減案が出て来るか息を呑んだが、発せられた言葉は全くの予想外だった。
「削減はしません。使います」
「え?」
「目的は『立珂の贈呈品制作にこの額を使うべき』という説得ですよね。何も他を削減する必要はないんです」
薄珂は美星とじゃれていた立珂を抱き上げた。それだけで立珂はぱあっと笑顔になり、きゅむっと薄珂へ頬を押し当てた。
「立珂は歴史を表す物がいいんだよな」
「うん! 有翼人はこんな年でしたってわかるのがいい!」
「具体的にはどんなことだ?」
「いろんなひとがたすけてくれるようになったこと! ごえーさまにみほしさんにみつきちゃんに、あとあいれんちゃん!」
ぴくりと机の下で護栄の指が揺れた。浩然も息を呑み、かつて罪人の烙印を押されたが立珂に救われた少女を思い出す。
愛憐とは立珂の友人だが、それ以前に明恭国第一皇女だ。
「さてはあなた」
護栄は思わず身を乗り出したけれど、薄珂はただ当然のように弟を撫でにっこりと微笑むだけだった。
あまり知られていないが、浩然は有翼人である。美星同様に羽を切り落としているだけで、生まれた頃は羽があった。
しかし有翼人を迫害する土地だったため親に捨てられたらしく、物心ついた時は他人しかいない隊商の中で暮らしていた。だが隊商は無給でこき使われる場所だった。今でこそあれが違法労働だったことが分かったが、当時は食事を与えてもらえるだけで有難いと思っていた。
それでも高い薬を使わせてはくれなくて、羽根接触による皮膚炎はひどくなるばかりだった。気が付けば動くことができないくらいに悪化し、ついに浩然は自ら羽を切り落とした。
だが羽を失った代償は大きかった。どういう生態なのかは未だ自分でも分からないが、羽を切ったと同時に意識が途切れた。
その後のことは浩然自身あまり覚えていない。ただ朦朧としていて、何かを考えていたのかも覚えていない。皮膚炎は変わらず身を切り裂くような痛みと痒みで、それだけしか思い出せない。覚えているのは『使い物にならないから捨てていけ』と隊商を放り出されたことだけだ。
しかし浩然は突如回復した。目を覚ました場所はふかふかの寝台の上だった。うつぶせになっていて、見知らぬ青年が冷たい布で背中を拭いてくれていた。ぺとぺとと何かを塗っていて、飛び起きると何故か髪が伸びていた。そこでようやく、突如回復したのではなく青年がずっと治療をしてくれていたのだと気が付いた。
「……あんた誰」
「護栄。まだ横になってた方が良いよ、浩然」
「な、何で俺の名前知ってんだ」
「知らない。ほら、横になって」
護栄は意味の分からないことしか言わない男だった。しかし見るからに育ちの良い風で、豪華な食事や上質な服を与えてくれた。数日で完治する凄い薬も使ってくれた。
浩然は初めて人の優しさを知った。しかし返せるものなど何もない。どうしたら恩を返せるかと聞いたが、これが人生の転機だった。
護栄はそれまでとは打って変わって不穏な笑みを見せ、山のように本を積み上げ帳面を突き付け、絶え間ない猛勉強が始まった。
文字の読み書きなどまったく知らなかったが三日で全て習得させられ、金回りのことは専門用語も覚えさせらえれた。政治経済につても叩きこまれ、気が付けば宮廷で護栄付きの文官となり、部下を持つ立場にまで上り詰めていた。
*
護栄の指導は厳しいと誰もが言うけれど、浩然にとっては全てが幸せなことだった。人から「浩然は護栄様の右腕だ」と言われるのは最高の賛辞だ。
だがこれまでの努力も全て無駄だったのではと思う出来事が起きた。それが今目の前で弟を撫でまわし、だらしなくにやついている薄珂の出現だった。
(僕が今の地位を得るまで五年はかかった。でも薄珂はまだ一年足らず)
浩然は悔しかった。あれだけの苦労をしてようやく認められたというのに、薄珂は出会って数か月で護栄の信頼を勝ち取り教育したいとまで思わせたのだ。それは難癖をつけて追い出したいと、愚かなことを考えてしまうほどの悔しさだった。
けれど今や宮廷の大半を味方に付け国民の信頼も厚い。護栄ですら成しえなかった有翼人保護区まで完成に導いた。
(立珂は光だ。でも光が立珂じゃなくても薄珂さえいれば有翼人保護区は作れただろう。原動力がたまたま立珂だっただけの話)
その活躍ぶりは目覚ましく、悔しさを引きずることができないくらいだった。
だがそれ以上に恐ろしさも感じていた。何しろ薄珂はいつも弟を抱きしめ微笑んでいるだけなのだ。その笑顔の裏で暗躍する機転の良さは護栄さながらだった。
浩然は隣に座っている護栄をちらりと見ると、どこか緊張感がある顔をしている。護栄はどんな相手でも手のひらで転がしてきた。自信に満ちた護栄しか知らない浩然にとっては信じられないことだった。
「では聞かせて下さい。どんな削減をするんです?」
その場に緊張が走った。各自業務をしているはずの戸部職員も聞き耳を立てている。普通ならこの圧力に心が挫けるものだ。実際そうして去って行く職員は多い。
だが薄珂は毛ほども感じていないようで、にこりといつものように微笑んでいる。
一体どんな削減案が出て来るか息を呑んだが、発せられた言葉は全くの予想外だった。
「削減はしません。使います」
「え?」
「目的は『立珂の贈呈品制作にこの額を使うべき』という説得ですよね。何も他を削減する必要はないんです」
薄珂は美星とじゃれていた立珂を抱き上げた。それだけで立珂はぱあっと笑顔になり、きゅむっと薄珂へ頬を押し当てた。
「立珂は歴史を表す物がいいんだよな」
「うん! 有翼人はこんな年でしたってわかるのがいい!」
「具体的にはどんなことだ?」
「いろんなひとがたすけてくれるようになったこと! ごえーさまにみほしさんにみつきちゃんに、あとあいれんちゃん!」
ぴくりと机の下で護栄の指が揺れた。浩然も息を呑み、かつて罪人の烙印を押されたが立珂に救われた少女を思い出す。
愛憐とは立珂の友人だが、それ以前に明恭国第一皇女だ。
「さてはあなた」
護栄は思わず身を乗り出したけれど、薄珂はただ当然のように弟を撫でにっこりと微笑むだけだった。
0
お気に入りに追加
134
あなたにおすすめの小説

