人と獣の境界線

蒼衣ユイ/広瀬由衣

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第三章 蛍宮室家

第二十二話 立珂の怒り

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 立珂は三日に一度は宮廷の離宮へ行き、侍女と服や装飾を作ったりお洒落の議論をして遊ぶ。
 今日も立珂は離宮で侍女と装飾品を作っている。基本的に立珂は誰かへ贈るために作っていて、使っている素材は立珂の羽根と今や大流行している天然石だ。
 立珂は御守りにしてほしいらしく、天然石の意味を重視する。宮廷では仕事をしている人がたくさんいるから仕事の成功を願おうと、仕事の運気上昇を意味する紅玉髄を使った。

「できたー!」
「いいじゃないか! 立珂の瞳の色と同じですごく良い!」
「えへへ。誰にあげようかなあ」
「お仕事ならばやはり護栄様では?」
「護栄様は髪紐あげたばっかりなんだ。どうしようかなー」

 立珂が自らの手で作る羽根飾りは白と緑以外を用いることを許された。
 立珂の羽根はそれほど特別なものだと知らしめる役割にもなると護栄の方から提案してくれたのだ。何より、立珂から直接貰えるのは業務以外の評価となり、それはまた格別の褒美になるからと贈ることも許可してくれた。
 誰がいいかなあと立珂は宮廷のほうをじいっと見つめていたが、その時、ふとある一行に目を止めた。

「女の人いっぱいで歩いてるよ。みんな何してるの?」
「ああ、侍女見習いが礼儀作法の授業を終えたのでしょう」
「れいぎさほー……」
「はい。礼儀作法を身に着け、試験に合格した者だけが宮廷侍女となれるのです」

 立珂の身体がぴくりと揺れた。当然だろう。それを強いられ侮辱され立珂は倒れたのだ。
 しかし、薄珂にはずっと気になっていることがあった。
 薄珂と立珂は来賓として扱われたが、事情を深く知らない職員からは二人に対して不満の声が上がっていたらしい。せめて礼儀作法を身に着ければ非難の声も減るだろう――それが護栄の考えた職員との間を取り持つ手段だったのだ。
 結果は最悪の形になって表れたが、話してみれば護栄は悪人では無いことを知った。同時に、護栄が指導員に選んだ莉雹とも話をしてみたいと思うようになっていた。
 けれど立珂もそう思えるかというと、それはまた別の話だ。この話は止めてもらおうと話題を探したが、突如立珂は身を乗り出した。

「なんで有翼人はいないの?」
「有翼人だからというわけではございませんよ。ただ、授業が辛く辞めてしまう者が多いのです」
「人数で言えば獣人が多いんですよ。侍女の八割は獣人です」
「八割? 凄い偏ってるね。今までずっとそうなの?」
「ええ。ですが試験に受からなかったのなら仕方ないですわ」

 侍女はにこりと微笑んだ。嫌味を言っているつもりも見下してるつもりも無いのだろうけれど、なんとなく薄珂は嫌な気持ちになった。
 それにしても毎回八割というのは不自然に感じる。

「ねえ。試験ってなにするの?」
「まずはひと月座学をし、終了したら三日間侍女に付いて仕事をします。その成果で決まるんですよ」
「挨拶とか服の着方とか?」
「はい。誰の前でも恥ずかしくないよう」
「なにそれ! 有翼人が受かるわけないじゃない!」

 ばんっと机を叩いて立珂が立ち上がった。珍しく怒りをあらわにしていて、薄珂は思わず立珂を抱きしめた。
 侍女も驚いたようで身を引いている。

「教えてるの誰!?」
「あ、あちらにいらっしゃる方です。宮廷職員の教育係りをなさる莉雹様ですよ」
「りひょーさま? りひょーさまって……」
「とても素晴らしい方なんですよ。先代皇の時代、理不尽な罰を受けた侍女の身代わりとなり、投獄されてでも皆をお守りになられたのです」
「文官と議論できるほど頭脳明晰。清く正しく美しく、そして強い方です。宮廷女性なら憧れない者はおりません」

 薄珂は想像だにしていなかった逸話に驚き立珂を抱く手が緩んでしまったが、突如立珂が莉雹に向かって走り出した。

「立珂!?」

 薄珂は慌てて追いかけ、立珂が莉雹の元へ辿り着く頃ようやく追いついた。
 いつものように抱き上げようとしたけれど、立珂はするりとその腕を抜け莉雹に食って掛かった。

「莉雹様!」
「立珂様……!」

 ああ、と莉雹は青ざめ、周りの目も気にせずその場で土下座をした。侍女からは悲鳴のような声も聞こえる。

「申し訳ございません。何とお詫び申」
「どうして試験が礼儀作法なの!?」
「は?」
「有翼人はあの挨拶はできないし羽があるから同じ服は着れないんだ! そんなの試験にするなんていじわるだ!」
「……それは、侍女の試験のお話ですか?」
「そうだよ! 両手を前で組むのはつらいの! 前にも後ろにも重しがあるみたいでぐらぐらするんだ!」

 少しの間莉雹は目を見開いていたが、はっと何かに気づき立珂を見つめた。

「もしや羽の重みですか?」
「そうだよ! ふわふわしてるけど重いんだ! やってみようか!?」

 立珂は規定通りに前で手を組んで頭を下げて見せた。
 だが同時に羽根が覆いかぶさり立珂の頭は隠れてしまい、そのままころんと転がり壁にごんっと頭を打った。

「立珂!」
「いたーい」

 薄珂が駆け寄り抱き上げると、周囲からはなんて危険なことをさせているのかしら、とどよめきが起きた。

「服だって、そんなの着れない! 羽出せないもん!」
「服にしまい込む有翼人もおりましょう」
「それはいっぱい抜いて羽小さくした人だけだよ! でも僕らは生活のために残しておかなきゃいけないんだ!」
「そ、そんな、まったく存じませんでした……そんな……」
「もう知ったよね! 試験変えて!」
「……簡単ではございません。礼儀作法は国の歴史そのものなのです」
「関係ないよ! 新しいの作ればいいじゃない!」
「新しく、作る? 礼儀作法をですか? そんなことは誰もやったことがありません」
「だからなに? 誰かがやったことしかやっちゃ駄目なの?」

 びくりと莉雹の身体が大きく揺れた。
 立珂は深く考えているわけではないだろう。だがそれは有翼人が当然に思うことだという証拠でもある。
 薄珂は今にも莉雹に掴みかかりそうな立珂を抱き上げ、莉雹と目を合わせた。

「前に護栄様が有翼人のことが分からないから保護区作りが進まないって言ってたんだ。でも礼儀作法を変えて宮廷で有翼人が働けるようになれば保護区について話し合えるよ」
「た、確かにそうですが……そんな簡単な事では……」
「護栄様は簡単にできることじゃなくて、難しくてもやらなきゃいけない事をやる人だと思う」

 びくっと莉雹の身体が再び揺れた。周りからもざわざわと声が漏れ始める。
 立珂は薄珂の腕の中から手を伸ばし、莉雹の袖をきゅっと握った。

「……けれど、私にそんなことは」
「できるよ。だって俺と立珂が他の職員から文句言われないよう、守ろうとしてくれたじゃない」

 はっと莉雹は息を呑んだ。そして小さく震えると、薄珂と立珂の顔を見て固まった。
 するとその時、ぱんっと手を叩く音がした。音の方を振り向くと、そこには眉をひそめて険しい顔をしている護栄がいた。
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