人と獣の境界線

蒼衣ユイ/広瀬由衣

文字の大きさ
上 下
54 / 356
第二章 蛍宮宮廷

第十一話 逃げの一手

しおりを挟む
「おお、今日は顔色良いじゃないか」
「うんっ! 薄珂がぎゅーしてくれてるから!」

 立珂が倒れてから十日ほど経ったが、芳明は毎日立珂の様子を見に来てくれていた。
 最初よりは穏やかに過ごしているが抱きしめていないと気持ちが落ち込み、ほんのわずか傍を離れただけで体調を崩すこともある。
 回復が遅いのは慶都がいないせいもあった。学舎の件が収着していないようで両親揃っていないことが多い。
 創樹は顔を見せてくれるものの、常時好きなようにではなく決められた時間だけになっていた。それもわずかな時間なので出入りはどたばたになり、立珂に気を遣わせるからしばらくは来ないようにするということだった。
 申し訳ないと思うものの、今の立珂を思えば何も考えず静かに過ごせることは有難かった。

「まだちょっとくすんでるね。お前さんの嫌なことはなんだい?」
「……人がいっぱいいるのはちょっと嫌。水のにおいも嫌。だからお風呂も水浴びも嫌」
「嫌なものが分かってるなら大したもんだ。それから逃げればいいんだよ」
「でもお水はどうしようもないよ」
「井戸水があるよ。土を通った川もある。ちょいと不便だろうが有翼人は皆そうしてる」
「けど僕だけわがまま言っちゃだめだよ」
「いいんだよ。嫌なことに立ち向かうのが美徳なわけじゃない。嫌なら逃げていいんだ」
「いいのかなあ……」
「いいよ。儂は逃げまくりじゃ」

 逃げるという芳明の言葉に立珂は口を尖らせたけれど、その言葉が響いたのは立珂ではなく薄珂だった。
 その夜、薄珂は眠らずに慶真を待っていた。このところすれ違いが続いて顔を合せることが少なかったが、どうしても聞きたい事があるのだ。
 慶都に立珂を抱きしめて眠ってもらい、薄珂は二人が寝付くまで傍で頭を撫でていた。
 もうじき明け方がやってくるころになりようやく慶真が帰って来て、薄珂はそっと立珂の傍を離れた。

「おじさん、お帰り」
「薄珂くん。どうしたんですこんな時間まで」
「どうしても聞きたいことがあるんだ。今すぐ立珂の専属契約を終わりにしたい。どうしたらいい?」
「……ちょうど殿下とその話をしてきたところです」

 座ってください、と慶真が椅子を引いてくれる。しかし薄珂は座らずにじっと慶真を見つめ返した。
 慶真は困ったように苦笑いをし、一枚の書類を取り出した。蛍宮に来た時に交わした専属契約の契約書だ。

「途中解約はしないと締結しているのですぐは無理です。ですがひと月更新の契約なので更新しなければ終了です。次の更新は十二日後ですね」
「長すぎるよ。今すぐここを出たいんだ」
「できません。宮廷を住居とする契約になんです。納品はしなくていいので敷地内で休みましょう」
「……くそ。結ぶんじゃなかったこんな契約」
「薄珂君……」

 慶真が傷付いたような顔をしているのが見えた。
 専属契約を持ち掛けたのは天藍で背を押してくれたのは慶真だ。慶真が悪いわけではないけれど、悪態を詫びることも取り繕うこともできなかった。
 薄珂は逃げるように立珂を抱きしめに戻った。
 それから数日、慶都はずっと立珂の傍にいてくれて、白那も慶真も頻繁に顔を見せてくれるようになった。
 立珂の具合が良い時は全員揃って露台で食事をすることもできるようになっている。
 おかげで立珂は楽しそうにしている時間が増えたが、それでも羽はくすんだままだった。なかなか回復しない様子に芳明も首を傾げ始めていた。

