人と獣の境界線

蒼衣ユイ/広瀬由衣

文字の大きさ
上 下
70 / 356
第二章 蛍宮宮廷

第十九話 翻弄される皇子【中編】

しおりを挟む
「勝手を申しました。契約終了で今後の姿勢を改めてまいります。ですが天藍様。一つだけお願いがございます」
「何だ」
「立珂殿に怪我をさせお心を病むほどに追い詰めた愛憐の所業には公吠も死罪は禁じ得ないと申しており、私も致し方ないことと理解しております。ですがその前に私から立珂殿へ謝罪をさせて頂きたく存じます。本来ならば本人がお詫び申し上げるべきですが、もはや罪人となった愚妹を御前に立たせるわけにはまいりません。代理ではございますが、立珂殿へお声掛けすることをお許しいただけますでしょうか」
「なるほど。立珂の同情を引き赦しを得ようというところか」
「狙いがある時だけ饒舌になるのはお国柄ですか?」

 麗亜はぐっと拳を握った。
 こうやって時折挟んでくる嫌味に煽られて激昂し、我を忘れて護栄の手のひらで踊らされ結果馬鹿を見た者は多い。

「立珂は純真無垢で優しい子だ。同情作戦は効くだろう。だがな」

 くくっと天藍が笑って立ち上がった。

(……おかしい。何故殿下自ら動かれるのか)

 いつもこういう場面で仕掛けてくるのは護栄だ。皇太子自ら切り込んで来ることはないと言って良い。
 それが作戦なのか実は傀儡なのかは分からないが、麗亜の経験上は無い。
 それが自ら動くとなると、やはりこの兄弟には何かあったのだ。この場に参列していることをもっと疑うべきだった。
 だが今更後悔してももう遅い。麗亜は土下座したままぎりっと唇を噛んだ。
 そして皇太子が発した言葉は――

「んにゃっ」
「……は?」

 聴こえて来たのは皇太子の言葉ではなく何かの鳴き声だった。顔を上げて良いとは言われていないが、麗亜は思わず顔を上げた。
 そこには兄の肩に頭を転がして、むにゃむにゃと言葉にならない声をぽつぽつと漏らしている無邪気な弟の姿があった。

「残念ながら立珂はおねむだ」
「おねむ!?」
「麗亜殿が頭を下げた数秒後に寝ましたよ」
「数秒後!?」
「そろそろお昼寝の時間だからね、立珂は」
「お昼寝!?」

 兄は起きろ、と頬を突くが弟はそれを気持ちよさそうにくふふと笑う。

「立珂。ちゃんと聞いてなきゃだめだろ」
「だってぇ……お話むずかしくて分からないもの……」

 兄弟は全く話を聞いていなかった。
 弟は兄に抱きかかえながらくしくしと目を擦っていて、兄は口で注意をしながらも弟の頭を撫でている。

「疲れたな。お昼寝するか?」
「うん……薫衣草のとこがいい……」
「よし。おいで」

 外交の場であるまじき状況に麗亜は唖然としたが、兄は全く気にせずひょいと弟を抱っこした。
 麗亜には興味が無いようで、くるりと背を向け出口へと向かって歩き出す。

(何だと!? 聞いていないのなら何でもいいから許すと言ってくれ!)

 対護栄の心づもりはしていたが、まさか抱っこでお昼寝などという言葉が出て来るとは予想もしていなかった。
 同席は都合が良いと思っていたが、こんな掻き回され方は経験が無くどうしたら良いかも分からない。抱っこされた立珂と目が合うとふにゃりと愛らしい笑顔を見せてくれた。

「お話おわったら呼んでね……僕お姫様のお兄ちゃんに聞きたいことあるの……」
「私に! ええ! ぜひ! 今おうかいいたします!」
「立珂眠いからそっち先でいいよ。護栄様、終わったら呼んで」
「分かりました」
「薄珂。お前はそれでいいのか」
「立珂がいいならいい」
「そうか。分かった」

 麗亜以外はこの事態を理解しているようでとんとんと話しが進んでいく。
 薄珂に抱っこされた立珂は、またねぇ、と手を振って去り際にはことんと眠りに落ちた。

(なん、だ、あれは……! どういうことだ!)

