人と獣の境界線

蒼衣ユイ/広瀬由衣

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第五章 多様変遷

第二話 準備開始(三)

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 浩然は両手で持たなければいけないほど大きな本を一冊取り出した。表紙から何枚か捲ると、何かの図が書かれているところを大きく広げてくれる。

「これが宮廷の組織図。職員は必ずこのどれかに所属してるんだけど、三省六部は分かる?」
「分からないです」
「じゃあそこからね。三つの省とその下に六つの部があるんだ」

 浩然はとんっと一番上を指差した。そこには『中書省』『門下省』『尚書省』という三つの単語が並び、尚書省の下にはさらに六つの単語が並んでいた。

「ざっくり言うと中書省は殿下が言うことを作るとこ。門下省は中書省が作った内容に問題無いか審議するとこ。尚書省は門下省が許可した内容を実行するとこ。六部は尚書省の下にあって、吏部は採用や労働、戸部はお金、礼部は外交、兵部は軍、刑部は警察、工部は公共事業を担当する」
「響玄先生が一人でやってることを分担するんですね」
「そう。宮廷は規模が多いから一人じゃ持ちきれないんだ。で、僕の担当が戸部。お金だね」
「羽根を買ったり?」
「買う作業は礼部。買うお金を用意するのが戸部だよ。宮廷が使えるお金には上限があって、それをやりくりするんだ。じゃあ国葬はどういうやりくりをするか」
「国葬もですか? やるって決まってるのにやりくりが必要なんですか?」
「お、いいところに気付いたね。国葬に必要な予算は大きく二つ。運営費用と立珂の贈呈品制作費用。運営費は毎年のことだから予算を組んでる。問題は立珂だ」

 浩然は急に声を小さくした。ちらりと見る視線の先には露台でぷうぷう寝息を立てる立珂がいる。この距離でこの小声なら間違っても聞こえはしないだろう。こうした繊細な配慮は護栄によく似ているようだった。

「こういっちゃなんだけど、そもそも贈り物なんて必要無いんだ。毎年献花だけで、今回は殿下の我が儘にすぎない。だから三省六部を説得する必要があるんだ。宮廷のお金は殿下の私財じゃないからね」
「ああ、門下省を通ってないんですね」
「え?」

 浩然は虚を突かれたように目を丸くした。薄珂は思ったことをそのまま言っただけだったが、浩然はとても驚いたようだった。

「違いました?」
「いや、合ってるよ。合ってるけど、何で分かったの」
「だって認めて貰えてないんですよね。なら浩然様――戸部の上が許可してないってことだから門下省かなって」
「……頭の回転早いね。その通りだよ」
「でも国葬は国の印象問題ですよね。優先してやるべきじゃないですか?」
「国の印象なんて考えてるのは護栄様と上層部数名だけだよ。それに各部署は存在意義が違うから『国のため』の行動が違う。吏部なら職員教育にお金を割くべきって言うだろうね」
「ああそっか。じゃあ反感買いませんか?」
「買うよ。だから角が立たないやり方をしよう」

 浩然は本をしまうと、今度は机の中から書類を何枚か持って来た。そこには先程のような図ではなくもっと細かな表だった。文字や数字がぎっしりと並んでいる。森育ちの薄珂はまだ読めない文字も多いが、幾つか知っている文字もあった。米や水、腸詰、萵苣といった食材の名称だ。

「これは直近三か月に廃棄した残飯量と廃棄費用金額だ。買ったのにお金かけて捨てるって無駄だよね。なら残飯が出ない方法を考えて、代わりに食材購入費と廃棄費用を国葬に回したい――という説得ができる」
「あ、やりくり」
「そう。というわけで、薄珂には予算削減案を考えてみてほしい。食堂でもいいし他のことでも何でもいい」

 書き出されている一覧を見ると、確かに大量なようだった。ぺらりぺらりと捲っても一覧は途切れることが無い。続きには人件費や交際費など、様々な無駄が書き出されていた。
 薄珂はしばらくそれを追ったが、ふいに露台から何かが揺れる音が聞こえて来た。振り返ると、そこには美星に抱きかかえられ目を擦る立珂がいた。

「はっかぁ……」
「あ、起きたか」

 立珂は必死に手を伸ばしていて、薄珂は美星の腕から受け取った。すると立珂はぎゅうっと薄珂にしがみ付き、安心したようにふうと一息ついている。
 穏やかなその光景に浩然は書類をばさばさと片付けた。

「今日は退勤でいいよ。予算削減案は十日以内に一つ出してみて」
「あ、それは今でいいですよ。案あるんで」
「……うん?」
「考える必要はありません。今すぐやりましょう」

 薄珂は立珂を抱っこして頬ずりをした。立珂も嬉しそうにそれを甘受し、うふふと笑っている。
 しかし薄珂はにっこりと笑い再び椅子に座り、浩然は頬を引きつらせてつつつと美星に寄った。

「僕この子怖いんだけど」
「何をいまさら。ねえ護栄様」
 浩然と美星は書類に向き合っていた護栄を見ると、護栄もまた頬を引きつらせていた。
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