「寝てるね。んん、ちょいと顔色が悪いかな」
「熱があるんだ。昨日は元気だったんだけど」
「波があるんだね。変わったことがあったのかい?」
「何も。でも宮廷自体が疲れるのかもしれない。森より気にしなきゃいけないことが多いから。寝たまま話さなきゃいけないのも嫌なんだと思う。みっともないのが嫌いなんだ、立珂は」
「ふむふむ。そうしたら徹底的に離れて生活した方が良いかもねえ」

 けれど宮廷から出てはいけないという契約だ。契約が切れない以上ここにいるしかないのだ。
 薄珂は苛立ちを隠しきれず拳を震わせた。しかしその時、慶真がなだめるように拳を撫でてくる。

「芳明先生。立珂くんを離宮へ移すのはどうでしょう」
「ほ。ていうと孔雀先生のとこかい?」
「いいえ。宮廷の敷地内ですが、かなり離れた林の中に離宮があります。水道も通っていないし草木も花も手入れされていないので宮廷人は嫌っていて近付きません。川が近いから服も汚れますし」
「おお、それはいい。この子は手入れされてない自然が良いだろう」
「よかった。では移動しましょう。荷物はひとまず最低限で」
「すぐ行って平気なの? 手続きとか掃除とか」
「殿下のご指示で手続きは済ませてあります。掃除も侍女が昨日のうちに終わらせてるので大丈夫ですよ」
「……そっか」

 天藍か、と心の中で毒づいた。
 薄珂とて素直に感謝すべきところだと分かっている。けれど今の薄珂には、全て天藍の手の内にあり逃げることはできないのだと思い知らされ悔しいだけだった。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

青少年病棟

BL
性に関する診察・治療を行う病院。 小学生から高校生まで、性に関する悩みを抱えた様々な青少年に対して、外来での診察・治療及び、入院での治療を行なっています。 ※性的描写あり。 ※患者・医師ともに全員男性です。 ※主人公の患者は中学一年生設定。 ※結末未定。できるだけリクエスト等には対応してい期待と考えているため、ぜひコメントお願いします。

【運命】に捨てられ捨てたΩ

雨宮一楼
BL
「拓海さん、ごめんなさい」 秀也は白磁の肌を青く染め、瞼に陰影をつけている。 「お前が決めたことだろう、こっちはそれに従うさ」 秀也の安堵する声を聞きたくなく、逃げるように拓海は音を立ててカップを置いた。 【運命】に翻弄された両親を持ち、【運命】なんて言葉を信じなくなった医大生の拓海。大学で入学式が行われた日、「一目惚れしました」と眉目秀麗、頭脳明晰なインテリ眼鏡風な新入生、秀也に突然告白された。 なんと、彼は有名な大病院の院長の一人息子でαだった。 右往左往ありながらも番を前提に恋人となった二人。卒業後、二人の前に、秀也の幼馴染で元婚約者であるαの女が突然現れて……。 前から拓海を狙っていた先輩は傷ついた拓海を慰め、ここぞとばかりに自分と同居することを提案する。 ※オメガバース独自解釈です。合わない人は危険です。 縦読みを推奨します。

ニケの宿

水無月
BL
危険地帯の山の中。数少ない安全エリアで宿を営む赤犬族の犬耳幼子は、吹雪の中で白い青年を拾う。それは滅んだはずの種族「人族」で。 しっかり者のわんことあまり役に立たない青年。それでも青年は幼子の孤独をゆるやかに埋めてくれた。 異なる種族同士の、共同生活。 ※過激な描写は控えていますがバトルシーンがあるので、怪我をする箇所はあります。  キャラクター紹介のページに挿絵を入れてあります。  苦手な方はご注意ください。