 普通であれば馬鹿にするなと怒っていい場面だろう。しかし全てにおいて強く出られない麗亜はそれすらもできない。
 喜怒哀楽どの感情を優先すべきか分からず呆然としていると、天藍が面白そうにくくくと笑った。

「立珂殿は歩けなかったせいで体力が無いんです」
「歩けなかった?」
「ええ。羽の間引き方を知らなかったので大きく育ってしまったんですよ」
「間引く、とは?」
「羽は髪のように伸びるんです。なので間引く必要があり、私達はそれを買い取ってるんです」
「……そうでしたか。では愛憐はとんでもない失礼を申し上げたのですね」

 有翼人の生態というのはあまり知られていない。知るどころか迫害してきたからだ。
 麗亜も蛍宮との外交に立ち初めて知ったことが多く、当然ながら外交など知らない愛憐は気にした事も無いだろう。いや、麗亜も有翼人の日常を気にしたことはなかった。いかに安く仕入れるかしか考えてこなかったし、羽で苦しむ実状を知りもしなかった。

「さて、じゃあ輸出入契約の件ですが」

 この流れでいきなり本題に入る図太さには恐れ入る。
 麗亜はまだ感情が追いついてこないが、いつものように穏やかで上品な皇子の顔を作った。
 予想外の出来事で出ばなをくじかれたが、どんな質疑応答でも対応できるようあらゆる想定をしてきた。さあ来いと麗亜は戦闘態勢に入った。
 だが皇太子から出た言葉はまたも麗亜の予想を裏切った。

「薄珂がいいなら俺ももういい。護栄任せた」
「承知致しました」
「殿下! お待ち下さい! 今しばらくお時間を」
「護栄がうかがいますよ。玲章、お前は薄珂と立珂に加密列茶を用意してやれ」
「承知しました」

 それだけ言うと、ばたん、と扉を閉じて出て行った。

(……は? 薄珂がいいならいい? まさか本当に色惚けか?)

 伸ばした手は行き場を失い、麗亜は護栄と二人きり残された。

「麗亜殿も加密列茶いかがです? 落ち着きますよ」
「……は?」
「気持ちは分かりますが、とりあえず加密列茶をどうぞ」
「は、はあ……」
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

青少年病棟

BL
性に関する診察・治療を行う病院。 小学生から高校生まで、性に関する悩みを抱えた様々な青少年に対して、外来での診察・治療及び、入院での治療を行なっています。 ※性的描写あり。 ※患者・医師ともに全員男性です。 ※主人公の患者は中学一年生設定。 ※結末未定。できるだけリクエスト等には対応してい期待と考えているため、ぜひコメントお願いします。

【運命】に捨てられ捨てたΩ

雨宮一楼
BL
「拓海さん、ごめんなさい」 秀也は白磁の肌を青く染め、瞼に陰影をつけている。 「お前が決めたことだろう、こっちはそれに従うさ」 秀也の安堵する声を聞きたくなく、逃げるように拓海は音を立ててカップを置いた。 【運命】に翻弄された両親を持ち、【運命】なんて言葉を信じなくなった医大生の拓海。大学で入学式が行われた日、「一目惚れしました」と眉目秀麗、頭脳明晰なインテリ眼鏡風な新入生、秀也に突然告白された。 なんと、彼は有名な大病院の院長の一人息子でαだった。 右往左往ありながらも番を前提に恋人となった二人。卒業後、二人の前に、秀也の幼馴染で元婚約者であるαの女が突然現れて……。 前から拓海を狙っていた先輩は傷ついた拓海を慰め、ここぞとばかりに自分と同居することを提案する。 ※オメガバース独自解釈です。合わない人は危険です。 縦読みを推奨します。

ニケの宿

水無月
BL
危険地帯の山の中。数少ない安全エリアで宿を営む赤犬族の犬耳幼子は、吹雪の中で白い青年を拾う。それは滅んだはずの種族「人族」で。 しっかり者のわんことあまり役に立たない青年。それでも青年は幼子の孤独をゆるやかに埋めてくれた。 異なる種族同士の、共同生活。 ※過激な描写は控えていますがバトルシーンがあるので、怪我をする箇所はあります。  キャラクター紹介のページに挿絵を入れてあります。  苦手な方はご注意ください。