青少年病棟
暖
BL
性に関する診察・治療を行う病院。
小学生から高校生まで、性に関する悩みを抱えた様々な青少年に対して、外来での診察・治療及び、入院での治療を行なっています。
※性的描写あり。
※患者・医師ともに全員男性です。
※主人公の患者は中学一年生設定。
※結末未定。できるだけリクエスト等には対応してい期待と考えているため、ぜひコメントお願いします。
リナリアの夢
冴月希衣@商業BL販売中
BL
嶋村乃亜(しまむらのあ)。考古資料館勤務。三十二歳。
研究ひと筋の堅物が本気の恋に落ちた相手は、六歳年下の金髪灰眼のカメラマンでした。
★花吐き病の設定をお借りして、独自の解釈を加えています。シリアス進行ですが、お気軽に読める短編です。
作中、軽くですが嘔吐表現がありますので、予め、お含みおきください。
◆本文、画像の無断転載禁止◆ No reproduction or republication without written permission.

【運命】に捨てられ捨てたΩ
雨宮一楼
BL
「拓海さん、ごめんなさい」
秀也は白磁の肌を青く染め、瞼に陰影をつけている。
「お前が決めたことだろう、こっちはそれに従うさ」
秀也の安堵する声を聞きたくなく、逃げるように拓海は音を立ててカップを置いた。
【運命】に翻弄された両親を持ち、【運命】なんて言葉を信じなくなった医大生の拓海。大学で入学式が行われた日、「一目惚れしました」と眉目秀麗、頭脳明晰なインテリ眼鏡風な新入生、秀也に突然告白された。
なんと、彼は有名な大病院の院長の一人息子でαだった。
右往左往ありながらも番を前提に恋人となった二人。卒業後、二人の前に、秀也の幼馴染で元婚約者であるαの女が突然現れて……。
前から拓海を狙っていた先輩は傷ついた拓海を慰め、ここぞとばかりに自分と同居することを提案する。
※オメガバース独自解釈です。合わない人は危険です。
縦読みを推奨します。

