人と獣の境界線

蒼衣ユイ/広瀬由衣

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第三章 蛍宮室家

第三十四話 朝市

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 薄珂と立珂は自宅がある南区の中央広場で開催されている朝市にやって来ていた。
 屋台がいくつも並び、品ぞろえは様々だ。

「わー! すごーい!」
「今日はここでお買い物だ。朝市は専用のお金があるんだってさ」
「この紙?」
「紙幣(しへい)っていうんだ。いつものお金に混ざるといけないから立珂持っててくれるか?」
「はあい!」

 紙幣を長い紐付きの財布に入れて立珂の首に掛けると、立珂は不思議そうな顔をして紙幣を見つめた。

 朝市に来た目的の一つがこれだ。
 立珂は一人で買い物ができない。これから先のことを考えたら理解しておく必要があるが、薄珂でさえ硬貨の種類や換金を覚えるのに時間がかかった。
 『お金で買う』という概念すら無い立珂には『換金』や『釣銭』が何なのかも分からないのだ。
 それを思うと朝市専用紙幣は都合が良かった。
 一体何故こんな制度になっているのかは知らないが、価格は商品ごとに紙幣の枚数で決まっているので釣銭が発生しない。だから『お金を払う』という感覚に慣れることから始められるのだ。
 それに何といっても朝市には立珂の大好きな――

「わあああ! 焼き腸詰がいっぱい!」
「朝市にしかないのもあるみたいだぞ」
「ねえねえ! あれすっごく細い! あっちは白いよ! あ! まんまるだ!」
「色々食べて新しいお気に入り見つけような。一本半分こしていくつか食べるか?」
「うん! 最初はまんまるのにする!」

 立珂は紙幣をにぎりしめて一軒の屋台に飛びついた。
 数種類の腸詰が並んでいて、立珂の目はこれまでにないほど輝いた。

「腸詰くーださい!」
「はいよ! どれにする?」
「このまんまるの! あとねあとね、どうしよっかな……」
「辛いのってある?」
「あるよ。この細いのがぴりっとくるやつだ!」
「僕からいの大好き! それも食べる!」
「まいど。二つで三枚ね」
「う?」
「腸詰二本が紙幣三枚で買えるんだって。さっきの紙を三枚渡してくれ」
「三枚。はい!」
「まいど! 南区の本店でも出してるから気に入ったら来てくれよ!」
「うん。有難う」

 立珂はまるまるとした腸詰を持って、駆け足で噴水の傍にある長椅子に腰かけた。
 小さな口をめいっぱい広げてかぶりつき、目をきらきらと輝かせる。

「おいひい!」
「この店は南区第四商店街にある『莉玖(りく)堂』だって」
「まんまる!」
「立珂のほっぺもまんまるだ」
「うにゅ」

 栗鼠のように膨らんだ頬をぷにっと突く。立珂が必死にもぐもぐと食べる姿は薄珂を幸せにしてくれる。
 実は朝市に来た目的はもう一つある。それが食の幅を広げることだ。
 護栄が言っていたように、食が娯楽になれば立珂はもっと楽しく過ごせるかもしれないと思ったのだ。
 だがやはり立珂が目を輝かせるのは腸詰ばかりで、もはや腸詰専門店を開いた方が良いかもしれないなどと思っていると、ふいに立珂が足を止めた。

「どうした?」
「あれ!」

 立珂の視線の先にあるのは菓子の屋台だった。
 大きな氷が置いてあり、その上で宝石のようなものがきらきらと輝いている。透き通った赤に水色、黄色、桃色、色とりどりの美しさに立珂は釘付けになった。

「きれい! どうしてこの宝石は氷に乗ってるの?」
「おや嬉しい。これは宝石じゃなくて水飴だよ」
「飴なの!? うわあ……とってもきれい……」
「食べてみるか?」
「うん! 食べる! これちょうだい!」
「ありがと。二個で一枚だよ。好きなの選んでおくれ」
「僕この水色! 僕は青が似合うんだよ! でも顔色悪く見えるから服は黄色を着るの!」
「じゃあ俺は黄色にする。立珂の笑顔の色だ」

 立珂は財布から紙幣を一枚取り出して渡した。思いのほか早くに紙幣を使うことに慣れてくれたようだった。
 受け取った水飴には持ち手となる棒のようなものが二本刺さっていて、立珂はくゆくゆと練って遊んだ。ぱくりと頬張るととても甘くて、こんなとろりとした口触りは初めてだった。

「ふしぎ! おいしいね!」
「な。飴を溶かすとこうなるのかな」
「きれいだね。いいなあ、これ」
「気に入ったか?」
「うん! きれいなのいいよね。おうちでも作れるかなあ」
「調べてみよう。作れたら侍女のみんなに持って行っても良いし」
「そうだね! うん!」

 立珂は満面の笑みでぴょんぴょんと飛び跳ねて喜んだ。立珂が楽しく無理をしない速度で成長していければそれが良い。
 何よりこの笑顔が見れただけで今日は来て良かった。まだきょろきょろと辺りを見回していて、視線の先にはまた別の腸詰がある。

「他に見たい屋台あるか?」
「んっとね! あっちの――」
「薄珂さん」
「え?」

 幸せなひと時を邪魔するかのように、とんっと肩を叩かれた。
 振り向くとそこには有翼人の女がいた。立珂ほどではないがきちんと手入れされていそうな艶やかな羽をしている。
 この羽には見覚えがあった。

(天藍が連れて帰って来た……!)

 やはり頭巾で隠れていてよく見えないが、それは間違いなく天藍が凱旋で連れていた女だった。
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