好きな人がカッコ良すぎて俺はそろそろ天に召されるかもしれない

豆ちよこ
BL
男子校に通う棚橋学斗にはとってもとっても気になる人がいた。同じクラスの葛西宏樹。 とにかく目を惹く葛西は超絶カッコいいんだ! 神様のご褒美か、はたまた気紛れかは知らないけど、隣同士の席になっちゃったからもう大変。ついつい気になってチラチラと見てしまう。 そんな学斗に、葛西もどうやら気付いているようで……。 □チャラ王子攻め □天然おとぼけ受け □ほのぼのスクールBL タイトル前に◆◇のマークが付いてるものは、飛ばし読みしても問題ありません。 ◆…葛西視点 ◇…てっちゃん視点 pixivで連載中の私のお気に入りCPを、アルファさんのフォントで読みたくてお引越しさせました。 所々修正と大幅な加筆を加えながら、少しづつ公開していこうと思います。転載…、というより筋書きが同じの、新しいお話になってしまったかも。支部はプロット、こちらが本編と捉えて頂けたら良いかと思います。

僕の王子様

くるむ
BL
鹿倉歩(かぐらあゆむ)は、クリスマスイブに出合った礼人のことが忘れられずに彼と同じ高校を受けることを決意。 無事に受かり礼人と同じ高校に通うことが出来たのだが、校内での礼人の人気があまりにもすさまじいことを知り、自分から近づけずにいた。 そんな中、やたらイケメンばかりがそろっている『読書同好会』の存在を知り、そこに礼人が在籍していることを聞きつけて……。 見た目が派手で性格も明るく、反面人の心の機微にも敏感で一目置かれる存在でもあるくせに、実は騒がれることが嫌いで他人が傍にいるだけで眠ることも出来ない神経質な礼人と、大人しくて素直なワンコのお話。 元々は、神経質なイケメンがただ一人のワンコに甘える話が書きたくて考えたお話です。 ※『近くにいるのに君が遠い』のスピンオフになっています。未読の方は読んでいただけたらより礼人のことが分かるかと思います。

あの日の記憶の隅で、君は笑う。

15
BL
アキラは恋人である公彦の部屋でとある写真を見つけた。 その写真に写っていたのはーーー……俺とそっくりな人。 唐突に始まります。 身代わりの恋大好きか〜と思われるかもしれませんが、大好物です!すみません! 幸せになってくれな!

それ以上近づかないでください。

ぽぽ
BL
「誰がお前のことなんか好きになると思うの?」 地味で冴えない小鳥遊凪は、ある日、憧れの人である蓮見馨に不意に告白をしてしまい、2人は付き合うことになった。 まるで夢のような時間――しかし、その恋はある出来事をきっかけに儚くも終わりを迎える。 転校を機に、馨のことを全てを忘れようと決意した凪。もう二度と彼と会うことはないはずだった。 ところが、あることがきっかけで馨と再会することになる。 「本当に可愛い。」 「凪、俺以外のやつと話していいんだっけ?」 かつてとはまるで別人のような馨の様子に戸惑う凪。 「お願いだから、僕にもう近づかないで」

金の野獣と薔薇の番

むー
BL
結季には記憶と共に失った大切な約束があった。 ❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎ 止むを得ない事情で全寮制の学園の高等部に編入した結季。 彼は事故により7歳より以前の記憶がない。 高校進学時の検査でオメガ因子が見つかるまでベータとして養父母に育てられた。 オメガと判明したがフェロモンが出ることも発情期が来ることはなかった。 ある日、編入先の学園で金髪金眼の皇貴と出逢う。 彼の纒う薔薇の香りに発情し、結季の中のオメガが開花する。 その薔薇の香りのフェロモンを纏う皇貴は、全ての性を魅了し学園の頂点に立つアルファだ。 来るもの拒まずで性に奔放だが、番は持つつもりはないと公言していた。 皇貴との出会いが、少しずつ結季のオメガとしての運命が動き出す……? 4/20 本編開始。 『至高のオメガとガラスの靴』と同じ世界の話です。 (『至高の〜』完結から4ヶ月後の設定です。) ※シリーズものになっていますが、どの物語から読んでも大丈夫です。 【至高のオメガとガラスの靴】  ↓ 【金の野獣と薔薇の番】←今ココ  ↓ 【魔法使いと眠れるオメガ】

処理中です...