人と獣の境界線

蒼衣ユイ/広瀬由衣

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第三章 蛍宮室家

第三十五話 負け犬の遠吠え

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 まさかこんなところで突如出会うとは思ってもいなかったが、女は憮然とした面持ちで薄珂を睨んでいる。
 そしてちらりと目線を立珂に移すと、くすっと馬鹿にしたように鼻で笑ってくる。

「出自の分からぬ賎しい子供でも羽さえ美しければ寵愛される。まったく羨ましいこと」
「何だよお前。文句があるなら天藍に」
「そうでしょう! 僕の羽は薄珂がお手入れしてくれてるんだよ!」
「あ、こら。立珂」

 立珂は嫌味を言われたことに気付かなかったようで、薄珂の言葉を遮りぴょこんぴょこんと跳ねた。そのうえ羽をふりふりして自慢して、馬鹿にされたと思ったのか女はぎりぎりと歯ぎしりをしている。
 立珂にとって羽を褒められることは薄珂を褒められることで、その純真無垢な眩しい笑顔に女は悔しそうに後ずさった。

「薄珂にお手入れの秘訣聞くといいよ! 綺麗になるから!」
「……ええ。ぜひ知りたいですわ」
「別に無いよ。洗って乾かすだけ。立珂は最初から綺麗なんだ」
「違う違う。きれいだよってぎゅーってしてくれるよ」
「それはいつものことだ。俺は立珂が大好きだからいつでもぎゅーってしたいんだ」
「僕も薄珂大好き! ぎゅーする!」

 立珂はいつものように目を輝かせ誇らしげに微笑むと、ぎゅうっと薄珂に抱き着いた。
 女は逃げるように立珂から目を逸らし、再び薄珂を睨む。

「何故あの方はこんな子供にご執心なのかしら」

 あの方とくれば当然天藍のことだろう。
 一体どこでどのように天藍との関係が語られているのかは知らないが、どうせ出会った当時の愛憐と同じように、出ていけだの邪魔だのと罵らるのだろう。
 けれど薄珂とてあの時のままではない。自分がどんな立場にいるのかくらいは分かるようになった。
 こういうのは何を言われてもここは適当に流すのが最善だ。薄珂は護栄のすまし顔を思い出し真似ることにした。

「別に俺は」
「多少賢いだけで護栄様が執着するわけがない。あなたにはどんな秘密があるの?」
「……護栄様?」

 天藍をたぶらかしたとか図々しいだとか罵倒されるのを待機していたが、出てきた名前は薄珂の想像とは違う相手だった。

「護栄様って、あの護栄様?」
「そうよ! あの方は子供が時間を奪って良い方ではないのよ!」
「……だとしてもそれを決めるのは護栄様だよ」
「護栄様が私よりあなたに魅力を感じてるとでも!?」
「いや、あの、これ何の話?」
「私なんて眼中にないって言うの!? 馬鹿にするのもいい加減にしなさい!」
「はあ……」
「今に見てなさい。護栄様だってすぐに目を覚まされるわ!」

 女は喚き散らすと、ふんっと踵を返した。
 何やら不愉快にさせたことは分かったが、結局何が言いたかったのかは分からずじまいだ。

「何だあれ」
「天藍のお嫁さんになりたかった人だよね。今度は護栄様のお嫁さんになりたいのかな」
「そうかもな。護栄様のほうが頭良いし」
「分かった! 護栄様と知り合いの薄珂が羨ましいんだ!」
「だろうな。狙いが天藍じゃないなら俺には関係無い話だ。それより他の店も見るか?」
「見る! あっち! ぐるぐるの腸詰!」
「え、あれ腸詰か?」
「そうだよ。あれ見たい!」

 立珂は再びぴょんぴょんと飛び跳ねて、薄珂の手を引いて走り出す。
 意味不明なことを叫んだ女は腸詰に吹き飛ばされてしまった。

(護栄様なら自分でどうにかするだろ)

 薄珂が心配するまでもない。むしろ心配するなど失礼かもしれない。
 そんなことより、立珂が食べたい腸詰が多すぎて食べきれないことの方が問題だった。
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