好きな人がカッコ良すぎて俺はそろそろ天に召されるかもしれない

豆ちよこ
BL
男子校に通う棚橋学斗にはとってもとっても気になる人がいた。同じクラスの葛西宏樹。 とにかく目を惹く葛西は超絶カッコいいんだ! 神様のご褒美か、はたまた気紛れかは知らないけど、隣同士の席になっちゃったからもう大変。ついつい気になってチラチラと見てしまう。 そんな学斗に、葛西もどうやら気付いているようで……。 □チャラ王子攻め □天然おとぼけ受け □ほのぼのスクールBL タイトル前に◆◇のマークが付いてるものは、飛ばし読みしても問題ありません。 ◆…葛西視点 ◇…てっちゃん視点 pixivで連載中の私のお気に入りCPを、アルファさんのフォントで読みたくてお引越しさせました。 所々修正と大幅な加筆を加えながら、少しづつ公開していこうと思います。転載…、というより筋書きが同じの、新しいお話になってしまったかも。支部はプロット、こちらが本編と捉えて頂けたら良いかと思います。

僕の王子様

くるむ
BL
鹿倉歩(かぐらあゆむ)は、クリスマスイブに出合った礼人のことが忘れられずに彼と同じ高校を受けることを決意。 無事に受かり礼人と同じ高校に通うことが出来たのだが、校内での礼人の人気があまりにもすさまじいことを知り、自分から近づけずにいた。 そんな中、やたらイケメンばかりがそろっている『読書同好会』の存在を知り、そこに礼人が在籍していることを聞きつけて……。 見た目が派手で性格も明るく、反面人の心の機微にも敏感で一目置かれる存在でもあるくせに、実は騒がれることが嫌いで他人が傍にいるだけで眠ることも出来ない神経質な礼人と、大人しくて素直なワンコのお話。 元々は、神経質なイケメンがただ一人のワンコに甘える話が書きたくて考えたお話です。 ※『近くにいるのに君が遠い』のスピンオフになっています。未読の方は読んでいただけたらより礼人のことが分かるかと思います。

あの日の記憶の隅で、君は笑う。

15
BL
アキラは恋人である公彦の部屋でとある写真を見つけた。 その写真に写っていたのはーーー……俺とそっくりな人。 唐突に始まります。 身代わりの恋大好きか〜と思われるかもしれませんが、大好物です!すみません! 幸せになってくれな!

なり代わり貴妃は皇弟の溺愛から逃げられません

めがねあざらし
BL
貴妃・蘇璃月が後宮から忽然と姿を消した。 家門の名誉を守るため、璃月の双子の弟・煌星は、彼女の身代わりとして後宮へ送り込まれる。 しかし、偽りの貴妃として過ごすにはあまりにも危険が多すぎた。 調香師としての鋭い嗅覚を武器に、後宮に渦巻く陰謀を暴き、皇帝・景耀を狙う者を探り出せ――。 だが、皇帝の影に潜む男・景翊の真意は未だ知れず。 煌星は龍の寝所で生き延びることができるのか、それとも――!? /////////////////////////////// ※以前に掲載していた「成り代わり貴妃は龍を守る香」を加筆修正したものです。 ///////////////////////////////

それ以上近づかないでください。

ぽぽ
BL
「誰がお前のことなんか好きになると思うの?」 地味で冴えない小鳥遊凪は、ある日、憧れの人である蓮見馨に不意に告白をしてしまい、2人は付き合うことになった。 まるで夢のような時間――しかし、その恋はある出来事をきっかけに儚くも終わりを迎える。 転校を機に、馨のことを全てを忘れようと決意した凪。もう二度と彼と会うことはないはずだった。 ところが、あることがきっかけで馨と再会することになる。 「本当に可愛い。」 「凪、俺以外のやつと話していいんだっけ?」 かつてとはまるで別人のような馨の様子に戸惑う凪。 「お願いだから、僕にもう近づかないで」

処理中です...