人と獣の境界線

蒼衣ユイ/広瀬由衣

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第三章 蛍宮室家

第四十三話 金剛の狙い

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 移動もせず何をすることも無く休憩する意味が分からなくて、薄珂は何をどう警戒すべきかすっかり混乱していた。
 そこにきて突如謎の名前が登場し、薄珂は混乱を極めた。

「誰それ。何の話なの?」
「お前にゃ聞いてねえよ。おい爺!」
「知らんもんは知らん」
「あの里作ったのてめぇだろ! 知らないはずはねえ!」

 混乱していて思い出すのが遅れたが、薄珂は牙燕の名前を知っていた。

(あ、彩寧さんが言ってた将軍か。え? 何でそんな話になるんだ?)

 役者が揃ったということは薄珂を待っていたのだろうか。
 てっきり薄珂と立珂を売るなり天藍を殺すなりという話なのかと思ったが、斜め上どころか全く関係のない方向へ行ってしまった。

「話が見えないけど、蛍宮のことは護栄様に聞きなよ。里は関係無い」
「馬鹿かお前。何であんなとこに里作ったと思ってんだ」
「森だからじゃないの?」
「人間から隠れるのに蛍宮近くにいちゃ意味ねえだろ。この爺はあそこにいる必要があったんだ」
「だとしても、どうして牙燕将軍にこだわるんだよ。一人のために蛍宮を敵に回すなんて馬鹿だ」
「牙燕は入り口だ。蛍宮先代皇は獣人を集めていた。特殊能力を持つ獣人をな」
「は? 何それ。獣人の能力は姿を変えることだけだよ」
「稀に不思議な能力を持つ者がいるんですよ。同種の獣を操ったり身体を変形させたりと」

 身体を変形するというのを聞いて彩寧の話を思い返した。
 体の大きさを自在に操るという世界最強の豹獣人がいたと言っていた。

(あの話か。しまったな。もっとちゃんと聞いとくんだった)

 この話をした時は規定服をどうするかという流れだったので掘り下げにくく、後回しにしてしまったのだ。
 それにしても、これは薄珂だって聞きたい話だ。なのに一体どこに薄珂が関わってくるのか分からない。

「俺が欲しいのはそいつらさ。この爺は蛍宮に頼まれて連中を隠してるはずだ」

 ん、と薄珂はまた少し引っかかった。

(蛍宮が隠してる獣人……天藍の隠してる鳥獣人……)

 それはとても似ている内容だ。これはつい先日の話で薄珂にも関りがありそうな話だった。
 だが獣種が違う。どうにも情報が錯綜しているように感じて薄珂は首を傾げる。

「牙燕って本当に豹? 鳥じゃなくて?」
「あ? 鳥はてめーだろ」
「そうだけど」
「鳥? 薄珂、お前は鳥獣人なのか?」
「公佗児だよ公佗児! 爺が崇めてた公佗児!」
「公佗児……!?」
「伝説がこんな餓鬼で残念だな」

 おお、と長老はがくりと膝から崩れ落ちた。
 崇めるほどの存在だったのなら、もしかしたら実在して欲しくなかったのかもしれない。
 長老は何か言いたそうな顔をしているが、今はそれどころではない。

「ったく。爺は後回しだ。おい薄珂! お前は何であの里に来た」
「人間から逃げてたんだよ」
「だーから! 何であそこだったんだって話だよ!」
「……たまたまだよ。蛍宮に行くつもりだったんだけど方向を間違ったんだ」
「父親? 名前は」
「薄立(はくりつ)。俺と立珂の名前は父さんの字だ」
「知らねえな。偽名か?」
「知らない。でも偽名を子供の名前に付けたりしないと思うけど」
「牙燕が血縁ということは?」
「聞いたこともないよ。もしそうだったとしても俺は知らない」
「何か思い当たることはないですか。お父上の話や行動に違和感があったとか」
「違和感……」

 くっと薄珂は息を呑んだ。

(好機だ。返答次第で俺と立珂を生かしておく必要性を作れる)

 薄珂は考えた。
 薄珂と立珂が生きて揃っていないと彼らの目的が果たせない情報を作れば、少なくとも今命を取られることはない。

「父さんは出かける時に崖から突然いなくなるんだ。だから父さんは鳥獣人で本当の父親だと思ってた。立珂が実子っていうのは嘘で、何か理由があるんだと思う。ちゃんと聞けば立珂も何か思い出すかも知れない」

(これは本当。孔雀先生はこの話を知ってるから信じるはずだ)

「あと森に父さんが絶対に近付くなって言ってた場所がある」
「へえ。そりゃ何があったんだ」
「分からない。俺は立珂以外のことは深く考えてなかったんだ。でも幾つも鍵をかけてて変だなとは思った。森に鍵なんて無いんだ。わざわざ人里に言って勝って来たんだよきっと」
「そりゃ何かあるな。住んでた森ってのはどの辺だ」
「逃げるのに必死だったから覚えてない。立珂は東の方って言ってたから覚えてると思う。ただ立珂は歩けなかったから島の中は知らないんだ。それは俺が案内できる」

(これは嘘。けどこれなら俺と立珂の二人がいないと駄目だ)

「調査の価値ありですね。何としても立珂君を捕まえて案内させましょう」
「……孔雀先生」
「安心なさい。羽のためにも君と立珂君は幸せに暮らしてもらいます」

 孔雀は愉快そうに笑った。
 けれど薄珂はその言葉に引っかかりを覚え、じっと孔雀の顔を見つめた。

(金剛が俺を売ったら立珂と暮らすことはできない。二人は目的が違うのかな。金剛の目的は公佗児じゃなくて俺自身かもしれない。俺じゃないとできない何かがあるとか)

 やはり金剛が薄珂を売るというのには違和感があった。
 それは以前響玄が教えてくれた商人の心得に反するからだ。

「立珂の羽根は魅力的だ。だが手に入れようとする商人は少ないだろう。何故だと思う」
「え、えっと……手に入れるのが大変だから……?」
「おお、そうだ。立珂に危害を加えたら蛍宮を敵に回す。金数百じゃ割に合わない」
「でも立珂が専属契約をしたいって思ったら別だよね」
「商人は専属契約をしない。羽根を得るために衣食住を与えお前も養わねばならんが、生活費と遊興費を差し引くと割に合わない」
「でも十枚もあれば足りるよ」
「買い手が付くかは別の話だ。金を出して羽根飾りを買う一般人は少ない」
「そっか。売れないと養うお金の方が高いんだ」
「そういうことだ。どんなに魅力的でも販管費で赤字になる商品は扱わない。商売をするなら心得ておけ」

 獣人売買は犯罪だが仕組みは商売だ。そうなると鳥獣人、特に薄珂は割に合わない商品のように思うのだ。
 獣人は獣から人へ姿を変える瞬間を目撃しない限り獣種など分かりはしない。まして鳥は空を飛ぶ。高い木の上で獣化されたら観察することも難しい。
 それに薄珂を捕まえたら望む望まないにしろ確実に天藍が出てくるのだ。再び逮捕される危険性を考えれば捕まえるのは割に合わない。
 ならば目的は売買ではなく薄珂自身に何かをさせることだという方が納得がいく。
 それが何なのか探りたいが、質問は許さないとでもいうかのように孔雀と金剛は立ち上がった。

「もう一つ答えろ。天藍は何者だ」
「え? 皇太子?」
「馬鹿か。違うから聞いてんだろ。いいか? 奴が皇太子だと気付かなかったのはでかい白兎だったからだ。皇太子は小せえ黒兎なんだよ」
「え?」
「名は秦(しん)。人の姿は黒髪黒目。ありゃ別人だ」

 薄珂はまた話が突拍子もない方向へ飛び、思わず首を傾げた。
 出会った時は商人だと言っていたが、それが嘘で正体は皇太子だった――というのが薄珂の認識だ。
 それだけでも驚いたが、ここに来てそれをひっくり返すなんてまた頭がこんがらがってくる。

「でも国民はみんな天藍が皇太子だと思ってるよ」
「知ってる奴は少ないからな。俺も解放戦争の時に一度しか見たことねえ」
「でも偽物ならそっくりな人を用意しない? 万が一知ってる人がいたらすぐばれるよ」
「同感です。やはり彼も姿を変えられるんですよ。これは生きたまま捕まえないと」
「ちっ。面倒くせぇな」
「準備が必要ですね、これは。私は一度明恭へ戻ります。あなたはどうするんです」
「一旦俺らの根城に戻る。あとはそっちに任せたぞ」
「ええ」
「待って! 孔雀先生!」

 孔雀は何も答えず振り向きもせず去って行った。
 追いかけたいが、格子戸を揺らしてもびくともしない。くそ、と薄珂は格子戸を殴る拳を震わせていた。
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