ニケの宿
水無月
BL
危険地帯の山の中。数少ない安全エリアで宿を営む赤犬族の犬耳幼子は、吹雪の中で白い青年を拾う。それは滅んだはずの種族「人族」で。
しっかり者のわんことあまり役に立たない青年。それでも青年は幼子の孤独をゆるやかに埋めてくれた。
異なる種族同士の、共同生活。
※過激な描写は控えていますがバトルシーンがあるので、怪我をする箇所はあります。
キャラクター紹介のページに挿絵を入れてあります。
苦手な方はご注意ください。

好きな人がカッコ良すぎて俺はそろそろ天に召されるかもしれない
豆ちよこ
BL
男子校に通う棚橋学斗にはとってもとっても気になる人がいた。同じクラスの葛西宏樹。
とにかく目を惹く葛西は超絶カッコいいんだ!
神様のご褒美か、はたまた気紛れかは知らないけど、隣同士の席になっちゃったからもう大変。ついつい気になってチラチラと見てしまう。
そんな学斗に、葛西もどうやら気付いているようで……。
□チャラ王子攻め
□天然おとぼけ受け
□ほのぼのスクールBL
タイトル前に◆◇のマークが付いてるものは、飛ばし読みしても問題ありません。
◆…葛西視点
◇…てっちゃん視点
pixivで連載中の私のお気に入りCPを、アルファさんのフォントで読みたくてお引越しさせました。
所々修正と大幅な加筆を加えながら、少しづつ公開していこうと思います。転載…、というより筋書きが同じの、新しいお話になってしまったかも。支部はプロット、こちらが本編と捉えて頂けたら良いかと思います。

僕の王子様
くるむ
BL
鹿倉歩(かぐらあゆむ)は、クリスマスイブに出合った礼人のことが忘れられずに彼と同じ高校を受けることを決意。
無事に受かり礼人と同じ高校に通うことが出来たのだが、校内での礼人の人気があまりにもすさまじいことを知り、自分から近づけずにいた。
そんな中、やたらイケメンばかりがそろっている『読書同好会』の存在を知り、そこに礼人が在籍していることを聞きつけて……。
見た目が派手で性格も明るく、反面人の心の機微にも敏感で一目置かれる存在でもあるくせに、実は騒がれることが嫌いで他人が傍にいるだけで眠ることも出来ない神経質な礼人と、大人しくて素直なワンコのお話。
元々は、神経質なイケメンがただ一人のワンコに甘える話が書きたくて考えたお話です。
※『近くにいるのに君が遠い』のスピンオフになっています。未読の方は読んでいただけたらより礼人のことが分かるかと思います。

あの日の記憶の隅で、君は笑う。
15
BL
アキラは恋人である公彦の部屋でとある写真を見つけた。
その写真に写っていたのはーーー……俺とそっくりな人。
唐突に始まります。
身代わりの恋大好きか〜と思われるかもしれませんが、大好物です!すみません!
幸せになってくれな!

それ以上近づかないでください。
ぽぽ
BL
「誰がお前のことなんか好きになると思うの?」
地味で冴えない小鳥遊凪は、ある日、憧れの人である蓮見馨に不意に告白をしてしまい、2人は付き合うことになった。
まるで夢のような時間――しかし、その恋はある出来事をきっかけに儚くも終わりを迎える。
転校を機に、馨のことを全てを忘れようと決意した凪。もう二度と彼と会うことはないはずだった。
ところが、あることがきっかけで馨と再会することになる。
「本当に可愛い。」
「凪、俺以外のやつと話していいんだっけ?」
かつてとはまるで別人のような馨の様子に戸惑う凪。
「お願いだから、僕にもう近づかないで」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる